「無我の境地」・・・我、私から分離解放したモノ・・・屎尿?

 2963日目・文字霊日記
 三別抄(サンベツショウ)?・・・纂(簒)捌抄?
 纂(簒)捌抄・・・?
 ↓↑
 「世界や社会」を理解するにはあまりにも「知識」が貧困であるかな・・・
 昼夜の明暗にも関わらず・・・何時でも、何処でも眠ってしまう・・・
 ナゼ、意識が朦朧としている世界で8時間以上も眠ることが必要なんだか・・・・
 熟睡、睡眠じゃぁなく、随時、「微睡(まどろ)む」か・・・
 盹=目+屯・・・メに駐屯するって?・・・ナミダか目脂・・・カスミ?
   目+丿+凵+乚
   シュン
   目がとろんとする
   まぶたが重くなる
   居眠り
   盹盹=誠実なさま・手厚いさま
 朝昼夕晩
 腹が減ったらモノを喰って
 催したら只管(ひたすら)トイレで踏ん張って
 濃臭で
 余程のことがない限り
 呼吸をしているんなんてコトは意識もせず・・・
 ・・・「ひたすら」って?・・・なんで、「只管(シカン)」?
 「曹洞宗道元が説いた「只管打坐」
         ・・・「只管(シカン)」
              「打坐(タザ)」
  ただひたすら座り続ける坐禅修行
  心身脱落の境地」・・・
 確かに、トイレで踏ん張って
 出るモノが出た時(とき=斎?)の気分は
 「心身脱落の境地」かも・・・
 「無我の境地」・・・我、私から分離解放したモノ・・・屎尿
 「無我夢中」・・・?
 それにしてもアテナの漢字が
 「只=口+ハ」
 「管=竹+宀+㠯」=中身が空洞
 「只管=ひたすら=一向」=「一途(位置図)・専(もっぱら)」・・・
 「一向一揆」ですか ・・・「ひたすら一紀(記)」カモ・・・
 ・・・「切にお願い申す」・・・なぜ「切る」んだか?

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 咫=尺+只
   尸+乀+口+八
   シ
   あた・た・ちかい
   周の国の長さの単位・八寸
   ちかい・短い・少し
   昔の長さの単位
   親指と中指を広げたときの長さ
   咫尺(シセキ)
   きわめて近い距離
 只尺=シセキ=咫尺=わずかな距離・すぐ近く
 只今(ただいま)
 只管(ひたすら)
 只の異体字
 衹(繁体字・別字衝突=別々の字種なのに
            字体が一致)
 隻(繁体字・別字衝突)
 祇(繁体字・別字衝突)
 ↓↑
 八咫烏(やたがらす・やたのからす)
 ↓↑
 咫尺(シセキ)
 距離が非常に近いこと
 ↓↑
 咫尺天涯(シセキテンガイ)
 近い場所にいても
 なかなか会えないこと
 「咫・尺」はどちらも距離の単位
 短い距離のたとえ
 「天涯」は天の果て
 ↓↑
 咫尺之書(シセキのショ)
 短い手紙の文章や書状
 「咫尺」は周代の長さの単位
 咫=八寸
 尺=十寸
 ↓↑
 咫尺之地(シセキのチ)
 非常に狭い土地
 ↓↑
 咫尺万里(シセキバンリ)
 詩や絵画などの小さなものの中に
 壮大な世界がこめられているということ
 咫尺ほどの小さなものに
 万里ほどの大きな世界を描く
 ↓↑
 天威咫尺(テンイシセキ)
 天子の側近
 天子の威光に近づきすぎて怖れ多いこと
 「天威」は自然と恐れ従わせる天子の威厳
 天子の威光が非常に近くにある
 ↓↑
 天顔咫尺(テンガイシセキ)
 天子の側近として仕えること
 「天顔」は天子の顔
 「咫尺」は非常に近いこと
 ↓↑
 咫尺を弁せず(シセキをベンせず)
 視界がきかず
 ごく近くのものも見分けが付かないこと
 「弁」は見分けるという意

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 「ひたすら=頓=屯+頁
        =丿+凵+乚+頁=とみに」
                ・・・登美に(似)?
  頓(くる)しむ
  頓(つか)れる
  頓(つまず)く
  頓(とど)まる
  頓(とみ)に
  頓(ぬか)ずく
  頓(ひたぶる)
  頓(ひたすら)
 「頓首再拝」 ・・・「古事記・序文」の末文「頓首」・・・
 「謹以獻上。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。」
  整頓・頓狂・頓悟・頓才・頓挫
  屯=糸を丸くまとめた織物の縁飾りを象ったもの
   「純」の原字
   「 屮(草)+一」=草の芽が地表に出る様
    駐屯・屯田兵
    屯=真綿の質量=40匁(もんめ)or 120匁
  頁(ケツ・ヨウ)=page・ページ=大貝(おほがい)
  頁(かしら)・頁岩(ケツガン)・頁(ページ)=一葉
 ↓↑
 ・・・盹=目+屯
      目+丿+凵+乚
      シュン
      目がとろんとする
      まぶたが重くなる
      居眠り
      盹盹=誠実なさま・手厚いさま・・・?
 ↓↑
 㠯=尸+コ・・・已(已然・依然・既)
   巳+¬
  =以=丄+丶+人・・・・ 以前
   㠯(もちい)る
   㠯(も)って
   イ
   もちいる・使う・使用する
   もって・~によって・~で
   もってする
   おもう・おもんみる・考える
   率いる
   ゆえ・わけ・理由
   すでに
   はなはだ・非常に・大変
 ↓↑
 官=鼻・耳・目・口
   などの人体器官
 管=竹+官
   竹+宀+㠯
   カン
   くだ
   つかさどる
   ふえ
   竹製の笛・吹き鳴らす楽器の総称
   筆の軸
   くだ・竹の管・細い筒状のもの
   鍵
   つかさどる・支配する
   とりしまる・統べる
   かなめ
 菅=艹+官
   艹+宀+㠯
   カン
   すが
   すげ
   かやつりぐさ科の植物
   ふじばかま(藤袴・蕑?)
  「姉は菅笠(あねはすげがさ
   妹とは日傘(いもとはひがさ)」
   女性は嫁ぎ先次第で
   境遇に格差が出てくるということ・・・

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 三別抄(サンベツショウ)
 高麗王朝の軍事組織
 崔氏政権(武臣政権)
 林衍(イム・ヨン)
 ら時々の実権を握った者の私兵
 政敵の暗殺・クーデターのための武力
 後
 高麗への
 モンゴル軍の襲撃に際し事実上の国軍に発展
 ↓↑
 「別抄」=別に組織「抄」
 「抄」=没収
     反乱を起こした地域へ派遣
     鎮圧後
     没収した財産を
     分け与えられる臨時の軍組織
     鎮圧のための臨時編成の軍兵組織
     崔氏政権のもとで拡大
     常備軍化し
     左別抄
     右別抄
     の2部隊となり
     モンゴルの捕虜から脱出した
    「神義軍」を加えて
    「三別抄」と呼称
 ↓↑
 「三別抄の乱」
  936年
  高麗は
  中華諸王朝の冊封
  北方の
  モンゴル系遊牧民
  契丹
  などの諸民族が高麗へ侵攻し
  契丹
  女真族金王朝に対して入朝
  高麗では科挙制度の導入
  文臣だけを優待したため
  武臣たちの政変が頻発
  以後の高麗は
  武臣政権が統治
  1196年
  武臣の
 「崔忠献(チェ・チュウケン)」
  が同じ武臣である
 「李義旼(イ・ギブン)
 を殺害し実権を握った
 ↓↑
 「崔忠献」
 王権を弱体化させ
 宿衛機関である
 都房(トバン)を組織し
 崔氏独裁体制成立
 次代の
 「崔瑀(チェ・ウ)」は
 騎馬部隊の
 馬別抄と
 夜間の巡察警戒のための
 夜別抄を組織
 これらの組織が統合され
 三別抄になる
 三別抄は
 崔氏政権を維持するための
 私兵組織であったが
 高麗の軍事制度に変わって
 事実上の国軍と化した
 ↓↑
 モンゴル帝国
 1271年
 クビライによって
 国号を「大元」とした
 1219年
 高麗と同盟を結ぶ
 1231年
 第一次 高麗侵攻
 高麗軍は各地で苦戦
 1232年
 開城を放棄
 漢江河口の江華島へ遷都
 モンゴルの侵攻で高麗は衰退
 「金俊(キム・ジュン)」
 を主体に
 崔氏政権に対するクーデター
 1258年
 崔氏政権は滅亡
 金俊に協力し
 クーデターの主力を担ったのは
 三別抄の
 「朴希実」ら・・・
 ↓↑
 「金俊」は
 モンゴルに降伏
 崔氏に続く
 武臣政権の傀儡となった国王
 「元宗」は
 「林衍」ら文臣と手を結び
 「金俊」からの政権剥奪を画策
 1268年
 三別抄を取り込んで
 「金俊」を暗殺
 ↓↑
 「林衍」らは
 「元宗」と対立
 1269年
 「元宗」を廃して政権掌握
 「元宗」・およびその子
 「忠烈王」の要請を請けた
 モンゴルは「林衍」討伐のため進軍
 「林衍」は三別抄を動員して抵抗し
 最中に急死
 ↓↑
 1270年5月
 「林衍」の子
 「林惟茂(イム・ユム)」
 らが
 国王側に雇われた三別抄によって暗殺
 実権を握り続けてきた
 武臣政権崩壊
 ↓↑
 モンゴルの支援の
 「元宗」は
 江華島から開城へ戻り
 武臣政権の私兵集団
 「三別抄」に解散を命じた
 「三別抄」の
 「裴仲孫(ペ・チュンソン)」
 「夜別抄」の
 「盧永禧」らは
 宗室の
 「承化侯・王温」
 を推戴し
 「江華島(コウカ・ソウル特別市の北西
      京畿湾黄海)に位置する島)」
 を本拠に自立・・・
 ↓↑
 1270年6月
 三別抄政権は
 西南の
 「珍島」に移り
 抗戦の準備
 全羅南道慶尚南道に勢力を拡大
 1271年
 「鎌倉幕府」へ救援を求めるが
 黙殺された
 2月
 モンゴルから降服を求められた際
 「軍を引き上げてください。
  そうすれば服従いたします。
  蒙古の将軍
  忻都が願いを聞いてくれません。
  私たちに全羅道をくだされば・
  蒙古朝廷に直接したがいます」
 と返書
 指導者
 「裴仲孫」自身が
 全羅道を領土として
 モンゴルに隷属画策
 ↓↑
 1271年
 「珍島」の
 「三別抄」は
 高麗の
 「金方慶(キム・バンギョン)」
 「洪茶丘(ホン・タグ)」
 らモンゴルの連合軍に撃破され
 残党が
 「金通精(キム・トンジョン)」
 率いられて
 「耽羅済州島)」
 に落ち延びた
 1273年
 「耽羅島」
 も攻め落とされ
 「三別抄の乱」は完全に鎮圧
 「三別抄」の壊滅と同時に
 モンゴルは
 「耽羅総管府」を設置
 モンゴルによる
 高麗の征服完了した
 ↓↑
 高麗は元朝へ服属
 征東等処行中書省の統治下に置かれた
 高麗国王となった
 「忠烈王
 は日本招諭のための使節派遣や
 1274年からの
 日本侵攻(元寇・文永・弘安の役
 に苦言を呈する蒙古諸将をさしおいて
 積極的に
 「クビライ」
 に侵攻を進言し
 軍船兵糧・将兵を提供・・・

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 沖縄県浦添市浦添
 で高麗瓦が発掘
 三別抄が
 「珍島」に造営した
 龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似
 「浦添」の瓦に
 「癸酉年高麗瓦匠造」
 と刻印
 癸酉年は
 1153年・1273年・1333年・1393年
 などが該当
 これが
 1273年だとすれば
 三別抄が済州島で滅ぼされた年と同一
 三別抄の生き残りの人々が
 沖縄に逃避してきた・・・
 「徳之島」には
 既に「高麗陶工」が入り
 「カムィ焼」の生産に従事していた・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「癸酉年」・・・
 水鳥?・・・鵜・鸕・・・
 「盧生の夢」・「盧遮那仏」
 盧=くろい・すびつ・火入れ・めしびつ
   飯を入れる容器などの意味をもつ 
 ↓↑
 鷺=さぎ=詐欺・詐偽
 ↓↑
 盧溝橋事件(ロコウキョウ ジケン)
 1937年(昭和12年)7月7日
 中華民国北京(北平)西南方向の
 「盧溝橋」で起きた
 日本軍と
 中国国民革命軍
 第二十九軍との衝突事件
 中国で
 「七七事変」と呼ばれ
 英語名d
 「マルコ・ポーロ橋事件」
 と表記される
 「Marco+Polo+Bridge+Incident
  Battle+of+Marco+Polo+Bridge」
 ・・・「ちび丸子」ちゃん事件・・・?
 ↓↑
 「日中戦争支那事変)」の発端
 「蘆溝橋・芦溝橋」とも表記・・・
ーーーーー
 ・・・?・・・
 1936年
 6月頃
 「抗日人民戦線」の結束
 コミンテルン
 抗日運動指導
 「五・三〇事件」~
 抗日人民戦線は
 「罷業と排日」の扇動ではなく
 対日戦争の準備・・・
 1935年
 11月
 「中山水兵射殺事件」
 1936年
 8月24日
 「成都事件」
 9月3日
 「北海事件」
 9月19日
 「漢口邦人巡査射殺事件」
 9月23日
 「上海日本人水兵狙撃事件」
 1936年
 12月
 「西安事件
 コミンテルンの判断
 「蔣介石」の殺害目的ではなく
 人民戦線に引き込むこと
 1937年
 1月6日
 中華民国
 南京政府
 国府令として
 「共産軍討伐を役目」としていた
 西北
 剿匪
 司令部
 の廃止を発表・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 北京市
 市街地
 南西部に位置
 ↓↑
 豊台駅(ホウダイエキ)
 北京市
 豊台区
 に位置
 永定河が流
 その上に架かる
 盧溝橋
 その東の袂にある
 城郭都市
 宛平城の史跡
ーーーーー
 ・・・???・・・
 盧=虍+田+皿
   卜+丿+乛+七+田+皿
   ロ
   くろい
   めしびつ
   飯を入れるための容器
   黒い・黒い色
   酒を売る場所・酒屋
   すびつ・火入れ
 ↓↑
 α+盧
 壚・廬・蘆(芦)・瀘・攎・櫨
 爐(炉)・臚・矑・艫・纑・籚
 鑪・顱・驢・𪈒・黸・䰕
 㔧・
 壚・攎・廬・㠠・蘆・嚧・獹・瀘
 㱺・臚・爐・曥・㪭・櫨・瓐・矑
 㿖・蠦・艫・籚・纑・罏・轤・鑪
 顱・䰕・驢・髗・鱸・鸕・黸
 ↓↑
 盧橘・盧胡・盧舎那
 ↓↑
 異体字「𥃈・籒文の盧」
 異体字「壚・廬・櫨・獹・爐・矑
     𥃈・𧆣・籚・鑪・顱・鸕」
ーーーーー
 ・・・???・・・