2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

 516日目・・・昨夜、「ジョンQ・最後の決断」を観た・・・2002年の作品・・・多分、アメリカ建国〜今現在までのアメリカの現状そのもの・・・なんだろうな。最後を「おわらい」の「メデタシ、目出度し、芽出度し」にしてしまッたのが、ハリゥッドの「アメリカン映画」なんだろう・・・そして、日本も、世界各国も似たり寄ったりの「社会生活」なんだろう・・・「ローンの不払いの差し押さえ」、「会社のリストラでの臨時雇用の派遣社員」、「高額な臓器移植医療の延命問題」、「貧困者の医療保険問題」・・・日本国家の状況はどうか?・・

「金融恐慌」はダレが起こしちまったのか・・・社会の「特別なヤツの仕業」に決まっているのに・・・「カネのモウジャ」・・・ 世の中、「理不尽なコト」が多いけれど、一般国民も「理不尽」と思いつつも「社会の階級システム秩序」を変えるつもりはないんだ…

 515日目・・・ニャンコは「♀」だった・・・「モウ君」の後継者は女王・・・だから名前は「モウ姫」・・・「モコ姫」・・・「もも姫」・・・

 514日目・・・ 今朝、家のドアを開けたら、子猫が捨てられていた。黒ネコ・・・片目がつぶれた独眼の子猫・・・三代目の「モウ君」になるつもりで・・・やって来たのか、なぁ〜ッ。

 513日目・・・昨夜はTV番組映画以前も放映された「フラガール」を観た・・・お面白かったデス・・・「じゃぁなぁ〜ッ!」、「ぢゃぁな〜ッ!」、「ゥンジャぁナ〜ッ!」って言う「語源」はナンなんだろうな?ッて・・・文法的には「接続詞」なんだろうか・・・「連語」・・・「それでは、また(逢う時まで)」、「それじゃ、またなッ(逢おうぜッ)」・・・別れる時のコトバ・・・「さいなら・さようなら(左様なら・佐用なら・作用なら・然様なら)」・・・「さようならば、これでお別れしましょう」・・・「そうであるならば、・・・しまし

左様なら・左の様でアルならば 佐用なら・佐(たすける)、用(もちいる)ならば 作用なら・作用がするならば 然様なら・そのとおりであるならば じやあな・自哉亜納→おのずからアマネシ納めてある ・字也、亜名 ・事夜、烏拿 ウンジャナぁ・運邪納吾 さよう…

 512日目・・・金融恐慌、大恐慌、ニクソンショック、ブラックマンデイ・・・「資本主義の流れ」は、バブル崩壊(金融システム動揺、破綻)→建て直し(企業合併、買収)→資金(税金)投入→成長→バブル→周期的である・・・

恐慌後の「資本主義的生産様式社会の維持」には平和的な「ニューディリー政策」的なモノがあり、他の行き詰まり的解決策は「ブロック経済圏の確立」と植民地市場拡大の「帝国主義戦争」であった。 敗戦〜朝鮮戦争までの短い期間の「敗戦日本国」はアメリカで…

511日目・・・ムカシの古代エジプトや古代ギリシャ、古代ローマの「神殿」は当時の「金融機関・銀行」であった・・・モチロン、歴史的に最大の信用と安全であった「金融機関=神殿」は、かってのイスラエルのエレサエムの「ソロモン神殿(?)」であったらしい・・・とにかく、世界中に散らばったユダヤ人も神殿に納める「神殿税」を支払う義務があった。彼等はこの神殿にカネを稼ぎ、そして「輸送」した。すなわち、「神殿税+預金」が「神殿」に膨大に集中集積され、そして「カネ」の安全保障は「カミ」に委ねられた、と言うわけである。預けら

単純に考えれば、「金融機関=カネ貸し」とは預金者から「100円のカネ」を預かって、その「100円のカネ」を預金者に返済する時には「10円の利子」を付けて「100円+10円=110円」として返済する。 だが、預かっただけではこの「10円の利子…

 510日目・・・「殺人狂時代」・・・「大恐慌」・・・「金融恐慌」・・・今更ながらツクズク、チャプリンはスゴイなぁ〜と、思う・・・アノ映画の中に、「カネ」に「トリツカレタ人間」のすべてが語られている。そして「主人公」が語る「殺人正当化」の「へ理屈」は「金融経済学」の「屁理屈」であり、「人間の屁理屈」でもあった。そして、あの映画も「資本」なくしては出来なかった・・・チャップリン、アメリカから追放されても莫大な「財産」を得てスイスで「富豪」として生活していた。現実的な履歴としては、「貧乏人」だった彼、「移民」

 509日目・・・「金融危機」・・・困っているのは余った、余裕のある「小金持ち」の人間なんだろうなッ・・・預けていたり、貸していた金が戻ってこない、となれば、心理的にドウヨウするのは当然で、アタリマエである。しかも「大金持ち・大富豪」なんていうのは逆に喜んでいるカモ・・・損する奴がいるから得して儲かるヤツがいるのが「世の中」と言うものだ。「経済原則」とは単純な仕組みに過ぎない。「モノとモノとの相互の交換」と言うことだ。この「交換」を頭を抱えて、殊更小難しく考え、「コトバ」の迷路に誘い込む「経済学者」は多分

そもそも「使用価値」がない数字印刷の紙切れ自体が「商品」となって取引されてきたところに問題がある。「金券、証券、株券、債券」は印刷、あるいは記された数字と同じ「モノの価値」がある、と言うコトで「信用」されているだけである。土地、大地も、建…