伽利略(ガリレイ=借り例)、甘いトク、石のサル

 2871日目・文字霊日記
 世界最古の星の表
 ・・・甘い徳・・・?・・・石が申(もう)す・・・磐の余り・・・?
 ↓↑
 甘德(カントク・ガントク)
 は
 伽利略(ガリレイ)より
 兩(二)千年も早く
 木星の衛星を
 發現(発見)
 ↓↑

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 甘德(カントク・ガントク)
 戰國時
 齊國人・・・齊の國の人・・・斎宮=巫女・神子・皇女
 是
 世界上
 最古
 老・・・・老=おいる=織いる・オイル(oil)・緖(尾)意留
 星表を
 編制
 ↓↑
 和
 木星の・・・ゼウス・ジュピター・ユピテル
 衛星二
 最早
 發現(発見)者
 於
 天の空の中
 恒星・・・恒=恒=忄+亘
        忄+一+旦
        忄+一+日+一
        コウ
        つね・変わらない・一定
        いつも・たえず
        易の六十四卦の一
        弦を張った弓月の形
      α+亘
      桓・亘・宣・恒・垣
      䱎・貆・絙・荁・晅
      刯・咺・峘・洹・烜
      狟・䚙
      姮・月に住む美女
     「姮娥(こうが・じょうが)=嫦娥
 作
 長期
 細緻に觀測
 ↓↑
 他
 和(共同)して
 石申(石申夫=シシェンフ)
 等人と
 都に
 建立
 ↓↑
 不相同
 全天
 恒星區劃
 命名
 系統
 除了
 對
 恒星
 觀測外
 甘德
 對行星
 運動
 進行を
 長期的に觀測
 和
 定量
 研究
 認
 為
 行星運動
 大致
 順從
 同一個方向
 ↓↑
 甘德
 和
 石申
 卻
 發現
 二星
 逆行現象・・・文章の逆行の現象?
 此外
 甘德
 還
 建立
 行星
 會合週期概念
 為
 後世
 傳統的
 行星
 位置計算法
 奠定・・・奠定・・・猶太が定(綴)
 堅實
 基石
 ↓↑
 甘德
 對
 木星
 觀測
 尤為精細
 是
 研究
 木星專家
 著
 關於
 木星專著
 《歲星經》
 依據
 《唐開元占經》
 引錄
 甘德論
 及
 木星時所說話
 若有小赤星附於其側
 著名
 天文學史家席澤宗先生也
 於著作中
 證實
 甘德
 貢獻
 ↓↑
 近代
 對於
 木星
 衛星
 發現
 17世紀初
 望遠鏡
 發明之後
 由義大利
 大科學家
 伽利略(Galilei・ガリレオ
 1610年發現(発見)
 甘德は
 伽利略(Galilei・ガリレオ)より
 兩(二)千年
 而且
 在
 沒有
 望遠鏡の條件
 僅憑肉眼就
 發現
 木星
 衛星
 ↓↑
 世上
 最早
 一部
 天文學著作
 《甘石星經》
 《甘石星經》
 世界上最早
 一部天文學著作
 可惜它
 在
 宋代
 以後失傳
 今天只能從
 唐代
 天文學書籍
 《開元占經》
 裏見
 到它的
 一些片斷摘錄
 這些片斷摘錄表明
 ↓↑
 甘德
 和(共同)で
 石申
 ↓↑
 曾系統
 地
 觀察
 金、木、水、火、土
 五大
 行星の運行
 發現(発見)
 五大
 行星
 出沒規律
 他們還記錄
 八百顆
 恒星
 名字
 測定
 百二十一顆
 恒星の方位
 ↓↑
 比
 希臘(ギリシャ
 天文學家
 伊巴穀
 測編
 歐洲
 第一個
 恒星表
 大約 早二百年
 後世
 許
 多
 天文學家
 在
 測量日、月、行星
 位置
 運動時
 都要用到
 《甘石星經》中資料
 因此
 《甘石星經》
 世界天文學史上
 都
 佔有重要地位
 ↓↑
 中国
 ハレー彗星
 紀元前613年
 春秋
 呂王国の歴史に記録
 ↓↑
 春秋-戦国時代
 《史記天官書》記載
 4人の天文学者
 在
 齊,甘公
 楚,唐昧
 趙,尹皋
 魏,石申
   石申
   與
   甘德
   在
   戰國秦漢時影響很大
   形成並列的兩大學派
   甘德(カントク)
   著《天文星占》八卷
   石申夫(シシェンフ)
   著《天文》八卷
   合稱《甘石星經》
 ↓↑
 戰國時代
 魏國
 天文學
 占星學家
 「石申」
 又名
 「石申夫」
 世界最古の星表
 四分曆
 歲星紀年
 行星運動
 天象觀測
 中國古代の
 占星理論
 等
 石申 著作
 西漢以後被尊稱為
 《石氏星經》
 中國 最早 占星書
 石申
 及
 其門徒
 觀測
 系列的新發現
 這些發現
 當作占星內容
 摘引
 《開元占經》の中
 ↓↑
 石申
 還發現 日月食
 是
 天體
 相互
 掩蓋的現象
 ↓↑
 紀念
 石申
 月球上
 座環形山
 就
 是用
 他的
 名字
 命名
 ↓↑
 ガンダー(甘徳)・・・阿毎・説く?
 惑星の運動の
 長期的な観測
 定量的研究
 惑星の動きは
 同じ方向であると考えていたが
 ガンダー(甘徳)
 と
 シーシェン(石申)・・・申命記のモーゼの
             石版
 2つ星の
 逆行現象であることを発見
 ガンダーは
 惑星の収束期間の概念も確立
 後の世代の
 惑星の位置を計算する
 基盤を築いた
 ↓↑
 ガンダーによる木星の観察
 木星の専門家で
 木星に関する本
 「The Su Sutra」・・・sutra=経・経典
      su・tra=スゥ・トラ(suːtrə)
          吸う・寅(イン=韻)
          守烏・虎
          スー・トゥラ
          素烏・斗有羅
 の著者
 天文学者
 習世宗は
 ガンダーの作品への貢献確認・・・
 ↓↑
 17世紀初頭
 望遠鏡が発明
 1610年
 イタリアの
 ガリレイによって
 木星
 衛星発見
 ↓↑
 甘石星経
 ↓↑
 ガンド(甘徳)
 と
 シー・シェン(石申)
 によって決定された星の記録を
 世界で最も初期の星表を
 「甘石表」と呼んだ
 甘 徳(カントク)
 紀元前4世紀頃
 中国・戦国時代の天文学者
 斉の人
 同時代の
 魏の
 石申(セキシン・いしざる)?
 とともに
 世界最古級の星表を記録
 ↓↑
 『史記』天官書で
 斉の人
 4世紀の歴史家
 徐広の補注で
 魯
 出身
 5世紀の書誌学者
 阮孝緒
 は
 『七録』で
 楚の人と記録
 ↓↑
 『天文星占』8巻
 『甘氏四七法』1巻
 『歳星経』
 などの著書があったが佚書
 著書の内容は
 『史記』天官書
 『漢書』天文志
 における記述
 『開元占経』に
 「甘石星経」
 とまとまった文献が収録
 ↓↑
 『史記』天官書
 「天数を伝える者」として列挙
 の天文家の中に
 「甘公」・・・菅公=菅原道真
 と記載
 『漢書』天文志
 天体の動きやその吉凶に関し
 甘徳
 と
 石申
 の論を対照引用
 ↓↑
 唐代の占星術
 『開元占経』
 甘徳の『天文星占』
 石申の『天文』(別名、石氏星経)
 をまとめたとされる文献が収録
 「甘石星経」で呼ばれている
 紀元前4世紀成立
 バビロニア星表
 に次ぎ
 チモカリス
 や
 ヒッパルコス
 に先立つ世界最古級の星表
 ↓↑
 馬王堆
 漢墓に副葬された
 帛書には天文に関する記録
 「五星占」が含まれ
 記述の一部は
 「甘石星経」と共通
 『隋書』天文志
 『晋書』天文志
 によれば
 3世紀
 晋の武帝
 司馬炎
 頃に
 呉の
 太史令
 陳卓が
 石申
 甘徳
 および
 殷の占星術
 巫咸
 の星図を総合し
 星官の標準を定めた・・・
 ↓↑
 甘徳は
 紀元前364年
 木星近傍に
 暗い星があると記録
 1981年
 中国の科学史家である
 席澤宗
 は、記録が木星の衛星発見と指摘
 ガリレオらよりも
 2000年近くも前に
 裸眼で衛星を視認していた・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・