989日目・・・あべ・インフレーション・・・「アベ」ちゃんが日銀の輪転機をドンドン回して「紙幣」を沢山発行して市場にバラまけ、と云っていた。

日本は「デフレ不況」であるらしい・・・今現在は「アベ」ちゃん本人は困っていないらしい・・・「デフレ」って市場の「商品=売り物」が有り余り、売れなくて「品物の価格」が下落するコトであるらしい・・・だが「商品」は売れている・・・「市場での販売価格が安くて高性能な電気、電子」製品が・・・性能が「同じモノ」ならヤスイ方がイイに決まっているだろう・・・
 「貧乏人」にとっても「一般人」にとっても「物価の価格が下がる」ってイイコトじゃないのか?・・・激安スーパー・・・価格破壊の弁当、牛丼・・・液晶デジタルTVなども・・・
 イイコトでない理由は売買市場で「商品」となる生産現場の「生産品」が造っても「在庫」が余ってダブついてしまうと云うことである。経営者は赤字覚悟で現金問屋にバッタ商品として売るだろう。買った現金問屋は「定価」よりも格安で市場で売るだろう。それでも買わない・・・?
 市場で売れないモノを「工場」で造っても無意味である・・・工場経営者は工場を閉鎖するか、縮小するであろう・・・結果は「失業者」が増える・・・この「失業者」は収入が無いから「モノ」は買わなくなるであろう・・・「貯金」も細々と「食料品」、「家賃」、「公共料金」に費やすに違いない・・・すなわち「最低限の衣食住」の生活である・・・
 これが「デフレ」である・・・物を造り過ぎて「売買市場で売れないコト」である。そして「買いたい人」がいない、ということだ・・・だが買いたい人は世界規模で存在する・・・性能が良くて安いモノならネッ・・・
 それで「日本企業」は国外へ「低賃金」を求めて「生産の場所」を移した。生産品の「原価コスト」は「不動産設備+研究開発費+原材料+稼働エネルギー+製品の運搬輸送」+「人件費=労働賃金」で、将来的な「儲け=利益」は「生産コスト」に上乗せしたモノであるから原則的に「原価コスト」を構成する「数字」が動くのは「人件費の高低」で、この「数字」が「利益」に合体される。労賃が安ければ「利益幅」が広がるのは当然である。
 生産品の「生産販売コスト」は市場での「商品販売」となるが、「商品売買市場の商品価格」は「生産販売コスト」を保証するモノではない。造ったモノが必要目的として購買者に売れるか、売れないかは別である。生産品が商品となっての結果の「黒字か赤字」は「売り手の問題」で、この結果は「生産現場の生産」に影響するのである。
 「商品市場」での「黒・赤」は、「労働市場」の「雇用・失業」に相対的に反映するのだ。
 そして、国外生産地移転の理由の一つが「企業の国内税金」が高いということであった。
 しかも「商品」として「売買」する「市場」はホトンドが国外を前提としているのである・・・
 どうやら「デフレ」の国内問題は「失業者=購買者」の問題であるらしい。
 一般的に生活する人々はかって「欲しかった生活に必要なモノ」はホトンド、持っている、ということである。手に入れるまで一生懸命「働いた」し、「職場」もあった。その「必要なモノ」とはホトンドが「電化製品(三種の神器=TV・洗濯機・掃除機)」と「自家用自動車」である。新品を買えない人は新製品は欲しいけれど、取り敢えず、これらは「中古品」で間に合った。「中古品」といっても使用されていない「一般市場」からハミ出た「余りモノ商品」も含まれる。
 ・・・現在的な中国、東南アジア、インドはかっての「日本の経験」であった。「労働」はキツイ、「賃金」はヒクイ、でも「便利なモノ」は欲しい目的のモノであり、いつかは買いたいし、カネが貯まれば買えるのである。「借金」という手もある・・・ゲップ・・・
 日本ではチョッと前は高額な電子製品であった「コンピュータ」で、「中古品」でも「目が出るような価格」だった。今現在は「携帯電話」の類である。だが、コレも企業競争での大量生産は高価格製品をダレでも手に入る「安価な商品」としてしまった。今現在、手に入りにくいモノは「不動産の土地と家屋」である。これも「売買市場」では一般的なサラリーマンの年収で買えるモノが結構ある。そして「中古」なら激安である。都市、都市近郊以外であれば尚更の低価格である・・・
 でも・・・一番生活に必要なモノは「食料品」ではなかったか・・・

 ・・・電話線が整備されていない「後進国」は電子技術が先端の携帯電話が急激に普及している。普及させているのは「現金売買」ではなく、「言金売買」での「レンタル」である・・・パンクした時の「担保」は「土地・家屋」が無ければ「命の自由」である・・・?・・・そして「後進国」であると云う「一般代名詞」は「インフレ」である・・・
 
 貧乏人にとって、「デフレ商品市場」での「安いモノ」はありがたいのである・・・「安価な食料品」、「安価な公共料金」は年金生活者や、今現在の失業者、ホームレスの人なら尚更である・・・同じ「商品」なら就業者も高いモノより安いモノの方が有りがたいのはアタリマエである。

 「インフレ」は「貧乏人」にとっては迷惑である。

 「物価」が高くなるとは一般的に「商品」が市場にアマリないということである・・・いくら金を積んでも売ってくれない状況である・・・絵画や骨董品の「競売(オークション・auction)」で億単位の価格で落札する人間は常にフトコロが「インフレ野郎」である・・・
 電化製品、自動車、電子機器が品薄で高くても「食糧不足」は困る・・・「食い物」が買えなくなる「食糧価格の上昇」・・・究極的に「カネ」で「食糧」が手に入らなくなるのが「インフレ」である・・・
 インフレは「紙屑」となってしまう「紙幣・証券・株券」の「カネ持ち」でなく、「モノ持ち」にとっては痛くも痒くもないだろう・・・もちろん、「貨幣」を無視でき、「ヤミ市場でモノ」を動かす「政治的・暴力的」な「権力者」にとっては「この世の春」である・・・

 「物の価格上昇」とは究極的には「闇市場」の時代である。

 「物価安定」とは一般人がダレでもが生活できる「食料品」の供給である。「骨董品」や「装飾品」、「金銀・宝石」の「資産価格の安定」ではない。「金」は希少金属と云うコトで「物」と交換できる一番の「信用資産」であるが「金」自体は「食えない代物」である・・・だが「カミの信用」よりはマシである。
 モノが豊富にあっても「インフレ」は「モノを隠す」だけで引き起こすコトが出来る。意図的な「買占め」や「出し惜しみ」である。
 人間が「交換貨幣」を使い始めた時から歴史的には何時の時代にも「インフレ」は起こった。ホトンドは「農産物の飢饉」と「戦争での農地の荒廃と労働人口の激減」である。ウワサだけでも「インフレ」になる。
 ・・・兎に角、「売買市場」で「モノが減少」すれば、「インフレ」と云うことである。

 「権力支配者」が目指す「インフレ、デフレの政治的政策」は「デノミ」である・・・「貨幣単位の呼称」だが、一般的には貨幣の呼称単位を
切り下げるという意味である。従来の「100円文字印刷紙幣」を新たに「1円文字印刷紙幣」として発行し、従来の「100円」の「交換価値」と同額で使用する、と云うコトである。
 それ自体には問題ない。
 だが問題は「新旧紙幣の交換期限」の「時期のドサクサ」である。旧紙幣と限られた枚数の新紙幣の交換をできる人間と、出来ない人間がでてくる・・・「交換紙幣」として使えなくなった紙幣は紙屑である。

 イズレにしても「交換紙幣」の増減の問題では無い・・・問題は「生産現場と売買市場」に対する「人間の意識」である・・・
 ・・・一昔前は「貯金」も「無駄をなくすコト」も「美徳」されてきた・・・「質素倹約」である。
 だが、「あべ」ちゃんが「本当にやりたいコト」は汗水垂らして「貯めた金」や「退職金」を貰って持っている「人のカネ」を「使わせたいコト」である。
 ・・・全体的に「日本人」は生涯困ることはないほどの「カネを貯め込んでいる」のだ・・・これは「脱税金」では無い・・・無収入の「生活保護者」の数が多いと云っても「モノの数」ではない・・・
 「貯め込んだカネを使わせる」、「貯め込んだカネを代わりに使ってやる」・・・今現在、これを実行しているのが「振り込め詐欺師」で、搾取された「カネ」は「280億円」、「投資詐欺師」に「投資」した「カネ」は「163億7000万円」である・・・一般人ばかりではない。「各地の年金基金機構」が投資した金額は?・・・いまや、「日本支配階級」にとっては「美しい日本」の「貯金」も「質素倹約」も「美徳」ではないのだ・・・だが、「使えッ!」といっても、「ソコソコの貯金カネ持ち」にはそれほど買いたいものはないのである・・・
 「郵便貯金」が「1千万円」超えた分は自動的に「国債」として「投資」されるらしい・・・?・・・

 ・・・輪転機で刷った「紙幣」をタダでくれるわけでは無い・・・日本銀行都市銀行を媒介にして、大中小の企業経営者に「カス」のである・・・都市銀行はスンナリ貸してくれるのか・・・「東京銀行」が貸して焦げ付いた「カネ」の「400億円」はどうなったのか?・・・大中小の企業経営者は借りても日本国内で有効に使えるのか?・・・「紙工場経営の坊ちゃん会長」は億円単位で博打でスッた・・・ラスベガスやマカオに投資かも・・・しかも「都市銀行」は「日本政府」から買った「国債=債券化(カミ化)された国民の税金」を「日本銀行」に売って「輪転機発行紙幣」を代金とした受け取ったモノを・・・カス・・・のである・・・
 デフレ不況であろうが、インフレ不況であろうが・・・「失業」しても生きていける人が存在する・・・「自殺」する人間も多いけれど、「失業」だけが理由ではない・・・何があっても、生きていこうとする人間の数からみれば「物の数」ではない・・・