214日目・・・インドの鬼子母神って、人間の子供達を拉致誘拐、盗んでは自分の子供に食べさせていた。ホトケが鬼子母神の子供を拉致誘拐したら気が狂わんばかりに捜し求めたと言う。ホトケの仕業で鬼子母神は同じ母親としての人間の歎き悲しみを知って改心したらしい。タロットカードの「Ⅲ」は「女王」である。英語では「a queen:the empress」だが、カードの意味は「女主人・女性・生産・生殖・豊穣・積極的」である。イイモノを沢山産みだすということだ。ギリシャ語では母親は「μητερα(ミテラ)」、「μανα(

naie2007-02-05


 国語辞典には
__________
 おうろく わう― 【▽女▽王▼禄】

 平安時代、白馬節会(あおうまのせちえ)の翌日(正月八日)と、新嘗(にいなめ)祭の翌日(一一月中の巳(み)の日)に、紫宸殿(ししんでん)で皇族の子女(女王)に絹布・綿などを下付する儀式。
 〔「女」の字は慣例として読まない〕
__________

 国語辞典・・・〔「女」の字は慣例として読まない〕とは、その「慣例」になっているトコロの意味をも説明すべきであるナッ・・・「読まない」理由は「高貴な人物」であるか、「崇高な人物」で、音声にして読んではならないからではないのか。「女=おんな・おうな・ニョ・ジョ」の同音異字漢字である。「日本書紀」の記録文には人物の名前を忘却したのか、ハッキリしないのか、アイマイだからなのか、「名字を闕(もら)せり」との注釈の記録がある。「名字」の「欠字(缺字・厥字・蕨字)」の漢字を調べ、「闕字)」を調べれば、高貴な人物の名前の漢字が一般人、あるいは格下の人物と重ならないよう囗(伏せ字)にしたり、画数を変えたり、類字の漢字を使用したりするシキタリがあったらしいのだが・・・「かける」、「突厥」、「わらび」も調べ、そして古代中国人の「人物名」がどのように扱われているかを知るべきだな。「本名、字名、別名、雅號、諱名、忌名」など・・・平安時代、「白馬(しろうま)」の漢字をナゼ「アオウマ(青馬)」と読ませるようになったのか・・・ボクとしては古語辞典の説明には異議アリ、である・・・理由は古代「新羅(しらぎ・シンラ)」と「百済」の確執関係、「源氏」と「平家」の確執関係からである・日本書紀の執筆者、編集者は「シロ」の音を「忌み名」としたのだ。
 「日本書紀」によれば「安部」は元々は「布施(フセ)」と言う「苗字(名字)」だったらしい。秘密を「フセ」たのである・・・斎明天皇の記事には「阿倍引田臣(名字を闕(もら)せり)」とある。天智称制の年、八月の記事の「百済救援」で派遣された海軍は「従将軍・大華下・阿倍(比邏夫)」だが、大将は「前将軍・大華下・安曇(あづみ)比邏夫連」となっている。天智天皇元年五月、百済に向ったのは「大将軍・大錦中・安曇(あづみ)比邏夫連」の軍艦170艘である・・・「白村江の海戦敗北」は天智二年(663年)八月戊申日〜己酉日であった・・・奮戦奮闘の記録は「朴市田来津」に付いてだけである・・・「阿倍(比邏夫)」は戦わずに逃げ帰ったのではないのか?・・・「阿陪」の名前は「蘇我山田石川麻呂のムスメ(遠智娘=美濃津子娘)の妹(姪娘=櫻井娘)」が産んだ「御名部皇女」、そして「阿陪皇女(阿閇皇女・元明女帝)」・・・まっさか、現政権の「アベちゃん」の「予言記録」じゃぁないョ、ナッ。
 次にでてくる「阿陪」の名前は「橘娘」の父親「阿倍倉梯麻呂」である。そして文武天皇・703年(大宝三年)に死亡したらしい「阿倍御主人」・・・ここは「アベ」の異字漢字に注目してもらいたい。

 「鬼子(キシ)母神」って、本当にカイシンしたのだろうか・・・「キシ」の同音漢字をみる度に古代日本史に対する妄想がムラムラとワイてしまう。「吉士(キシ)」って読まれている官職が「日本書紀」にはでているから・・・