1023日目・・・同音異字漢字に文字転換すれば笑っちゃうけれど、ボクは真面目デス・・・前頁の「陽気なドン・カミロ」だけれど・・・この映画は当時日本では「カトリック教徒」は観賞禁止で、見ちゃァイケナイ映画だった・・・「第一作」が仏伊合作の「1951年作品」だからボクが見たのはその後の続編(2〜6)の一つであろう・・・「ドン・カミロ」をブログで調べたらイタリアの大衆作家「グアレスキGiovanni Guareschi(1908〜‐68)作〈ドン・カミロ〉」シリーズの主人公、とあった。抜粋して要約すると「第2

 「ジュリアン・デュヴィヴィエ」監督、「ジョヴァンニ・グアレスキ」原作。「デュヴィヴィエ」と「ルネ・バルジャヴェル」が脚本、脚色と台詞、執筆。「ニコラ・エイエ」が撮影、音楽は「われら女性→倭例羅女声」の「アレッサンドロ・チコニーニ→知故似意爾」。主演は「禁断の木の実→林檎・桃・枇杷」のフェルナンデルで「終着駅→尾張名古屋訳」のジーノ・チェルヴィが共演、以下「嘆きのテレーズ→出(弟・氐・弖)例重事」の「シルヴィー→知る尾意」などが競演、とある。「→」に牽いた漢字は勝手に解釈してくれればヨイ・・・
 「洗礼名→先例名」を与える権利が神父にあるカトリック教国・・・「喧嘩→口+宣+口+華」の第一ラウンドは「共産主義者」、「町長ペポネ(G・チェルビ)→長調経補音」の負け。理由は「彼の誕生まもない子供に名前」の命名権が「神父のドン・カミロ」にあった。「人民の家→神見無の意重→神無月」なる「公共施設建設」に着手した「ペポネ」に対抗し、「神父ドン・カミロ→新譜度ム加味賂」は「遊園地開設→有延知解説(回折)」を宣言・・・途中、親に結婚を反対され心中を図った「カップル→恰符留」を助ける話が挿入・・・「人民の家」落成、杮落としに大騒動。「ドン・カミロ」は責任をとって「他教区→他経句→多起用句」へ転出・・・出発の日、「駅(馬+尺)→馬釈→磨訳→司馬遷史記」に見送る者は「ペポネ」・・・
 税金での「公共施設建設」と、寄付金での「遊園地開園」はどちらが有利か・・・「主税→収税・酒税・取説」と書いて「ちから→知掛等」と訓ませている・・・「寄付金」は「寄せ=宀+大+可」「付ける=イ+寸」「金=カネ→掛音」と云っても「貴腐金」だろう・・・でも、高々、子供の「遊び場」だが、子供は将来の「労働力」で、「生産力」、「お宝」である。カトリック教会では「避妊」は「罪」である・・・それ以前に「少子化」では遊園地で遊んでくれる子供がいない・・・噴火の火山弾、火山灰はポンペイの二の舞になる。阿蘇火には警戒して備えるに越した事はない。「桜島」の噴火も同じであろう・・・「不二山→不死山→不治山→不知山」も「御嶽山→怨獄山→遠国山→音(尾夢)語句纂」も・・・飢饉、飢餓が起これば「人口増加」以前の問題である。
 「無神論者」のスベテが「共産主義者」ではないが、「共産主義者」のスベテは「無神論者」であろう。「資本主義者」は「共産主義者」ではないが、「共産主義者」にも色々あるらしい。が、「世界革命」を起こそうとも、起ころうとも「人間の階級社会」が無くなると思うのは「幻想」である。自然は「弱肉強食の依存関係」で、「平等」は自然にはない。「公平」は「人間社会」が多大な犠牲を払って「社会的生活として意識的、自覚的に克ちとってきたモノ」である。自然はソレを「保障」しない。「人間社会自体」もソレを「保障」するモノではない。そして、「人間社会」は「自然の大枠の内」で「蠢いて存在」する。時間的限定の枠内で個々人相互の生活、生死の「覚悟」が要求される。もちろん、「社会的平等」では無く「社会的公平のシステム」を意識的に追求しながら・・・
 「共産主義者」の「資本主義者」が・・・「大陸中国」には居る?・・・現実的な立場の「資本家・財産家・資産家」が「思想家」としての「共産主義者」であっても何ら不思議ではない「道理」だが、国家権力を握った「共産主義者」が「資本主義者マガイ」の「人民収奪」をヤッテ、腐った「株」の「主(あるじ)」とはねッ?・・・分裂症・・・
 「人民民主主義国家」を云う「独裁者」が、生きて「ミサイル・原爆」、死して尚、崇物、崇拝対象の「木乃伊(ミイラ)」の見世物になって「国家の権力を血族、親族」に「独裁継承」させるとはねッ・・・「王朝主義」・・・「独裁者」であろうが、「専制主義者」であろうが、私腹を肥やす「エゴイスト」で、「密告社会」を奨励し、暴力で人々を威喝、拘束し、そして「民族主義」を鼓舞し、「覇権主義」で、「戦争好きの暴君」でなければイイけれど・・・「人民の民主主義を教育」し、ヒトビトを「牽引」していく「独裁者」なら・・・占領し、属国となったヒトビトにも「ローマ市民権」を与えた「カエサル」は暗殺された・・・「生死の平等」は神(自然)に握られているが、「生活の公平」は人間(社会)が握るモノである・・・
 何も変えることが出来なかった?「ドジョウ」は「国会議員」に居座るらしいが・・・バトンタッチが「金権、拝金、民族」主義が土台の「阿毎王朝」・・・「中日新聞」、「東京新聞」の「タイトル」に「抗議殺到」とは不思議なブログ記事だ。「プチブル意識の知識人(?)」の「危機感」が表明されて面白い。せいぜい「100人前後」の「電話抗議」・・・だからドウダってんだ・・・読者は「コトバの品格」を求めてはいない・・・「品格の基準」は「階級社会」・・・しかも「狂言」も「歌舞伎(カブク)」も「浄瑠璃」も、その大多数のファンは「暇な支配階級と追従者」であった・・・「カワラモノの芸」を観て、「カワラバン」を読んで、その裏も読んだ下々の「知識レベル」と「洞察、分析能力」はたいしたモンである・・・