ローマ=ロウマ=Rome=羅馬・浪漫・鸕馬・・・
2918日目・文字霊日記
ツバメ=つばめ=鳦・燕・鷰・乙鳥・玄鳥
ツバクラメ=ツバクロ=Barn swallow
津波目・津波玄目
「~メ」=小鳥の名前の語尾
「~め」=小さ目・篠目・笹目
細(ささめ)・・・鈿=かんざし=簪
愛(め)
「彼奴目=きゃつめ」
相手を卑しめていう
~+「ま・み・む・め・も」
つまみ・つまむ・つまめ・つまも
抓む・摘む
啄(ついば)む・嗆・噣・乨・嘴
乨=台+乚(乙)=始=女+台
はじまる・はじめる・ㇱ
通仮字「台・佁=イ+台(臺)
異体字「嬯・乨・𠃭・兘・𠙉」
「ツバ」=鍔・鐔・対馬・啡・唾
「クラ」=蔵・倉・暗・黒・黔・黯・黭・玄
くろ=句+呂
黔=黑+今
くろい・ くろむ・ケン
浅黒い
黔首・黔突
黔(くろ)い
黔驢の技(ケンロのわざ)
黯=黑+音
くろい・くらい・いたましい
アン
黯然
いたましい・心がふさぐ
黭=黑+合+廾
あおぐろい
ヱン・アン・オン
黭黮是=是指云 黑貌
昏黑貌・昏黑・黑暗
昏暗・夜色昏黑・昏黑的小屋
↓↑
卑弥呼(火女・日女・比売)
の使者、帯方郡へ
↓↑
238年6月15日12時・・・?
戊午(丙丁)食神・比肩・帝旺
戊午(丙丁)食神・比肩・帝旺
丙午(丙丁) ・比肩・帝旺
甲午(丙丁)偏印・比肩・帝旺
寅卯空亡
???・・・?
↓↑
午=馬・・・宇・合・・・厩
虎・兎・・・空・亡
↓ ↑
「虎と兎(兔・菟・莵・宇佐義・鵜鷺
うさぎ=鸕詐欺)」
宇佐神宮=大分
豊国=豊前・豊後(ぶんご)
虎=天武天皇=大海人皇子
=翼の付いた虎
鸕=持統天皇=鸕野讃良
=大倭-根子-天之廣野-日女-尊
=高-天原-廣野-姫-天皇
↓↑
継体持統=継=糸+乚+米
体=イ+木(十八)=體
持=扌+寺(十一寸)
統=糸+充(云儿・亠ム儿・二ム儿)
↓↑
午=うま=馬・宇摩・旨・甘・巧・匠
↓↑
馬=司馬=シマ=志摩・縞・揣摩・死魔
馬太(マタイ)=マチュウ
馬可(マルコ)=Marcus
マーカス・マークス・マルクス
↓↑
馬太福音(太)傳・傅・伝
馬可福音(可)傳・傅・伝
路加福音(路)傳・傅・伝
約翰福音(約)傳・傅・伝
教会歴史:
↓↑
使徒行伝(徒)
書信
↓↑
羅馬 書(羅)
哥林多前書(林前)
哥林多後書(林後)
加拉太 書(加)
以弗所 書(弗)
腓立比 書(腓)
歌羅西 書(西)
↓↑
帖撒羅尼迦前書(帖前)
帖撒羅尼迦後書(帖後)
提摩太 前書(提前)
提摩太 後書(提後)
提多 書(多)
腓利門 書(門)
希伯来 書(来)
雅各 書(雅)・・・鴉・烏
彼得前 書(彼前)
彼得後 書(彼後)
約翰一 書(約壱)
約翰二 書(約弐)
約翰三 書(約参)
猶大 書(猶)・・・尊=みこと=命
見事
約翰的啓示:
↓↑
啓示録(啓)
↓↑
耶 蘇基督(イエス・キリスト)=移鼠
馬利亜(マリア)=未艶
約瑟(ヨセフ)
保羅(パウロ)
↓↑
厩戸(うまやど)
厩
異体字
廐=廏
厩=厂+既
厂+旣
厂+既(日+ム+旡)・・・牙・无(厶)
旡=キ
むせる・むせぶ
噎せる=むせる=咽せる
噎=口+壹 咽=口+因
食べ物が咽喉につまる
↓↑
噎ぶ=むせぶ=咽ぶ・哽
息がつまる
厂+皀+旡
厂+白+匕+旡
↓↑
對=业+丷 一++土+寸
丵+寸
「丵」は「業・撲」等に見られる
土を突き固める道具
「寸」は手の運動
「丵」を用いて土を突き固めること
通仮字「敓」
簡体字「对」
異体字「𡭊・対」
声符「對・𠏮・䨴・懟・轛」
関連類字「丵業菐撲対(對)樸璞」
↓↑
對揚休命
キウメイヲタイヤウス
對は答なり、君命に答へ
其の意を衆に宣揚する
↓↑
・・・「丵=入墨の針」で
「一を細かく刻む」
丵を掘鑿に使う道具
菐はそれを持って打つ
↓↑
紹=糸+召
幺+小+刀+口
ショウ
つぐ・受けつぐ・引き継ぐ・継承する
引き合わせる・紹介
間をとりもつ
↓↑
善=羊+䒑+口
羊+丷+一+口
譱=羊+誩
羊+言+言・・・咩(ひ・ビ)・比咩(売)
神社の祭神
主祭神と並んで
比売神(比売大神)
比咩神
姫大神
などと記録
ヒメ=比売・比咩・日女・孫女・火売
孫(まご・ソン)
の
女(むすめ・ニョ・ジョ)
↓↑
元明天皇
日本-根子-天津御代
豊國-成姫-天皇
諱 阿閇・・・阿部・阿毎を閇
閇=しめる・とじる・閉じる
とじ籠もる・ヘイ
閉鎖
和同開珎鋳造・平城遷都
「古事記」「風土記」編纂
父親 天智天皇
母親 蘇我姪娘=蘇我
倉山田
石川麻呂の娘(女)
↓↑
蘇我倉山田石川麻呂
別名
蘇我倉山田麻呂
倉山田臣=山田臣=山田大臣
↓↑
蘇我蝦夷=石川麻呂の伯父
蘇我入鹿=石川麻呂の従兄弟
↓↑
蘇我姪娘の
妹=遠智娘(おちのいらつめ)
またの名
造媛・美濃津子娘・越智娘
「建(享年八)」皇子の母親
建=唖不能語=言語不能?
皇極、斉明天皇の孫
↓↑
皇配 草壁皇子・・・日下部・句差化部
日並皇子=岡宮御宇天皇
日下
草苅
草刈
久佐賀
久坂
玖沙訶
草加
孔舎衙(衛)=日根市村
(ひねいちむら)
↓↑
1663年(寛文三年)
河内郡日下村より
善根寺村を分村
1882年(明治十五年)
河内郡日下村より
布市村を分村
1889年(明治二十二年)4月1日
町村制施行
河内郡
善根寺村・日下村・布市村
河内屋南新田が合併し
日根市村が発足
大字日下に村役場を設置
1896年(明治二十九年)4月1日
所属郡が中河内郡に変更
1910年(明治四十三年)
大字河内屋
南新田を
河内屋南に改称
1912年(大正元年)10月1日
「孔舎衙」村に改称
1955年(昭和三十年)1月11日
中河内郡
石切町・枚岡町・縄手町
と合併し
枚岡市が発足
「孔舎衙」村廃止
枚岡市発足時に
大字
河内屋南を
元町に改称
「草香邑」の比定地・・・
↓↑
子女 元正天皇(氷髙)
・・・孫女(天智・天武)
文武天皇・・・孫男
吉備内親王・・孫女(天智・天武)
↓↑
牛馬=丑午(チュウゴ)
↓↑
馬太(マタイ)=Matthew
マチュゥ・マシュー
・・・収税人
マタイオス
(Μαθθαιος・Matthaios)
マテオ・マトフェイ
馬可(マルコ)=Marcus
マーカス・マークス・マルクス
馬利亜(マリア)=Maria=未艶
マリア
「マ・ミ・ム・メ・モ」+「リア」
うま・め・バ・・・・
うば=乳母・姥
めのと=乳人・女の都
馬屋=厩(うまや)・・・厩戸王子
うま・め・バ・・・・
うば=乳母・姥・
めのと=乳人・女の都
ーーーーー
斉明天皇四年(658年)五月条
斉明天皇皇孫
建王は八才で薨去
今城谷の上に殯を起こし納めた
斉明天皇の歌
↓↑
今城なる・・・今来の渡来人?
小丘が上に
雲だにも・・・句摸拿似・・・入道雲?
著くし立たば・・・イチジルシク・ㇱ立たば
壹(位置・伊地・移置)
字留詞句・史質把?
何か歎かむ
(いまきなる をむれがうへに
くもだにも しるくしたたば
なにかなげかむ)
↓↑
射ゆ鹿猪を
認ぐ川上の
若草の
若くありきと
吾が思はなくに
(いゆししを
つなぐかはへの
わかくさの・・・和歌句差之
わかくありきと・和歌句有記譯?
あが おもはなくに)
↓↑
飛鳥川 漲らひつつ
行く水の 間も無くも
思ほゆるかも
(あすかがは みなぎらひつつ
ゆくみづの あひだもなくも
おもほゆるかも)
↓↑
同年十月条
斉明天皇は
紀温湯(和歌山県白浜町の湯崎温泉)
において建
王を追憶 歌三首を詠んだ
↓↑
山越えて
海渡るとも
おもしろき・・・興味ある記紀?
今城の内は・・・今来の内輪(身内)?
忘らゆ
ましじ
(やまこえて うみわたるとも
おもしろき いまきのうちは
わすらゆましじ)
↓↑
水門の
潮のくだり
海くだり
後も暗に
置きてか
行かむ
(みなとの うしほのくだり
うなくだり うしろもくれに
おきてかゆかむ)
↓↑
愛しき
吾が
若き子を・・・和歌記詞を?
置きてか
行かむ
(うつくしき あがわかきこを
おきてか ゆかむ)
ーーーーー
薊(あざみ・ケイ)=北京・燕京
↓↑
楚人謂 治魚也(說文)
割 也(博雅)
吉詣切、音計・解也(集韻)
・・・カイ=魏・歌意・回・甲斐・✕
魏(カイ・ギ)
魏(カイ・ギ)=戦国七雄の一
晋の六卿の一
韓氏・趙氏とともに
晋を滅ぼし、その領土を3分
前403年
文侯のとき
周の諸侯に列せられ
山西省南部から河南省北部を領有
都は安邑=大梁(開封)
前225年
秦に滅ぼされた
三国の一
曹操が華北を統一
220年
子の
曹丕
が建国
都は洛陽
蜀・呉 (ご) と天下を3分
265年
元帝は
晋の
武帝に禅譲
曹魏
南北朝時代
北朝最初の王朝
386年
鮮卑族の
拓跋珪 (タクバツケイ) =道武帝
建国
第三代
太武帝の時
華北統一
都は初め
平城(山西省大同)
493年
洛陽に遷都
534年
東西に分裂
東魏は550年に滅亡
西魏は556年に滅亡
北魏
後魏
拓跋魏
↓↑
紀元前 318年
干支 癸卯年
皇紀 343年
孝安天皇 75年
↓↑
中国
周 慎靚王 3年
秦 恵文王 7年
楚 懐 王 11年
斉 宣 王 2年
燕 燕 王 噲 3年
趙 武霊王 8年
魏 襄 王 元年
韓 宣恵王 15年
↓↑
仏滅紀元 227年
↓↑
マケドニア帝国
アンティゴノスが
カッサンドロス
プトレマイオス
と連合
アンティゴノスは
エウメネスにも連合を持ちかけたが
エウメネスは王家への忠誠を守った
エウメネスは決起し
東方の
サトラップ(太守)たちと同盟
エウメネスは
アンティゴノス側から
バビロンを奪取
アンティゴノスは
エウメネスに進軍し
エウメネスは東方へ退き
チグリス川東岸の
サトラップたちと合流
プトレマイオス
アンティゴノス
と結んだ
カッサンドロスは
帝国摂政
ポリュペルコンに宣戦布告
ギリシアのほとんどの都市国家は
アテナイを含め
カッサンドロス側についた
↓↑
ポリュペルコンは
ギリシア諸都市に
自由を保障することで
当初は影響力を保ったものの
ポリュペルコン方の艦隊は
アンティゴノスによって撃破
ギリシア
アンティパトロスの没後
アテナイで権力闘争
↓↑
民主政治の復活を望み
アテナイ市民たちは
フォキオン (Phocion)
を
支配者の座から追放し
反逆罪で処刑
その後
アテナイ市民たちは
フォキオンを讃えて・・・?
公式の葬儀を行ない、像を建てた・・・?
ーーーーー
秦の東方拡大
↓↑
紀元前319年
魏の
「公孫衍」は
「韓」の支持の下
「張儀」
に取って代わり
魏の国相となった
魏の
「恵王」は
「張儀」を追放し
「張儀」は
秦へ亡命
↓↑
秦の
「恵文王」
姓諱 嬴駟(エイシ)
駟=四頭立ての馬車・その四頭の馬
父 孝公(秦)
↓↑
「恵文王」は
宰相の
「商鞅」
を処刑
縦横家の
「張儀」
を用いて
蜀、巴(四川)を征服
秦として初めて「王号」を唱えた
↓↑
張儀
登用
秦
商鞅
の改革で
国力増強
↓↑
元、魏の臣で亡命してきた
張儀
を登用
魏・斉・楚
などを討ち
(岸門の役、龍賈の役)
↓↑
紀元前324年
王号を唱えた
↓↑
秦を畏れ
紀元前318年
韓・趙・魏・燕・楚
五ヶ国連合軍で
秦を攻撃したが
恵文王は弟の
「樗里疾」に命じて連衡軍を破り
敵兵8万の首を切った
(函谷関の戦い)
↓↑
巴蜀 併合
「司馬錯」が
蜀を獲って後背地を得るべきと主張し
恵文王は
彼の意見を採用
穀倉地帯でもあった「蜀」を取った
↓↑
紀元前312年
楚が
「張儀」
の策謀で
秦を攻めたが
秦は
丹陽(江蘇省丹陽)で返り討ちにし
逆に
「楚の漢中地方」に攻め入り
「漢中郡」を設置
楚が再び侵攻して来た際
咸陽に近い
藍田(陝西省藍田)の地で撃破
(藍田の戦い)
↓↑
「恵文王」
は
翌年
紀元前311年
死去
↓↑ ↓↑
紀元前318年
魏の宰相となった
「公孫衍」は
魏・趙・韓・燕・楚
の合従軍を率いて
秦に侵攻
↓↑
合従軍の総大将は
楚の
「懐王」が努めた
↓↑
「公孫衍」は
義渠へ遊説し
義渠を合従軍に組み入れた
↓↑
秦は
綾絹1000匹
婦女100人を
義渠へ送り
懐柔しようとしたが
「義渠国君」は
策略と見抜き
秦に出兵し
秦軍を
李帛で打ち破った
しかし
合従軍の
五国はそれぞれの利害のため
足並みが揃わず
実際に出兵したのは
魏・趙・韓の三国のみ
合従軍は
「函谷関」を攻撃したが
秦軍によって撃破された
↓↑
紀元前317年
秦の
庶長の
「樗里疾」
率いる秦軍が
「函谷関」から打って出て
韓趙魏の軍に反撃
趙・韓軍を
「修魚」・・・修+魚
で大敗させ
韓将の
「申差」
を捕虜とした
合従軍の8万2千人が
斬首された
ー↓↑ーーーー
紀元前318年
「函谷関」
「楚・趙・魏・韓・燕」+「義渠」
が連合して
秦
に侵攻
「函谷関」を攻撃
秦軍が迎え撃ち
五カ国連合軍は敗走
↓↑
宋の第34代で
最後の国君
「康王(コウオウ)」
?~紀元前286年
在位
紀元前329年~紀元前286年
姓 子
諱 偃
諡 康
戴公の後裔
ー↓↑ーーーー
紀元前328年
「康王(コウオウ)」は
兄の宋公
「剔成君(テキセイクン)」・・・適性訓?
を軍事クーデターで追放
君位を簒奪
宋君となる
↓↑
偃が即位した宋国は
楚や斉、魏の3国に挟まれ
強大国の情勢に国政が左右
第二十代
襄公以後
弱小国
↓↑
紀元前320年
宋君としては
最初で最後の王号を名乗った
「宋王偃」は
斉の属国の
「滕(姫姓)」を滅ぼし
自国の国勢に見合わぬ
軍事行動を展開
内政でも恐怖政治を敷き暴政
「宋の桀」と呼ばれた
「宋王は殷の暴君
紂王の子孫で、その再来だ
協力して誅滅すべきだ」
と国を攻められ
宋の民は国のために戦うことはなかった
↓↑
紀元前286年
斉・魏・楚の連合軍に敗れ
「宋王偃」は殺され、宋は滅亡
殷の流れを汲む王朝は完全に絶滅
紀元前256年
周王朝滅亡
↓↑ ↓↑
「義渠(ギキョ)」
↓↑
春秋戦国時代
オルドス地方の
遊牧国家
岐山・梁山・涇水・漆水
の北に居住
涇北に義渠の戎があった
↓↑
紀元前471年(厲共公六年)
義渠が贈り物をたずさえ
秦に来朝
↓↑
紀元前444年(厲共公三十三年)
秦が義渠を攻撃
王を捕らえた
↓↑
紀元前430年(躁公十三年)
義渠が秦に侵攻
渭水の南に達した
↓↑
紀元前331年(恵文君七年)
義渠で内乱
秦の
庶長操が出兵し平定
↓↑
紀元前327年(恵文君十一年)
秦が
義渠を県とした
義渠君は秦の臣となった
↓↑
後
義渠君は魏に朝事
魏の
公孫衍(犀首)
は
「秦は事のないときに
貴国を思うまま焼き払い
事があると重い贈り物をたずさえて
平身低頭してきます」
と義渠君に吹き込んだ
↓↑
紀元前318年(恵文王七年)
楚・魏・斉・韓・趙
5カ国連合軍が
秦を攻撃
陳軫は
義渠に
賄賂を送って手なづけるよう
秦の恵文王に勧め
恵文王がその言に従って
綾絹1000純
婦女100人
を義渠君に贈った
義渠君は
公孫衍
の言っていたことはこ
のことだったかと思い
兵を出動させて
秦を襲ったが
秦の
李伯に敗れた
(函谷関の戦い)
↓↑
紀元前315年(恵文王十年)
秦が
義渠を攻撃し
25城を奪った
↓↑
紀元前310年(武王元年)
秦が
義渠を攻撃
↓↑
秦の
昭襄王
義渠の
戎王は
秦の
宣太后と乱倫し
ふたりの子をもうけた
宣太后は
義渠
戎王を
甘泉に誘い出して殺害
後
秦軍が出動して
義渠を攻め滅ぼした
秦は
義渠の故地に
北地郡を置き
長城を築いて
北方民族の侵入を阻んだ
↓↑
紀元前318年
アリストテレスの弟子
ギリシアの逍遙学派(ペリパトス派)
の哲学者で
音楽やリズムについて
記述を残した
アリストクセノス (Aristoxenus) が
『ハルモニア原論』・・・ハル(ぉ)モニア?
と題された論文を書いた・・・
↓↑
シアン化カリウム(青酸カリ)
産業的には
シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)
↓↑
春秋戦国時代
燕の首都=薊(ケイ)・・・景・軽・鶏?
↓↑
燕国は
紀元前222年
秦に滅ぼされ
上谷郡・漁陽郡・右北平郡
遼西郡・遼東郡
設置
↓↑
秦末
各地の諸侯が独立
趙王武臣の将軍
「韓広」・・・「韓+広」
が独立し
「燕王」・・・「燕+王」
となる
↓↑
秦を滅ぼした
楚の
「項籍」によって
「韓広」は
「遼東王」に遷され
「項籍」に協力した
燕の将軍
「臧荼」が・・・・・「臧+荼」
燕王となった
↓↑
高祖 劉邦 前漢建国
「臧荼=燕王」は
紀元前202年
反乱を起こし殺され
高祖の幼馴染
「盧綰」が・・・・・「盧+綰」
燕王に封ぜられた
↓↑
高祖(劉邦)は
異姓の諸侯王を粛清
自らの親族たちを
諸侯王に立て
「郡国制」を施行
「盧綰」・・・・・「盧+綰」
は廃され
高祖の八男・・・・・「八+男」
「劉建」が・・・・・「劉+建」
燕王となった
以降
劉氏一族が燕王
↓↑
元狩六年(前117年)
八代目
燕王
「劉旦」・・・・・・「劉+旦」
後継問題で父の
武帝と揉め
所領の
良郷・安次・文安
の三県を没収された
↓↑
元鳳元年(前80年)
燕王
「劉旦」
謀反を起こすも失敗し、自害
燕国は一時
「広陽郡」となる
↓↑
「宣帝」の
本始元年(紀元前73年)
「劉旦」の太子
「劉建」が・・・・・・「劉+建」
燕王から改称して新たに
「広陽王」に封ぜられ
広陽郡は
「広陽国」となって
「薊・方城・広陽・陰郷」
の四県を領した
↓↑
「王莽」
紀元元年
「新國」建國
広陽国は
「広有郡」と改名
「薊県」は
伐戎県、
「方城県・広陽県・陰郷県」は
「陰順県」と改名
↓↑
光武帝
「後漢」建国
広有郡は上谷郡に合併
↓↑
「和帝」
永元八年(96年)
広陽郡として復活
「薊・広陽・昌平・軍都・安次」
の5県を領した
幽州刺史治(州都)は
「薊(ケイ)」
に設置
↓↑
西晋
広陽郡はふたたび
「燕国」となり
「薊・安次・昌平・軍都・広陽
潞・安楽・泉州・雍奴・狐奴」
の10県を領した
↓↑
「八王の乱」後
「燕国」は
「燕郡」となり
「燕郡・右北平郡・遼西郡」には
「鮮卑」族の
「段部」が割拠
↓↑ ↓↑
338年
干支 戊戌
仁徳天皇 二十六年
皇紀 998年
東晋 咸康四年
後趙 建武四年
成漢 玉恒四年・漢興元年
前涼 建興二十六年(西晋元号使用)
前燕 太祖
文明帝(慕容皝)五年
代 建国元年
↓↑
朝鮮
高句麗 故国原王八年
百済 比流 王三十五年
新羅 訖解 王二十九年
↓↑
儁=亻+雋=㒞=㑺
亻+凹+隹
シュン
すぐれる・すぐれた人=俊
↓↑
「後趙」
「石虎」
によって滅ぼされた
燕郡は後趙の領土となり、後
後趙の後継争いに乗じて
「前燕」の
「慕容儁」が
「後趙」に侵攻し
「薊」を奪って
「前燕」の都とした
↓↑
「北魏」
「燕郡」は
「薊・広陽・良郷・軍都・安城」
の五県を領した
↓↑
「隋」の時代
「涿郡」に合併
以降、燕国の名は消えた
↓↑
UFO
「Unidentified Flying Object」の頭文字
↓↑
ドップラー効果(Doppler effect)
ドップラーシフト(Doppler shift)
波(音波・電磁波)の
発生源(音源・光源)と
観測者との
相対的な速度の存在によって
音と動く物体の波の周波数が
異なって観測される現象
↓↑
光
遠ざかる光源からの光は
赤っぽく見え(赤方偏移)
近付く光源からの光は
青っぽく見える(青方偏移)
光の伝播は
特殊相対性理論に従うため
通常の
波のドップラー効果とは
違う現象となる
↓↑
ドップラー効果の原因
波源や
観測者が
波の媒質に対して
速度を持つために
波の山の間隔が変わる所にあるが
光は
波源や
観測者の速度によらず
常に光速で伝播するように観測される
光の場合
波源が運動していると
特殊相対論的な効果によって
波源上での時間の進み方が
遅れて観測される
波源から出る光の振動数が
小さく観測される効果が付け加わる
↓↑
光源が
観測者の視線方向に対して
垂直に運動しており
視線方向の速度を持っていない場合でも
光の振動数が変化して見えることである
これを横ドップラー効果という
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虹=虫+工
中+ム+工
虹霓(コウゲイ)
虹桟(コウザン)
虹・蜺・蝃・蝀
Rainbow(レインボー)=雨の弓
arc-en-ciel(アルカンシエル)
=空に掛かるアーチ
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日本方言
鍋づる(佐渡島、愛知県)
地獄のお釜のつる(富山県射水市)
太鼓橋(大分県)
立ちもん(長崎県南高来郡)
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淡=氵+炎
あわい
色や味などが薄い
淡彩・淡味・淡泊・濃淡
類 澹(タン)
対 濃
↓↑
気持ちがさっぱり
こだわらない
淡交・冷淡
塩分を含まない
淡水
対 鹹(カン)
「淡路(あわじ)の国」の略
「淡州」
↓↑
タン
あわい
うすい
色や味などがうすい
淡彩・淡味
↓↑
淡彩・淡粧・濃淡
淡湖・淡水
気持ちが あっさり
情が厚くない
淡交・淡淡・淡泊・枯淡・恬淡
↓↑
「淡」=硫黄と水銀との化合した赤土
日光を受けて水面から
さかんにもえあがる
かげろうの水面
地面から炎のような揺らめきが
立ちのぼる現象
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「あう・あわし・あわじ」
↓↑
虚静恬淡(キョセイテンタン)
虚勢・去勢・巨星・巨勢・転譚?
私心や私欲が全くなく
心が落ち着いていていること
「虚静恬澹・虚静恬憺」とも書く
出典『荘子・天道』
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虚無恬淡(キョムテンタン)
心に不信や不満
欲望などなく
穏やかで落ち着いていること
出典『荘子・刻意』
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攻苦食淡(コウクショクタン)
粗食を受け入れて
辛い状況を我慢
苦学すること
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交淡如水(コウタンジョスイ)
水のように
さっぱりとした人との付き合い
徳のある人物の人付き合いは
淡白に見えるが
心のこもったものである
「交わりは淡きこと水の如し」
出典『荘子・山水』
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清淡寡慾(セイタンカヨク)
物事に執着せず
清らかで無欲な様子
「清淡寡欲」
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清淡虚無(セイタンキョム)
静かで落ち着いて
わだかまりがなく欲の少ない心
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大味必淡(タイミヒッタン)
すぐれた味は
薄味であっさりしている
「大味必ず淡し」
出典『漢書(揚雄伝・下)』
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淡粧濃抹(タンショウノウマツ)
美しい女性の容姿のこと
女性の化粧
北宋の蘇軾が
中国四大美女
西施
西湖
の美しさを比べて評した詩
出典 蘇軾「飲湖上初晴後雨」
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金蝿=青蠅
ハエ目クロバエ科の昆虫の
体が緑・青・赤などの
金属光沢をもつハエの総称
衛生害虫
双翅目クロバエ科
体が緑色、青色の
金属光沢をもつ種の総称
オビキンバエ
ルリキンバエ
スネアカ キンバエ
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ハエ(蠅・蝿)=fly・housefly
ハエ目(双翅目)に属する昆虫
ハエ亜目(短角亜目)
環縫短角群
ハエ下目(Muscomorpha)に属する総称
日本だけで
60ほどの科
属する
3,000種近い種が存在
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