チュウガエリ・・・注(註)変え理・・・?
2906日目・文字霊日記
トンボかえし・・・dragonfly・damselfly・・・
・・・コトバのタンキュウ・・・ドンデンガエシ・・・
チュウガエリ・・・注(註)変え理・・・?
↓↑
『新井白石』が理解出来なかった
「処女懐胎」
「奇跡」
「キリストの非業の死と蘇生」
↓↑
西洋の「合理主義(科学)=非合理主義(神)」
としての
「人間精神」の甚だしい乖離の落差であった
ならば、彼にとっては
「初発の神」も「神功皇后=胎中天皇」も
「物語」であったハズだが、
何故か娘の縁談を気にして
「占い師」を訪ねている
↓↑
ルネッサンス
『流値晦(三十)産素(一)』?
「留音図差務素」?
「留値柘作務素」?
である。
中国「前漢時代」の朝鮮北方の古墳は
「黒海沿岸」の様式と類似し
「黒海沿岸」で制作された
「ガラス玉(とんぼ玉)」
とんぼ玉(蜻蛉玉)=柄が入った小さなガラス玉
(ビーズ)・・・微意事?
模様の ついたガラス玉を
トンボの複眼に見立てて
「とんぼ玉」と呼ばれた・・・?
・・・カラス(鴉・烏・crow(クロウ)・raven(レイヴン ))?
「マリア・カラス」は美声・・・?
とんぼ
dragonfly・dragonflies
「蜻蛉=空飛ぶ不吉なる虫=Dragonfly」
「蜻蛉=魔女の針」・・・?
dragon=翼・爪をもち火を吐く
伝説の龍・竜・辰・恐龍
イトトンボ類・・・糸トンボ
damselfly (ダムゼルフライ
damsel =乙女)といった
Damsel in distress
(ダムゼル・イン・ディストレス=ディストゥレス)
苦難 の乙女・捕らわれの姫君
悩めるおとめ・苦しんでいる娘
危機に陥る女性
若い未婚の女性
ディストレス・・・・弟医子(伊須)執例子?
ディストゥレス・・・出意州人卯例主?
「壹與(卑弥呼の十三歳の宗女)」
or
「楠本高子
or
お稲(女性産科医・シーボルトの娘・楠本イネ
開業医 二宮敬作の養女 イネの娘)」・・・?
↓↑ ↓↑
開業医 二宮敬作の養女 イネ十七歳・・・二宮敬作⇔二宮尊徳?
楠本イネ
1827年5月31日
~
1903年8月27日
大運1899年6月(72歳)~1909年6月
癸丑食神
丁┏亥(戊甲壬)偏官・傷官沐浴⇔癸卯食神
冲 戊 印綬
乙┗巳(戊庚丙)偏財・正官 死⇔庚申劫財
辛┗巳(戊庚丙) ・正官 死⇔丁亥偏官
甲 午(丙 丁)正財・偏官 病⇔丙午正官
申酉空亡
↓↑
年齢満76歳没
オランダお稲
天領・長崎生まれ
父はドイツの医師・博物学者の
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
不意理通附 腐乱 通 不穏・不恩・不怨?
振らん (置維波斯徳利)
母は遊女の「瀧(お滝)=水+龍」
シーボルト(置維波斯徳利)門下の
宇和島藩
二宮敬作
から医学の基礎
石井宗謙
から産科
村田蔵六(大村益次郎)
からオランダ語を教わった
日本人女性
初の産科医
↓↑
楠本高子
1852年2月26日
~
1938年7月18日
大運1929年4月(77歳)~1939年4月
甲┏午偏官
壬 子(壬 癸)偏財・正財 胎⇔戊┗寅比肩
壬┏寅(戊丙甲)偏財・偏官長生⇔己 未劫財
三合 丙 偏印
戊┗午(丙 丁) ・印綬帝旺⇔辛 亥傷官
戊┗午(丙 丁)比肩・印綬帝旺⇔甲 午偏官
子丑空亡
↓↑
年齢
満86歳没
シーボルト(置維波斯徳利)の娘の
楠本イネの子
天領・長崎生まれ
石井宗謙が
イネを強姦して妊娠した娘
出生当時は
「タダ子」・・・タダ=多田・唯・只・多々・惟・匡
とよばれていた
13歳まで・・・・十三歳?・・・宗女壹與?
祖母・お滝によって育てられ
お滝とシーボルトの孫・・・高子
琴や三味線、舞など芸事に打ち込み
医者の「イネ」を落胆させていた
最初の夫
三瀬諸淵(みせ もろぶち)
天保十年七月一日
1839年8月9日
~
明治十年
1877年10 月19日
大運1869年11月(30歳)~1879年11月
戊辰偏財
己┏亥(戊甲壬)正財・偏財長生⇔丁丑傷官
害
壬┗申(己壬庚)偏印・正財 絶⇔庚戌偏官
甲 午(丙 丁) ・食神 死⇔乙丑劫財
庚 午(丙 丁)偏官・食神 死⇔壬午偏印
辰巳空亡
↓↑
医師
初名 周三
幼名 弁次郎
字 修夫
伊予国 大洲出身・・・大須観音・大須文庫=古事記
二宮敬作の甥
日本初の電信実験に成功
シーボルトの長男の
アレクサンダー・フォン・シーボルト
の家庭教師
文久二年(1862年)
諸淵がシーボルトのために
国学の知識を生かし
日本の歴史書の翻訳をして投獄
↓↑ 二年後の1864年に出獄
三瀬諸淵
に先立たれた後
高子は母と同じ産科医を目指した
勉学の道半ばで
医師
片桐重明
に強姦され
妊娠し医学を断念
医師
山脇泰助
と再婚
一男二女をもうけた
再度、夫に先立たれ
母・イネとともに暮らした
↓↑ ↓↑
「卑弥呼&壹與」≒「お滝~お稲~高子」・・・?
「張政(チョウセイ)と壹與」≒「シーボルト(置維波斯徳利)と高子」?
「置維波斯徳利」???
置維・・・維新に置く
波斯・・・波斯(ペルシャ)=ナミのソレ
徳利・・・徳川の利?・・・聖徳太子・仁徳天皇の利?
二宮尊徳?・・・金治郎・金次郎=農政思想家
至誠・勤労・分度・推譲
↓↑ ↓↑
「ガラス玉(とんぼ玉)」
江戸時代
青地に白の花模様のガラス玉=「蜻蛉玉」
それ以外のものは
模様に応じて
「スジ(筋)玉」
「雁木玉」=階段、それに似た形状の構造物
鳥の雁が
斜めに
並んで飛ぶ様子が
階段の形に見えるため
などと呼び分けていた
正倉院
多数の「とんぼ玉」
に製法を記した書物
原料も収蔵
奈良時代に
製法が伝えられ
国内で生産
↓↑
江戸時代
南蛮貿易を通じて
中国のガラス技術
ヨーロッパのガラス技術が伝えられ
長崎などで
安価なとんぼ玉が多数作られた
↓↑
長崎の技法が
江戸で発展したもの(江戸とんぼ玉)
アイヌとの交易用に作られたもの(アイヌ玉)
奈良時代からの製法で作られたもの(泉州玉)
根付けやかんざしなどの装飾品に使用された
↓↑
ガラスはエジプトで発明・・・
中国
隋や唐の時代
「火齊珠・玻璃」
石英・水晶・玻璃・・・巴里=Paris?
↓↑ ↓↑
トンボ=秋津=あきづ=厭きず?
・・・秋津島=日本=倭・大和=神国
「ガラス玉(とんぼ玉)」は
吉野ヶ里遺跡でも
出土している
↓↑
人間の移動は「文化の移動」でもある
日本言語の「文字文化」は
たかだか
「紀元712年(?)
720年(?)」
ではあるが
「言語伝播」
「思想伝播」
は
「風林火山」のゴトク
「アル単語」に於て
「日本語(和語)=中国語(支那、中華、漢語)
=ギリシャ語(希臘語)
=ラテン語(拉典語)
=イギリス語(英語)」
には共通な接点が存在する・・・
だが、
何故「大和語」を「日本(ニホン)語」とするのか、
何故「ブリテイッシュ・イングルシュ」を漢字で、
『英』の『語』としたのかを考えてみるべきである
英=艹+央=偀
偀=亻+英
エイ
はな(華・花)
はなぶさ(花房)
ひいでる
実のならないはな(華・花)
はなびら(花弁)
はなぶさ
はなしべ(ハナシベ)・・・話部・噺部
=蘂=艹+橤
蕊+木
艹+惢+木
艹+心+心+心+十+八
ズイ
しべ
花の中心にある生殖器官
めしべ・おしべ
草木の群がり生えるさま
橤=蕊=㰑
蘂=艹+橤
蕊+木
艹+惢+木
艹+心+心+心+十+八
ズイ
しべ
花の中心にある生殖器官
めしべ・おしべ
草木の群がり生えるさま
橤・蕊・㰑
橤=雌蕊(めしべ)と雄蕊(おしべ)
「橤橤(ずいずい)」は、垂れ下がるさま
蕊(艹+惢)=蕋=蘂
すぐれている
美しい・秀でている・優秀な人物
名誉・ほまれ
芽生え
↓↑
「古事記」や「日本書紀」が
「書き写」され、「改竄」されてきた
可能性のあることも・・・
古代ギリシャ
古代中国
古代日本
に於いても事物を説明するモノとしての
「言語構造」は「時代の合理」そのものなのだ
「合理性のモノ」も
「非合理性のモノ」も
「言葉」で「合理的に説明」されてきた
しかも
「非合理性のモノ」と「非業理性の者」にこそ
「人間のタマシイ」を動かす
「チカラ」があった・・・
現在もその「チカラ」を発揮する・・・
事実に於いても虚偽に於いても・・・
凄いね・・・C国・K国・・・
ソ連はイデオロギーの官僚国家だったが
実質的な最高権力者は
「書記長」だった・・・
遺される「事実の記録」性である・・・
C国・K国は・・・
「孫子の戦乱継続国家」である・・・
・・・
「アルモノ(種)→不理解→未知→不思議(∞=無限)」
であるから
「気持ちが動く」・・・
「種の生長結果」がわかれば
「アタリマエ=合理プロセスの結果=常識」
になる
だが「種の構造とその変化形態」を知ったとしても
「存在自体」の説明は
遥か未来に於いても
「無理」と云うモノである
人間(考える葦)である限り
「非合(業)理性のモノ
(それ自体が存在すること)」
はなくなりはしない
そして
「異霊(ことだま)」も
「文字霊(もじだま)」も
増殖しつづける・・・
「ことばの欠落=知識の欠落(焚書坑儒)」
の例は
「合理的な『始皇帝』」
を手っ取りばやく、即、
「神=仙人」に直結させた
ヴァージョンアップし
「マニュアル」化した
「単純操作手順知識」だけの
「コンピュータ社会の人間」は
「コンピュうた」そのものを
自分の手で造らなくなるカモ・・・
人間を
「原始人以下」にすることを保証している(?)
だから幸か、不幸か
「ワ・カ・ら」ないことも
考える必要はなくなる・・・
ーーーーー
トンボ(蜻蛉・蜻蜓・dragonfly・damselfly)
細長い翅と腹を持った昆虫
蜻蛉目(トンボ目、Odonata)
卵~幼虫~成虫
成長段階を経る
不完全変態の昆虫
幼虫=ヤゴ
腹腔中に一種のエラをもち
淡水中で過ごす水生昆虫
↓↑
トンボの
成虫の
頭部は丸く複眼が大きい
約270°もの視界
ー↓↑ーー
古くは
トンボを
秋津(アキツ、アキヅ)と呼び
日本の国土を指して
秋津島(あきつしま)とする
『日本書紀』
山頂から国見をした
神武天皇が
「あきつの臀呫(となめ)の如し」
トンボの交尾のよう(な形)だ
といい「秋津洲」の名を得た
『古事記』
雄略天皇の
腕にたかった
アブを食い殺した
トンボ
「倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と」
呼んだ
↓↑
み吉野の
袁牟漏が岳に
猪鹿(しし)伏すと
誰ぞ
大前に奏(まを)す
やすみしし
我が大君の
猪鹿(しし)待つと
呉座にいまし
↓↑
白栲(しろたへ)の
衣手着そなふ
手腓(たこむら)に
虻かきつき
その虻を
蜻蛉早咋ひ
かくの如
名に負はむと
そらみつ
倭の国を
蜻蛉島とふ
↓↑
方言
「あきつ・あきず・あけず・あけす
あけーじょ・はけーじゃ
とんぷ・どんぼ」
↓↑
トンボ語源
「飛羽」・・・トビハ・トンバウ・トンボ
「飛ぶ穂」・・トブホ・トンボ
「飛ぶ棒」・・トンボウ・トンボ
↓↑
湿地や沼
ダンブリ、ドンブ、タンブ・トンボ
↓↑
東方にある地=トウホウ・トンボ
高いところから
落下して宙返り=ツブリ・トブリ・トンボ
↓↑
「蜻蛉」=カゲロウ
旧くは
「トンボはカゲロウの俗称」
新井白石
物名語源事典
『東雅(二十・蟲豸)』
「蜻蛉 カゲロウ
古にはアキツといひ
後にはカゲロウといふ
即今俗に
トンボウといひて
東国の方言には
今も
ヱンバといひ
また
赤卒(赤とんぼ)をば
イナゲンザともいふ也」
と、カゲロウをトンボの異称
幼虫
ヤゴ
-↓↑ーー
陽侯 麻呂(ヤコ の マロ)
奈良時代の官人
姓は史
大隅国守
陽侯氏(陽侯史・陽侯忌寸)
隋の煬帝の子孫
達率
楊候
阿子王
の末裔を称する
渡来系氏族
氏は
楊候・楊胡・陽候・陽胡
とも記録
文武天皇四年(700年)
僧の
通徳が還俗して
「陽侯史」
の姓と
「久爾曾」
の名を与えられ
「勤広肆」に叙せられた
↓↑
大隅国守在任中の
養老四年(720年)
反乱の隼人に殺害
↓↑
同年2月29日
大宰府から朝廷に届けられ
「隼人の反乱」が勃発
↓↑
鹿児島県
鹿屋市の伝承
陽侯麻呂が最期を迎えたのは
鹿屋市
永野田町付近
↓↑
養老四年(720年)
隼人は
大隅守
陽侯史麻呂
を殺害し律令国家に反乱
大和朝廷は
大伴旅人を
征隼人持節大将軍に任命
抵抗を鎮圧
↓↑
大隅国
国府は
国分市
陽侯麻呂
は地方巡検で現地逗留中に襲撃を受けた・・・
↓↑
鹿屋にはかつて
国司山(国司城)という遺跡があり
そこが官衙の跡・・・
国司山を馬で脱出した陽侯麻呂は
大姶良町
横山まで駆け抜け
名貫川を跳び越え
ついに追い詰められ
山上で自害
すぐには死に切れず
水を求めて
泉のほとりまで下りてから絶命
その場所が国司塚・・・
国司塚一帯を管理していたのは
永田良吉の先祖
永田家では千年以上にわたって
旧暦1月14日夜に
「国司どんのお通夜」
と呼ばれる祭りを
国司塚跡で執り行っている・・・
↓↑
「隼人の反乱」は
大和王府軍の最高指揮官
持節大将軍
大伴旅人・・・大伴家持の父
に鎮圧
↓↑
「続日本紀」
文武天皇、元明天皇、元正天皇
文武天皇四年(700)
薩末比売(さつまひめ)
久売(くめ)
波豆(はず)
衣君(えのきみ)
肝衝難波(きもつきのなにわ)
等が
国使(くにをもとめるつかい)
刑部真木
らを脅した
朝廷は
大宰府に命じてこれを罰した
↓↑
大宝二年(702)
薩摩の多(たね)
が朝廷の意に従わなかったため
これを征した
この結果
戸籍を作り吏を置き
薩摩が
律令体制下に置かれた
和銅六年(713)
大隅国が設置
隼人征討功績の
将軍や
士卒千二百八十余人
に勲が授けられた
↓↑
養老四年(720)
大隅国守
陽侯史麻呂(やこのふひとまろ)
が地元勢力(隼人)に討たれ
朝廷は
大伴宿禰旅人
を
征隼人持節大将軍
副将軍
笠朝臣御室
巨勢朝臣真人
らをあて一万余の軍勢を派遣し鎮圧
隼人側は
七ケ所の城に立て籠もり
戦いは一年数ヵ月続いて
朝廷軍が勝利
軍団が帰還した際
斬首・捕虜合わせて
千四百余人あったと記録
反乱の後
隼人の慰霊・鎮魂のために
宇佐八幡の
「放生会」儀式・・・
↓↑
大宝二年(702年)八月一日
「隼人の反乱(薩摩・多褹の叛乱)」
日向国を割いて
唱更国
多褹国
が分立
↓↑
和銅六年(713年)四月三日
日向国の
肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡
の四郡
鹿児島県本土の東部が
大隅国として分立し
大隅国の始まった
↓↑
囎唹郡を割いて
桑原郡(姶良郡湧水町周辺)が
天平勝宝七年(755年)
囎唹郡を割いて
菱苅郡(伊佐市周辺)が設けられ
六郡となった
↓↑
天長元年(824年)十月一日
屋久島
種子島
にあたる
多禰国をあわせた
この際、四郡あった
多禰国の郡は
二郡に統合
大隅国は八郡となった
↓↑
平安時代
荘園の進展で
姶羅郡(鹿屋市周辺・姶良郡は別)
がその実を失い
肝属郡に編入された・・・
↓↑
明治十二年(1879年)
奄美群島(大島郡)を編入
明治三十年(1897年)
三島村
十島村
地域が
薩摩国川辺郡から
大島郡に編入
↓↑
寛弘四年(1007年)
大隅守
菅野重忠が
太宰府府官
大蔵満高
に射殺
長元二年(1029年)
太宰府大監で
島津荘の開発者であった
平季基
が
大隅国衙を焼討し
国衙支配が壊滅的打撃を受け
諸国介入を強める太宰府と対立
背景は
南島との交易利権
↓↑
国の中心となる神社であった
鹿児島神宮に八幡神を勧請し
九州五所別宮となる
正八幡宮が成立
↓↑
平季基
は賄賂を駆使し
藤原頼通
に島津荘を寄進
現地に住み着いた
国土は実質的に
島津荘
と
正八幡宮領
に二分・・・
ー↓↑ーー
英語
ドラゴンフライ=dragonfly
独逸語
リベレ=Libelle
仏蘭西語
リベリュル
リベリュール=libellule
伊太利語
リベッルラ=libellula
ー↓↑ーー
トンボ鉛筆
1913年
小川春之助(おがわはるのすけ)が
「小川春之助商店」開業
1914年
最初の銘柄えんぴつ
「MASON(メーソン)」発売
中世の高い地位にあった
石切り、石工、石細工職人の意味
日本建設をする筆記具
「MASON」+「H.O.P.」
(Harunosuke Ogawa Pencil)
頭文字が刻印
↓↑
「TOMBOW DRAWING PENCILS」
1928年
えんぴつ
トンボのマークが付けられた
↓↑
トンボ(トリムマーク=trim mark)
トンボ=印刷物の断裁位置を明確にするため
必要不可欠な「しるし」・・・?
トンボ=印刷に必要なカット指示・・・?
↓↑
Tombo=trim mark
+
printer mark・crop mark
↓↑
「写真などをトリミングする」
四隅に配置されるトンボは
コーナートンボ
中心に配置されるトンボを
センタートンボ
このセンタートンボが
昆虫のトンボに似た形
が「トンボ」の由来
ーーーーー
・・・???・・・
たんぼ=田圃・・・「とんぼ」・・・「たんば=丹波」・・・
「た・タ・多」+「む」+「ぼ」・・・
「た・ち・つ・て・と」+「んぼ(むぼ)」・・・・