再三モウソウ・・・giraffe(ジラァフ)=qilin=Kirin・・・希臨?

 2884日目・文字霊日記
 「巧言 令 色鮮 仁」・・・コロナ祀り・・・
 再三の思考・・・モウソウ・・・giraffe(ジラァフ)=qilin=Kirin・・・希臨?
 麒麟(きりん)=首長鹿・・・主調の詞歌(化)

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 ↓↑
 英語=ジラフ  =giraffe・・・字等附?
 獨語=ギラッフェ=Giraffe・・・戯玀通歩柄?
 仏語=ジラフ  =girafe・・・時等附?
 伊語=ジラッファ=giraffa・・・時等通附蛙?
 西語=ヒラーファ=Jirafa・・・比良蛙附鴉?
 葡語=ジラーファ=Girafa・・・字等蛙附倦?
ー↓↑ーーーー

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 鮮卑(センピ・拼音:Xiānbēi)
  鮮=魚+羊・・・あざやか・新鮮
          痣やか・字やか
  鮮・・・論語
     「巧言令色鮮仁」
        ↓↑
        色(いろ)を
        令(よ)くす
        鮮(少なし)・・・?
      ・・・「巧言」とは
      ・・色=⺈+巴=象(elephants)
          の形象の
         「顔・頭」に出っ張った
          長い鼻(はな)は 
         「巴=巳(蛇)」の
          蜷局、丸まった形象
          ↓↑
          巴=𠃜・・・象の鼻の形象?
      see the elephant・・現実を見る
      see pink elephants・・幻覚を見る
        white elephant・・無用の長物
      elephant in the room・知らんふり
          ↓↑
          𠃜=尸・𨻰也・・・陳述
              敶、列也
              尸=屍
          象臥之形
          臥下 曰 伏也
          此字 象 首俯
             而 曲背之形・・・?
               長鼻だろう・・・
          (說文)
          ↓↑
          尸=舒
          のばす
          巻いたもの
          かたまったモノを
          のばし広げる
          横にのびる
          心中の思いをのべる
          ↓↑
          骨節解舒
          不能復自勝斂也
          (釋名)
          ↓↑
          公尸來燕來寧
          (大雅)

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          ↓↑
          眉=𠃜+目
          睂=仌+丨+厂+目
            仌+丨+丆+目
            人+丨+厂+目
            人+丨+一+丿+目
          ↓↑
           肩=𠪃=𠂆+眉=𠂆+𠃜+月
          ↓↑
          声=士+𠃜
          異体字「𡔜・聲・磬
              䃘・殸・硁
              硜・𥑒・𥓕
              𡔝=士+ノ+吅
                士+ノ+コ+口」
          磬=ケイ・石、玉製打楽器の音
           ↓↑
         色=五感の認識対象の
           色彩をおびた形象の
           すべてのモノ
           モノ色・色彩
            ↓↑
         「鮮=あざやか」に
         「仁」を
         「令(をさせしむ)」
          令=亼+龴
            亽+龴
            人+一+龴
            人+丶+龴
            レイ
            リョウ
            いいつけ
            おさ
            よい
            いいつけ
            上の者からの指示
            おさ・長官
            よい・すぐれた・立派な
            相手の親族を
            敬っていうことば
            のり・おきて
            決まり・法律
            ~しむ・~せしむ
           「令甲乙~」
           「甲をして乙せしむ」
          、「甲に乙をさせる」
        仁=ジン
          ニ
          ニン
          いつくしみ
          おもいやり・したしみ
          ひと=人
          ひとの心・人道
          さね・果実の種
       ↓↑
     「剛毅木訥(ゴウキボクトツ)
      仁(ジン)に近(ちか)し」
        論語子路)・・・音の呂?
     「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」
      鮮=稀(まれ)・時々
        たまあに=偶(たまァ)に
        たまさか・適さか・適々
        時偶・適適・たまたま・珍しく
       ↓↑
      『論語』「学而(ガクジ)
           陽貨(ヨウカ)
           陽虎の別名
           陽虎と孔子の容貌は
           似ていた)」・・・?
       ↓↑
      『論語』「公冶長(コウヤチョウ)
           孔子は公冶長に
           自分の娘を嫁がせた)」
          「公冶長は鳥と会話が出来た
           その能力で死体の場所を
           知ることができたが
           殺人犯と疑われ獄中に
           入れられたが
           雀の言葉を理解できることを
           実証し釈放された」
       ↓↑
     「巧言令色 足恭(スウキョウ)」
     「足恭=慇懃丁寧
         便辟の貌(さま)」
         便辟=媚び諂(諛)
            こびへつらい
         弁舌だけウワベだけの追従者

     「仁=人+二(弐・貳・貮・亨)」
         は人が「フタリ」で
         二人の間の約束・ルール
         夫婦、男女の間のルールだろう
         発情期
         求愛、承諾、セックス
         出産、養育、子育て
         この期間の衣食住確保の約束
  ↓↑
 鮮=魚+羊・・・痒(かゆ)い=疒+羊
           掻(か)く =扌+蚤(叉虫)
      ・・・共通項は赤(あか)+桃+色
  =⺈+田+灬+羊
   セン
   あざ(やか)
   あたら(しい)
   すく(ない)
   さかな・生き魚・生(なま)魚
   魚のなます
   あたらしい・生き生きとしている
   あざやか・はっきりしている・明らか
   よい・美しい・みめよい・あでやか
   すくない
   まれ(稀)である
 ↓↑
 蘚=艹+魚+羊・・・・・蘇=艹+魚+禾
   セン・こけ(コケ)=苔
      こけ=鱗(うろこ・リン)
   ヒカリゴケ(光苔)=光鱗・・・隣
   洞窟のような暗所で
   金緑色(エメラルド色)に光る
   luminous moss
   ルミナス モス
   ・・・発光体・反射体
   ・・・鱗=うろこ
   隣=阝+粦
     阝+米+舛・・・そむく=背・叛・迕
            背反・背信
     阝+米+タ+ヰ(ゐ)
     旧字体「鄰」
     厸
     邻
     舛=夕+㐄
      「僢」の異体字
       セン
       いりまじる
       そむく
       たがう・たがえる・食い違う
       入り混じる・乱れる
       ます=升
     粦=米+舛・・・アメリカ(米国)の
             背反、裏切り・・・
       当然にも「大日本帝国」に対する
       裏切り、背反である・・・
       第一次大戦後の
      「ウィルソン」の
      「国際連盟(League of Nations)のウラギリ」・・・
       そして、
      「ルーズベルト
      「ハル」ょッ、コイ、である・・・
ーーーーー
 舛+α
 桝=木+舛・・・舛添・・・朝まで何某の奴?
 磔=石+桀・・・磔刑
 傑=イ+桀・・・怪傑
 瞬=目+桀・・・瞬時
 隣=阝+粦・・・鄰人
 鄰=粦+阝・・・隣人
 舞=𠂉+卌+一+舛・・・舞台
 舞=𠂉+卌+一+舛・・・舞踊

 㘶荈桝桀曻粦椉嵥滐亃
 傑舜䑝㷠㔂㻧榤搩僲舞
 粼僢噒獜僯嫾鄰疄撛䑞
 嶙潾辚隣暽磔橓䢬膦憐
 蕣橉燐謋㵲儛斴甐遴璘
 䗲䢯繗瞵翷磷瞬䚏蹸䚬
 轔䮪鳞䒉躌
ーー↓↑ーー
  麟 徳 殿・・・麟=鹿+粦(米舛)
 (リントクデン) 
 麒=鹿+其・・・鹿=覇王の象徴
 麟=鹿+粦
   广+比+米+舛
   广+比+米+夕+㐄
   リン
   きりん
  「麒麟(きりん)」・想像上の動物
   聖人が世に現れたときに姿をみせる
  「麒」が雄
  「麟」が雌。
  「麟麟(りんりん)」=光りかがやくさま
 則天武后(623?~725年)
 ↓↑
 701年
 「大宝度の遣唐使
 が
 中国皇帝に渡した文書とは相違
 初めて
 国名として
 「日本」
 と記録
 ↓↑
 長安三年(703年)
  粟 田 朝臣 真人
 (あわたのあそんまひと)
 唐朝に国の産物を献上
 朝臣真人=中国の戸部尚書
        (トブショウショ)
  進 徳 冠
 (シントクカン)
 をかぶっていた
 冠の頂は花形
 四枚の花は びてなびらが
 四方に垂れるつくり
 身には紫色の上衣を着用
 白絹の帯をしめていた
 真人は
 経書史書を好んで読み
 文章をつづることもでき
 ものごしは穏やかで
 雅(みやび)ていた
 ↓↑
 則天武后
  麟 徳 殿・・・麟=鹿+粦(米舛)
 (リントクデン)
 に彼を招いて宴を催し
  司膳 卿
 (シゼンケイ)の官を授け
 留めおくことなく
 本国に帰還させた
 ↓↑
 粦(米舛)+α・・・隣舜遴粼斴鄰
 ↓↑
 則天武后(623?~725年)
 皇后時代
 百済征討(660年)
 白村江の戦い(663年)
 唐・新羅連合軍で
 倭国・旧百済連合軍を撃破
 ↓↑
 玄宗
 開元年間(713~741年)
 玄宗
  四門 助 教
 (シモンジョキョウ)
 の
  趙  玄 黙
 (チョウゲンモク)
 に命じ
  鴻 臚寺
 (コウロジ)
 に呼んで教えさせた
 日本の使者は
 玄黙に
 広幅の布を贈って入門料とした
 布には
 「白亀(ハクキ)元年の調布」
 と書きつけてあった
 唐人は
 日本で調として布を
 納める制度があろうなどとは
 嘘だと疑った
 使者は
 もらった贈り物のすべてを投じ
 書籍を購入し
 海を渡って帰っていった
 ↓↑
 その時の副使の
 朝臣仲満(なかまろ)は
 中国の国ぶりを慕って
 そのまま帰国せずに留まり
 姓名を
 朝衡(チョウコウ)
 と改め
 唐朝に仕えて
 佐補闕(サホケツ)
 儀王璲(ギオウスイ)の
 学友を暦任
 衡は都に留まること五十年
 書物を愛し
 自由を与えて
 故国に帰らせようとしても
 留まって去ろうとしなかった・・・?
 ↓↑
 玄宗
 天宝十二年(753年)
 日本はまた使者を遣わし貢物を献上
 ↓↑
 粛宗(シュクソウ)
 上元年間(760~762年)
 朝衡を抜擢
  左散 騎常  侍
 (ササンキジョウジ)
  鎮 南 都護
 (チンナントゴ)
 に任じた
 ↓↑
 徳宗(トクソウ)
 貞元二十年(804年)
 日本からの使者来朝
 学生の
  橘    逸 勢
 (たちばなのはやなり)
 と学問僧の
 空海
 を中国に滞在させた
 ↓↑
 元和元年(806年)
 日本国 使判官
  高 階  真人
 (たかしなのまひと)
 が日本国帰国願の奏上
 帝は許可
 ↓↑
 文宗
 開成四年(839年)
 日本は使者を遣わし
 貢物を朝廷に献上
 ↓↑
 701年
 「大宝度の遣唐使
 が
 中国皇帝に渡した文書とは相違
 初めて
 国名として
 「日本」
 と書いてあった
ーーーーー
 701年
 文武天皇から
 節刀を授けられた
 粟田真人
 を
 執節使(大使より上位)
 として任じられるが
 暴風雨で渡海できず
 702年6月
 に出立
 高橋笠間
 は別の任(大安寺造営)に充てられ
 渡航せず
 参議の
 粟田真人を大使として出立
 楚州に到着
 唐は
 武則天則天武后)の
 周王朝となっていたことを知らず
 混乱
 ↓↑
 対外的に
 「日本」の国号を使用し
 首都を藤原京と定め
 大宝律令を制定
 白村江の戦い以来の
 正式な国交回復を目的
 ↓↑
 大宝三年(703年)
 長安に到着
 武則天
 に謁見
 唐人からは
 「好く経史を読み
  属文を解し
  容止温雅なり」
 と評された・・・
 武則天からは
 「司膳員外郎」・・・司は膳の員
 に任ぜられた
 ↓↑
 粟田真人
 慶雲元年(704年)7月
 白村江の戦い
 捕虜になっていた者を連れて
 五島列島
 福江島
 に漂着帰国
 副使
 巨勢邑治
 は残留し
 707年3月
 帰国
 大使
 坂合部大分
 も残留し
 次の遣唐使の帰国船に同行
 この遣唐使
 唐の実運用されている
 律令制や都市作り実見
 大宝律令の修正
 貨幣鋳造(和同開珎)
 などの
 「慶雲の改革」
 平城京遷都の下敷きとなった
 粟田真人
 の乗船「佐伯」に対し
 従五位下の位が授けられた
 ↓↑
 養老元年(717年)
 ↓↑
 養老二年(718年)
 多治比縣守(押使)
 大伴山守(大使)
 藤原馬養(藤原宇合・副使)
 残留
 阿倍仲麻呂
 吉備真備
 玄昉
 井真成
 羽栗吉麻呂(阿部仲麻呂の従者)
 総勢557人
 ↓↑
 霊亀二年(716年)八月
 縣守が
 押使に任命
 ↓↑
 翌霊亀三年(717年)三月
 節刀を授けられ
 出発
 南路を選択
 716年9月
 阿倍安麻呂
 に代えて
 大伴山守
 が
 遣唐大使
 ↓↑
 養老元年(717年)十月一日
 長安
 残留留学生を除き
 翌年
 養老二年(718年)十月
 使節は全員
 大宰府に帰還
 道慈
 も帰国
 十二月
 県守
 は朝廷に復命
 翌
 養老三年年正月十日
 一同が
 唐で与えられた朝服で
 天皇に拝謁
 藤原馬養
 唐滞在中に
 「宇合」・・・宇宙を合わせる?
        宇=宀+于(二+亅・亏亐)
        合=亼(𠆢一)+口
 と漢字を改名
 ↓↑
 天平五年(733年)
 天平六年(734年)
 多治比広成(大使)
 中臣名代 (副使)
 平群広成 (判官)
 秦朝元  (判官)
 田口養年富(判官)
 紀馬主  (判官)
 大伴古麻呂(留学生)
 秦大麻呂 (請益)
 栄叡
 普照
 ↓↑
 多治比広成
 前回押使の弟
 4隻の船で
 難波津を4月に出帆
 往路は4隻無時で
 蘇州到着
 734年4月
 唐朝に拝謁
 大伴古麻呂
 は帰国にあたって
 唐人
 の陳延昌に託された
 大乗仏典を日本にもたらした
 帰路
 734年10月
 同時に出航
 各船遭難
 第1船の
 多治比広成
 は
 11月
 種子島
 に帰着
 吉備真備・玄昉帰国
 羽栗吉麻呂・翼・翔親子も帰国
 3月
 節刀返上
 第2船の
 中臣名代
 は唐に流し戻され
 735年3月
 長安に戻された
 唐の援助で船を修復し
 11月
 唐人
 ペルシャ
 らを連れて帰国
 736年8月
 都に帰還
 第3船
 平群広成は難破
 崑崙国(チャンパ王国南ベトナム
 に漂着
 襲撃を受けて
 100余名が4人となり
 抑留されるが脱出
 唐に滞在していた
 阿倍仲麻呂
 により
 唐から海路
 渤海国に入り
 天平十一年(739年)五月
 渤海大使
 胥要徳
 と共に
 渤海船2隻で日本海を渡るが
 1隻が転覆
 胥要徳ら40人が死亡
 1隻は
 平群広成
 渤海副使の将軍
 己珎蒙
 と共に
 7月
 出羽国へ到着
 10月27日
 帰京
 第4船は行方不明
ーーーーー
 筑紫
 鴻臚館
 筑紫(福岡県西部)
 の外交施設
 魏志倭人伝
 糸島半島
 伊都国・・・
 筑紫館
 磐井の乱(527年~528年)後
 宣化元年(536年)
 那津のほとりに
 「那津官家(なのつのみやけ)」
 を設置
 ↓↑
 推古十七年(609年)
  筑 紫 大 宰
 (つくしのおほみこともちのつかさ)
 白村江の戦いの翌年(664年)
 行政機能は内陸の
 大宰府太宰府市)に移転
 那津のほとりに
 大宰府の機関の分所として
 海外交流
 国防の拠点施設が残された
 ↓↑
  筑 紫 館
 (つくしのむろつみ)
 唐・新羅渤海
 の使節を迎える
 迎賓館兼宿泊所として機能
 海外使節
 鴻臚館に入館し
 大宰府や都へ上ることとなっていた
 ↓↑
 持統二年(688年)
 筑紫館で
 新羅国使
 全霜林を饗した
 ↓↑
 天平八年(736年)
 新羅派遣の
 遣新羅使
 筑紫館で詠んだ歌が
 『万葉集』に収録・・・
 律令制
 治部省
 玄蕃寮の管轄
 筑紫館は
 外国商人らの
 検問・接待・交易などに用いられた
ーーーーー
 大宰
 鴻臚館・・・
 鴻臚は入唐留学僧
 円仁
 『入唐求法巡礼行記』
 承和四年(837年)の記述に初見
 承和五年(838年)
 第19回
 遣唐使の副使
 小野篁
 が唐人
 沈道古
 大宰
 鴻臚館にて詩を唱和
 承和九年(842年)
 太政官符にも鴻臚館の名が記載
 嘉祥二年(849年)
 唐商人53人の来訪
 大宰府から朝廷へ報告
 ↓↑
 天安二年(858年)
 留学僧
 円珍・・・円の珍(うず)
 が商人
 李延孝・・・李(木之子)を
       延す
       孝(ツチノコ
 の船で帰朝
 鴻臚館
 北館門楼で歓迎の宴
 貞観三年(861年)
 貞観七年(865年)
 李延孝
 が再び鴻臚館を訪問
 寛平六年(894年)
 菅原道真
 遣唐使が廃止されたのちに強まった・・・
 ↓↑
 鴻臚館
 での通商は官営
 商船の到着が
 大宰府に通達され
 大宰府から朝廷へ急使
 朝廷から
 唐物使(からものつかい)の
 役人が派遣され
 経巻
 仏像仏具
 薬品
 香料
 などの中央貴族の要望商品を買い上げ
 残った商品を地方豪族や有力寺社が購入
 商人は到着から通商までの
 3か月から半年間を
 鴻臚館内で滞在
 宿泊所や食事は
 鴻臚館側が供出
 延喜三年(903年)
 太政官符には
 朝廷による
 買上前の貿易が厳禁されており
 貿易が官営から私営に移行
 延喜九年(909年)
 唐物使に代わって
 大宰府の役人に
 交易の実務・・・
 ↓↑
 貞観十一年(869年)
 「新羅の入寇」後
 警固所として
 鴻臚
 中島館を建設し
 大宰府の兵や武具を移した
 1019年
 「刀伊の入寇」後
 山を背にした地に防備を固めた
 ↓↑
 北宋・高麗・遼の商人とも交易
 11世紀には
 聖福寺承天寺筥崎宮住吉神社
 ら有力寺社や有力貴族による
 私貿易が盛ん
 博多から箱崎の海岸が貿易の中心
 大宋国商客宿坊と名を変えた
 鴻臚館での貿易は衰退
 永承二年(1047年)
 放火
 寛治五年(1091年)
 宋商人
 李居簡
 が鴻臚館で写経した記述を最後に
 文献上から消えた
 ↓↑
 難波の鴻臚館は
 難波津(渡辺津)にあった
 ↓↑
 古墳時代
 難波津に外交施設として
  難 波  館
 (なにわのむろつみ)
 があり
 継体六年(512年)十二月
 百済
 武寧王
 の使者が調を貢献
 任那四県の
 割譲を求めて館に留まった・・・
 ↓↑
 欽明二十二年(561年)
  難 波 大 郡
 (なにわのおおごおり)
 で
 百済新羅の使者を接待
 推古十六年(608年)四月
 隋 煬帝
 の使者
 裴世清が来訪
 筑紫に滞在させ
 その間に
 「高麗館(こまのむろつみ)
  の上に新館を造る」
 ことで歓迎の準備
 斉明六年(660年)五月八日
 高句麗使
 賀取文
 が難波館に到着
 ↓↑
 承和十一年(844年)十月戊子条
 難波の鴻臚館が
 摂津国国府の政庁に転用され廃止
 ↓↑
 道慈律師
 (ドウジリッシ)
 大安寺
 伽藍の造営を勾当した
 大和国
 添下郡
 額田氏の出自
 大宝二年
 遣唐船で入唐
 粟田真人
 山上憶良
 などが使節として同乗
 南海路を取り
 揚州から入唐
 ↓↑
 長安
 西明寺に留まり
 十六年間学ぶ
 西明寺は迎賓館の性格名刹
 道慈はその伽藍を模して
 大安寺を造営
 後に大安寺に住した
 弘法大師空海
 「大安寺は是兜卒の構え
  祇園精舎の業なり云々」
 賞賛
 ↓↑
 養老二年(718年)
 帰国
 在唐中、経典を渉覧し研鑚
 三論に精通、工巧にすぐれた
 金光明最勝王経
 虚空蔵菩薩求聞持法
 をもたらした・・・
 天平元年(729年)
 律師
 数年後
 凶作
 疫病
 藤原四兄弟死亡
 道慈は
 大般若経を転読
 大安寺における恒例の
 大般若会が開始
 「続日本紀」編纂に参加
 天平十六年(744年)
 竹渓山寺に隠棲
 死亡
 大安寺は
 インド僧
 菩提僊那
 ベトナム
 仏哲
 唐僧
 道セン
 などが住し
 仏教教学の中心となった・・・
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 ・・・???・・・「大安寺」・・・
 「太安」万侶の「字・事・時・爾・辞・地・児」?
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 廯=广+魚+羊
   セン
 ↓↑
 㶍=氵+魚+羊
   セン
   水・川・小川・水路・細流
   stream
 ↓↑
 䇁=宀+魚+羊
   セン
   cave・hole
   穴也
   又水名
   出趙國,襄國,東入湡
   水厓爲䇁
 ↓↑
 䇁=穴+鮮
   宀+八+魚+羊
   洞窟の光苔=光蘇?
 ↓↑
 癬=疒+魚+羊
   セン
   たむし
   ひぜん・・・イッチング=itching・・・蚤の市?
   かゆみを伴う皮膚病の一種
   乾癬=肌が少し盛り上り
       赤い発疹上に
       銀白色の垢が付いて
       ポロポロとはがれ落ちる病気
   疥癬カイセン・かいせん・scabies)
   痒い(かゆい)・掻く(かく)・・・カクカクしかじか・・・
   itchy・itching=イチイング
 ↓↑
 䉳=竹+魚+羊
   セン
   ダマサイル=domicile=住居・本籍
   竹名・今人 戸版籍也
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 ・・・再思考・・・再モウソウ・・・