四拾七日目デス・・・

 「ナチ占領下のパリ・長谷川公昭・(株)草思社・1986年発行」を例の古本屋で200円で買って読んでいる・・・「ユダヤ人問題」、何千年モノの間、そして現在まで歴史上で「ユダヤ人」が絡んでこない「歴史」は無いナァ〜って、「旧約聖書」はユダヤ人の「歴史」を「記録したモノ」だからアタリマエか。
 それにパリが独逸に占領中、「ピカソ」はナチスにオベッカ使っていたが、実は「隠れ共産党員」で戦時中「ソ連」にカナリの援助資金をコッソリ送っていたとか、この本には書いてある。しかも結構な「自由」なおフランス人達、文人、映画監督、音楽家、芸術家、科学者、哲学者がナチス主催の晩餐会でドンちゃん騒ぎ、そして生活の融通性を独逸当局か認められていたらしい。第一、パリが占領された当初、ドイツ軍の「紳士性」を殆どのパリっ子は「歓迎」したらしいのだ・・・もちろん、歓迎を敏感に警戒していたのは「パリ市民」であった「ユダヤ人」である。ゲシュタポによってパリの市街に黄色の「☆」印をつけられた商店の数を視たパリっ子は、その多さに驚いたらしい。
 ヒトラーは「芸術家」を目指して「挫折」し、「政治権力」を目指した・・・そして「服従と規律を愛し」、「パリの芸術を愛した」・・・この「独裁者」を産み出した環境・・・「ドイツ国民」だけではなく、「フランス国民」が、そして「イギリス国民」、「アメリカ国民」、「ロシア国民」、「日本国民」がその「国民の雰囲気」として「国家の指導者」としての「自国の独裁者」を望んでいたことも知っておく必要があるだろう。そして、その諸国民である「国民内部の人種」の「利害関係」を知っておく必要があるだろう。
 「戦争はダレも望まない」と言う人間は・・・「戦争はダレかが望んでいる」コトを知るべきである。
 「スポーツ選手」が「政治屋」に利用されないことを・・・イナバウァー・・・