1708日目・・・「ファイターズが勝った」、深夜のTV、「UFO」ですか・・・朝、「2011年3月11日」のTVのドキュメンタリー映像を観ていて、ナゼか「なみだ=泪・涕・涙」が目がしらに込み上げてくる・・・今現在、「なみだ」を流しながら映像を観ていて「なみだ」の意味が重なった。「なみだ」は「事件、震災」遭遇時には出てはこない。そんな暇はない。状況判断の空白、そして無我夢中、必死、自分が生きているコトを自覚したら、家族友人の安否である・・・「なみだ」が出る理由は様々だが、「悲しいナミダ・悔しいナミダ」は事

 最近は世界規模で「自然災害」が多いと感じる・・・「人間」が人間をいとも簡単に殺傷する事件も多い・・・TV番組で「他人を嘲笑する人間」も多い・・・ドラマの殆んどは「エゴな殺人事件」・・・
 「カミ」が怒るのも尤(もっと)もである・・・
ーーーーー
 昨日の「つづき」の「石上宅継」の「藝亭」の漢字にコダワル・・・参考原文は例の如く「ウイッキペデア」・・・
  ↓
 石上 宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)
 天平元年(729年)
  〜
 天応元年六月二十四日(781年7月 23日)
 姓は
 石上朝臣
 物部朝臣
 石上大朝臣
 左大臣
 石上麻呂の孫
 中納言
 石上乙麻呂の子
 官位は正三位
 大納言
 贈正二位
  ↓↑
 天平勝宝三年(751年)・・・ナゼ「天平勝宝」?
 正六位下から
 従五位下に昇叙
 治部少輔
 天平勝宝九年(757年)
 従五位上
 相模守
 天平宝字三年(759年)・・・ナゼ「天平宝字」?
 三河
 天平宝字五年(761年)
 上総守
 遣唐使の副使に任命
 天平宝字六年(762年)
 藤原田麻呂
 に交代して
 遣唐使を辞任
 天平宝字七年(763年)
 文部大輔・・・・・・文部大臣
 藤原宿奈麻呂
 大伴家持
 佐伯今毛人
 とともに、
 太師(太政大臣)・・・・「大師」は坊主への贈号だが
         ここでは「太師」である?
 恵美押勝藤原仲麻呂
 を除こうとして失敗
 天平宝字八年(764年)正月
 大宰少弐に左遷
 九月
 「藤原仲麻呂の乱」により
 「恵美押勝藤原仲麻呂)」が失脚
 宅嗣は復権
 十月正五位上
 常陸
 道鏡政権下で
 天平神護元年(765年)・・・ナゼ「天平神護」?
 従四位下・中衛中将
 天平神護二年(766年)
 参議として公卿
 正四位下に昇叙
 神護景雲二年(768年)・・・ナゼ「神護景雲」?
 従三位
 宝亀元年(770年)・・・・・年号が「宝亀」の
              二文字に戻った?
 称徳天皇崩御
 参議として
 藤原永手らとともに
 光仁天皇を擁立
 宝亀二年(771年)
 中納言
 宝亀十一年(780年)
 大納言
 右大臣大
 中臣清麻呂
 内大臣
 藤原魚名に次いで、
 太政官で第三位の地位
 大宰帥・式部卿・中務卿皇太子傅を歴任
 宝亀六年(775年)
 物部朝臣
 宝亀十年(779年)
 石上大朝臣に改姓・・・・ナゼか「石上」に改姓?
 天応元年(781年)四月
 正三位
 六月に死亡
 後に
 正二位の位階を贈
  ↓↑
 「芸亭(うんてい)=藝亭」
 日本で最初の公開図書館
 「石上宅嗣」によって
 平城京奈良県奈良市)に設置
 された。
 「藝(芸)亭院(うんていいん)」
 「綜芸種智院(しゅゲイしゅちいん)
 天長五年十二月十五日(829年1月23日)
 「弘法大師空海」が
 庶民 教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、
 天長五年十二月十五日(829年1月23日)
 「藤原三守」から譲り受けた京都の
 左京九条の邸宅に設置した私立学校・・・?
 「綜藝(ゲイ・芸)種智院式并序(性霊集・巻十)」
 「手藝(ウン・芸)種智院」?
   ↓
 「藝」=サ+坴+丸+云
       ↓
 「坴」→圥+土(十一)
 「坴」の類字「堯」=垚(土土土)+兀(丌)
             垚(ギョウ)
             兀(ゴツ・ゴチ)
             丌(キ)
             元(ゲン・ガン)
            「元(もと)」=一+兀
 坴=「六」十「六」→「亠八」+「亠八」
            亠(トウ・ズ)=鍋蓋冠
           「亠」=音の字の略字
   「圥(ロク)」+「土(ド)」
   「圥」=「十」+「一」+「儿(ニン・ジン)」
   「陸(リク)」+「陸(リク)」
   「陸前・陸中・陸後」=三陸=奥羽=東北
  ↓↑
 芸術(希臘語 τεχνη techné(テクネー)
    羅語 ars
    英語 art)
 表現、創作、創造などの技術と技能
 表現物と、その享受、鑑賞する者の
 相互関係作用での
 精神的・感覚的な認識、表現活動
  ↓↑
 対象←認識思惟→表現、造形作品←観賞・享受→批評
  ↓
 学芸(学問や芸術
    学問=学+問←答えではない疑いの問
    文化=文+化←記録文の
           具体化、表現、造形化)
  ↓↑
 文芸(言語記録芸術)
 武芸(武闘芸術)
 舞芸(舞踏芸術)
 曲芸(サーカス・見世物芸術)
 農芸(農業芸術)
 園芸(造園芸術)
 縫芸(縫製芸術)
 陶芸(焼き物・陶器芸術)
 美術(絵画造形芸術)
 楽芸(音声、楽器演奏、音響芸術)
 演芸(演劇芸術)
 話芸(噺芸術)
 映画(総合映像芸術)など
 土木建築、道具、工業機器の
 構造設計、
 商業広告など
 デザイン表現と、それらの造形活動など
  ↓↑
 「芸」=「藝術」の略式表記(腹芸も含む)
  ↓↑     「遊芸」は?「芸妓の伎」 
 「佐久間象山」は
 「東洋道徳西洋芸術
 (山先生七絶=題地球儀詩・象山撰)」
 「芸術は技術のこと(和魂洋才と同様の意味?)」
 「芸道・芸能」として
 「藝術(芸術)=ゲイジュツ」は
 明治になって
 「新しい語」として使用された・・・
  ↓↑
  石上神宮・石上振神宮
 石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神などがある。
 幕末〜明治期には地元で
 「いわがみさん」と呼ばれた・・・「いそのかみ」ではない?
 主祭神
 布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊
 配神
 布留御魂大神(ふるのみたま-)
 十種神宝に宿る神霊
 布都斯魂大神(ふつしみたま-)
 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊
 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
 五十瓊敷命(いにしきのみこと)
 白河天皇
 市川臣命(いちかわおみのみこと)
 天足彦国押人命孝昭天皇の皇子)後裔
 七支刀(シチシトウ、
     ななつさやのたち)・・・さや(鞘)か?
     利率の差を表す相場用語のさや(差也)か?
     干支の支→枝・・・七支族のカタナ?
 石上神宮に伝世した上古刀
 両刃の剣の左右に
 3つずつの小枝を突出させたような形状
 金象嵌で記された銘文の中に
 「泰□四年」の年紀
 西暦369年
 「泰和四年」?・・・第287回
           オリンピュア祭
          (古代オリンピック最期の大会)
  or
 西暦268年
 「泰始四年」?・・・「ガリア帝国」=僭称皇帝の政権
           ポストゥムスは軍内の兵士によって殺害
 「泰」=「三+人+水」→「二+大+水」
     「𡗗+水」
     「水から人を救い出し安らかであること
      両手でたっぷりと水を流す様(掬う様?)」
     「第十一番目の卦・乾下坤上」
     「地天泰・一月に配される・泰は通じる」
     「天下泰平・泰然自若・安泰」
     「泰」の類字「秦・奉・奏・春・実」
     「秦」=「三+人+禾」
          三人の禾
          三韓の一つの「辰韓」も、「秦」と表記
         「太秦(うずまさ)」
          禹豆麻佐(うつまさ)→「太秦
          兎豆満佐
          ↓
          禹(ウ)
          紀元前2070年頃
          夏王朝創始者
          名は、文命(ブンメイ)
             大禹、夏禹、戎禹
            「伯禹」とも記される
          姓は姒(ジ)=女+以
          夏王朝創始後、
          国号、氏を
         「夏后」とした
          ↓
          三皇五帝・・・三皇は
                 燧人 (スイジン)
                 伏羲 (フクギ・フッキ)
                 神農
or
伏羲・女媧(ジョカ)・神農
            別に「天皇地皇人皇」とも
              「伏羲は易をつくり」
              「女媧は人類を生み」
              「神農は民に農業を教えた」
                 五帝は
                 黄帝(コウテイ)=姫・軒轅
                 顓頊(センギョク)=高陽
                 帝嚳(テイコク)=高辛
                 帝堯(テイギョウ)=伊祁・放勲
                          陶・陶唐
                 帝舜(テイシュン)=姚・媯
                          重華
          ↓               虞・有虞
          の一人で
         「禹」の血統は
         「顓頊(高陽)」→鯀→禹
          の孫で
          父の
         「鯀(コン)」=魚+系
          の業を継いで
          治水に功
          舜より禅譲され、
          帝位に就く前の地位は
         「司空」
          禹は
         「熊」の姿に変身して
          治水工事し
          妻は
         「塗山」氏の女(娘)で、
          禹の熊の姿をみて
         「石」になった
         「会稽」の地で死亡
          禹は
         「人面にして足無し」
          と記されている
          禹=「人面魚身」の洪水神
          ・・・「熊(羆)」の姿と「人面魚身」は
          どのように繋がるのだろう?
         「星座」の
         「北斗七星(熊←北極の熊=白熊)」と
         「魚座双魚宮」である・・・
         「北極熊」
          動物園などに飼育されている白クマは
          体毛の空洞に汚れが入り込み
          「黄色っぽく変色」
          毛の空洞内に藻が発生し
          緑みがかかった色になり
          この状態を俗に
         「緑熊(ミドリグマ)」と呼ぶ・・・
           ↓
         「禹」の
          父親の名が「鯀=魚+系」だが、
         「魚類」と云うコトだろうが、
          羽山で誅殺された時に
         「黄色い熊に姿を変えて、
          羽山の麓の
          泉の中に没した(国語)」という
         「黄色い熊」である・・・
         「羆(ひぐま)」は黄金色だった・・・
           ↓
          顓頊→鯀→禹
          で、
         「禹」は
         「洪水神=顓頊(センギョク)」
          の後とされ「孫」である
         「顓頊」は
         「死して蘇(よみがえ)る神」
          であった・・・「蘇我」・・・
         「死して蘇った」のは
          ギリシャ神話では
         「バッカス」で
          半魚、半山羊に変身して逃げた         
          新約聖書では
          十字架上で磔刑にされた
         「キリスト」は三日後に岩の祠で蘇った
          キリストの時代は
         「魚座」である
          古事記では
         「天照大御神」は
         「天(あま=海)の岩戸」から蘇った
          ↓
         「禹歩」は
         「兎の歩き方」ではなく、
         「魚の尾鰭」で
          クネクネと蛇行前進だろう
         「匍匐(ホフク)前進で
          伏せた状態で移動」するコトだ
          長い身体を有するモノは蛇行、這行
          植物では蔓の「匍匐(ホフク)」である
          ↓
          体毛が光を透過し、毛の内部が空洞の
         「白クマ」も
          海面の氷結した氷の穴から
          頭を出して氷上に這い上がる
         「アザラシ」を捕獲する時に
         「匍匐(ホフク)」する・・・
          おおむね、犬科、猫科に属する
          肉食獣が狩りで
          獲物を狙う時の姿である
          息を殺してユックリと・・・
          ↓
          天皇、貴人が外出時、
          道中の無事を祈って
          陰陽家が呪いを唱えながら
          舞踏する作法
         「反閇(ヘンバイ)・返閉・反陪」
          能芸、舞踏などの特殊な
          足の踏み方と同じ意味
          歩き方が大股
          これは「ペンギン(penguin)」かも
          語源は
          ウェールズ語「白い 頭」の意・・・
         「皇帝ペンギン」との分類名称もある
         「新井白石(1657〜1725)」の
         「菜覧異言(サイライイゲン)」には
         「ペフイエゥン」と記録
          後、
         「堀田禽譜(キンプ)」に紹介された
          ペンギンの剥製の写生に
         「ピングイン」との表記
          明治十年(1877年)発行の
          文部省教科書
         「具氏(グシ)博物学・巻1-10
          グードリッチ 著」
          須川賢久 翻訳で
          出版元は
          愛知県の
         「梶田勘助」
          その本の
          漢字表記のペンギンは
         「企鵝(ペンジュン)」
          or
         「人鳥(じんちょう)」である
          ↓↑
          足の不自由な人で、
         「扁枯」とも云われる
          中風などの半身不随の症状
          ↓
         「ヤマトタケル」の
          舟の「櫂(かい)=艪(ロ)」
          の様になった
          三重のタギタギしとなった歩行?
          パドル(paddle)
          オール(all)
          オール(oar=船の櫂・艪)での推進
          和船では、
         「櫂」は船尾に1つだけ備えて船頭が漕ぐ
         「櫂」から発展した
         「練り櫂(ねりがい、ねりかい)」
          と呼ばれる櫂に似た道具を使用
           ↓
         「尭は不慈、舜は不孝、禹は偏枯」
           ↓
         「禹湯文武」とは
          夏の禹王、
          殷の湯王、
          周の文王
          と
          武王
           ↓
     「奉」=「三+人+キ」
          三人がキ
     「奏」=「三+人+夭」
          三人が夭(若)
     「春」=「三+人+日」
          三人の日(陽)
     「泰」・・・「三人の水」とは?
         三皇の「三皇」の「水」の難事であり
         五皇帝の治水、水路工事を完成させた
        「禹」王の功績は
        「洪範九疇(こうはんきゅうちゅう)」
          ↓
 ・・・「耳の穴が三つ」あり、「大通」とも・・「大通」とは「異言語」を聴き分ける「偉大な通訳」であるな・・・
 「兎豆満佐」=うづまさ=「太秦」の
 「兎(ト)の豆(トウ)が満(マン)ちて佐(サ・助)ける」
 とは
 「渡島・渡唐・徒党・戸等・杜等・賭問」の「満ちる=充ちる」
 が「佐(援・助)ける=イ+左(たくみ)」で
 「ワニ」を騙して「有詐欺を問うの万座」であるかな・・・「一心太助」とはダレなんだか・・・
 「一心太助、天下の一大事」でござる・・・
 「三河物語」・・・大久保彦左衛門と。「一心如鏡、一心白道」の刺青の天秤のサカナ売りの商い人・・・
 小田原の老舗魚問屋 「鮑屋」・・・中村(萬屋)金之助なのか、板垣退助なのか・・・裁判の「一審」で「助けたい」・・・
ーーーーー
 ハナシがトンだ・・・
 ・・・デーメーテールは「女媧(ジョカ)」で、ハーデスに冥界に拉致誘拐された娘の「コレー(ペルセポネー)」は「季節である春、夏の穀物、野菜である食物の再生・蘇生」の女神で、この母と娘が習合されたのが「天照大御神」である・・・
ーーーーー
 「268年」なのか、「369年」なのか?
 「七支刀」の制作年代が跳んだ・・・「死地死闘」・・・
  ↓↑         
 百済で製作・・・
 古代軍事氏族である
 物部氏が祭祀
 ヤマト政権の武器庫・・・
 斎宮
 布都姫
 神宮号を記録上では
 伊勢神宮と同じく一番古い・・・
 伊勢神宮の古名とされる
 「磯宮(いそのみや)」
 と
 「いそのかみ」とに何らかの関係がある・・・
 布都御魂剣は
 武甕槌・経津主二神による
 葦原中国平定の際に使われた剣
 神武東征で熊野において
 神武天皇が危機に陥った時に、
 高倉下
 (夢に天照大神、高木神、建御雷神)
 が現れ
 天皇の元に渡った
 後
 物部氏の祖
 宇摩志麻治命により宮中で祀られていた
 崇神天皇七年
 勅命により物部氏
 伊香色雄命が現在地に遷し、
 「石上大神」として祀った
 一方
 「素盞嗚」尊が
 「八岐大蛇」を斬ったときの
 「十握剣」が、
 石上布都魂神社(岡山県赤磐市)から
 当社へ遷された・・・
 この剣は
 石上布都魂神社では
 明治以前には
 「布都御魂剣」としていた・・・
  ↓
 「死者も蘇らせる」
 「十種神宝の呪術」も有名・・・
  ↓
 「柿本人麻呂」歌碑がある・・・?
  ↓
  未通女等之・・・・・未だ通じず序の等しい由紀
  おとめらが
  ↓
  袖 振 山 乃・・・素出、フル、纂の
  そでふるやまの
        乃(ナイ・ノ・ダイ
          お・なんじ・すなわち・のり・おさむ)
  ↓
  水 垣 之・・・・・見ず書きの詞(史)
  みずがきの
  ↓
  久 時 従・・・旧字(事)に従い
  ひさしきときゆ
  ↓
  憶 寸吾者・・・・憬(あこが)れ、はかる我の葉
  おもいきわれは)          諮る 誤写 
ーーーーー
 ・・・「植芸・養殖芸・畜産芸・酪農芸」のコトバは見当たらないが、「芸」=「ウン」=「藝」は「植物をウエル芸」である・・・一般的には「農林業」の「有用草木を植えて育てる技術と伎」だろう・・・「遊芸」の「遊技」は「遊び、趣味」のワザではなく、「遊女の業(わざ)の伎(ワザ)」であった・・・「和座・話差・倭差」は「郭(廓・くるわ)」の「山葵(わさび)」のウエ(植・飢・餓・上)方である・・・かな・・・「和の寂び」とは悲しい・・・茶柱の客待ちの「遊女」・・・東北飢饉の身売りの娘たち・・・
  ↓↑
 「寛永の大飢饉
 寛永十九年(1642年)
   〜
 寛永二十年(1643年)
 東日本日本海側の被害が甚大
 異常気象
 大雨、洪水、旱魃、霜、虫害
  ↓
 「天明の大飢饉
 天明二年(1782年)
   〜
 天明七年(1787年
 東北地方被害甚大
 浅間山
 アイスランド
 ラキ火山等の噴火
 エルニーニョ現象による冷害
  ↓
 「天保の大飢饉
 天保四年(1833年
   〜
 天保十年(1839年
 東北、陸奥国出羽国の被害甚大
 大雨、洪水
 冷夏(稲刈りの時期に雪)
  ↓
 「昭和−東北大飢饉」
 1930年(昭和五年)
   〜
 1934年( 昭和九年)
 東北地方を中心に発生
 やませ(山背・平野に濃霧を発生)での被害
  ↓↑
 津波
 1640年(寛永十七年)の北海道駒ケ岳噴火
 1792年(寛政四年)の雲仙岳の火山活動
             眉山の山体崩壊
             15,000人が犠牲
             有明海津波
 安政東海地震
 1854年12月23日
  (嘉永七年十一月四日)に発生
 1883年
 インドネシア
 クラカタウ火山の爆発
 津波
 36,000人が死亡
 明治三陸地震
 三陸沖で発生
 1896年(明治二十九年)
 6月15日午後7時32分30秒
 昭和三陸地震
 1933年(昭和八年)
 3月3日午前2時30分48秒
 昭和東南海地震
 1944年(昭和十九年)
 12月7日午後1時36分
 1979年
 インドネシア津波
 700人〜1,000人の犠牲者
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 地震、多いね・・・「震源地は茨城県沖・平成27年04月27日07時04分 気象庁発表・27日07時01分頃地震」・・・チリ火山、ネパール地震・・・襟裳みさき隆起・・・