553日目・・・TVで去年も観たけれど、先週も観た・・・「たそがれ清衛兵」・・・あの時代、本当は「理不尽」だとは思っていても「武士社会」で生きていくには現実的には「上司の命令」には逆らえないと言う立場をとったのだろうか?それとも「理不尽」だとは本音でも考えなかったのだろうか?・・・小説も映画も今現代からの作家と監督の立場からの作品である。あの時代には「あの生き方」しかなかった、と、言いたいのか・・・とにかく「理不尽」というコトバは何かの「比較」で出てくる「コトバ」だと思うが、物語の中では主人公、清衛兵の

 「たそがれ清衛兵」は好きだけれど、ネッ。事件後は出世したのか、金子をもらったのか知らないけれど、三年間は幼馴染の好きな女性(宮沢りえ)と再婚して幸せだったらしいが、その後「官軍」の鉄砲玉にあたって死亡したらしいのだ。
 「理不尽」と考えるのは「そのマンマ東」こと「東国原宮崎県知事」と「橋下大阪府知事」と「+アルファ」な地方自治体の首長であろう。「理不尽」である、と比較されているのは「国会議員の代議士連中」と「中央官庁の官僚連中」であろう。
 中央政府、官僚に「理不尽」であると考える根拠は何か?・・・地方分権・・・ということらしいが、とどのつまり、地方自治体への「税金の配分と使い道、遣い方の権利」の拡大であるらしい。中央省庁の「不明埋蔵金」は腐るほどあるらしく「不正」に使われているらしいが・・・地方の「首長」は「地方分権」になれば「人々のタメ」に使うようになるのか?・・・「地方自治体の裏金」・・・
 「法律的な制度」の問題なのか、政治を担う「人間の立場」の問題なのか?・・・
 昔、「西ドイツの国防(?)」という本が出版(60年〜70、80年代初期?)されたけれど・・・「ベルリンの壁崩壊」前の西ドイツの敗戦から冷戦時代の憲法、法律を研究、著作されたモノである・・・その目指したモノは「国家のタメの国民」ではなく、「国民のタメの国家」らしいけれど、ヒットラーは「国家のタメ」でもなく、「国民のタメ」でもない「ヒットラー自身のタメの国家、国民」を「民主主義の最高峰であるワイマール憲法の下」で「国民」を「自由」に組織化した。そして「自由な国民」は「自由」に自分の意思で「ヒットラー」を「国家・国民の総統」として選び、その「運命」を彼に委ねたのである。
 「下級武士」であった「たそがれ清衛兵」は「理不尽=君臣忠義」にも「上意討ち」を選択した。結果的な「三年間の幸せのタメ」、そして「理不尽=王政復古」にも「官軍」の鉄砲玉にあたって死亡した。
 15年戦争・・・開戦日本、敗戦日本・・・ダレのタメに人々は殺されたのか・・・