2231日目・・・本当に「本音」なのか?・・・「♠(スペード)=剣」の「11=十一=壱拾壱」・・・「Jack,Knave(ネイヴ)=従僕・召使い」・・・トランプの「シャラップ=Shut up! shuddup!」・・・「shut up like a clam!!」・・・「Jack knife clam(クラム)=アゲマキ貝」・・・「clam(クラァム)=二枚貝・蛤・手足が冷たくじっとりしていること・無口な人・口の堅い人」、そして「1ドル(弗)紙幣?」→「肖像画はジョージ・ワシントン=greenbackは

 「ジャック=J(ジェイ・J)」は漢字の「丁=丁・丅(カ=下)・亅」、平仮名の「し」の左反転の字に似ている。「乚(乙の変形)」も左反転の字に似ている・・・「勾・鈎(かぎ・こま・ク)=丁(火の弟・チョウ・テイ)」・・・
 聯(レン)=耳+幺+幺+丱(カン・ケン)
           丱=ノ礀(たてぼう,ぼう・カン,ケン)
             「艹」は「丱」の原字
   「艸艹艹艹」では・・・ないだろう・・・
   「屮」+「屮」=「艸艹艹艹」=「++」
   「丱」は
   前髪を二つにわけて巻き、笄(かんざし)を通した
   子どもや少女の髪型で
   揚巻(あげまき)=総角=Jack knife clam
 ・・・「ジャックナイフ」
   前髪をまいた幼い子ども・髪を左右で分けて角状に巻き上げたもの
   聖徳太子の耳の横でB字に束ねられた髪型
   花魁(オイラン)の髪型・兜(冑・カブト)の結び目
   細長い二枚貝
   軟体動物門二枚貝
   マルスダレガイ目
   ニッコウガイ超科
   ナタマメガイ科
   アゲマキ属
   学名は中国の剃刀(カミソリ)=Chinese razor clam
   チンダイガイ=ヘイタイガイ=キヌガイ
   あげまき=丫=丫(ア・Y)=ふたまた・木のまた
        あげまき・つのがみ・昔の子どもの髪形
   丱 · 串 · 中.
   丱女=カンジョ
   ↓↑
  「丱」
 「敬」のような「丱」の変形で「艹」となった
 「3画くさかんむり」・・・「クサカ=草加・久坂・草薙・匂坂・日下」務、無理・・・「蛤御門の変」・・・
 「夢・繭・驚・護・獲」←艹・廾・サ=丱
  ↓↑
 「夢・繭・驚・護・獲」←++
  ↓↑
 「梦・茧・惊・护・获」
 「勸・歡」=「勧・歓」←艹口口隹=雚(コウノトリ)+力
  ↓↑      ←午+隹=雚(コウノトリ)+力
  ↓↑      「午」は象形字形はすべて
           嬰児の体から脱落した
           𦜝(へそ・臍)の緒からとった形象?
           とは思えないが・・・「毘=へそ」
           十二支の第七位、
           端午は「午月の端(節入り)」の
          「五月五日」の「巳月の終り」
     「午」=「𠂉(髪挿し)」+「十」
          「交わる・交錯」、
          「逆らう・背く」であるが
          「子支」に相対する
          「位置の南の十二支」で
          「冲(衝)の下剋上
          「許」は
          「言+午」で「許可=許すべし」
          「杵」は
          「木+午」で
          「臼」の中の穀物を粉砕する道具である
          「缶」は
          「午+山」で
          「金属」の器の缶詰の缶々である
 「劝・欢」
  ↓↑
 『康熙字典』は「艹」を採用・・・
 「廿」
 「漢・勤」の「廿」形を「3画草冠(くさかんむり)」とする。「二十・弐拾」は「弐重」・・・
 中国の簡体字では「漢」を「汉」に簡略
 「火火
 簡体字では「營・螢・榮」の
 「火火」を「3画草冠(くさかんむり)」とし、
 「营・萤・荣」にする。
 日本では「営・蛍・栄」は
 「ツ」に簡略
 「丰=ホウ・フウ・草が盛んに生い茂っているさま」
 「聯(レン)=連」
 「対句を書いたり刻ん だりした細長い札のこと
  書や絵を書き、彫刻して、
  柱や壁 などの左右に相対して
  掛けて飾りとする細長い板・対聯」
 「漢詩で、律詩の中の対句の称。聯句」
 「詩のいくつかの行をまとめてくぎったもの」
 「漢詩で、律詩の中の二句ずつをいう」
 「複数の詩行から成るリズム単位の一種で
  各詩節ごとに
  脚韻の配置や
  繰返し句の位置などの規則」
 「連」の異体字、聨・聫・聮・䏈・联」
 「関聯、聯盟、聯絡」
 「聴(チョウ)=耳+𢛳(㥁←悳)」
 「徳(トク)=紱・悳・𢛳・㥀・㥁・恴・惪」
 「紱(旧字体)=悳(古字)」
 「庁=廳=广(まだれ・ゲン・ゴン)+聴(耳徳)
     「聽=耳耳十罒一心」
 「体・體」
 「躰・体」
 「體」の旁の「豊」は「豐」
 ↓↑
 紀元前167年(166年〜紀元前37年)の
 ハスモン朝の
 「ユダ(猶太)・マカバイ(金杯)」は
 「ユダヤ独立ハスモン王朝の指導者
 (紀元前160年エラサの戦いで死亡)」
 「セレウコス朝シリア」に対する
 「マカバイ戦争の英雄(ユダ・マカバイ)」ですか・・・
 このモノガタリは「トランプ?」に重なるカモ・・・
 ↓↑
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 ユダヤ(Judea・)の
 大祭司オニアス3世の弟
 イアソン(ヤソン)は
 トビヤ家の支援を受け、
 莫大な貢納金を
 セレウコス朝に納めて大祭司職を得た
 イアソンは
 アンティオコス4世に対し
 自分の権限で
 ギュムナシオン(体育場)や
 エピペア(青年団)を設立し、
 エルサレム市民を
 アンティオキア市民として
 登録することが許されるならば
 更なる貢納を行うと提案し、
 これが認められたために
 支配権を握り大規模な
 ギリシア化政策を実行
 紀元前172年
 シモンの弟
 メネラオス
 イアソンを上回る
 貢納金を納めて大祭司職を得、
 イアソンは地位を失った
 メネラオス
 勝手に
 エルサレム神殿
 財産を持ち出すなどしたために
 敬虔派のユダヤ人の憎悪を買った
 エジプトに遠征していた
 アンティオコス4世が死亡の噂が
 イスラエルに流れ
 好機と見た
 イアソンは地位回復を目指して挙兵し、
 エルサレムを一時占領したが
 破られて死亡
 イアソンの挙兵は
 エジプト遠征中の
 アンティオコス4世に
 「ユダヤ人が反乱を起こした」と報告され
 アンティオコス4世は
 エルサレムに進軍して神殿を掠奪し
 多数のユダヤ人を殺害、又は奴隷とした
 要塞を築いて
 非ユダヤ人を駐留させ監視させ
 ユダヤ人に対し
 ユダヤ教の律法に基づいて
 生活することを厳禁し
 エルサレム神殿
 ゼウスの神殿とされた
 ↓↑
 紀元前167年
 セレウコス朝の将軍
 リュシアスは、
 アンティオコス4世の代理として
 ユダヤ人達にゼウス神への奉納を命じ
 エルサレムの祭司家やヘレニズム的な貴族らは
 親セレウコス朝の立場を取ってこれに従ったが、
 地方都市
 モディンの祭司
 マタティアは、
 これを強制した
 セレウコス朝の役人とその仲間の
 親セレウコス朝的なユダヤ人を殺害
 マタティアが
 5人の息子たち
 (ヨハネ、シモン、ユダ、エレアザル、ヨナタン)
 と共に山中に隠れ
 セレウコス朝に対する敵意を持つ
 ユダヤ人がそこに集まった
 マタティアはこれを軍に組織し、
 反乱の準備としていった
 ↓↑
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 トビヤ家
 ユダ王国時代には大土地所有者
 拠点は
 南ギレアド地方の
 「トビヤの地」
 旧約聖書ネヘミヤ記の
 トビヤ家
 トビヤは
 サマリヤ太守
 サンバラト(アッカド語:シン・ウバリト)
 などと
 ネヘミヤの敵対者
 ↓↑
 その勢力拡大は
 エジプトの
 プトレマイオス朝支配下
 プトレマイオス2世時代の
 (前284年〜前246年)
 ユダヤ人の代表者であった
 ↓↑
 トビヤ(ネヘミヤ時代のトビヤの子孫)は
 アンモンの要塞の有力者で
 プトレマイオス家の
 パレスチナ支配の協力者で
 王の徴税官であり・・・・・徴税官
 アレクサンドリア
 の宮廷の名士だった
 エルサレム
 大祭司
 オニアス2世の娘を娶って
 政治的地位も拡大
 ↓↑
 トビヤの息子
 ヨセフ(ヨセフ・ベン・トビヤ)の時代
 政治工作で
 他のユダヤ人に
 プトレマイオス朝の宮廷では
 ヨセフが
 ユダヤの代表者とし
 て認めさせ、
 大祭司の権限を縮小し
 自らの政治的権限を拡大した
 ↓↑
 ヨセフの後継者
 ヒルカノスの時代に
  ↓↑
 パレスチナ
 「セレウコス朝
 の支配下に入り
 トビヤ家の威勢は弱まったが
 ユダヤの名門として地位を保持
 ↓↑
 アンティオコス4世エピファネス
 (紀元前215年?〜紀元前163年)
 セレウコス朝シリアの王
 (在位は紀元前175年〜紀元前163年)
 エジプトの
 プトレマイオス朝を圧倒し
 ユダヤ支配下に治めた
  ↓↑
 エピファネスの治世下の
  ↓↑
 「マカバイ戦争(紀元前167年・166年?)」
 で
 トビヤ家は
 ヘレニズム化し、
 伝統的律法を重視する
 ユダヤ人と宗教対立
  ↓↑
 経済的に裕福な資産家として
 ユダヤ貧困層と対立し
 ヒルカノス兄弟、
 他の名門貴族との
 エルサレム神殿
 大祭司職を巡る権力闘争が発生
 ユダヤ人内部での争いが
 セレウコス朝に対する反乱へと発展
 ↓↑
 ユダ・マカバイ(ユダス・マッカベイオス)
 らによって
 マカバイ家(ハスモン家)が
 ユダヤ人の中において主導権を握り
 「マカバイ戦争」で
 トビヤ家の権勢は喪失
  ↓↑

 セレウコス1世・・・セレウコス朝
          コインの裏は
          有翼の
          ニケ=ナイキ(Nike)=勝利の女神
          アテナの随神orアテナ女神の化身
 (紀元前358年〜紀元前281年)
 アレクサンドロス(3世)大王の武将
 セレウコス朝創始者セレウコス1世)
 (在位:紀元前312年〜紀元前281年)
 ニカトール(勝利王)と呼ばれた・・・
 紀元前301年
 フリュギア地方の
 イプソス(トルコ中西部の地域)の会戦
 ディアドコイ戦争アレクサンダー大王
 後継者戦争の決着
 イプソスの戦いの結果、
 セレウコス
 シリア北部と
 アナトリアの中部を獲得し
 首都
 「アンティオキア」
 を翌年
 紀元前300年5月22日
 シリアの
 オロンテス河畔に建設開始
  ↓↑
 アンティゴノス朝マケドニア
 セレウコス朝シリア
 プトレマイオス朝エジプト
 の
 ヘレニズム三王国の鼎立
  ↓↑
 セレウコス朝(シリア)
 セレウコス1世ニカトール(勝利王)
 アンティオコス1世ソテル(救済者)
 アンティオコス2世テオス(ミレトス神王)
 セレウコス2世カリニコス
 セレウコス3世ケラウノス
 アンティオコス3世・・・子供は
  ↓↑        セレウコス4世フィロパトル(兄)
  ↓↑        アンティオコス4世エピファネス(弟)
  ↓↑
 アンティオコス3世・・・セレウコス朝(シリア)
  ↓↑         第6代目
  ↓↑
 セレウコス朝
 セレウコス2世の息子
 兄弟であった
 セレウコス3世が暗殺され即位
 セレウコス朝の領土を拡大
 インドにまで遠征
 紀元前189年
 ローマとの戦争に敗北
  ↓↑
 プトレマイオス朝
 エジプトとの
 戦争
 ユダヤ人は
 アンティオコス3世を支援
  ↓↑
 彼はユダヤ人に対して
 都市の修復や一定期間の
 免税特権、
 独自の法律による
 自治などを承認・・・
  ↓↑
 アンティオコス13世アジアティコス
 (在位、紀元前69年〜紀元前64年)
 アンティオコス10世エウセベス
 と
 クレオパトラ・セレネ1世の子
 セレウコス朝最後の王
  ↓↑
ーーーーー
 紀元前1207年
 のエジプトのイスラエル石碑に
 「YSRYR=イスラエル」の神聖文字
  ↓↑
 ラモーゼの経歴
 アメンホテプ三世〜四世時代
 エジプト宰相
 父はネビィ
 母はアプヤ
 父はデルタ地帯のアメン神殿で穀物の管理者
 妻の名前は
 メリエトプタハ
 アメンホテプ四世(アクエンアテン)が
 アマルナに遷都
 ラモーゼも
 アマルナに転居・・・
ーーーーー
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