1723日目・・・「そしてメが生まれた」・・・NHKTV「生命大躍進・第1集・そして"目"が生まれた40億年前の地球最初の生命から私たち人間」まで・・・「命の記録、DNA」・・・「目の誕生」・・・「5億年前、目を持たなかった生物が、目を持つようになった」・・・「視覚の発生」は「植物の光センサーのDNA」が「動物のDNA」と合体した・・・

 「生き物の個々の存在」は「生きるコトそれ自体」である、とツクヅク思う。「個々の時間に限られた生命体維持のエゴやセルフっシュ」と「愛(協働?)」は「人間の脳ミソ」の産物である・・・だが、なぜ、「種を残す存在」となってしまったのか、なぜ、「蟻や蜂」のように「集団(人間も含めて)の存在」として「種を残す存在」となったのか・・・「動物」に「目」がなければ、「殺生への道の変化」は無かっただろうに・・・いや、「肉食の植物も存在する」から「生物(動植物)の宿命」なのだろう・・・
 そんなコトを云ったら「特殊になった五感感覚(視聴臭味触)」のスベテが「生きていく存在としての生き物の宿命」である。土竜モグラ)、蛇(ヘビ)、蝙蝠(コウモリ)の「眼の退化」と同時に「嗅覚、聴覚の発達」。耳が聴こえない動物は「他の感覚器官の発達」で生きている・・・眼が見えない人でも天才的な聴覚と指の感覚でピアのを弾く人ももいれば、全身無感覚な特殊な病の人も存在する・・・
 「ヘレンケラー」は「見る・聞く・話す、盲聾(モウロウ)」と云う存在の人であった・・・だが「話すこと」が出来るようになった。「幼少時、ヘレンは同じく盲目の日本人の塙保己一(はな・ほきいち)を手本にして生きた」とは知らなかった。
  ↓
 ウイッキペデアには
 「私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない」
 「世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています」
 「もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう」
 彼女の「名言」が載っていた・・・彼女、「秘書のピーター」と相思相愛の仲にもなったのに「生涯独身」だったらしい・・・生害の障碍は「両親」の反対だった・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
  ↓
 だが、ボクから「視覚」が無くなったら・・・それでも「生きていたい」と思っている「存在」であるだろうか・・・「無聴覚」なら躊躇なく「生きていきたい」と断言できる。が、ボケじゃぁその「自覚」があるのか、どうなのか・・・モモちゃんは「片目」だけれど、頑張っている。近所の白黒のニャンコの突然の訪問にも寛大になったのか、無視しているのか・・・舌をチチチッと鳴らすと反応するが勝手に「たまチャン」と呼んでも無反応。名前が違っているんだろうな・・・
  ↓
 「よべる=よ、べる=よべ、る=ヨ・ベ・ル」の解釈・・・「ヨベルの年(歳・とし・ネン)」・・・「七周忌」・・・「忌中・喪中・供養」に関するコトバを調べてみた・・・
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 七七日忌(なななぬか・しちしちにち)とは、
 四十九日のこと
 忌明けとされる
 亡くなった日を
 1日目と数えて
 49日目がこの日にあたる
 同義語は
 四十九日
 関連語は
 初七日・二七日忌・三七日忌
 四七日忌・五七日忌・六七日忌
 追善法要・忌明け・埋葬
  ↓.
 中陰法要(忌明け)後、
 命日〜100日目に
 「百ヶ日」法要
 「百ヶ日」
  と
 「一周忌」
 「三回忌」の
 法要は、
 中国の
 「儒教の祭祀」の影響
 亡者が
 「初七日」〜「七七日(四十九日)」
 と
 「百ヶ日」を含めた
 八つの「忌日」と、
 「一周忌」、
 「三回忌」の
 二つの「年忌」の、
 合計十度の時点で、
 冥界の
 「十人の王に審判」される
 遺族による
 「追善供養による功徳」で、
 亡者の審判に
 資することを期すのが、
 忌日
 と
 年忌
 の
 法要の目的
  ↓
 三と七の数字は
 儒家
 「三魂七魄」に基づいている
 「十王信仰」は
 仏教のものでなく、
 中国で生まれた信仰
 後
 道教と中国仏教とが
 「十王信仰」を共有
 「七回忌」以降の法要
 日本で独自に付加されたもの
 「十二支」が
 1巡する事に基づく
 「十三回忌」
 と
 2巡した
 「二十五回忌」や、
 「三と七」を重視
  ↓
 七回忌
 十七回忌
 二十三回忌
 二十七回忌
 三十三回忌
 三十七回忌
 四十三回忌
 四十七回忌や、
 五十回忌(以後50年毎に百回忌、百五十回忌・・・)
 を行うことも始まった。
 五十回忌からは
 遠忌(おんき)という
 一般人は
 三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌
 だけ
 三十三回忌を
 「弔い上げ」、
 あるいは、
 「問切り」
 と称し、
 死者が
 ホトケ(死者の敬称)から
 「神様」となる
 「ご先祖様の仲間入り」
 「三十三回忌」を
 最後の年忌にする
 日本では11世紀以降に
 「十王信仰」が広まった
 江戸時代になると
 旧来の十王信仰に
 「七回忌」
 「十三回忌」
 「三十三回忌」
 の分として新たに
 「三王とその本地三仏」が加えられ
 「十三仏信仰」が生まれた
 特に二十三回忌以降は
 宗派、地域による差が大きい
 二十五回忌を行い
 二十三回忌と
 二十七回忌を行わない場合や、
 逆に
 二十五回忌のみを行わない場合。
 五十回忌まで行う場合は
 三十三回忌
 と
 三十七回忌は行わない場合など・・・があるらしい
  ↓
 神道神葬祭
 回忌ではなく年祭(式年祭
 一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と続き、
 以降5年毎に行う
 一年祭だけは
 仏教の一周忌にあたるが、
 それ以降は
 仏教の三回忌
 と
 神道の三年祭では
 1年のずれがある・・・
 通常の死者の場合は
 「五十年祭」をもって
 「祭り上げ」とする
 平年の
 「祥月命日」の祭儀は
 「正辰祭(しょうしんさい)」という
 年祭と正辰祭を総称して
 「御霊祭」という
 ↓
 その他
 年忌法要
 三回忌以降は
 数え年の数え方であるので
 実際の経過年数と一致しない
  ↓
 百ヶ日=没日の99日後
     卒哭忌(そっこくき)
 一周忌=没年の翌年の祥月命日
     この日までが
     「喪中」
     「服忌令」という法令に基づいて、
      13か月とする場合もある
 三回忌=没年の翌々年
     最近では三回忌まで
     親類を呼ぶ・・・
 七回忌=没年の6年後
 十三回忌=没年の12年後
 (十七回忌=没年の16年後)
 (二十三回忌=没年の22年後)
 (二十五回忌=没年の24年後)
 (二十七回忌=没年の26年後)
 三十三回忌=没年の32年後
 (三十七回忌 : 没年の36年後)
 (四十三回忌 : 没年の42年後)
 (四十七回忌 : 没年の46年後)
 (五十回(遠)忌 : 没年の49年後
 以降50年毎に、
 百回遠忌(没年の99年後)
 百五十回遠忌(没年の149年後)
 三十三回忌(または五十回忌)の
 「弔い上げ」の際、
 寺への
 寄進や
 永代供養を行う・・・
 ・・・???・・・・
  ↓
 「魂魄論」・・・ボクが理解していた「魂魄論」は「魂は男の霊」で、「魄は女の霊」である。生きている間に夫婦になって、どちらかが先に死んだ「魂(夫)」か、「魄(妻)」が天国の門前で、待ち、後から来た「霊」と合体し「魂魄」となって一緒に天国に入る、と云うものだった・・・「天国」には生きている間は「一夫一婦」でなければ「魂魄」となって入れない、と云うモノだったが・・・以下の考え方は・・・「魂魄二元論」であるらしい・・・
  ↓↑
 魂が天に帰り
 魄のみの存在とされる
 「三魂」=「胎光・爽霊・幽精」
      「主魂、覺魂、生魂」
      「元神、陽神、陰神」
      「天魂、識魂、人魂」
 「七魄」=「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、
       容贼(吝賊)、非毒、
       除秽(陰穢)、臭肺」・・・
  ↓
 「三魂七魄」
 「道教」など
 民間では、
 「三魂七魄」の数がある・・・
 「三魂」 は
 「天魂(死後、天に向かう)」、
 「地魂(死後、地に向かう)」、
 「人魂(死後、墓場に残る)」
 であり、
 「七魄」=喜び、怒り、哀しみ、
      懼れ、愛、惡しみ、欲望
 死して
 「魂は神」に、
 「魄は鬼」となる・・・?
  ↓
 「魂魄」は「気の集合体」で
 死んだらバラバラに散じて元には戻らないが、
 子孫が真心を尽くして祀る時、
 子孫(生者)の気と通じ感応し
 死者の霊魂は
 この世に「招魂」される
 「散じた気=魂魄は集まらない」としつつも、
 「招魂」の時は特別に「凝縮し招魂」となる・・・
  ↓
 「魂魄論」
 「魂」とは、
 「肝に宿り」、人間を成長させて行くもの
 心を統制する働き
 「魂」が強くなると、怒りっぽくなる・・・
 「魄」とは
 肉体的な外観、骨組み、生まれながらに
 持っている肉体で
 五官の働きを促進させ、成長させる作用
 「肺に宿り」、
 強すぎると物思いにふけるとされる・・・
 「落魄(ラクタク・らくはく)」は
 「肉体的機能喪失状態」・・・
 ならば、
 「落胆(ラクタン)」は
 「精神的機能喪失状態の落魂」だろう・・・?

 
ーーーーー
 旧約聖書
 民数記
第36章
36:1
ヨセフの子孫の氏族のうち、
マナセの子
マキルの子である
ギレアデの子らの氏族の
頭目(かしら)たちがきて、
モーセ
イスラエルの人々の
頭目(かしら)である
司(つかさ)たちとの前で語って、
36:2
言った、
イスラエルの人々に、
 その嗣業の地を
 籤(くじ)によって
 与えることを主はあなたに命じられ、
 あなたもまた、
 われわれの兄弟
 ゼロペハデ
 の嗣業を、
 その娘たちに与えるよう、
 主によって命じられました。
36:3
 その娘たちが
 もし、
 イスラエルの人々のうちの
 他の部族の息子(むすこ)たちに
 嫁(とつぐ)ならば、
 彼女たちの嗣業は、
 われわれの父祖の嗣業のうちから取り除かれて、
 その嫁(とつぐ)部族の嗣業に加えられるでしょう。
 こうして
 それは
 われわれの嗣業の分から取り除かれるでしょう。
36:4
 そして
 イスラエルの人々の
 ヨベル・・・・・・・ヨベル (Jubilee)
           ヨベルとはヘブライ語
           角から作られた喇叭(ラッパ)
          「雄羊の角」の喇叭
           
       ?・・・よべる→ジュビリィ?
               ジョブリィ?
           英語はジュビリー
              (jubilee)
           呼べる・余部留・・?
           安息の年を
           拡大した七週年(7×7年)が
           満了した
           翌年の50年目を,
           解放,恩赦の年(大安息年)とした
           ヨベルの年(The Jubilee year)
           50年に一度の
           大贖罪の年
           旧約聖書のレビ 記に由来
           カトリック教会では、
           25年に一度の「聖年」
          「ヨベル書」は
          「外典」・・・日本では
                「小創世記」と翻訳
           シナイ山
           大天使が
           モーセの前に現れ、
          「天地創造」から
          「族長時代」の末期までの
           経緯を懐述した記録
           アブラハム
           祖父伝来の
           偶像を破壊し
           生まれ故郷を
           捨てたことも記録
           アダム以降の歴史を
           七年ごとに分割し
           各時代を配列
           その
           七年の単位を同書で
          「シャブア」=「週」
           と呼ぶ
          「シャブアが
           七回繰り返される期間
           (四十九年)」
          「大贖罪日は
           全ての借金が
           免除され罪が贖われる日」?
 の年がきた時、
 彼女たちの嗣業は、
 そのと嫁(とつい)だ部族の
 嗣業に加えられるでしょう。
 こうして
 彼女たちの嗣業は、
 われわれの父祖の部族の
 嗣業のうちから取り除かれるでしょう」。
36:5
モーセは主の言葉にしたがって、
イスラエルの人々に命じて言った、
「ヨセフの子孫の部族の言うところは
 正しい。
36:6
 ゼロペハデの娘たちについて、
 主が命じられたことはこうである。
 すなわち
 『彼女たちは
  その心にかなう者に
  嫁(とつ)いでもよいが、
  ただその父祖の部族の一族にのみ、
  嫁(とつ)がなければならない。
36:7
  そうすれば
  イスラエルの人々の嗣業は、
  部族から
  部族に移るようなことはないであろう。
  イスラエルの人々は、
  おのおの
  その父祖の部族の嗣業を
  かたく保つべきだからである。
36:8
  イスラエルの人々の部族のうち、
  嗣業をもっている娘はみな、
  その父の部族に属する一族に
  嫁(とつ)がなければならない。
  そうすれば
  イスラエルの人々は、
  おのおの
  その父祖の嗣業を保つことができる。
36:9
  こうして
  嗣業は一つの部族から
  他の部族に移ることはなかろう。
  イスラエルの人々の部族は
  おのおのその嗣業を
  かたく保つべきだからである』」。
36:10
そこで
ゼロペハデの娘たちは、
主がモーセに命じられたようにした。
36:11
すなわち
ゼロペハデ
の娘たち、
マアラ、・・・・
テルザ、・・・・
ホグラ、・・・・
ミルカ・・・・・
よび
ノア・・・・・・女性の名前?
は、
その父の
兄弟の息子(むすこ)たちに
嫁(とつ)いだ。
36:12
彼女たちは
ヨセフの子
マナセ
の息子(むすこ)たちの一族に
嫁(とつ)いだので、
その嗣業は
その父の一族の属する部族にとどまった。
36:13
これらは
エリコ
に近い
ヨルダンのほとりの
モアブ・・・・・・モアブ(Maāb)
          古代イスラエル
          東に隣接した地域の地名
          死海の東岸、
          アルノン川
         (ヨルダン・
          ハシミテ王国
          ワディ・アル・ムジブ)以南から
          ゼレド川以北
         (ヨルダンの
          ワディ・アル・ハサ)の
          高原地帯
          ↓↑
          アブ・カマル=シリア
          アブ・カマルの町は
          ユーフラテス川で二つに
          分岐
          マリ(Mari)=テル・ハリリ
                 Tell Hariri
          遺跡が近くにある
          紀元前1800年頃
          アモリ(アマル)系王朝
          神殿は
          シャマシュ(太陽)神
          ダゴン(嵐神)
         (ダガン)
          アッカド語
          イシュタル女神=イナンナ(豊饒神)
          に愛され
          王権を承認された
          アッカド王の
          サルゴン (Sargon)
           ↓↑
         →猿 田 彦=さるたびこ(古事記
         (さるデンゲン)は溺死・・・
          サル  ゴン=シャル・キン
                 (Sharru kin)
           ↓↑
          は
          母親に
          出生を隠され
          篭にいれられて
          ユーフラテス川に流され
          アッキ(庭師)に拾われた
              ↓
          イシュタル女神は
          エジプト語では
          イシス女神
           ↓↑
          オシリス
          セトに
          13個に分断され
          ナイル川にバラバラにされ捨てられ
          イシス女神は
          その夫の死体を
          ナイル川から拾い上げ
          蘇生し
          ホルスを産んだ
           ↓↑
          モーゼがナイル川に流された
          ハナシに類似・・・
          ヨハネ
          水の洗礼(バブテスマ)を
          受けた
          キリストの復活にも類似・・・
         「清水」は汚れたモノを清めるモノ
          or
         「誕生産後の産湯」である・・・
の平野で、
主がモーセによって
イスラエルの人々に
命じられた
命令と
掟(おきて)である。
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 ・・・「BC1416年ユダヤ人、カナンの地に入植」・・・70回目の「ヨベルの年」・・・「2015年9月23日→22日(乙未・乙酉・辛丑)」・・・
 2015年4月25日15時11分・・・
 乙 未(丁・乙・己)
 庚 辰(乙・癸・戊)
 辛 未(丁・乙・己)
 乙 未(丁・乙・己)
ーーーーー
 ・・・「民数記」・・・オワッタかな・・・