2002日目・・・「3月11日」・・・戦争やって、負けた。負けて、このクニは「世界の手本」になるよう最先端のランナーを目指してナントかヤッてきたのに・・・今現在、「2010年1月11日」〜「2010年12月31日」までに書き込んだ「ボクのブログ日記」を読み終えた・・・我ながら「フぅ〜ン」って、タメ息をついている・・・生き残って、子供を産み育て、その子供達が孫や曾孫を産み、そして現在生きている「日本人スベテ」は当時の「アメリカ占領軍の若者たち」には感謝すべきではあるな・・・「2010年12月7日」〜その年

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http://d.hatena.ne.jp/naie/20101220/1292835098
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 2010年12月7日
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 725日目・・・大陸の中国人が「日本の土地・不動産」を買い漁っているらしい。対馬では「韓国人」も。かっては「日本人」もアメリカで同じようなコトをしていたョ、なッ・・・「バブル資本の流れ」だもの当然だよ、「金」さえあれば他国の領土の一部さえ「個人」が買えるのが「資本主義的、自由主義的国家」である。でも「大陸中国」は自国の領土の一部をカネがあっても「私有財産」としては買えんらしい。とにかく「不住主義(?不自由主義)」、「資本祝儀(?資本主義)」の「国家」であるらしく、しかも「国家権力を握っている」のは「共産主義(?)」を志向する国家の官僚であるらしい。どうみたって、やっている事は過去の「歴代各中国王朝」の「官僚主義」にみえる。過去の中国王朝の「律令」は世界史規模で「国家」としての最先端の「階級支配システム」だった。どこの「国家」でも「行政官僚」も、そこに内在する「軍事官僚」も絶対必要条件だろう。「司法官僚」もね。「官僚試験=科挙」だって「国家組織」には必要だ。記録事務と記録保管が主なる仕事の「官僚」には高度(?)な「読み・書き・算盤」の「知識、教養」が必要だ。現在の中国には「宦官(?)」はいないらしいけれど。ちょっと前の中国も、ソ連も、ユーゴスラビアも、ナチスドイツも、言ってみれば「資本」を必要とする「国家資本社会主義=一国資本社会主義=民族資本社会主義」の変形だろう.とは言え、「ヒト・モノ・カネ」は国境を無視して飛び回るのが原則だ。「鎖国」じゃぁ、国際市場差額で利益を目論む商売人は儲からんからね。とりわけ現代社会では「電波」操作の「金融資本」が世界を席巻しているんだから・・・「共産主義思想」には「労働階級独裁国家」としてのプロセスはあっても、究極的には「国家を否定」する「思想」なハズだけれど、なッ。それに「国家」が「資本」を必要とする限り「労働階級独裁」って概念の「独裁」規定は無理だな。「国家の政治経済」は何はともあれ結果として、「富(剰余生産物=搾取、収奪)の蓄積と、管理運用」であり、現代的に言えばその実体は「資本家と労働者の階級利害の妥協」で成り立ってきたのだから。「資本(蓄積された労働剰余物の一部)」と「労働」は表裏一体関係であるからネッ。「資本」と「労働」と言うコトバが消滅した人類共同社会は「無国家=共産主義=国際共産主義=無階級国際主義」である。で、「日本国家」はイイ線イっていると思うよな・・・日本における「自由主主義」、「民主主義」の「起源」・・・GHQ・・・「戦争」には負けたくないけれど、「日本帝国の敗戦」は「天照大神の恩寵」である。今現在の「日本的民主主義の情況・状況」は「世界の最先端のレベル」をいっているョ、なっ。「日本国憲法」・・・「一国民主主義」は「民主政治」のパラドックスである。「一国家経営」は「民主で代表者の選択」は出来ても「民主行政」では守ることができないのが現実である、なッ。「国家の存立・存亡」は「階級システム」だからね。それに日本国支配家領土の周辺には異質な「民族国家」が存在しているし。「民主主義」では「戦争」は勝てんのサッ。前回は「恩恵・恩寵」に関して書き込んだけれど、戦前の日本は「恩恵主義」であった、との記述を以下の「証言・日本占領史・竹前栄治著(岩波書店・1983年発行)」に見つけたから抜粋しておくか・・・
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竹前
 占領軍は進駐時に日本の情況をどう見たのでしょうね
マッケイボイ
 我々は戦前の日本の職業紹介制度の歴史、すなわち第一次世界大戦にスタートした政府所管の職業紹介所が、1938年以後の国家総動員法体制の下でもあまり大きな機能を果たさず、労働ボスの方がその3倍も4倍もの機能を果たしていたこと、太平洋戦争中には職安行政は
 厚生省から内務省に所管が移され、名称も
 国民職業紹介所から
 国民職業指導所、
 さらには
 勤労動員署
 に変わった
 ことを知りました。
 そして600ちかくあった勤労署の大半が戦災で焼失したことも。それにもかかわらず焼け残った勤労署は、薄汚れた椅子一つないくらい部屋で大変意欲的に職業紹介に職業紹介をしていました。でも国民は戦後になってもイヤな仕事に徴用されることを恐れて、なかなか勤労署に登録しょうとはしませんでした。
 改革は基本理念の転換から
 竹前
 それではGHQはどこから改革に着手したのですか
マッケボイ
 基本理念の転換からです。つまり公共職業紹介に対する
 日本人の基本的考え方を
 恩恵主義から
 平等主義に
 切り替えさせることです。日本人の職業紹介観はもともと家父長主義に基づいており、職業の紹介者、つまり官吏は、被紹介者、つまり求職者よりエライのです。紹介は慈恵として行うのであって義務として行うのではなかったのです。
 つまり、
 紹介者と被紹介者の関係は
 主従関係であって権利義務関係ではない
 のです。ですから紹介者が職にあぶれた者に対して同情からお金を与えたり、金時計を与えたことさえあったとか、職を紹介された者が紹介者に菓子折などの贈り物を持参するという話などはそれほど珍しいことではなかったのです
 このような関係は官僚主義にも由来しています。職の紹介者は「お上」であり、私的に職を探しにくる人とは身分が違うのであり、彼らの地位にまで自らを下げてはならないと言う確信に満ちており、役所のスペースも役人の都合に合わせて利用され、職を求めてくる人たちの便宜などは少しも配慮されていなかったのです。役所の主要な仕事は書類の受理と保管であり、いかなるサービスを求職者になすかは考慮の外にあったのです。ですからこのような日本人の家父長主義的、官僚主義的職業紹介概念を、西欧の人道主義、平等原則基づく科学的職業紹介疑念に切り替えさせるのは大変苦労をしました。我々の概念では紹介者は被紹介者の友好的助言者であり、対等の立場に立って紹介業務を「サービス」として行うのです。面白いことに日本にはそれまで平等原則と言うものが存在しなかったので、この「サービス」と言う語はうまく日本語にはならず、そのままサービスとして使われたようです。
 職安という名称の起源
 竹前
 そうでうね。サービスという語は今でも外来語として通用してます。ところで職業紹介概念における相違は公共職業安定所職業安定所または単に職安)の名称が生まれる時にもあらわれたようですね。斎藤邦吉氏などもコーエン氏やコレット氏などと大分やり合ったとうかがっていますが
マッケボイ
 その通りです。日本政府、とくに厚生省の役人の中には業務の性格を端的にあらわす職業紹介所という戦前の名称の方が国民になじみがあるし、望ましいと強く主張する人もいました。
 しかし、我々GHQは、(1)業務の公共的性格をあらわすこと、(2)平等原則に基づく「サービス」の提供機関の性格をあらわすこと、(3)失業などの経済的不安、妨害に対するセキュリティ(保険) ないし、スタビリティ(安定)の性格をあらわすこと、の3条件を満たすような名称にすべきであると主張したのです。いろいろやりとりのあった結果、今日のような公共職業安定所(Public Employment Security Office :PESO)となったのです。
 このような名称には若干反対もありましたが、まもなく関係者の間では「職安」とか「ペソ」として広く滲透していったのです。といのも職安は古く薄汚い勤労署にかわって明るく近代的な建物に改造ないし新築され、能率的職業紹介サービスを提供する魅力ある役所に生まれ変わったのです
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 日本の「労働関係」の環境整備条件は・・・原爆を日本に2発も落とした「アメリカ・GHQ」の「恩恵・恩寵」だが、昨夜のNHKスペシャルTV番組「原爆工場で原爆を造っていたアメリカ労働者」の「アメリカ政府」からの「恩恵・恩寵」は「放射能被爆」と「失業」、「被爆地の定住禁止」、「健康被害」、「天国への切符」のみ・・・クリスマス・・・
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 「2006年」からのも興味があったらドウゾ・・・それに今現在のボクの「HP」は
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/kkmokuji.htm
 をお借りして移転してあります・・・