四拾八日目デス・・・

 読み続けてきた「ナチ占領下のパリ・長谷川公昭・(株)草思社・1986年発行」を読み終えた。人間が「戦争」と言う状況の中でどのような「立場」をとるのか、と言うことを教えてくれる「本」の一冊だと思う・・・「どのような」とは、恒常的に「暴力で威嚇する人間」と「暴力に威嚇される人間」との関係で、その状況の中で「生きていくタメ」にとる「個々人のさまざまな立場」である。特にこの本の主眼は「ナチス・占領軍(ドイツ国軍・憲兵・親衛隊・ゲシュタポ)」に「協力したフランス人」の生き方である。すごいね、「フランス人のナチス心酔者」・・・当時のフランスの「ペタン内閣・官僚」も「自由・博愛・平等」はモチロン、「人権」なんか、ナンのソノ。「フランス」にも「憲法」あったよな?・・・モチロン、「ドイツ」にも素晴らしい「憲法」が。
 この本のエピローグには当時(1942年10月)のパリ在住ギリシャ人の実業家の報告として「パリ地区」の住人は「400万人」、ドイツ軍占領三年目、その「パリ市民の80%は反ドイツ、15%は無関心、5%が対ドイツ協力者」、そして「対ドイツ(ナチス)・レジスタンス」を経験した「歴史家アンリ・ミッシェル」の研究によれば「対ドイツ(ナチス)・レジスタント」は「2万人」、「ドイツ協力者」は「2万人」で、他のパリっ子は「どちらにも組しない人間」だったそうである。「400万−4万人=396万人」・・・「396万人」・・・?・・・フランスの「愛国心」って、こんなモノだったのかネッ・・・なるほど、「フランス国家」があっても「フランス人」はさすが「個人主義の国」ではあるな・・・ボクがムカシみた、あの、おフランス映画、「パリは燃えているか」の「パリ市民の蜂起」って?・・・そしてアメリカ軍に解放されるや、「396万人+アルファ」の殆どが、「フランス愛国者(自称レジスタンス)」になってしまった・・・その「心情」、ワカルケレドねっ。
 「日本人」とあまり変わらないんだ・・・無関心なのか、ドウデモイイんだか、長いモノに巻かれろ、なのか・・・フンイキなのか・・・
 今現在、「戦争」に憧れている人間、その「信念」を状況に左右されるコトなく、その「戦争思想」を曲げることなく、「堅持スレ」ョなッ・・・憲法があろうが、なかろうが。