500日目・・・ガンバレ、「なでしこ・サクラ」!!・・・「働き・働く」の漢字は「和製漢字」である。この「働」と言う漢字がなぜ日本人には必要とされたのか・・・この漢字を分解すればその漢字が必要とされたのも見えてくるだろう。働(ドウ・はたらく)とは、

 働=人+動
 働=人+重+力

 そして熟語には「労働」の漢字である。「働き」は「活動」、「機能」の意味があるが、「働き=労働」は「人」が、ある「目的・意図」を持って、「対象物」である重いモノを力で動かすことである。「労働」は単なる「活動」でも、「機能」でもない。「労働」とは「人がアル目的を持った動き」なのである。そして漢和辞典には「労」は「疲れる・苦しむ・ほねおり・憂える・農具で歯のないまぐわ(鍬)・種まき・夜間労働」とある。

 「労=勞=火+火+冖+力」

 そして「火火」とは「蛍の火のコト」とある。「冖」は「ワかんむり・上から四方にモノを被う・被い・覆い・蔽い・蓋い」であるからか細い灯火か、薄暗い月夜の中での「仕事」と言うコトになる。「螢雪」とは「蛍の光、窓の雪」である。灯油も変えない貧乏人の「苦学問」である。知識を得る学問には「喜び」があるとは思うが、単なる試験目的のみの暗記ならば苦しいかも。しかも「労使」の中国の意味は「こき使う」である。日本語の意味では「労働者と使用人」である。
 「労働」とは「おおわれた中での辛い仕事」と言うコトになる。近代的な意味とするならば「労働」には「働くコトの喜びと快感の意味」はない。「働くコトの苦しみ、不快の意味」で、「骨折りの痛み」に例えられている意味である。「遊び・遊技・遊戯」の「活動・行動・思弁」には楽しく、喜びがあるが
 喜びのない「働き・労働」には一体、どんな意味があるのか?・・・働くコトに喜びがあるとしたら、一体、どんな意味があるのか?
 働きは「機能」とも言われるが、この「人体機能」の「部分的な働き」を挙げるとするならば、

 眼の働き・・・みる
 耳の働き・・・きく
 口の働き・・・たべる・音声を調節する
 歯の働き・・・かむ・かじる
 舌の働き・・・アジあう
 鼻の働き・・・かぐ・息をする
 喉声帯の働き・声をだす・しゃべる・うたう・うなる
 手の働き・・・もつ・にぎる・なぐる・つくる
 足の働き・・・あるく・はしる・ける・跳ぶ
 肌の働き・・・あつい・つめたい・触圧を感じる
  ↓↑
 頭の働き・・・五感で対象認識したモノに形象、
  ↓↑    コトバ、記号を与え、記憶し、
  ↓↑    コトバで
  ↓↑    思弁・思惟・思考・判断・決断する
  ↓↑
 身体の働き・・生命の維持、保守の生活活動のすべて

 「考える」とは「頭の働き」である。「頭の働き」とは「精神労働・観念活動」であり、「精神労働」とは「精神機能」であり、頭の中で「思弁・思惟・思考」の観念活動とするならば、人体のエネルギーの一部を、そこでの「ハタラキ」で費やす、と言うコトである。この「考えるコト」に費やす一部のエネルギーは、前提的に肉体全体の諸器官の「連動的働き」による細胞のエネルギーの新陳代謝が常時必要だから、「考えるコト」は肉体の全体的な機能から分離してはその「働き」もない。肉体活動も精神活動も「生きている人間」に統一された「生命活動」のあり方である。生きていること自体とは腹がヘルと言うコトである。
 「生きて存在」すると言うことは食わねばならない。呼吸をしなければならない。寝なければならない。そしてトイレに行かなければならない。寝ても起きても「生きて存在」するめには水分、栄養分の補給と酸素の補給が必要である。
 「生活物」を得るためには「労働」なしには人間は生きて存在することはできない。
 では「労働」なしには人間が「生きて行けない」のならば、「生きる」と言うことは「苦しい」のか・・・?・・・「遊び」ならば「生きる」と言うことが「楽しい」のだろうか?
 「オリンピック選手の競技」は「アマチヤの遊びの競技」なのではないらしい。もちろん、「プロの労働の競技」でもないらしいが?・・・野球には「プロの選手」もいる、なっ。「遊び」でないのは練習も、本番の競技も「苦しそう」に見えるからである。多分、「アマチヤ」でないからである。オリンピック選手の「アマチヤ精神」とは「遊びの延長の精神」かと思っていたら、チガウらしい。資本主義的スポンサーをバックにした「プロ」としての「労働商品としての精神」らしい。故に練習も本番も「労働」のように苦しくみえる、思える・・・柔道で金メダルを獲得した若い選手は「これから遊びたいデス」とインタヴューに応えていた。やっぱし、「遊び」ではないらしい。ならば「労働」なのか・・・他人のタメの「労働」・・・資本主義社会での「商品化」された「労働力発揮の労働」なんだろう。「アマチヤの遊び」が「金」になっているように見えるが、「遊び」ではない、「プロの労働」なのが「オリンピック競技」なのであるらしい。ボクの論点の次元が違うのかも。
 とにかく、「自己存在」に・・・がんばれよ!!・・・ジャパン地域出身のジャポン選手・・・