253日目・・・友人の「furu」さんとこに貼り付けたモノに付け加えたモノだけれど・・・まさにね・・・「個人的人権」の「相互諸関係」が「ルールの基本」なのにね・・・「相互諸関係の約束事」は「制約」だから、決して「個人そのものの自由奔放」と言うことではないけれど、「主権在民」を基盤にしている。しかも「民主主義の法」は「既存の少数支配権力者」から「克ち取ってきたモノ」なのに、「与えられたモノ」と思い込んでいるヒトが殆どみたいだし、「疑問」を持って「ルール」を調べるヒトもあまりいない。学校教育で「ホームルーム

 NHKの土曜日の「週刊こどもニュース」はその「基本点」を先ず説明して、「事実事件の説明」がガッチリとなされて理解されやすいように制作されている。そしてNHK教育テレビの「手話ニュース」もその基本からの事実事件の説明があり「理解」できる。
 「法律」も「みんなの法律」になっていない、んだと、殆どの人々が気づかない体質・・・「靖国神社」と、かっての「厚生省」の「戦没者合祀取り決め文書」には「厚生省」の方からの働きかけで「戦犯ABC」級の「合祀」を促していた。しかも、「厚生省」側は「余り目立つコトがないように」との「文言」まで記録して・・・訳すまでもないけれど、この日本語、「こっそりと、皆に気が付かれないように」だょ・・・当時は敗戦日本国民にとって「政教分離」を謳っている「日本国憲法」は「民主主義」のタカラだった。しかも当時の「日本人」の殆どは「日本国憲法の意味」を「コトバ」の意味として「共通理解」していた・・・「国家」と「特定宗教」の一体化は「憲法違反」だって・・・チョット前は「教育基本法」に関する「タウンミィーテング」があらかじめ政府の役人が依頼し、決めていた「発言者」に金銭を渡し、政府の都合に合わせた発言を「バレないよう」に「自発性を装うことまで」指示し、させていた。そのコピー文言文書が暴露され、「政府のヤラセ」がバレタのに・・・騒いでいたアレってどうなったんだか・・・もはや「終わった事件」なんだよなっ・・・今現在は「陪審員導入制」で「法務省」が「某マスコミ」に「資金=税金」を垂れ流し、あたかも「民主主義」的な「法制度改革」等とキャンペーンを行って、その「改革意図の裏」を隠しながら「画策」しているらしいのに・・・。
 「裁判官」に対しては国民がその「罷免の是非の権利」を有している・・・のに・・・どんな「判決を下した奴」なのかを「国民」に意識的には「知らせていない」・・・「国政選挙・地方選挙」でも、ある事件の「判決」を下した「裁判官」の「具体的事例」を併せて「広報、告示」して、その「判決の是非」を「国民」にハカルべきだ・・・
 だいたいからして、「同類の事件」の「判決」が異なって判断されている「裁判」とは何か・・・しかも「裁判官」は「裁く法律が無い」と逃げ口上・・・「立法」する義務を背負った「議員屋」も己の私腹を肥やす奴ばかり・・・「法律・裁判」のよって立つ「基盤」は「ダレのタメの法律」かを考えず、出世、私腹の「裁判屋」、「検察屋」、「弁護屋」になりさがった奴ばかり・・・
 同じコトをマタ書くか・・・人間諸関係の「ルール基盤」は「裁判官」でなくても「① 盗むな」、「➁ ウソつくな」、「➂ 殺すな・傷つけるな」、「④差別するな」・・・これらに背反するような「①’盗んだ」、「➁ ’ウソついてダマシタ」、「➂ ’殺した・傷つけた」、「④ '差別した」等の「事件」に対する「制裁」も「①➁➂④」の立場である。
 ・・・「十戒のモーゼ」は「人間の本質(ケモノ?)」に苦労した・・・「栄華のソロモン」は「人間の本質(ケモノ?)」の立場を擁護した・・・けれど・・・生きている「人間」を「軸」にしたら・・・
 勝手に無断で、騙して、暴力を振るって、他人の「モノ」も「ココロ」も「ヌスムなッ」が「ルールの原点」だ・・・