2511日目・・・ジシン・ヂシン、ドウオンのカンジ、結構あるなぁ〜・・・「9日午前1時32分ごろ、島根県西部を震源とする地震があり、震度5強」・・・「平成30年4月9日13時53分・気象庁発表 ・震源地、島根県西部(北緯35.2度、東経132.6度)・震源の深さは約10km、震度5強・地震の規模(マグニチュード)は3.2と推定」・・・

 戊戌(辛・丁・戊)
 丙辰(乙・癸・戊)
 辛未(丁・乙・己)
  ↓↑
 戊子(壬・ ・癸)0時
 己丑(癸・辛・己)1〜3
 甲午(丙・ ・丁)11〜13
 乙未(丁・乙・己)13〜15
ーーーーー
 ・・・ハルだけれど・・・
  ↓↑
 群来(くき)・・・九鬼・久喜・茎・久木・句記・「岫=山+由」
                  九期・旧記⇔国記?
       岫=くき・いわあな・みね・シュウ・コウ・ユウ
         山の洞穴・山の峰・土窟・岩穴・巌穴
         「骨(かばね)、巌(いはほ)の岫に積みたり」
          (欽明紀)
         「玉釧(たまくしろ)まき寝し妹(いも)を
          月も経ず置きてや越えむこの山の岫」
          (万葉集・三一四八)
          岫雲==山の窪みから出る雲
 群来=「魚が産卵」のために沿岸に大群で来ること
    グンキ⇔軍記・軍旗・軍器
  ↓↑
 鰊(魚+柬)・・・柬=えらぶ・カン・ケン
 鯡(魚+非)・・・非=あらず・ヒ
 鰊=鯡=ニシン=二審・二進・二神・邇神・にしん
 春告魚=シュンコクギョ=隼国禦・・・隼国御示?
 が産卵のため海岸に大群で押し寄せ
 産卵・放精によって海の色が
 乳白色になる・・・乳=孚(爫孑)+乚(乙)
           はぐくむ・かえす・卵をかえす・孵(フ)
           養い育てる・孚育・まこと・まごころ
           信じる・あう・授ける・覆う・育む
           孵と通じて卵を孵す
           俘と通じて虜囚、囚える
           稃と通じて穀物の外皮
           莩と通じて新芽
           浮と通じて浮かぶ
          白=丿+日(曰)・いわく・しろ・新羅
          色=⺈(魚の頭)+巴(横倒しの日+乚)
            横倒しの日=日置=鹿児島県日置市
            日置市(ひおきし)=鹿児島県の
            中央部(薩摩半島) に位置
            薩摩焼の歴史的地域
            旧東-市来町美山地区の窯元、陶器の街
            日置(ひおき・ひき・へき・ニッチ・ジッチ)
 ↓↑
 群来(くき)
 ウシ=うし=牛・丑=アイヌ語、ペコ(peko)
 アイヌ語
 「ウシ」は「ある・有る・在る・或る」
 アイヌ語で「にしん」を「ヌーシィ」
 アイヌ語で「にしん」を「ヘロキ」、「エロキ」
            「ヘルキ」、「ヘロギ」
 数の子=ニシンの別名(アイヌ語語源)で
     鰊(かど・レン)・・・鹿渡・過度・加斗or鍊・聯・連
     その玉子(卵)なので「かどの子」が訛った
     春告魚(はるつげうお)
     ヘリング Herring・Häring
     鯡(にしん・はららご・ヒ)・・・似審・似震・邇神or非
 「ウシ=・・・の群来(群在)するところ」
     魚(鮭)の群来(群在)するところ」
  ↓↑
ーーーーー
 群議 群居 群系 群游 群聚 群鴉 鶏群 晶群 群峰 群僚 群棲 群狼
  ↓↑
 群疑満腹(グンギマンプク)
 群蟻附羶(グンギフセン)
 群軽折軸(グンケイセツジク)
 群雄割拠(グンユウカッキョ)
 群竜無首(グンリョウムシュ)
 鶏群一鶴(ケイグンイッカク)
 鶏群孤鶴(ケイグンコカク)
 邑犬群吠(ユウケングンバイ)
 離群索居(リグンサッキョ)
  ↓↑
 一群 逸群 岩群 魚群 魚群 群泳 群起 群議 群居 群系
群行 群婚 群山 群衆 群集 群書 群小 群臣 群雀 群星
群棲 群生 群生 群青 群籍 群叢 群像 群体 群団 群鶴
群党 群島 群盗 群発 群飛 群舞 群峰 群雄 群羊 群来
群落 群吏 鶏群 語群 混群 出群 晶群 星群 大群 超群
馬群 抜群 離群 一群 群雨 群雲 群肝 群集 群竹 群遊
竹群 群聚 群游 群烏 群群 群鴉 群山 群雀 群鳥 群馬
ーー↓↑ーー
 ザスーラ(Zathura)
      Zat・・・オランダ語Zat
           日本語=土=Tsuchi
      ZAT(Zariba of All Territory
             全地域防衛機構)
        zariba=アフリカで
            村や宿営地の防衛柵
            Protective wall
            バリケード
            barricade、阻塞
            バーリア
            barrier、柵・障壁
     バリア=障壁・関門・関所・防壁・柵
     境界・検問所・障害・(柵)障害物
     仕切り・国境の砦
     進行・接近を阻むもの
  ↓↑  ↓↑
     バーリヤ(Balija)=賎民・コジキ
     セルビアクロアチアボスニア
     の侮蔑語で
     ボシュニャク人への蔑称
  ↓↑    ↓↑
        hura
     ・・・フラ(ハワイ語: hula)は
     ハワイの伝統的な歌舞音曲
     フラにはダンス、演奏、詠唱、歌唱
     の全てが含まれる
     カヒコ(古典的なスタイル=古典フラ)
     アウアナ(現代的なフラ)
     フラは総合芸術で
     同時に宗教的な行為
     フラ⇔振ら・降り・震る・富良・普羅
        フら・フり・フる・フれ・フろ
     を学ぶための教室を
     ハラウ・・・祓う
     フラの師範を
     クム・・・・組む・汲む・酌む
     クムフラ
  ↓↑  ↓↑
 ・・・thura⇔トゥラ⇔トーラ(Torah)
 モーセ五書モーセごしょ)
 トーラ(Torah・ヘブライ語: תורה )
 ↓↑
 Thura=トゥーラ
 Thura
 トゥーラ・トゥラ
 Carpodacus thura
  《鳥》マミジロマシコ・・・眉白猿子?
 オランダ語
 「チュラ=thuraのお花(お花屋さん)」
 「Thru」は「through」を省略した形
 ↓↑ ↓↑
ーーーーーー
 文武四年六月庚辰条
 寛国使瓢劫事件
 薩摩半島北部に居住の
 薩末比売
   久売
   披豆
 薩摩半島南端居住の
 衣評督 ・助督の
 衣君
 大隅半島西岸部居住の
 肝衝難波
 肥人が連合し
 南島へ派遣された
 寛国使を剰劫
 南島=大隅諸島沖縄諸島 (南西諸島)の総称
  ↓↑
  ゴホウラ貝輪
  護法螺・水晶貝種・巻貝
  釧(くしろ)の材料
  北海道釧路?
  ↓↑
 くしろ(釧・釼・镯子)
     金+蜀(いもむし・ショク・ゾク)
     鐲・钃・躅・鐶
     蜀=
     ↓↑
     蜀は群れから離れて暮らす
     オスの野獣の意
     古くから四川省を指す地名・・・
     ↓↑
     钃=金+犀(サイ・かたい・するどい)
      さい「屬」の「蜀」の部位を「牛」
     屬=尸+=+l+=+罒+勹+中+ム
       異体字、属(簡体字新字体
       ショク・ゾク
       さかん・つく・やから
       ↓↑
       屬=仲間・同類
    「浮屠の屬にたぐへて
    (野ざらし紀行松尾芭蕉の紀行文)」
     屬=仲間・同類
     明治の官制で
     各官庁の下級の補助文官・判任官   
       ↓↑
     律令制
     坊・職・寮の主典(さかん)
     生物の分類上の一段階
     科の下、種の上  
  ↓↑
  釧=古代の腕輪
    貝・石・青銅・鉄などで作り
    青銅製のものには鈴をつけたものもある
    ひじまき・たまき
  釧=歴史民俗用語で
    古代
    飾りとして手首や臂(ひじ)にはめた輪
    石・貝・金属などで作る
    たまき・ひじまき・ひじたま
    くしろ
    中国語訳
    鐲(镯)子・手鐲(镯)
    日本語
    釧(クシロ)
    古代の装身具の一つ
    手首や肱(肘・ひじ)につける輪状のもの
  ↓↑
 「北海道の地名の
  釧路は、
  この古代の「釧」とは全く無関係・・・?
  古くは         有関係である
  「クスリ」と言い
  「久寿里・久摺・久須里」
  とも書いた・・・
  以下は「釧路」の地名の由来説
  (1)
  松浦武四郎著『蝦夷地の道国郡名字上書』
  「クシル(越路)と命名仕度候 <中略>
  舎利領、又根諸領の土人往来の処なれば、
  クシルと申候事に御座候。
  又一説、
  クスリにて温泉の薬水の義とも申候」
  ↓↑
 くしろ=釧
     ひじまき・たまき
     くしろつく=釧着く
     枕詞
     釧を着ける手から
     地名
    「手節(たふし)」にかかる
    「―手節の崎に今日もかも」
     (万・四一)
     万葉・九・一七六六
    「吾妹子は
     久志呂(クシロ)に
     あらなむ
     左手の
     吾が奥の手に
     纏きていなましを〈振田向〉」
  ↓↑
 語源説
 (1)朝鮮語 kusil(珠)と同源
   (万葉集=日本古典文学大系
 (2)クシシロ(櫛代)の義か  〔和訓栞〕
 (3)クサル(鏁=金偏に巣の旧字)の
   名詞形クサリの転
   珠や鈴に鎖つけたのがもとか〔大言海
 (4)クシ(奇)に接尾語ロを付した語
            〔日本古語大辞典〕
 (5)コヱシラセ(声令知)の義で
   鈴の音をいう語〔名言通〕
 ↓↑
 『広辞苑
 くしろ(釧)
 装身具の腕輪
 多く古墳時代の遺物
 石製品が多いが、銅・貝製品もあり
 小玉・小鈴をつけたものもある
 ひじまき・たまき
 ↓↑
 『大辞林
 くしろ(釧)
 古代、飾りとして手首や臂(ひじ)にはめた輪
 石・貝・金属などで作る
 たまき・ひじまき・ひじたま
 ーー↓↑ーー 
 太平洋の熱帯・亜熱帯海域
 日本では
 奄美大島以南の
 水深10m程度の珊瑚礁に生息
 殻高約18cm、殻質は重厚
 殻口は非常に大きく
 上方が螺塔より高い
 外唇縁は肥厚し
 上縁は丸く張り出し
 下縁には深い切れ込み
 ↓↑
 弥生時代初期から九州北部などで
 ゴホウラの殻を縦切りにして
 製作した貝輪
 当時の権力者(主に男性)の
 ステータスシンボル
 ↓↑
 貝の供給地
 前期は
 奄美大島
 笠利半島
 や
 沖縄本島東中国海側・・・
 中期は
 徳之島の東南沿岸部など・・・
 縄文時代後期中葉の
 市来式土器は
 奄美大島・徳之島・沖縄県にまで
 万之瀬川河口で
 奄美系土器が発見
 縄文時代後期に交通が開始
 ↓↑
 天武八(679)年
 の遣使の二年後
 使人によって
 多禰嶋の地図がもたらされ
 三年後
 大隅・阿多隼人の朝貢
 天武十三(684)年二月
 信濃の遣使
 地形が調査
 同年閏四月に
 信濃国の地図がもたらされ
 四年後
 持統六(688)年
 蝦夷朝貢
 信濃国
 蝦夷の国である越国と境を接していた
 ↓↑
 文武期
 「遣務
  広弐
  文忌寸博士等
  八人干
  南嶋寛国
  因給戎器」
 と、武器(戎器)を携えている
 遣使が行われた翌年に
 南島からの朝貢
 だが
 文忌寸らは
 薩摩半島
 大隅半島居住の
 隼人によって攻撃された
 隼人による
 寛国使
 剰劫
 696年五月
 契丹
 李尽忠
 孫万栄
 がおこした乱により
 河北道から
 遼東半島にまたがって混乱・・・
 698年の時点でも継続
 遼東半島山東半島を経由する
 北路を避けて
 南島路の開発・・・
  「寛国」=国設置のための調査
 隼人が有していた
 南島との交通公益利害
 ↓↑
 「薩末
  比売・久売・波豆、
  衣評督
  衣君願
  助督
  衣君
  皇自美、
  又肝衝難波、
  従肥人等
  持兵剰
  劫覚国使刑部真木等。
  於是勅二筑志総領へ 准犯決罰」
 「寛国便謝劫事件」に関わっている
 ↓↑
 隼人=薩末・衣君
    肝衝氏・肥人
 ↓↑
 持統元 (687)年五月乙酉粂
 賞賜
 隼人、大隅、阿多の魁帥等
 三百升七人。各有差。
 持統六(692)年閏五月己酉粂
 ↓↑
 詔筑紫大事河内王等日、
 宜道三沙門於大隅与阿多、
 可伝教
 『延書式』隼人司大衣条
 ↓↑
 凡大衣者、揮譜第内、
 置左右各人(大隅為左、阿多為右)
 ↓↑
 天武八(679)年
 倭馬飼部道連を大使とした
 多禰鴫-の遣使
 ↓↑
 朱鳥元(686)年九月
 大隅 ・阿多隼人とともに
 倭・河内馬飼部道が
 天武の残宮で許
 天武期
 ヤマト国家
 と
 阿多隼人との接触期で、移住期
 ↓↑
 百済
 豊章の弟、
 禎嘉王(ジョウカ王)
 崔姫(サイヒ)
 を手厚く遇したのは
 日向隼人の長(おさ)
 直坂麻呂(なおさかのまろ)
      ・・・直=あたえ・じか・チョク・ジキ(ヂキ)
           古代の姓 (かばね) の一つ
           大化改新以前の国造に与えられた
           「費」、「費直」とも書く
 ↓↑
 宮崎県
 宮崎郡
 田野町
 田野天建(あまだて)神社
 神社所蔵の
 巻子(かんす)本
 「田野大宮大明神縁起」
 冒頭に、
 「百済
  禎嘉
  流れさせ給ひ
  豊
  秋津州
  日向の国
  油津に御舟をよせ給ひ
  我がいまそがりける処は
  何(いづ)くぞと
  詠(なが)めさせけるに
  北にあたりて遥かなる山に
  五色の雲一むら
  まいさかりけるを
  まいさかりけるを
  これぞ我が住まいし処ぞと
  おぼしめし処ぞと
  おぼしめし」
 ↓↑
 日向で
 禎嘉王
 一家を
 遇したのは
 日向隼人の長(おさ)・・・日向の隼(隹十)の人
 直坂麻呂(なおさかのまろ)・・・直の坂麻呂
 ↓↑
 隼人首領
 木乃宮
 佐多彦
 とその妻
 結(ゆい)・・・禎嘉王の孫
 長子
 宇多彦
 彼ら、三名の首は
 晒された
 九州王朝
 と
 「百済」王族は滅びた・・・?・・・帰化人として生延びた
ーーーーー
 ・・・「魚座キリスト教パウロ教?)の時代の終焉」・・・
 地球
 自転・公転
 歳差運動=南極点を中心に独楽回転
 一回転=25920年
 12星座の配置上の
 春分点の位置が
 一星座30度を
 2160年で移動
 星座を1度移動するのに
 72年・・・七十二候?
 紀元前一年〜2000年
 春分点魚座
 魚座時代
 魚座のシンボルは
 二尾の魚・・・・弐尾=耳鼻=字備・・・尾張・吉備=備前+備後
 が
 「黄金の紐」
 で結ばれている・・・神々の宴会に怪物・テュポンが襲いかかった
           女神、アフロディーテ
           とその子
           エロス(キューピッド・ヘルメス)は
           慌てて魚に化けてナイル川
           逸(はぐ)れない様に
           尻尾を結んで飛び込んだ
           結ばれた尻尾とは
          「尸(かばね)の九」と「尸(かばね)の毛」
          「尸=し、しかばね=屍・かばね=姓・かたしろ
          「𡰣=コ+丿・¬+厂」は本字(正字通)」
 ↓↑
 象徴的人物はイエス・キリスト
 イエス・キリスト
 ヨハネの子
 シモン
 に
 弟アンデレの紹介で会った
 シモン兄弟は
 ガリラヤの漁師であった
 ↓↑
 ペテロ(シモン=Simon
     シメオン=Simeon=原義は「聞く、耳を傾ける」)
 ケファ=ケパ=ペテロ=岩
 を弟子とした
 キリストは
 「最後の晩餐」
 の後
 「あなたは
  鶏が鳴く前に3度・・・鶏が鳴く・・・にわとり=鶏・雞
 ↓↑        「俀王
            姓 阿毎
            字 多利思北孤
            號 阿輩雞彌」
           「王妻
            號 雞彌
           「卷八十一 列傳第四十六
 ↓↑         東夷 俀國(隋書)」
 ↓↑        「鶏鳴狗盗(斉の孟嘗君)」
 ↓↑        「鶏口牛後(蘇秦の対秦、六国従合策)
  私を知らないというだろう」
 と・・・
 ↓↑
 瓊瓊杵=ににぎ=邇々芸
 と
 木花之佐久夜毘売=木花開耶姫
         =神阿多都比売=神吾田津姫
         =鹿葦津姫=葦津姫
 の
 三子の
 魚師=海幸彦(長兄・あに・え)・・海人・阿毎
    海幸彦(火照命
    ↓↑・・・交替・交換・・竿と針
         互いの漁猟の道具を取り替え
          交替・交換・・弓と矢
               (弓箭=ゆみや)
 山師=山幸彦(末弟・おと・と)・・山人・詐欺
    山幸彦(彦火火出見尊・穂穂手見命
        火遠理命
 ↓↑
 記紀の名称表記
 山幸彦=火遠理命古事記
     彦火火出見尊日本書紀
 海幸彦=火照命古事記
     火闌降命(日本書紀
 ↓↑
 「日本書紀・本文」
 ホスセリが
 第一子、山幸
 ヒコホホデミ(ホオリ)が
 第二子、海幸
    ↓↑
 「我が故(もと)の
  鉤(ち)に・・・・鉤=金+句=釣り針
  非(あらず)ば、
  多(さわ)なりといえども
  取らず」
 ↓↑
 シオツチノオジ(シホツチノヲヂ)
 塩竈明神とも言う
 塩椎神(しおつちのかみ)(古事記
 塩土老翁・塩筒老翁(日本書紀
 塩土老翁先代旧事本紀
 別名、
  事 勝 国 勝 長 狭 神・・・狭=せばめ・さ・キョウ・ギョウ
 (ことかつくにかつながさ)
  ジショウコクショウチョウキョウ
  事象  石 章  調  教(経)?
 ↓↑   石=ペテロ(Pétros・Petrus)
 パウロ(Paulo・パウェル・サウロ)
            ・・・小アジアのローマの属州
               キリキア州
               タルスス生まれの
               ローマ市民権をもったユダヤ
 の紋章は
 魚(まな)がモチーフ
 水瓶座のマーク
 ↓↑
 「魚座時代」
 ↓↑
 BC1〜AD2015・・・
 ↓↑
 「水瓶座時代」
 ↓↑
 AD2015〜約2000年後・・・
ーーーーー
 春分点(vernal equinox)
 黄道天の赤道との
 2つの交点のうち
 黄道
 南から北へ交わる方の点(昇交点)
 この点が
 赤経0時
 かつ
 黄経0度で
 この点を
 太陽が通過する瞬間が
 春分
 (地球から見て、太陽が動いている)
 春分点
 黄道座標
 赤道座標
 の原点で
 天球上における春分点の位置は
 地球の歳差によって
 西向きに移動し
 その周期は
 25800年
 ↓↑
 Ariesは
 黄道十二宮
 白羊宮(黄経0°〜30°)で
 紀元前2世紀に
 「おひつじ座」に春分点があったので
 白羊宮が
 十二宮の起点となった
 ↓↑
 キリスト教
 「うお座」を神聖な星座
  'Ιησους Χριστος ,
  Θεου
  'Υιος Σωτηρ
  (イエス・キリスト、神の御子、救世主)の
 頭文字 Ι-Χ-Θ-Υ-Σ- を繋ぐと
 ギリシア語で「魚」を意味する
  'ιχθυς (ichthys)
 となる
 キリストが生まれたとき
 春分点
 「うお座」にあった・・・
ーーーーー
 ・・・ 「うお座」・・・「♓」・・・「二尾・弐尾」・・・
 ↓↑ 「♈♉♊♋♌♍♎♏♐♑♒♓」・・・
ーー↓↑ーー
 日置=へぎ・へき・ひき・ひおき
    幣岐・戸岐・比企
    職名に由来
    長門市
    鍛冶屋、鑪、火渡、金焼などの
    鉄冶業関連地名も多
   「日置」の語源も
   「火起=ヒキ」に由来・・・
   「愛智郡日置神社
    平安時代初期の
    宮中の年中行事や制度を記した
   「延喜式」に載る
    祭神は天太玉命応神天皇など
    日置の地名、社名は、
   「日置部」のあったところから起こった
    日置部は
    暦を司った
    祭神
    天太玉命(あめのふとだまのみこと)
    配祀左
    品陀和気命(ほむだわけのみこと)
    配祀右
    天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
    由緒、創建は不詳
    延喜式
   「尾張国愛智郡日置神社
    社名は
    暦を司る日置部に由来
ーーーーー
 日置
 ↓↑
 岐阜県郡上市、愛知県一宮市三重県津市
 愛知県愛西市日置(ヘキ)町発祥
 平安時代から記録、分布
 ↓↑
 京都府宮津市日置発祥
 奈良時代から記録
 ↓↑
 大阪府堺市東区の日置(ヒキ)荘から発祥
 平安時代から記録
 地名は「ヘキ」とも発音
 ↓↑
 鹿児島県日置市日吉町日置発祥
 鎌倉時代から記録
 ↓↑
 鳥取県鳥取市
 青谷町を流れる
 日置川の付近(日置)から発祥
 平安時代から記録
 ↓↑
 三重県津市一志町日置発祥
 平安時代から記録
 地名は
 「比於木」、「幣木」、「幣岐」とも表記
 ヒヘキ、ヘキの発音も・・・
 同地に分布
 ↓↑
 宮崎県児湯郡新富町日置発祥
 鎌倉時代
 「倍木」の表記で記録のある地名
 地名の現地音はヘキ
 宮崎県児湯郡
 日置山城から
 同地に
 上日置(ウワベキ)城があった
 ↓↑
 暦を司る日置部
 ↓↑
 高句麗
 京都府京都市平安時代
 日置造の姓氏があった
 ↓↑
 日置
 ヒオキ(日沖)
 コビキ(小日置)
 ↓↑
 ヒオキ(火置)
 ヒオキ(氷置)
 ヒオキ(旭置)
 ヒ キ(比企)
 ヒ キ(比気)
 ヒ キ(樋木)
 ヒ キ(日岐)
 ヒ キ(日木)
 ヒ キ(比氣)
 ヒ キ(挽)
 ヒ キ(飛気)
 ヒ キ(飛木)
 ヒ キ(比木)
 ヒ キ(疋)
 ヒ キ(引)
 ヘ ギ(枌)
 堺市東区
 日置荘
 「日置部(ひきべ)」集団の居住地
 中世には興福寺の荘園であった
 「日置荘」がおかれたことに由来
 明治時代
 萩原天神に合祀
 日置荘西町に
 日の神をまつってきた
 「日高宮(日高神社)」があった
ーー↓↑ーー
 鹿児島の日置・・・鎌倉時代から記録
 北緯31度38分1.4秒
 東経130度24分8.8秒
 日置市
 日置市位置図
 ↓↑
 1889年4月1日
 町村制施行
 現在の市域に以下の村が発足
 日置郡
 中伊集院村・下伊集院村
 東市来
 日置村・吉利村・永吉村
 阿多郡
 伊作村
 ↓↑
 姉妹都市・提携都市
 旧東市来町との提携
 弟子屈町(てしかがちょう)
 北海道
 釧路総合振興局管内
 川上郡にある町
 ・・・弟子(でし)が
    屈=尸+出(山山)⇔偏屈?屈強?
              屁理屈?
ーーーーー
 ・・・???・・・「日置」・・・
 「置=罒+十+目+乚(乙)」
    横目を交わらす
    縦目の乚(隠れる・イン
       乙=おつ・イツ)
 「乙」の字形
 「匿(かく)るなり
  𨒅曲(キキョク)・・・𨒅=辶+只=曲行するなり
               怖れる、恐らく
  して
  隱蔽する形に象る(説文解字・巻十二)」
  隠すための衝立のようなものの象形
 「讀みて隱の若くす」
 で、隠と音義ともに通じ
 「隠の異体字」・・・
 「ツバメ(燕・乙鳥・鳦)を表す
  𠃉と同一視される」こともある
 ・・・燕国=エンコク
      =三国時代の公孫氏の国
 ↓↑
 公孫=公(諸侯)の孫
    公の子である公子までは公族
    その子の公孫からは臣籍に下り
    公孫を氏とする・・・
 公孫僑(子産)=春秋時代の宰相
 公孫竜=戦国時代の思想家
 公孫鞅(商鞅)=戦国時代の政治家
 公孫衍=魏の官である犀首(公孫衍)
     更元七年(前318年)
     魏・趙・韓・燕・楚の
     五ヶ国の合従を組織し、秦を攻めた
 ↓↑
 遼隧の戦い(りょうすいのたたかい)
 三国時代の戦乱
 遼東で半独立政権を築いた
 公孫氏(燕王)と
 魏が
 遼隧(遼寧省海城市)で武力衝突
 遼東
 公孫氏
 は滅亡
 ↓↑
 晋書巻九七四夷傳
 「名を卑弥呼と曰う
  宣帝の平らぐ公孫氏なり」
 と記載
 卑弥呼
 西晋の始祖
 宣帝(魏の司馬仲達)に滅ぼされた
 「公孫氏」であった・・・
 東漢の外臣で
 4代50年に渡って
 遼寧省一帯に君臨した
 公孫氏の太守、
 渕(えん)を
 西暦238年に討ち
 曹魏の遼東平定が成る
 ↓↑
 237年 
 呉の
 孫権高句麗と通じ
 遼東へ親征を行おうとした
 魏は
 毌丘倹
 を派遣し
 鮮卑の軍を動かして遼東に駐屯
 孫権は親征を断念
 魏は公孫淵に対し上洛を命じたが
 公孫淵はこれを拒否
 挙兵して
 遼隧で
 毌丘倹
 を撃退
 同年
 公孫淵
 燕王を称し
 年号を
 紹漢と定め、独立
 周辺部族を掌握して
 玉璽を与え
 魏との国境をめぐり
 抗戦を継続
 ↓↑
 遼隧の戦い
 238年
 曹叡
 司馬懿
 に4万余の兵を与え
 公孫淵征伐を命じ
 公孫淵
 卑衍・・・卑の衍=あまる意・文章中に誤って入った余計な文字
          衍=語句中にまちがって入った不必要な文字
            衍字(エンジ)
      卑弥呼の余り?・・・壱(壹・臺)與or磐余
 楊祚・・・楊の祚=天からくだされる幸福・福祚
      天子の位・皇祚・聖祚・践祚
      重祚 (ちょうそ) ・帝祚」
 らに
 数万の軍を与え
 遼隧に派遣・・・ 隧=スイ・ズイ
            墓の奥へと通じる道
            地中の通路・トンネル(tunnel)
            隧道(すいどう・ずいどう)・隧路
            隋道・随道⇔隋所・隋書?
 卑衍が
 司馬懿を攻撃したが
 司馬懿
 胡遵らを派遣して
 卑衍を破った
 ↓↑
 公孫淵
 遼隧に数十里(二十里、六、七十里)の塹壕を掘り
 司馬懿の軍を迎え撃った
 遼隧の
 公孫淵の防衛陣が堅固と見た司馬懿
 東南に退却したとみせかけて
 国都の
 襄平を侵攻
 公孫淵は遼隧の軍を撤退させ
 都の守備に当たらせたが、
 敗退を繰り返し
 司馬懿に襄平を包囲される
       ・・・司馬の懿(壹+次+心)
             懿徳天皇=第四代天皇
             大日本彦耜友天皇日本書紀
            (おほやまとひこすきとも)
             大倭日子鉏友命(古事記
 ↓↑
 長雨の時期で兵糧が底を突き
 公孫淵は人質を出して和睦しようと画策
 司馬懿はこれを許さず
 公孫淵を捕え、処刑
 公孫淵の子
 公孫脩をはじめとする一族も討たれ
 遼東公孫氏は滅亡
 戦後
 司馬懿はこの地に魏へ反抗する勢力が再び生まれぬよう
 当地の15歳以上の男子を皆殺しにした
 ↓↑
 公孫淵
 孫権に援軍を求める使いを出し
 239年
 孫権は援軍として
 羊衜・・・羊の衜
 鄭冑・・・鄭(奠の阝)冑(由の冃)
 孫怡・・・孫(子の系)怡(心の台)
 を派遣
 曹叡が死去
 魏は遼東に対する配慮がなく
 羊衜
 らが
 遼東の牧羊城(旅順口)で
 魏の
 張持・・・張の持・・・・張(政)の持つ黄幡?
 高慮・・・高の慮・・・・高(句麗)の思慮?
 らを破って、
 その男女を捕虜として帰国
 ↓↑
 朝鮮半島中西部の
 帯方郡を境に
 南は韓と接し、
 東北は高句麗
 西北は烏丸・ 鮮卑
 西南は漢・魏の幽州と接する
 漢・魏は
 公孫氏政権があった為、
 遼東以東を
 絶域とみなし
 東夷諸国との通交を行わなかった
 二世紀後半
 黄巾の乱後の混乱に乗じ
 公孫度が遼東地方に半独立政権を樹立
 高句麗後漢と争いながら
 楽浪郡山東半島まで勢力を拡大
 204年
 公孫度の子・・・公孫の度(たび・ド)
 公孫康が・・・・公孫の康(やす・コウ)
 楽浪郡の南に
 帯方郡を設置
 ↓↑
 公孫度
 黄巾の乱以来の混乱に乗じ
 遼東地方に
 半独立政権を樹立
 民族・風習とも
 漢民族であるが
 その領土は
 朝鮮半島中西部の
 帯方郡を境に
 南は韓と接し
 東北は高句麗
 西北は烏丸・鮮卑と接し
 公孫氏の勢力圏である
 遼東以北の地は
 中華圏の北東端
 漢・魏など
 時の中華王朝からは絶域とみなされ
 公孫氏の勢力圏は半独立的な地方政権
 漢人
 公孫氏3代
 度(タク)
 康(コウ)
 淵(ふち・エン)=潭=渕
      ・・・水を深くたたえている所・海淵・深淵
         物事の出てくる根源・淵源
         底が深く水がよどんでいる所・瀬
         容易に抜け出られない苦しい境遇・苦境
 が
 50年にわたって
 遼東半島に樹立した
 地方政権(190〜238)
ーーーーー
 ・・・公孫氏・・・天孫降臨・・・辿遜交隣・・・
  遜=辶+子+系
   へりくだる・ソン
   退いて他にゆずる・遜位
   へりくだる・謙遜・不遜
   ひけを取る
   帝位を譲る
   劣る
   遜る=相手を敬って自分を低くする
      謙遜する・へりくだる
      ひけを取る
      遜色
ーーーーー
 ・・・