1796日目・・・やけに「蒸し暑い日」・・・湿度が高いし、温度は28度・・・TVの夕方の献立「蜆(しじみ)の味噌汁」ですか・・・「蜆のエキス(オルニチン効果)」のコマーシャルも・・・「シジミ(蜆・basket clam ・shijimi clam)、二枚貝綱異歯亜綱シジミ科 (Cyrenidae) に分類・二枚貝の総称・淡水域や汽水域に生息する小型二枚貝・二枚貝種では小型なので「縮(ちじみ・shrink・dwindle・contract)」が転じて名前になった・・・深夜には「久坂玄瑞=日下玄瑞」の「禁門
「日本書紀」記録された「日香部(草壁・日下部)氏=志染(シジミ・縮見・蜆)」に逃げ込んだ兄弟である・・・「億計(おけ)=仁賢天皇」、「弘計(おけ)=顕宗天皇」の兄弟である・・・「億→記憶」を計る、か、「弘→7月23日→弘文天皇(明治三年・1870年、明治天皇による天皇号贈呈」である・・・「弘文天皇」の諱は大友皇子、伊賀皇子で、天智天皇の息子で、壬申の乱で「自刃(溢殺?)」した人物である・・・「其の手は桑名の焼き蛤」・・・
ーーーーー
1870年明治三年(庚午)七(癸未)月二十三(庚申)日←新暦
明治三年6月25日 赤口・土曜日←旧暦
↓↑
六曜の先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口
で「赤口」は第6番目の最凶日
↓↑
明治三年1870年(庚午)七(甲申)月二十三(丁亥)日←旧暦
西暦 8月19日 大安・金曜日←新暦
ーーーーー
安康天皇三年
億計(おけ)皇子と弘計(をけ)皇子の
兄弟の父の
「市辺押磐」皇子が・・・市辺押歯別王・磐坂皇子
磐坂市辺押羽皇子・市辺王
「雄略天皇」に殺され
兄の
億計(仁賢天皇)
と
弟の
弘計王(顕宗天皇)は
共に
丹波国与謝郡(丹後半島東半)
に逃亡、
後
播磨国明石
三木の
志染(シジミ・縮見・蜆)
の石室に隠れ
名を変え
丹波小子(たにわのわらわ)と称し
縮見屯倉首
(しじみのみやけのおびと)に
雇われて
牛馬の飼育に携わっていた
清寧天皇二年
弟王が宴の席で王族の身分を明かし
清寧天皇は、
翌年に
二王を宮中に迎え入れた
↓
四月
億計王が皇太子
同五年
清寧天皇が崩御し
皇位を弟王と譲り合い、
その間
飯豊青皇女
が執政
翌年
弟王(顕宗天皇)が、
即位
在位三年で崩御
↓
億計王が
仁賢天皇として
仁賢元年一月に即位
三年二月
石上部(いそのかみべ)舎人
五年
佐伯造(さえきのみやつこ)・・・佐伯とは
大化の改新に加担し
現場でゲロを吐いた
蝦夷の監督官で
弘法大師空海の姓
を置く
六年九月
高麗(こま)へ
日鷹吉士(ひたかのきし)・・・鷹司家とは久坂玄瑞の
自刃の邸宅
を派遣
皮の工匠などの
手工業者を招いた
七年一月
小泊瀬稚鷦鷯尊を
皇太子に定め、
十一年八月。崩御
享年は
「水鏡」に50歳
「帝王編年記」51歳
皇后
雄略天皇の皇女・・・「雄略天皇」の妃は「若日下王」
は
春日大娘皇女
↓
ーーーーー
・・・前回、「列王記上の第六章・6:38」の「書き漏らした(欠落・闕)ところ」を追記・・・「闕(かける・ケチ・コチ)」・・・
↓
「岩波文庫の日本書紀」のルビふりには「闕」は「名を闕(もらせり)」とあったと記憶しているが・・・「不明・不詳」、「〜の不足」・・・「欠(闕)字」・・・
「阿部某」は元の名は「布施(ふせ)」ともあったが・・・「名を闕(もらせり)」とも記録されていた・・・阿部氏は「吉師(新羅の官職名・一七階官位中の一四位)舞い」の監督者・・・「岸(キシ)」の名は「千字文と論語」の伝来者の「和邇(王仁)氏の吉師」由来だろう・・・「論語十巻、千字文一巻、併せて 十一巻」・・・「千字文と論語」は「百済から貢進」ともあり、「日本書紀」には「吉師・吉士」とあり、「新羅と百済」は「半島の敵対者」だが・・・裏切りと、叛逆は日常茶番で、「日本の宮廷内」は大陸からの「寄せ集まり(新羅・百済・高句麗・中国の隋、唐)の権力闘争」だから不思議ではない・・・「難波吉士(大阪で定住した渡来人・帰化人)」が各地に分散し、「壬生吉士・飛鳥部吉士・日下部吉士」・・・
↓
「闕」
宮門の両脇に設けた物見矢倉の台・石闕(セッケツ)
宮城・宮城の門
「闕腋」=衣服の両脇を縫わずに,あけておくこと
また,その服。わきあけ
「欠(かける・ケツ)」に同じ
「闕」=ケツ・欠(かける)
宮城の門・宮城
↓
ーーーーー
旧約聖書
列王記 上
第6章の追記・・・
↓
6:38
第
十一(ジュウイチ)・・・壱拾壱・壱足壱
重意知・重位地(位置)
年(とし・ネン)・・・・念・撚・念・粘・然
ねん=音務
の
ブル・・・・・・・・・・部留・震・振・奮・旧・古
の
月
即(すなわ・ソク・則・廼・乃・輒・輙)ち
八月・・・・・・・・・・葉月(はづき・ヨウゲツ)
↓ ↓ 与得解通
一月 睦月(むつき)
二月 如月(きさらぎ)
三月 弥生(やよい)
四月 卯月(うづき)
五月 皐月(さつき)
六月 水無月(みなづき)
七月 文月(ふづき
ふみつき
ふみづき)=文暴月
↓
八月 葉月(はづき)・・・ハチゲツ
葉知解通
↓
九月 長月(ながつき)
十月 神無月(かんなづき)
十一月 霜月(しもつき)
↓ 十二月 師走(しわす)
↓
に、・・・・似・尼・邇・爾・児・荷・丹・逃
煮(者灬)→「灬」=燃やされる「者」
宮(みや・キュウ)・・・・宮=ウ+呂(口ノ口)
の
すべて
の
部分が
設計(セッケイ)・・・・説掲・接係・摂景・拙計
雪渓・楔形
通(どおり・ツウ・ツ)に
完成(カンセイ)・・・・官製・寛政
した。
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
これを
建(た・ケン)てるのに
七(ななつ・シチ・シツ)・・・名納通
年(とし・ネン)
を
要(かなめ・ヨウ)・・・・・・要=西+女
仮名目・用
した。
↓↑
ーーーーー
旧約聖書
列王記 上
第7章
7:1
また・・・・・・又・叉・亦・復・俣・股・and
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
自分(ジブン)・・字文・字分・事聞
の
家(いえ・や・カ)
を
建(た・ケン)てたが、
十三(ジュウサン)・・・壱拾参・壱足参
重纂
年(とし・ネン)
かかって・・・・・・・「懸・掛・賭・架」って
その
家を
全部
建て
終った。
7:2
彼は
レバノン・・・・・・・・黎巴嫩
例葉廼務
の
森(もり・リン)・・・・摸理・毛利
臨・稟
森=三木→纂記(紀)
の
家を建てた。
長さ
百
キュビト、
幅
五十
キュビト、
高さ
三十
キュビトで、
三列
の
香柏の柱
があり、
その柱の上に
香柏の
梁(はり・リョウ)
があった。
7:3
四十五(よんじゅうご・シジュウゴ)
本(もと・ホン)
の
柱(はしら・チュウ)
の
上(うえ・かみ・のぼる・ジョウ)にある
室(むろ・シツ)は
香柏の板で
おおった。
柱は
各列(カクレツ)
十五(ジュウゴ)
本(もと・ホン)
あった。
7:4
また
窓(まど・ソウ)
枠(わく)・・・・枠=木+九+十・・・国字
紡いだ糸を
巻き取る道具
骨組み
四方を線で囲んだもの
が
三列(サンレツ)
あって、
窓と窓と
三段(サンダン)
に
向かい合っていた。
7:5
戸口(とぐち・ココウ)
と
窓
はみな
四角(よんつの・よんかど・シカク)
の
枠をもち、
窓と窓と
三段
に向かい合った。
7:6
また
柱の
広間(ひろま・コウカン)
を
造った。
長さ
五十
キュビト、
幅(はば・フク)
三十キュビト
であった。
柱の前に
一つの
広間があり、
その
玄関(ゲンカン)・・・・厳寒・言肝
に
柱
と
廂(ひさし・ソウ)があった。
7:7
また
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
自(み・おの・ジ)ずから
審判(シンパン)
をするために
玉座(ギョクザ)
の
広間、
すなわち
審判の広間を造った。
床から
垂木(たるき)・・・・多留記
まで
香柏
をもっておおった。
7:8
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
が住んだ
宮殿(キュウデン)・・・旧伝(舊伝)・究伝
九伝・宮典→典医
は
その広間の
うしろの
他の
庭(にわ・テイ)
に
あって、
その
造作は
同じであった。
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
また
彼が
娶(めと)った・・・・娶=取(耳又)+女
パロ・・・・・・・・・葉賂
の娘のために
家を建てたが、
その
広間と同じであった。
7:9
これらは
みな
内外(ナイガイ)
とも、
土台(ドダイ)
から
軒まで、
また
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
宮の庭
から
大庭(おおにわ・タイテイ)
まで、
寸法(スンポウ)
に
合わせて
切った石、
すなわち、
鋸(のこぎり)で
ひいた
高価(コウカ)な
石(いし・いわ・セキ)で
造られた。
7:10
また
土台は
高価な石、
大きな石、
すなわち
八
キュビト
の
石、
十
キュビト
の
石
であった。
7:11
その上には
寸法に
合わせて
切った
高価な石
と
香柏とがあった。
7:12
また
大庭
の
周囲には
三かさね
の
切り石
と、
一重(かさ・おもい・え・ジュウ)ね・・・襲
の
香柏の
角材があった。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
宮
の
内庭
と
宮殿
の
広間の庭の場合と
同じである。
7:13
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
王(おう・ワン)は
人をつかわして
ツロ・・・・・通賂
から
ヒラム・・・・比等(覶)務
を呼んできた。
7:14
彼は
ナフタリ・・・・名二人・名附多(他)理
の
部族の
寡婦(やもめ・カフ)・・・鰥夫・孀・嫠
の
子であって、
その父は
ツロ
の人で、
青銅(あおがね・セイドウ)
の
細工人(さいくにん)
であった。
ヒラム
は青銅の
いろいろな細工をする
知恵
と
悟(さと・ゴ)り
と
知識(チシキ)
に満ちた者であったが、
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
王(おう・ワン)のところにきて、
そのすべての
細工をした。
7:15
彼は
青銅
の
柱
二本
を
鋳た。
一本の柱の高さは
十八
キュビト、
その
まわりは
綱(あみ・モウ・コウ)
をもって
測(はか・ソク)る
と
十二
キュビト
あり、
指(ゆび・シ)
四本(よんほん・シホン)
の
厚(あつ・コウ)さで
空洞(クウドウ)であった。
他の柱も同じである。
7:16
また
青銅を溶かして
柱頭(チュウトウ)
二つを造り、
柱の頂に
据(すえ)た。
その
一つの
柱頭の高さは
五
キュビト、
他の柱頭の高さも
五
キュビト
であった。
7:17
柱の頂にある
柱頭
のために
鎖(くさり・サ)
に
編(あ・ヘン)んだ
飾(かざ・ショク)り
紐(ひも・チュウ)で
市松模様(いちまつもよう・シショウボヨウ)
の
網細工(あみざいく・コウサイコウ)
二つを造った。
すなわちこの
柱頭
の
ために一つ、
かの
柱頭の
ために一つ
を造った。
7:18
また
柘榴(ざくろ)
を造った。
すなわち
二並びの
柘榴(ざくろ)
を一つの
網細工の
上のまわりに造って、
柱の頂にある
柱頭を巻いた。
他の柱頭にも
同じようにした。
7:19
この
廊(くるわ・ロウ)の
柱の
頂(いただき・チョウ)
にある
柱頭の上に
四
キュビト
の
百合(ゆり)の花
の
細工があった。
7:20
二つの柱の
上端(うえはし・ジョウタン)
の
丸(まる・ガン)い
突出(トッシュツ)部
の上にある
網細工
の
柱頭の周囲
には、
おのおの
二百
の
柘榴(ざくろ)が
二並びになっていた。
7:21
この柱を
神殿の
廊に立てた。
すなわち
南に柱を立てて、
その名を
ヤキン・・・・・冶金・埜金・夜勤・野禽
と名づけ、
北に柱を立てて、
その名を
ボアズ・・・・・簿阿(亜)事(図)
と名づけた。
7:22
その柱の
頂(うなじ・コウ)・・・脰・海路・領
得名字
には
百合(ゆり)
の
花の
細工
があった。
こうして
その柱の
造作(ゾウサク)
ができあがった。
7:23
また
海(うみ・あま・カイ)
を
鋳(い・チュウ)て
造った。
縁(ふち・エン)から
縁まで
十
キュビト
であって、
周囲は
円形(エンケイ)をなし、
高さ
五
キュビト
で、
その
周囲は
綱を
もって測ると
三十キュビト
であった。
7:24
その
縁の下には
三十
キュビト
の
周囲を
めぐる
瓢(ひさご・ヒョウ)
があって、
海の周囲を囲んでいた。
その
ひさご
は
二並びで、
海を鋳る時に
鋳たものである。
7:25
その
海は
十二(ジュウニ)・・・・壱拾弐
の
牛(うし・ギュウ・ゴ)
の上に置かれ、
その
三つは
北(きた・ホク)に向かい、
三つは
西(にし・セイ)に向かい、
三つは
南(みなみ・ナン)に向かい、
三つは
東(あずま・ひがし・トウ)に向かっていた。
海は
その上に置かれ、
牛の
後(うしろ)は
皆
内に向かっていた。
7:26
海の厚さは
手の幅で、
その縁は
杯の縁のように、
ゆりの花
に
似せて
造られた。
海には
水が
二千
バテ
はいった。
7:27
また
青銅の台を
十個
造った。
台は
長さ
四
キュビト、
幅
四キュビト、
高さ
三キュビト
であった。
7:28
その台の構造は
次のとおりである。
台には
鏡板(かがみいた・キョウハン)
があり、
鏡板
は
枠の中にあった。
7:29
枠の中にある鏡板には、
獅子(しし)
と
牛
と
ケルビム
とがあり、
また、
しし
と
牛
の上と下にある
枠
の
斜面(シャメン)
には
花飾(はなかざ・カショク)
りが
細工してあった。
7:30
また
台(ダイ)・・・・台=ム+口
には
おのおの
四つの
青銅の
車輪(くるまわ・シャリン)と、
青銅の
車軸(くるまじく・シャジク)
があり、
その
四すみには
洗盤(センバン)
の
ささえがあった。
そのささえは、
おのおの
花飾りの
かたわら
に
鋳て造りつけてあった。
7:31
その口は
一
キュビト
上に突き出て、
台の頂の内にあり、
その口は
丸く、
台座のように造られ、
深さ
一
キュビト半
であった。
また
その口には
彫り物があった。
その鏡板は
四角で、
丸くなかった。
7:32
四つの車輪は
鏡板の下にあり、
車軸は台に取り付けてあり、
車輪の高さは
おのおの
一
キュビト半
であった。
7:33
車輪の構造は
戦車の車輪の構造と同じで、
その
車軸
と
縁
と
輻
と
轂(こしき・コク)
とは
みな
鋳物(いもの・チュウブツ)
であった。
7:34
おのおのの
台の
四すみに
四つの
ささえがあり、
その
ささえは台の一部をなしていた。
7:35
台の上には
高さ
半キュビト
の
丸い
帯輪(おびわ・タイリン)
があった。
そして
台の上にある
その支柱と鏡板とは
その一部をなしていた。
7:36
その支柱の表面と
鏡板には
それぞれの場所に、
ケルビム
と、
しし
と、
しゅろ
を刻み、
またその
周囲に
花飾りを施した。
7:37
このようにして
十個の台を造った。
それは
みな
同じ鋳方、
同じ寸法、
同じ形
であった。
7:38
また
青銅の
洗盤(センバン)を
十個造った。
洗盤は
おのおの
四十
バテ
の
水がはいり、
洗盤は
おのおの
四
キュビト
であった。
十個
の台の上には
おのおの
一つずつの
洗盤があった。
7:39
その台の
五個
を
宮の南の方に、
五個
を
宮の北の方
に置き、
宮の東南の方
に海をすえた。
7:40
ヒラム
は
また
つぼ
と
十能(ジュウノウ)
と
鉢(はち)
を造った。
こうして
ヒラム
は
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
王(おう・ワン)のために
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
宮の
すべての細工を
なし
終(お・おわり・シュウ)えた。
7:41
すなわち
二本の柱と、
その柱の頂にある
柱頭の
二つの玉と、
柱の頂にある
柱頭の
二つの玉を
おおう
二つの
網細工と、
7:42
その
二つの網細工のための
ざくろ
四百。
この
ざくろ
は
一つの網細工に、
二並びにつけて、
柱の頂にある
柱頭の
二つの玉を巻いた。
7:43
また
十個の台と、
その
台の上の
十個の洗盤と、
7:44
一つの海と、
その
海の下の
十二
の
牛
とであった。
7:45
さて
つぼ
と
十能
と
鉢、
すなわち
ヒラムが
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
王(おう・ワン)のために造った
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の宮の
これらの
器(うつわ・キ)は
みな
光のある
青銅であった。
7:46
王(おう・ワン)は
ヨルダンの低地で、
スコテ・・・・素小手・諏拠出
と
ザレタン・・・戯れ譚
の間の
粘土(ネンド)
の地で
これらを鋳た。
7:47
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
その器が
非常に多かったので、
皆
それを
はからずにおいた。
その
青銅
の
重さは、
はかり
得なかった。
7:48
また
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の宮に
ある
もろもろの
器を造った。
すなわち
金の祭壇と、
供えの
パン(麵麭)・・・・判・汎・版
を載せる
金の
机(つくえ・キ)、
7:49
および
純金の
燭台(ショクダイ)。
この燭台は
本殿(ホンデン)
の前に、
五つは南に、
五つは北に
あった。
また
金の花と、
ともしび皿と、
心(芯)かき・・・・・芯かき
と、
7:50
純金の皿と、
心(芯)切りばさみと、
鉢と、
香の杯と、
心(芯)取り皿と、
至聖所である
宮の奥の
扉(とびら・ヒ)のため
および、
宮の
拝殿(ハイデン)の
とびらのために、
金(こがね・かね・キン)
の
ひじつぼ・・・・「肘・肱・比字・秘事」壺
を造った。
7:51
こうして
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
王(おう・ワン)が
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の宮のために
造る
すべての
細工は終った。
そして
ソロモン・・・・揃文・對文・対文
は
父ダビデが
ささげた物、
すなわち
金銀
および
器物
を携え入り、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の宮
の
宝蔵(たからくら・ホウゾウ)
の
中(なか・あてる・チュウ)に
たくわえた。
ーーーーー
・・・