1709日目・・・突然の「夏」・・・何だこの暑さ。昨夜は灯油ストーブに炎を燃えさせていたのに・・・暑い・・・庭に出ると桜の木に桜の花・・・ニャんコの「モモ」もぐったり・・・

 国民背番号はプチブル自由主義者の阻害物・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
 ↓
 民數記=民数記(みんすうき)
 聖書の
 四番目の記録
 出エジプトから
 二年二ヶ月後に始まり、
 ヨルダン川にたどりつく40年目までの記録
 ↓
 イスラエルの民の人口の「数」の調査
 七十人訳聖書
 「アリスモイ=数」
 「戸籍調査」はナゼ必要なのか・・・「税金徴収」と「徴兵」だろう・・・
 ↓
 ナジル人など種々の規定(1章〜10章10節)
 シナイ山からモアブにいたる道中の記述(10章11節〜21章20節)
 カナンの民との戦い、ヨルダン川到着まで(21章21節〜36章)
  ↓
 1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
 2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
 3章 レビ人の祭司としての職務
 4章〜6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
 7章〜9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
 10章〜12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、
       モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
 13章〜14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
 15章〜17章 コラの反逆、アロンの杖
 18章〜19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
 20章〜21章 メリバの出来事、
       ミリアムとアロンの死、
       カナン人アラドの王の死、
       青銅の蛇による罰、
       アモリの王シホンとオグとの戦い
 22章〜24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
 25章〜27章 カナン入りを前にした人口調査
       後継者ヨシュアの任命
 28章〜29章 献げ物に関する規定
 30章〜32章 ミディアンへの勝利
       逃れの街の規定
 33章〜36章 エジプトを出てからの旅程
       イスラエルの嗣業の土地、
       レビ人の町、
       相続人が女性である場合の規定
  ↓
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
第1章
1:1
エジプトの国を出た
次の年の二月一日に、
主はシナイの荒野において、
会見の幕屋で、モーセに言われた、
1:2
「あなたがたは、
 イスラエルの人々の全会衆を、
 その氏族により、
 その父祖の家によって調査し、
 その
 すべての
 男子の名の数を、
 ひとりびとり数えて、
 その総数を得なさい。
1:3
 イスラエルのうちで、
 すべて戦争に出ることのできる
 二十歳以上の者を、
 あなたとアロンとは、
 その部隊にしたがって
 数えなければならない。
1:4
 また、
 すべての部族は、
 おのおの
 父祖の家の長たるものを、
 ひとりずつ出して、
 あなたがたと協力させなければならない。
  ↓
1:16
これらは会衆のうちから選び出された人々で、
その父祖の部族のつかさたち、
またイスラエルの氏族のかしらたちである。
1:17
こうして、モーセとアロンが、
ここに名を掲げた人々を引き連れて、
1:18
二月一日に会衆をことごとく集めたので、
彼らはその氏族により、
その父祖の家により、
その名の数にしたがって
二十歳以上のものが、
ひとりびとり登録した。
1:19
主が命じられたように、
モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。
1:20
すなわち、
イスラエルの長子
ルベンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:21
ルベンの部族のうちで、
数えられたものは
四万六千五百人であった。
1:22
また
シメオンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:23
シメオンの部族のうちで、
数えられたものは
五万九千三百人であった。
1:25
ガドの部族のうちで、
数えられたものは
四万五千六百五十人であった。
1:27
ユダの部族のうちで、
数えられたものは
七万四千六百人であった。
1:29
イッサカルの部族のうちで、
数えられたものは
五万四千四百人であった。
1:31
ゼブルンの部族のうちで、
数えられたものは
五万七千四百人であった。
1:33
エフライムの部族のうちで、
数えられたものは
四万五百人であった。
1:35
マナセの部族のうちで、
数えられたものは
三万二千二百人であった。
1:37
ベニヤミンの部族のうちで、
数えられたものは
三万五千四百人であった。
1:39
ダンの部族のうちで、
数えられたものは
六万二千七百人であった。
1:41
アセルの部族のうちで、
数えられたものは
四万一千五百人であった。
1:43
ナフタリの部族のうちで、
数えられたものは、
五万三千四百人であった。
1:44
これらが数えられた人々であって、
モーセとアロンと
イスラエルのつかさたちとが数えた人々である。
そのつかさたちは
十二人であって、
おのおのその父祖の家のために出たものである。
1:45
そして
イスラエルの人々のうち、
その父祖の家にしたがって数えられた者は、
すべてイスラエルのうち、
戦争に出ることのできる
二十歳以上の者であって、
1:46
その数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
1:47
しかし、
レビびとは、
その父祖の部族にしたがって、
そのうちに数えられなかった。
1:48
すなわち、
主はモーセに言われた、
1:49
「あなたはレビの部族だけは
 数えてはならない。
 またその総数を
 イスラエルの人々のうちに
 数えあげてはならない。
1:50
 あなたは
 レビびとに、
 あかしの幕屋と、
 そのもろもろの器と、
 れに附属するもろもろの物を管理させなさい。
 彼らは幕屋と、
 そのもろもろの器とを持ち運び、
 またそこで務をし、
 幕屋のまわりに宿営しなければならない。
1:51
 幕屋が進む時は、
 レビびとがこれを取りくずし、
 幕屋を張る時は、
 レビびとが
 これを組み立てなければならない。
 ほかの人がこれに近づく時は
 殺されるであろう。
1:52
 イスラエルの人々は
 その部隊にしたがって、
 おのおのその宿営に、
 おのおのその旗のもとに
 その天幕を張らなければならない。
1:53
 しかし、
 レビびとは、
 あかしの幕屋の
 まわりに宿営しなければならない。
 そうすれば、
 主の怒りは
 イスラエルの人々の
 会衆の上に臨むことがないであろう。
 レビびとは、
 あかしの幕屋の務を守らなければならない」。
1:54
イスラエルの人々はこのようにして、
すべて
主がモーセに命じられたように行った。
ーーーーー
 ・・・「あかしの幕屋」と「幕屋の務」とは・・・「情報機関」・・・移動用の「ペンタゴン」・・・それとも、「明石」の標準時間・・・「赤石元二郎」大佐のロシア革命への加担工作か・・・「あかしの幕屋」とは「あかしそ」の「マクヤ」・・・梅干し工場・・・?
 禁止の終助詞「な」
 禁止の副詞「な」と呼応した「な」…「そ」
 「な、あかし-そ」・・・「レビびとは、な数えそ」・・・?
  ↓
 赤紫蘇
 日本では梅干しなどの色づけに使う
 葉を乾燥させ香辛料として
 七味唐辛子に配合
 カロテン、ビタミンB、カルシウム、
 食物繊維、カリウムなどの栄養素を含み、
 β-カロテンの含有量は多い
 香りの元
 ペリルアルデヒドは、
 臭覚神経を刺激し
 胃液の分泌を促し、
 健胃作用や食中毒に予防効果
 漢方医学
 赤紫蘇の葉を
 「蘇葉(ソヨ)
 「紫蘇葉(シソヨウ)」といい、
 理気薬(精神を安定効果)
 神秘湯、半夏厚朴湯、香蘇散などに配合
 チリメンジソの葉
 及び
 枝先を「蘇葉」としている
 熟した果実は
 「蘇子(ソシ)といい、
 咳、喘息、便秘などの治療に用いる
 シソの葉
 ロズマリン酸、
 葉と実には
 ルテオリン(フラボノイド・酵素)を含み、
 アレルギー疾患に有用
  ↓
 明石
 明石市を通る
 東経135度の経度が
 日本標準時
 子午線
 645年 - 大化の改新により
      明石国が
針間国に編入され
播磨国となる
  645年 - 如意寺が建立
  811年 - 空海
楊柳寺を建立
  877年 - 覚証が
楊柳寺を
月照寺に改名
  901年 - 九州左遷の
      菅原道真が立ち寄り、
明石の駅に一泊
 1578年 - 別所長治が
魚住に魚住城を築城
 1580年 - 羽柴秀吉
三木を攻め、
明石も巻き込む
 1585年 - 高山右近が領主
 1587年 - 高山右近追放
      羽柴秀吉の直轄領
 1617年 - 小笠原忠真明石城
 1619年 - 明石城の築城が始まる
 1622年 - 小笠原忠真
明石城内にあった
人丸神社と
月照寺を現在の位置に移設
 1601年 - 明石港が作られる
 1680年頃 - 岩岡が開墾される
 1871年7月14日 - 廃藩置県により
明石藩から明石県
 1871年11月 - 明石県は姫路県に編入後、
飾磨県に名称変更
 1876年8月 - 府県大統合により
飾磨県は
兵庫県に併合
 1879年1月 - 郡区町村編制法により明石郡
 1888年11月1日 - 山陽鉄道が兵庫-明石間で開通
 1888年12月23日 - 山陽鉄道、明石-姫路間が開通
 1889年4月 - 明治二十二年
       市制町村制が敷かれ
1町11村
(明石町
伊川谷、岩岡、
魚住、大久保、
押部谷、神出、
玉津、垂水、
櫨谷、林崎、
平野の各村)が出来る
 1917年 - 兵庫電気軌道の兵庫-明石間が開通
 1919年11月1日 - 明石町が明石市となる
 1923年 - 神姫鉄道の明石-姫路間が開通
 1928年10月 - 垂水村が垂水町となる
 1938年4月1日 - 大久保村が大久保町となる
 1941年7月1日 - 垂水町が神戸市須磨区編入
 1942年 - 林崎村が明石市編入
 1943年 - 明石市
玉津村を合併しようと
兵庫県に申請するが不成立
 1946年11月 - 旧垂水町が神戸市垂水区となる