613日目・・・「労働」って言う「漢字」について・・・だけれども「働」は「中国製の漢字」じゃぁなく、「日本製の漢字」らしいんだけれど。「労・働」の「働」は「国字」・・・前回の「労働=社会的総労働」の延長線・・・それなら「労-働」の熟語も「日本製漢字熟語」だよな・・・

 ボクの使用している漢和辞典(大修館)の130頁に「労働」の「労」は次のような記述説明があるんだけれど・・・
 労(ロウ)・・・つとめる・はたらく・つとめ・しごと
        ・疲れる・苦しむ・骨折る・つかれ・くるしみ
        ・疲労・苦労・憂える
        ・誇る・手柄
        ・仕事上の功績(功労)
        ・農具の一種(歯の無い馬鍬・田圃の土ならし)
        ・いたわる・ねぎらう
        ・慰める・疲れを慰める(慰労)
        ・賜う・もり

 である・そして「解字」には、
 「勞=労」・・・「火+火+冖+力」の元の漢字は「螢(蛍・ほたる)+力(つとめる)」とある。「勞=火+火+冖+虫+力」である。蛍の光で「夜にも仕事をする意味」らしい。「労務・労役・勤労」の熟語はあるが確かに「労働」の熟語は無い。
 「労使」は中国漢字の意味は「こき使う」で、日本語の「労使(労働者と使用者)」とは違う意味である。
 で、「労働」の「働(ドウ・はたらく)」だが「働=人+動」であるから「人の動作の全て」であるだろう。「働」を考え出した日本人はエライ。だが「人が何の為に動くのか?」の「目的語」が必要だな。「人の動き」にも色々あるからさッ。
 とすると、「労+働」は「夜にも蛍の光で仕事をする+人の動き」だろうな。「蛍の僅かな光で夜にも仕事をする」って、寝ればいいのに、どおして、そんなメも悪くなるような時間帯に「仕事」をせにゃならんのだろう?・・・。中国語の「労使」の「労」は「こき+使う」であった。「こき使う」のは「主語」と「目的語・目的補語」はダレだろう。「自分自身」、あるいは「自分自身以外の者」だよね。
 「自給自足」では「主語」とその対象の「目的語・目的補語」は「自分自身」の「労働」だろう。「自給自足」とは言っても「孤立した一個人」ではない「人間社会での個々人の生活の労働=生産の枠」であるから「自給自足」による「労働」とその「生産」は論理的な結果として「労働一般」の「共同体内の諸関係」として「他人のタメの労働」にもなるだろう。
 歴史的に形成されてきた「産業資本主義的生産様式」の人間社会の諸関係の中では「自分自身のタメの労働」は「他人のタメの労働」でもある。けれども問題は、

 「自分自身のタメの労働」=「他人のタメの労働」

 であるならば、この「=(イコール・等しい)」はどのように説明したらイイのだろうか?・・・どうやら、この「=(イコール・等しい)」は「≒」か、まったく「≠(等しくない)」ところにあるらしい。

 「こき使う・こき使われる」の関係が中国語の「労使の相互関係」を意味するならば、「こき使う」の「コキ」にある。「コキ」は日本語ならば古語辞典には「こき(扱く)」の連用形で動詞の上につけて意味を強める、とある。国語辞典では「こく=しごく=扱く=根のついたまま引き抜く・付いているモノを掻き落とす・稲をしごいて籾を落とす」、そして「こきおろす=こっぴどく貶(けなす)」、あるいは、
 「酷(コク・ひどい)」か
 「剋(コク・かつ・たえる・きめる・むごい・きびしい・きざむ・削る・苦しませる・殺す・滅ぼす)」
 であろうカナ。「至極、もっともなハナシ」である。「コキ」の同音異字には、

 コキ
 ↓
 古希・・・年齢の七十歳(七拾歳=七を拾うトシ)
   ・・・七十古来稀(曲江詩・杜甫
   ・・・歳(サイ・セイ・とし・とせ・つきひ・みのり・ひとめぐり)
 古稀
 子機
 呼気
 古記・・・旧記・古事記
 古期・・・「いにしえ」の期間・ふるい-時期
   ・・・・意爾詞重 の記換・譜留意-字記
 国忌・・・・国を忌む・古句の意味
 ↓ ・・・・忌(キ・いむ)=己(ツチ・ノ・ト)+心=椎の都
 ↓
 こきし・・・古い三韓(朝鮮)の「王」→振るい三巻(纂換)の王
 古貴氏=呼鬼子=呼姫子→卑弥呼?=呼吉士=呼吉師
  吉師=古代「新羅(鶏林)」の官名・安倍氏に仕えた帰化人       

 兎に角、
 「労働 =labor/labour =れイバ〜」である。
 「実験室=labor-atory =らぁボラトーリー」である。
 「困難な=labor-ious  =らボ〜リアス=骨の折れる」である。
「愛人= lover    =らぶア〜」である。

 「労働」は「自分自身」と「愛するヒト」のタメにあるらしい。
 では、「労働」が生み出す「資本=剰余価値の一部」とはナンナンだろう?・・・「資本」・・・
 時間的、歴史的に「蓄積された過去の労働の一部」である。「労働」によって生産されたあらゆる「モノ」を取引する交易商売も「労働」である。そして単なる個人の「労働の一部」ではなく、「社会的な総体としての時間的に蓄積された過去の総労働の結果としての一部」である。そして結果としての「資本」は「市場での交換価格」の中に含まれている。材料、自分自身の労働で10円で作ったモノが交換市場で20円で売れた場合の差額の一部が「資本」となる。だが「10円以下」で売れても「資本」とはならないのは当たり前。「差額の儲けの中」に「資本」となる一部があるのだから。
 「資本」にも色々あって、「投資・融通」されるから・・・ねッ。
 「資本=元手=元金」をつくるには先ずは儲けなくちゃぁね。最初の「資本」は「自分の体力と労働」と、その「労働対象の生産物」である。「身体が資本」ってヨク言うだろう。
 「余裕のカネ」にするには・・・前提的にモノが何でも交換でき、持ち運び便利で蓄財できる共通「貨幣(金銀)=共通交換物」の流通する市場がなければねッ・・・交易商売、質屋、金貸し、不動産売買、略奪、強盗、戦争等で「資本を貯えた人」であるならば「資本」の内容は問わない。そして、その「元手=資本」は「投資」される。儲かるかどうかは結果論的な「賭け=カケ=博打」である。儲けを前提にしない「資本投資」もある。
 それらの「資本」による「問屋制手工業」経営、自らの「蓄財資金」や、他からの「融資資本」で「産業企業家」としての「マニュファクチャ(工場制手工業)」経営、「産業資本家」自身による他産業の経営。そして「多くの株主」から「起業資本」を募っての「株式資本的生産様式工場」の経営。
 現在的には「産業経営者」は銀行、金貸しの「金融業者」からそのほとんどの資本を借りて「産業経営」しているが、「国家資本=税金」で「仲介産業」を経営するモノもいる。「国家資本=税金」で「生産物産業経営」しない「サービス産業(?)=税金抜き取り」の経営者もいる。「天下り産業」の経営者である。
 「金融業」も同業金融業者同士での「銀行券・証券・証書」の貸し借り融通、取引の「手数料経営」のみで「利潤・利益」経営している。
 どの時代でも「資本」は「労働」無しには産まれない・・・そして、その「資本」となった「労働の質・内容」は一切問われないモノである。

 労働の色々の英語・・・イングリシュ(韻愚理主)かも・・・
  ↓
 physical labor・・・・肉体労働
 mental labor・・・・・精神労働
 brain work・・・・・ 頭脳労働
 manual labor・・・・・筋肉労働
 hard labor・・・・・・重労働
 day labor・・・・・・ 日雇い労働
 seasonal wark・・・・ 季節労働
  ↑
 compulsory labor・・・強制労働・・・slave labor?
  ↑
 labr of「buralar/robber/fraud/swindle」・・・強盗労働、強奪労働、詐欺労働とかは「仕事=労働」じゃぁないのかね・・・振り込み、振り込め詐欺・・・
 「詐欺・詐偽」って、「サギ=鷺」は関係するコトバなんだろうか・・・「カササギ」って「古事記」の記録にあったし、「白鷺=シロサギ」は「七夕」で天の川で「オリヒメとヒコボシ」の「逢瀬の橋」をカケてくれる存在だったョ、なッ。「棚卸・店卸し(たなおろし)」・・・

 英和辞典、和英辞典のここには「freedom labor」とか、「liberty labor」、「license labor」、「 release labor」、「plenty labor」とかの「熟語」は無い・・。