1763日目・・・アグノスチズム(阿愚廼(埜)知事務)・・・agnostic(æg'nɑstɪk=アグノスチック)・・・「亜具之州秩(治)句」・・・・「不可知論」ですか・・・「スベテ」を知ろうなんてコトは無理である。興味あるコトに限定したとしても無理と云うものである・・・そして、「妄想・空想・想像」は、「スベテ」のコトバの範疇からは遥かに「埒外」である・・・辞書を引いても、ブログ記事を引いても・・・

 ひく(引く)
 モノを自分の方向へ動かす
 綱を引く
 弓(の弦)を引く
 病気に感染する
 風邪を引く
 ひく(曳く・牽く)
 モノを有る方向に動かす
 牽引する
 数を減ずる
 減算する
 マイナスする
 引き延ばす
 口紅を引く
 色をひく
 油を引く
 袖をひく
 書物内の語を探す
 引用する
 辞書を引く(refer, look up, quote)
 ひく(退く)
 後退する
 引退する
 潮が引く
 兵を退く
 静かになる
 ひく(惹く)
 興味、
 意識が惹かれる
 関心を
 興味を
 注意を
 ひかれる
 魅(ひ)かれる
 気をひく
 恨みをひく
 血の気がひく
 ひく(弾く)
 弓矢、楽器、弦楽器をひく
 ひく(挽く)
 ノコギリ(鋸)をひく
 頸木(くびき)をひく
 ひく(碾く)
 臼(うす・碓)で粉にひく
 ひく(轢く)
 歩行者などを車輪でひく
 ↓
 疋(ひき・ひつ・き・あし・匹)
 古代日本で
 布帛2反(端)分
 古代中国で
 長さの単位
 両(=40尺)
 鎌倉時代〜江戸時代では
 銭貨の数え方
 1疋=30文
 or
 1疋=10銭(文)
 疋→蛋(タン・タマゴ・鳥の卵)→蛋白質
   蛋=疋+虫(中+ム)
    「ひき・ひつ・き・あし」の中はム
     足の虫=水虫
         足白癬=白癬菌
            (ハクセンキン)
     足(たり)の中の「ム=私・ヨコシマ」
     足=囗(国・口)+ト(占)+人
       圀(六合・國)を占う人
       足(たり)=王=足彦(比古)
             中臣(藤原)鎌足
  「蛋民」
   中国の南方で
   水上生活者、部族
ーーーーー
 「武内宿禰」の「寿命」・・・の意味・・・?
 「日本書紀」・・・「武内宿禰
 「古事記」・・・・「建内宿禰
 「他書」・・・・・「建内足尼」・・・足(あし・たり・ソク)の尼(あま・ニ)・・・それでもブログで「ヒイて」みるか・・・
 280歳・295歳・306歳・312歳・360歳
 ↓↑
 280年
 干支  =庚子
 日本
 応神天皇=11年
 中国
 西晋  =咸寧6年=太康元年
 呉   =天紀4年
 朝鮮
 高句麗 =西川王11年
 新羅  =味鄒王19年
 百済  =古尓王47年
 檀紀  =2613年
 仏滅紀元=823年
 ユダヤ暦=4040年〜4041年
 ↓
 280年
 西晋
 が
 呉を滅ぼし、
 占田課田法を制定
 ↓
 280
 合成数
 約数は
 1,2,4,5,7,8,10,14,
 20,28,
 35,40,56,70,
 140と280
 2+8+0=10
 280÷10=28
 81番目の
 ハーシャッド数=ニーベン数 (Niven Number)
        自然数のうち、
        各桁の 数字の和が
        元の数の
        約数であるような数
        各桁の和で
        割り切ることのできる数
 5連続偶数の
 立方和で表せる数
 280 = (-2)3 +(0)3 + (2)3 + (4)3 + (6)3
  ここでの「3」は三乗
   =-8+0+8+64+216=64+216=280  
 1つ前は0、次は800。
 約数の和が
 280になる数は
 2個
 (108, 247)
 約数の和
 2個で表せる24番目の数
 1つ前は272、次は308
 ↓
 フィリア(280 Philia)は
 小惑星
 国鉄シキ280形貨車は、
 大物車。
 280mmシュナイダー
 臼砲は、
 第一次世界大戦
 フランス陸軍が使用した
 臼砲・・・・・・・・・・臼砲(キュウホウ
               うすつつ)
 M65 280mmカノン砲は、
 アメリカ陸軍が使用した
 カノン砲。・・・・・・・キャノン(cannon)砲
             脚之務
             伽 儂(暖・嫩)
 280
 素因数分解
 280=(2×2×2)×5×7
 二進法
 100011000
 八進法
 430
 十二進法
 1B4
 十六進法
 118
 二十進法
 E0
 ローマ数字
 CCLXXX
 漢数字
 二百八十
 大字
 弐百八拾=弐陌(佰)捌足・・・陌=阝+百
                佰=イ+百
 ↓
 紀元前280年
 ローマ暦
 ラエヴィヌス
 と
 コルンカニウス
 が
 執政官
 ローマ暦、
 建国紀元474 
 紀元前280年という命名は、
 キリスト紀元紀年法
 ヨーロッパで一般化した
 中世から使われ始めた。
 ↓
 セレウコス朝
 アンティオコス1世が、
 長男の
 セレウコス
 東部の王に任命
 アンティオコス1世が、
 父の仇である
 マケドニア
 プトレマイオス・ケラウノス
 に
 和平を結ぶ事を強いられ、
 マケドニア
 と
 トラキア
 を支配する計画が破綻。
 ビテュニア
 ニコメデス1世が、
 父
 ジポイテス1世から続く
 アンティオコス
 の侵攻に脅かされる。
 アンティオコスは
 ビテュニア
 侵攻したが、
 撤退
 アンティオコスが、
 カッパドキアを支配
 ペルシア系王朝を
 影響下に置くことに失敗
 アンティオコスが、
 第一次
 シリア戦争で
 エジプトの
 プトレマイオス2世
 に敗北
 ギリシア
 ピュロスが、
 マケドニア
 プトレマイオス・ケラウノスと同盟
 アカイア同盟
 ペロポネソス半島北部の
 12のポリスにより再結成
 後に
 非アカイア国家以外をも含み拡大
 同盟には、
 2名の成員の
 ストラテゴス
 がおり、
 比例代表制
 連邦会議
 と
 自由市民全員
 の年会を開催
 会により
 共通の
 貨幣鋳造
 と
 外交政策を決定
 成員のポリスは
 軍を出しあった。
 ロドスが、
 島の同盟の長
 ロドス島の巨像が、
 彫刻家の
 リンドス
 の
 カレスにより
 12年後完成
 後に古代の世界の
 七不思議の一つ
 ロドス島の巨像は、
 古代ギリシャ
 太陽神
 ヘーリオス
 をかたどり、
 高さは
 70キューピット
 (約34メートル)あり、
 古代世界最大の像
 ↓
 共和制ローマ
 タラス
 の要請に答え、
 ピュロス
 は
 20000を超える軍を率い
 ローマと対決
 ヘラクレアの戦い
 において、
 プブリウス・
 ヴァレリウス・
 ラエヴィヌス執政官
 率いる
 ローマ軍を撃破
 ルカニア人や
 ブルティウム人や
 メサピ人といった部族や、
 クロトン
 や
 ロクリ
 といった
 ギリシャ都市も
 ピュロス軍に参加
 ↓
 ローマの司令官で
 雄弁家の
 ガイウス・
 ファブリシウス・
 ルスキヌス
 が、
 身代金の交渉と
 捕虜交換のために
 派遣される。
 ピュロスは
 ファブリシウス
 が賄賂を断ったことに感銘を受け、
 身代金なしで捕虜を釈放
 勝利により、
 ピュロスは
 ラティウム
 まで前進
 ↓
 中国
 秦の
 白起・・・・白記・新羅
 が
 趙を破り、
 2万の首を切り、
 代光狼城
 を取る
 秦の
 司馬錯・・・斯波割(作)→織田家
         錯=金+昔
 が、
 隴西
 から
 兵を出して
 蜀に出て・・・蜀(ショク)=罒+勹+虫(中ム)
 楚を討ち、・・・楚(ソ)=木+木+疋
 黥中・・・・・・黥(いれずみ・ゲイ)→鯨
 を取った。
 罪人を赦して
 南陽・・・・・・ナンヨウ=南洋・納曜
 に移した。
 ↓
 天文学
 サモスの
 アリスタルコスが、
 月の上を通過する
 地球の影の大きさを使い、
 月の直径が
 地球の
 3分の1と見積る。
 最初に
 太陽系の
 太陽中心説的な
 見解を提案
 地球の動いていることの
 証拠がなかったため、
 無視された
 ↓
 誕生
 ビザンチウム
 フィロン
 古代ギリシア
 数学者、旅行家 、
 機械について書き記す。
 (紀元前220年没?)
 李斯は・・・・・・・李=木+子
 秦の宰相、
 法家の
 思想家(紀元前208年没?)
 ↓
 死去
 ヘロフィロス
 ギリシャ
 アレキサンドリア
 の
 医学者
 初期に
 人体解剖を行った
 解剖学の父(紀元前335年生)
 ファレーロンの
 デメトリウス
 (デメトリウス・ファレレウス)
 アテネの雄弁家、政治家、哲学者
 プトレマイオス1世
 法廷で著名
 雄弁家(紀元前350年生)
 ↓
 295年
 干支 : 乙卯
 日本
 応神天皇26年
 295
 合成数
 約数は
 1, 5 ,
 59 と 295
 92番目の
 半素数であり、
 一つ前は291、
 次は298。
 郵便番号の
 地域番号
 295
 は、
 千葉県館山市
 南房総市
 テレジア(295 Theresia)は、
 小惑星帯にある小惑星
 素因数分解
 5×59
 二進法
 100100111
 八進法
 447
 十二進法
 207
 十六進法
 127
 二十進法
 EF
 ローマ数字
 CCXCV
 漢数字
 二百九十五
 大字
 弐百九拾五
 ↓
 紀元前295年
 ローマ暦年
 クィントゥス・
 ファビウス
 マクシムス・
 ルッリアヌス
 と
 プブリウス・
 デキウス・
 ムス
 が
 共和政ローマ執政官に就任
 ローマ建国紀元は459年
 ↓
 共和制ローマ
 サムニウム、
 エトルリア
 ウンブリア、
 ガリ
 の連合軍が
 ローマ軍に敗北し、
 センティヌムの戦い
 が終わった
 ローマ軍は
 8000名近く、
 連合軍は
 25000名程度の兵を失った。
 ↓
 ギリシア
 アテネ
 デメトリオス1世に陥落
 僭主の
 Lacharesは殺害された
 マケドニア王の
 アンティパトロス2世は、
 弟で
 共同統治者の
 アレクサンドロス5世
 をかわいがり過ぎるとして、
 母親の
 テッサロニカを殺害した
 ↓
 死去
 荘子 - 中国の哲学者
 武霊王 - 周の皇帝
 ↓
 306
 306年
 干支 : 丙寅
 日本
 応神天皇37年
 ↓
 7月25日
 コンスタンティヌス1世
 が
 西ローマ帝国皇帝に即位(〜337年)
 西晋で、
 永嘉の乱
 マクシミアヌス、
 一度目の西ローマ正帝復位
 ↓
 誕生
 張駿、
 五胡十六国時代
 前涼
 第4代世祖
 文公(〜346年)
 ↓
 死去
 7月25日
 コンスタンティウス・クロルス、
 西ローマ帝国皇帝、
 コンスタンティヌス朝創始者(〜250年)
 恵帝
 西晋の2代目皇帝(〜259年)
 紀元前306年
 アレクサンドロス大王の死後、
 将軍の一人で
 マケドニア地方出身の
 ギリシア人であった
 プトレマイオスは、
 紀元前306年
 エジプトの地に王朝を創始
 アンティゴノス朝
 (紀元前306年〜紀元前 168年)は、
 アレクサンドロス大王
 ディアドコイ(後継者)の一人、
 アンティゴノス1世
 モノフタルモス(隻眼王)の
 子孫が
 ギリシャマケドニア地方に築いた、
 ペラを首都とする 王国
 リュシマコス
 (紀元前360年〜紀元前 281年
  在位:紀元前306年〜紀元前281年)は
 アレクサンドロス3世に仕えた
 マケドニア王国の将軍
 彼の死後の
 トラキア
 小アジア
 マケドニアの王
 ↓
 秦の王
 昭王(しょうおう)
 秦では
 魏冄(魏冉)らの支援により、
 異母兄である
 武王の後を継いで
 王として即位
 ↓
 306
 民法306条は、
 一般の
 先取特権と言われている条文
 ↓
 312年
 干支=壬申
 日本
 天皇空位・・・・壬申の乱天皇空位
 312
 素因数分解
 23×3×13
 二進法
 100111000
 八進法
 470
 十二進法
 220
 十六進法
 138
 二十進法
 FC
 ローマ数字
 CCCXII
 漢数字
 三百十二
 大字
 参百拾弐
 ↓
 312年
 10月28日
 ミルウィウス橋の戦い、
 コンスタンティヌス1世
 マクセンティウスを破り、
 西ローマ帝国
 単独皇帝になる
 ↓
 誕生
 桓温、
 東晋代の政治家・軍人(〜373年)
 石弘(セキコウ)、・・・・・石+弘
 五胡十六国時代
 後趙
 第2代皇帝(〜334年)
 李期、・・・・・・李=木+子
 五胡十六国時代
 成漢(前蜀)の
 第5代皇帝(〜337年)
 ↓
 死去
 10月28日
 マクセンティウス、
 ローマ皇帝(〜278年頃)
 紀元前312年
 コルウス
 と
 ムス
 が共和政ローマ執政官に就任
 セレウコス朝
 プトレマイオス1世
 と
 バビロニアの太守である
 セレウコス1世が、
 シリア州を侵略する。
 ガザの戦いの結果は、
 プトレマイオス1世
 と
 セレウコス1世の
 アンティゴノス1世の息子の
 デメトリオス1世 (攻城者)に対する
 勝利であり、
 デメトリオス1世は捕虜となった
 セレウコス1世は
 プトレマイオス1世
 仕えることを辞め、
 以前の領地である
 バビロニアへと帰還
 これは10月1日の出来事であり、
 セレウコス朝時代の始点となった。
 ↓
 シチリア
 シュラクサイ人は、
 カルタゴ人に、
 僭主の
 アガトクレスに対抗するための援助を求める。
 カルタゴ人も
 シチリアにおける自身の領地を脅かされており、
 大軍を島に送る
 ↓
 共和政ローマ
 パトリキ
 であり、
 ローマの
 ケンソルである
 アッピウス・
 クラウディウス
 カエクス
 は、
 公職に就くと
 ローマとカプア間に
 アッピア街道の建設を始める。
 土地を所有しないものにも
 各種の役職を選出するための
 投票権を与えた。
 当時
 基本的な政治単位を構成していた部族の、
 土地を所有しないローマ市民に配分した。
 アッピウスは
 解放奴隷の息子に
 元老院に入ることを認めた。
 解放奴隷が
 公職に就く権利を主張
 ローマ市への
 最初の水道である
 アッピア水道の建設が終了
 綺麗な飲料水をローマは手に入れた。
 ↓
 中国
 張儀の策謀に嵌った
 楚は
 大軍を発して
 秦
 を侵攻
 秦の軍隊は迎擊して
 丹陽にて
 楚軍を破り、
 八万人を斬殺
 楚の漢中地方に攻め入り、
 その地に
 漢中郡を設置
 楚王は再び
 全国の徴集できる部隊を
 召集して進攻を発動し,
 藍田で
 秦軍と激戦し,
 秦軍は再び勝つ
 秦と魏と韓は
 進攻を開始し、
 楚を攻撃
 燕太子平は、
 斉に服属することを条件にして
 王に即位
 昭王は
 燕の再興
 と
 斉への復讐を目的にして、
 富国強兵と人材の登用に励んだ。
 昭王は
 郭隗を師と仰いだ
 有名な
 「まず隗より始めよ」の故事
 韓の宣恵王が死に、
 太子倉が即位して、
 襄王となる。
 ↓
 死去
 ペイトン
 マケドニアアレクサンドロス3世の家臣
 ディアドコイの一人。
 ヘラクレイデス
 古代ギリシャの哲学者
 (紀元前387年〜)
 ↓
 ガザの戦いは紀元前312年に
 シリアのガザにて起こった
 ディアドコイ戦争の会戦
 ↓
 宣恵王
 韓の君主
 ↓
 羯族の・・・・・・羯=去勢された牡羊
 石勒(セキロク)は・・・・・・石+勒
 漢(前趙)に
 服属しながら、
 力をつけ、
 後に
 後趙を建てた
 鮮卑族の中の
 拓跋(タクバツ)部の・・・・拓+跋
 猗盧(キロ)・・・・・・・・猗+盧
 が南下を伺う
 312年
 代の
 拓跋猗盧、
 劉曜
 晋陽で破る
 ↓
 360
 合成数
 約数は
 1, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 9, 10,
 12, 15, 18, 20, 24,
 30, 36, 40, 45, 60,
 72,
 90, 120, 180, 360
 1 から 10 までの数の内、
 7 を除いて全ての数で割り切れる、
 最小の数
 360は
 約数を24個
 11番目に小さい高度合成数
 97番目のハーシャッド数
 9を基としたとき
 34番目のハーシャッド数
 4連続整数の
 積で表すことのできる数
 (360=3×4×5×6)
 5連続偶数の平方和で表せる数
 (360=42+62+82+102+122)
 約数の和が360になる数は
 9個
 120, 174, 184, 190, 267,
 295, 319, 323, 359
 約数の和
 9個で表せる最小の数
 360は
 倍積完全数
 120の約数の和である
 約数の和が
 360より小さな数で
 9個ある数はない。
 ↓
 360×単位
 360° = 2π (rad) = 4R(4直角、周角)
 360° = 円の角度
 1年は360日で概算
 古代文明
 メソポタミア文明
 30日×12周
 マヤ文明
 20日×18周
 で概算
 太陽暦では365日
 太陰暦太陰太陽暦では
 354日または355日
 360ヶ月を1世代(30年)、
 360年を1運(12世代)
 1949年〜1971年まで、
 円とドルの為替レートは
 1ドル=360円
 西暦360年
 国道360号
 第360番小惑星
 カルロバ
 旧暦360日
 ↓↑
 360年
 干支=庚申
 日本
 仁徳天皇=48年
 中国
 東晋=升平4年
 前涼=建興48年
   (西晋元号を継続再使用)
 前燕=建熙元年
 前秦=甘露2年
 代 =建国23年
 朝鮮
 高句麗=故国原王30年
 百済 =近肖古王15年
 新羅 =奈勿王5年
 ↓
 誕生
 アラリック1世、
 西ゴート族の王(〜410年)
 メスロプ・マシュトツ、
 アルメニア文字の考案者、聖人(〜440年)
 ↓
 死去
 慕容儁、・・・・儁(すぐれる・シュン)
         儁=イ+雋(セン)
 五胡十六国時代
 前燕
 の
 第3代皇帝(319年〜)
 ↓
 紀元前360年
 スパルタ王
 アゲシラオス2世の支援を得て、
 ナクトホルエブは
 ジェドホルを退位させて
 エジプトのファラオとなった。
 ジェドホルは
 スーサに逃れ、
 アケメネス朝ペルシア
 と和平を結んだ。
 ナクトホルエブは
 スパルタの支援に対して、
 230タラントを支払った。
 ギリシア
 スパルタ王
 アゲシラオス2世は、
 エジプトから
 ギリシアへの帰途、
 キュレネで死亡
 アルキダモス3世が後を継いだ。
 イリュリアが
 モロシア人を攻撃すると、
 モロシア人の王
 アリュバスは、
 非戦闘民を
 安全な場所に導いた。
 イリュリアの略奪が終わると、
 彼らは
 略奪品を負っており、
 容易に
 モロシア人に敗れた。
 共和政ローマ
 ガリアは
 再びローマの門に達したが、
 打ち負かされた
 ↓
 中国
 魏の
 恵王 (魏)が・・・・恵王
 黄河
 と
 淮河
 を
 連結する運河である
 鴻溝を開削
 商鞅が・・・・・・鞅(むながい・オウ・ヨウ)
          馬具の一つ
          馬や牛の胸に当て、
          その両端を鞍に結ぶ組み緒
          「むなかき」
 李克・・・・・・・李+克
 の
 法経を携えて
 秦に投じる。
 ↓
 プラトンは、
 初めて
 アトランティス大陸に言及
 対話篇
 「ティマイオス
  と
 「クリティアス」
 を書いた
 誕生
 カッリステネス
 ギリシアの歴史家(紀元前328年没)
 ピュロン
 ギリシアの哲学者(紀元前270年没)
 ↓
 死去
 アゲシラオス2世
 スパルタ王(紀元前444年生)
 公叔痤
 魏の相国
 ↓
 ピュロン
 紀元前360年頃〜紀元前270年頃
 古代ギリシャ、エリス出身の
 哲学者
 懐疑論
 ディオゲネス
 ラエルティオス
 アポロドーロスを引用
 ピュロンはもともと画家
 アナクサルケス
 不可知論とは、
 事物の
 本性を
 知ることができない、
 という主張である
 フ可知論(Agnosticism)
     アグノスチズム・・・
     阿愚廼(埜)知事務
     agnostic [æg'nɑstɪk]
     アグノスチック
     亜具之州秩(治)句
 の
 先駆
ーーーーー
 ・・・「フ可知論(Agnosticism)」でした・・・