1762日目・・・ナゼなんだか、ドウシてなんだか、「オオメ(大目・多目)」、「スクナメ(少な目・小さ目)」・・・「宿名女」、「武内宿彌(弥)」、「すくなめ」・・・

 武内宿禰(たけしうちのすくね・景行天皇十四年〜没年不詳)・・・「二十七氏の祖」・・・占いの「宿曜経二十七宿の素」である・・・元来「宿星は二十八宿」だが「牛宿」は「神の宿」であり、弘法大師空海」が「密教僧の恵果(第七祖・姓は馬氏)」から伝授され、「景経」と共に招来(請来)した「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経(もんじゅしりぼさつきゅうしょせんしょ せつきっきょうじじつぜんあくすくようきょう)」である。その元は「不空金剛=不空三蔵」が唐にインドから請来、翻訳したモノで、人間の命運は「二十七宿」におさまる・・・
  ↓↑
 「密教僧の
  恵果(第七祖・姓は馬氏)」・・・「馬」氏?
  ↓↑ 聖書の「馬(瑪)」がつく人物の漢訳
  ↓↑     ↓ ↑ 
  ↓↑ 馬(瑪)拉基・馬太伝・馬可伝・羅馬書
  ↓↑ マ   ラキ・マタイ・マルコ・ローマ
 「恵果=慧果」
 「不空」に師事して
 「金剛頂」系の密教を、
 「善無畏」の弟子の
 「玄超」から
 「大日」系
 と
 「蘇悉地」系の密教を学ぶ
     「蘇悉地羯羅経・・・蘇る悉地の羯羅
     (ソシツジカラ経)」
     「蘇(よみがえる)」
     「悉(ことごとく)」=成就の儀則
     「羯(ケツ・カチ・コツ
        匈奴の一種族)
        羯=去勢された羊」
 「般若心経」の羯
        ↓
 「即説呪曰、 羯諦羯諦→ギャァテイ、ギャァテイ
           諦(あきらめる・あきらめろ)
   波羅羯諦、波羅僧羯諦、
   菩提薩婆訶。般若心経」
 金剛頂経大日経
 両系統の密教を統合した人物
 「空海」の直接的な師
 「両部曼荼羅」の
 中国的改変も行った
  ↓↑
 「恵果」の
 六大弟子
 剣南の惟上
 河北の義円→金剛一界を伝授
 新羅の恵日・・・「恵日」とはダレか?
  ↓↑      ↓
         同一人物ではないが?
         同名人物である・・・
         薬師の
        「恵日」
         百済から帰化した
         医人(医者・漢方医
         徳来の子孫
         難波薬師とも・・・
         推古十六(608)年
         小野妹子
         再度の訪隋に
         福因らと随行
         推古三十一年に帰国
         白雉五(654)年
         再度
         遣唐使の一行に加わって
         渡海
         医書として
        「病源候論(隋)」
  ↓↑    「千金方(唐)」 を請来・・・
  ↓↑     ↓
        「定恵=定慧=貞恵」
         ↓↑ 俗名は「真人」
                ↓
               「真人」は
            天武天皇=天渟中原瀛真人
                      真人
                 渟=沼
                 瀛=沖
              類字→贏=秦の始皇帝
              皇后は「鸕野讃良」
                  持統天皇
            天武天皇
            六男
            舎人親王は「崇道尽敬皇帝」  
            天武天皇十三年(684年)
           「真人」は
           「八色の姓」の
            最高位の姓(かばね)
            継体天皇の近親と
            それ以降の
            天皇・皇子の子孫に与えられた
  ↓↑     ↓↑
        「定恵=定慧=貞恵」
         皇極天皇二年
          (643年)
           〜
         天智天皇四年
         十二月二十三日
          (666年2月2日)→666・2・2
         長安
         懐徳坊にある
        「慧日道場(藤氏家伝・貞慧伝)」に住し
        (恵日道場)・・・恵日?
         玄奘の弟子の
         神泰法師に師事
         は
         藤原(中臣)鎌足の子?
  ↓↑     藤原不比等の兄?
  ↓↑     ↓
 訶陵の辨弘→胎蔵一界を伝授
 青竜の義明→唐朝において潅頂の師
 日本の空海→両部を伝授・真言宗の開祖
    ↓↑
ーーーーー
 「武内宿禰
   ↓
 「日本書紀」・・・「武内宿禰
 「古事記」・・・・「建内宿禰
  他に・・・・・・「建内足尼」
          「建暦
           日本元号
           承元の後、建保の前
           鎌倉幕府源実朝将軍
                北条義時執権
           朝廷・順徳天皇後鳥羽上皇
           1211年〜1212年まで」
           ↓↑
           建暦二年
           陰暦一月二十三日
          「一枚起請文」を書き残し、
           一月二十五日
           浄土宗の開祖
           法然(源空)死去
           建暦二年
           鴨長明
          「方丈記」成立
           建暦三年頃
          「金槐和歌集」成立
           建暦三年
           正月
           北条氏
           と
           三浦一族の対立
           和田義盛が叛乱
           ↓↑
           建の類字→「犍」
          「犍」=去勢された牡牛
              公牛・特指骟去睾丸的公牛
           犍=中国四川省の地名
  ↓↑       犍陀羅(ガンダーラ・Gandhāra)
  ↓↑
 「宿禰」=尊称・・・?・・・
      最初の役職
      「棟梁之臣(景行天皇の時)」
      「大臣(成務天皇=稚足彦の時)」
 「孝元天皇の三世孫」
 「日本最初の大臣」
 「神功皇后
 (仲哀天皇九年
  二月六日条、
  二月二十二日条)
  の
  新羅征伐に従軍」
 「神功皇后摂政前紀
  仲哀天皇九年三月一日条
  神功皇后斎宮
  仲哀天皇
 「祟った神の名」を知ろうとし、
  武内宿禰
  琴を・・・・・・ダビデは琴の名人で
          サウルに憑く
          悪霊を癒し、鎮めた
  弾くことを
  命じた」
 「儺河の水工灌漑で
  溝の掘削を塞いでいた
  大岩を除去した」・・・大岩
 「逢坂で忍熊皇子軍を撃破」
 「韓人を率いて韓人池を造った」
 「弟の
  甘美内宿禰に讒言され
  盟神探湯(クガタチ・誓湯)で潔白を得た」
 「祖父は
  第八代
  孝元天皇の妃の
  伊香色謎命が産んだ
  彦太忍信命」、
 「景行・成務・仲哀・応神・仁徳の
  五朝
  二百数十年仕えた
  蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖」
 「父は
  屋主忍男武雄心命
  or
  比古布都押之信命=彦太忍信命
 「母は
  木国の
  宇豆比古の妹
  影媛=山下影日売」
 「阿備柏原(あびのかしわばら)で
  出生
  成務天皇と同日の生まれ」
 「弟は
  甘美内宿禰=味師内宿禰
  あまみうち あじしうち・・・奄美ウチ?
                海人身内?
                阿字詞中?
 「子は
  平群木菟宿禰
    みみづく=木兎・鵩・鶹・鵂・角鴟
         鴟鵂、耳木菟、耳木兎
         梟(フクロウ)科のうち
         羽角(うかく=耳)が
         ある種の総称
         古名は「ツク・ズク」
 「仁徳天皇七十八年死去
      or
      五十五年死去
  年齢・・・?
  280歳・295歳・306歳・312歳・360歳など諸説」
  ・・・これらの「数字の意味」はナニ?
 「墓は
  室破賀(むろはか)・・・室が賀(国)を破る?
  帝王編年記の記録」
ーーーーー
  目(モク)=眼(ガン)
  ↓
 (め)視覚感覚器
 (め)目に似た形状
    魚の目うおのめ。台風の目。
 (め)動詞の連用形に付く
    憂き目
    酷い目
 (モク)生物の分類のひとつ
     界-門-綱-目-科
     -(族)-属-(節)-種
 (さかん)律令四等官制下における
      国司の第4官=佐官
      大目付・目付・目明し
      惣目付=大監察・徒目付
          弾正台
          明治二年(1869)
          太政官制下の警察機関
          探題・六波羅探題
      ・・・「公安警察」・・・
 め、眼
 目薬、目隠し、盲目
 (目で見ることで)物事を行う
 目測、目算、目分量
 大事なところ、またはそれを注視する
 注目、着目、眼目、瞠目、刮目
 条文などの分類。また分類すること
 科目、細目
 書き並べた一覧や記録
 種目、項目、品目、目録
 区切り
 網目
 (物を測るための)しるし
 目盛り、升目
 すじ
 木目
 順序を表す言葉
 一人目
 二枚目
 碁盤の目
 五目
 一目を置く
ーーーーー
旧約聖書
サムエル記
撒母耳 記

第30章
30:1
さて
ダビデ
その従者たちが
三日目に
チクラグ・・・・千倉具・知句等具
にきた時、
アマレク・・・・海人例句
びと

既(すで・キ)に
ネゲブ・・・・・音解部

チクラグ・・・・

襲(おそ・シュウ)っていた。
彼らは
チクラグ・・・・

撃(う・ゲキ)ち、
火(ひ・カ)を
放(はな)って
これを
焼(や・ショウ)き、
30:2
その中にいた
女たち
及(およ・キュウ)び
すべての者を捕虜にし、
小さい者をも
大きい者をも、
一人(ひとり・イチニン)も
殺さずに、
引いて、
その道に行った。
30:3
ダビデと従者たちは
その町にきて、
町が
火で
焼かれ、
その


息子(むすこ・ソクシ)
娘(むすめ・ジョウ・女)
らは
捕虜(ホリョ・人質)
となったのを見た。
30:4
ダビデ
及(およ・キュウ)び
彼と共にいた民は
声をあげて
泣き、
終(つい・シュウ)に・・・対に
             遂に
             竟に
             訖・畢
泣(な・キュウ)く
力(ちから・リョク・リキ)も
なくなった。
30:5
ダビデ
ふたりの妻
すなわち
エズレル・・・・・重事例留・絵図例留


アヒノアム・・・・阿日の編む
と、
カルメル・・・・・歌留目留
びと
ナバル・・・・・・名葉留
の妻であった
アビガイル・・・・阿鼻臥得留

捕虜
になった。
30:6
その時、
ダビデ
非常(ヒジョウ)に
悩(なや・ノウ)んだ。
それは
民が
みな
各々(おのおの・カクカク)
その
息子(むすこ・ソクシ)
娘のために
心(こころ・シン)を
痛(いた・ツウ)めたため、
ダビデ
石(いし・いわ・セキ)

撃(う・ゲキ)とうと
言ったからである。
しかし
ダビデ

その神、
主(あるじ・ぬし・シュ)によって
自分を
力づけた。
30:7
ダビデ

アヒメレク・・・・阿日眼例句
の子、
祭司
アビヤタル・・・・阿鼻也他留
に、
「エポデ・・・・・重捕出
 を
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 ところに持ってきなさい」
と言ったので、
アビヤタル・・・・
は、
エポデ・・・・

ダビデ
のところに持ってきた。
30:8
ダビデ
主(あるじ・ぬし・シュ)に
伺いを
たてて言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 この
 軍隊の
 後(あと)を
 追うべきですか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 それに追いつくことができましょうか」。
 主(あるじ・ぬし・シュ)は
 彼に言われた、
「追いなさい。
 貴方(あなた・彼方・キホウ)は
 必ず追いついて、
 確(たし・カク)かに
 救(すく・キュウ)い
 出すことが
 できるであろう」。
30:9
そこで
ダビデは、
一緒にいた
六百人の者と
共に出立して
ベソル・・・・経素留

へ行ったが、
あとに
残る者は
そこにとどまった。
30:10
すなわち
ダビデ
四百人と共に
追撃をつづけたが、
疲れて
ベソル川を
渡れない者
二百人は
とどまった。
30:11
彼らは
野で、
一人(ひとり・イチニン)の
エジプトびと
を見て、
それを
ダビデのもとに引いてきて、
麵麭(パン・メンポウ)を
食べさせ、
水を飲ませた。
30:12
また
彼らは
干し
無花果(ほしいちじく)

塊(かたまり)
一つと、
干(ほ)し
葡萄(ぶどう)
二房(ふさ)を
彼に与えた。
彼は
食べて
元気を
回復した。
彼は
三日三夜、
麵麭(パン・メンポウ)を
食べず、
水を
飲んでいなかったからである。
30:13
ダビデは彼に言った、
「貴方(あなた・彼方・キホウ)は
 誰(だれ・スイ)のものか。
 どこからきたのか」。
彼は言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 エジプト
 の
 若者(わかもの・ジャクシャ)で、
 アマレク
 びと
 の
 奴隷です。
 三日前に
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 病気になったので、
 主(あるじ・ぬし・シュ)人は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 捨てて
 行きました。
30:14
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)どもは、
 ケレテ・・・・
 びと
 の
 ネゲブ・・・・
 と、
 ユダに属する地と、
 カレブ・・・・
 の
 ネゲブ
 を襲い、
 また
 火で
 チクラグ・・・・
 を
 焼きはらいました」。
30:15
ダビデは彼に言った、
「貴方(あなた・彼方・キホウ)は
 その軍隊のところへ
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 導き下ってくれるか」。
彼は言った、
「貴方(あなた・彼方・キホウ)は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 殺さないこと、
 また
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 主(あるじ・ぬし・シュ)人の
 手(て・で・た・シュ)に
 渡さないことを、
 神を
 さして
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 誓ってください。
 そうすれば
 貴方(あなた・彼方・キホウ)を
 その
 軍隊のところへ
 導き下りましょう」。
30:16
彼は
ダビデ
を導き下ったが、
見よ、
彼らは
ペリシテ
びと
の地と
ユダ・・・・
の地から
奪い取った
さまざまの
多くの
分捕(ぶんど・ブンホ)り物の
ゆえに、
食い飲み、
かつ
踊りながら、
地の
おもてに
あまねく
散り
ひろがっていた。
30:17
ダビデ
夕ぐれから
翌日の夕方まで、
彼らを
撃ったので、
駱駝(らくだ)に
乗って逃げた
四百人の
若者(わかもの・ジャクシャ)たちの
ほかには、
一人(ひとり・イチニン)も
のがれた者はなかった。
30:18
こうして
ダビデ
アマレク
びと

奪い取ったものを
みな取りもどした。
また
ダビデはその
ふたりの
妻を
救い出した。
30:19
そして
彼らに属するものは、
小さいものも
大きいものも、
息子(むすこ・ソクシ)も
娘も
分捕(ぶんど・ブンホ)り物も、
アマレクびとが
奪い去った物は
何をも失わないで、
ダビデがみな取りもどした。
30:20
ダビデ
また
すべての
羊と
牛を
取った。
人々は
これらの家畜を
彼の前に追って行きながら、
「これは
ダビデ
分捕(ぶんど・ブンホ)り物だ」
と言った。
30:21
そして
ダビデが、
あの疲れて
ダビデ
ついて行くことができずに、
ベソル川の
ほとり

とどまっていた
二百人
の者のところへきた時、
彼らは
出てきて
ダビデを迎え、
また
ダビデ
共にいる民を迎えた。
ダビデ
民に
近づいて
その
安否

問うた。
30:22
そのとき
ダビデと共に行った人々のうちで、
悪く、
かつ
よこしまな者どもは
みな言った、
「彼らは
 我々(われわれ・ガガ)と
 共に行かなかったのだから、
 我々(われわれ・ガガ)は
 その人々に
 我々(われわれ・ガガ)の
 取りもどした
 分捕(ぶんど・ブンホ)り物を
 分け与えることはできない。
 ただ
 おのおのに
 その
 妻子を与えて、
 連れて行かせましょう」。
30:23
しかし
ダビデは言った、
「兄弟たちよ、
 主(あるじ・ぬし・シュ)は
 我々(われわれ・ガガ)を守って、
 攻めてきた
 軍隊を
 我々(われわれ・ガガ)の
 手(て・で・た・シュ)に渡された。
 その主(あるじ・ぬし・シュ)が
 賜わったものを、
 貴方(あなた・彼方・キホウ)がたは
 そのようにしてはならない。
30:24
 誰(だれ・スイ)が
 この事について、
 貴方(あなた・彼方・キホウ)がたに
 聞き従いますか。
 戦いに下って行った者の
 分け前と、
 荷物の
 かたわらに
 とどまっていた者の
 分け前を
 同様に
 しなければならない。
 彼らは
 ひとしく
 分け前を
 受けるべきである」。
30:25
この日以来、
ダビデ
これを
イスラエル
定(さだめ)とし、
掟(おきて・ジョウ)として
今(いま・コン)日に
及んでいる。
30:26
ダビデ
チクラグ
にきて、
その
分捕(ぶんど・ブンホ)り物の
一部を
ユダの
長老である
友人たちにおくって言った、
「これは
 主(あるじ・ぬし・シュ)の
 敵から
 取った
 分捕(ぶんど・ブンホ)り物のうちから
 貴方(あなた・彼方・キホウ)がたに
 おくる
 贈り物である」。
30:27
その
おくり先は、
ベテル
にいる人々、
ネゲブ

ラモテ
にいる人々、
ヤッテル
にいる人々、
30:28
アロエ
にいる人々、
シフモテ
にいる人々、
エシテモア
にいる人々、
ラカル
にいる人々、
30:29
エラメル
びとの町々にいる人々、
ケニ
びとの
町々にいる人々、
30:30
ホルマ
にいる人々、
ボラシャン
にいる人々、
アタク
にいる人々、
30:31
ヘブロン
にいる人々、
及(およ・キュウ)び
ダビデ

その従者たちが、
さまよい歩いた
すべての所にいる
人々であった。
 ↓
第31章
31:1
さて
ペリシテ
びとは
イスラエル
と戦った。
イスラエルの人々は
ペリシテびとの前から逃げ、
多くの者は
傷ついて
ギルボア山

たおれた。
31:2
ペリシテびとは
サウルと
その子らに
攻め寄り、
そして
ペリシテびとは
サウルの子
ヨナタン
アビナダブ、
及(およ・キュウ)び
マルキシュア
を殺した。
31:3
戦いは
激しく
サウルに迫り、
弓を射る者どもが
サウルを見つけて、
彼を射たので、
サウルは射る者たちに
ひどい傷を負わされた。
31:4
そこで
サウルは
その
武(ブ・たける
器(キ・うつわ)を
執る者に言った、
「剣(つるぎ・ケン)を
 抜き、
 それをもって
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 刺せ。
 さもないと、
 これらの
 無割礼
 の
 者どもがきて、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 刺し、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 なぶり殺しにするであろう」。
しかし
その
武器(ブキ)を
執る者は、
非常(ヒジョウ)に
恐れて、
それに
応じなかったので、
サウルは、
剣(つるぎ・ケン)を
執って、
その上に
伏した。
31:5
武器(ブキ)を執る者は
サウルが死んだのを見て、
自分もまた
剣(つるぎ・ケン)の
上に
伏して、
彼と共に死んだ。
31:6
こうして
サウルと
その
三人の子たち、
及(およ・キュウ)び
サウルの
武器(ブキ)を執る者、
ならびに
その従者たちは
皆、
この日
共に死んだ。
31:7
イスラエルの人々で、
谷の向こう側、
及(およ・キュウ)び
ヨルダンの向こう側にいる者が、
イスラエル
人々の逃げるのを見、
また
サウル

その子たちの死んだのを見て
町々を
捨てて逃げたので、
ペリシテびとは
きて
その中に住んだ。
31:8
あくる日、
ペリシテ
びとは
殺された者から、
はぎ取るためにきたが、
サウル

その
三人の子たちが
ギルボア山に
たおれているのを見つけた。
31:9
彼らは
サウル

首を切り、
その
よろいを
はぎ取り、
ペリシテびとの
全地に人をつかわして、
この良い知らせを、
その
偶像


とに伝えさせた。
31:10
また
彼らは、
その
鎧(よろい)を
アシタロテ

神殿に
置き、
彼の
身体(からだ)を
ベテシャン

城壁に
釘(くぎ)づけにした。
31:11
ヤベシ・ギレアデ

住民たちは、
ペリシテびとが
サウルにした事を聞いて、
31:12
勇士たちは
みな立ち、
夜も
すがら行って、
サウル

身体(からだ)と、
その子たちの
身体(からだ)を
ベテシャン

城壁から
取りおろし、
ヤベシ
にきて、
これを
そこで
焼き、
31:13
その


取って、
ヤベシ

ぎょりゅう?・・・檉柳・御柳
         タマリクス=Tamarix
         キネンシス=chinensis
         塩生植物
         寛保年間( 1741〜1744)
         に渡来
         魚竜=古代爬虫類

木の下に
葬り、
七日の間、
断食した。
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