浮巣は不安定なもの・・・
2868日目・文字霊日記
にを=「ながら(乍?)川=息が長い」などの枕詞=鵜・鸕?
弚=八+弔
丷+弔
八+弓+丨
丷+弓+丨
push open
アイ
ひらく
《集韻》
音頹。弚靡,不窮貌。一曰遜伏
《莊子・應帝王》
因以 爲 弚 靡・因以 爲 波流
遜伏=辶+孫+イ+犬・・・スパイ?
挨=扌+矣・・・挨拶
↓↑
にお
琵琶湖の別称=鳰(にお)の湖
にお=淡海(あわのうみ=おうみ)
↓↑ ↓↑
丹尾・丹生・二夫⇔青湖・靑海・蒼湖・藍湖
粟生海⇔海栗(うに=雲丹・海胆)
青丹吉(あをに-よし)?
海栗の色
↓↑ ↓↑
鳰(にお)⇔・・・≠・・・鵜・鸕(う・ロ)
の
浮巣は
不安定なものとして歌に詠まれた
「潜る(隠れる)」
「浮かぶ」
「息長川(息が長い)」・・・長良川
などの枕詞
↓↑ ↓↑
長良川(ながらがわ) 乍ら
岐阜県
郡上市
大日ヶ岳に源を発し
三重県を経て
揖斐川と合流し
伊勢湾に注ぐ
木曽川水系の一級河川
濃尾平野を流れる
木曽三川の一
↓↑
長 良川 鵜飼
(ながらがわうかい)
正倉院所蔵の
702(大宝二)年
大宝年間の戸籍に
美濃国と伝えられる
「鵜養 部 目都良売
(うかいべのめづらめ)」
という記述
鵜飼いを生業とする集団が
美濃国に居た・・・
長良川の鵜匠は職名を
宮内庁
式部職
鵜匠
↓↑
舟首に篝火を付けた
鵜舟に鵜匠が乗り
10~12羽の鵜を手縄をさばき、操り
篝火で驚かせた
鮎を鵜が次々に捕る
鵜匠は常日頃から
鵜と一緒に生活し
鮎を捕らえる
鵜の捕った鮎は
鵜匠のより
吐き篭に吐かせられる
総がらみによる
巻き狩り漁法・・・巻物借りの真魚法?
↓↑
鵜舟に
鵜匠のほか
鵜舟を操る
「艫乗り(とものり)」
鵜匠と供乗りの助手である
「中乗り(なかのり)」
3人1組
鵜は
2羽で行動させる
↓↑
鵜飼に使用する鵜は
「海鵜」を使用
「川鵜」に比べ
「海鵜」の方が体が大きく丈夫・・・
↓↑
鵜が捕った鮎は
「歯形の鮎」といわれ
鵜のくちばし(嘴・喙)の痕が付いている
↓↑
1568(永禄十一)年・・・永の
禄を
拾う
一(はじめ・イチ)
六月上旬
武田信玄の使者
秋山伯耆守(ほうきのかみ)が
信長の嫡男
信忠と
武田信玄の娘
松姫との婚約に伴い
祝儀の進物を届けに
岐阜の
信長を訪問
三日目
信長は
秋山伯耆守を
鵜飼観覧に招待
捕れた
鮎(あゆ)を・・・・鮎=魚+占
信長自ら選び
甲府へ届けさた・・・
↓↑
1878(明治十一)年
明治天皇の岐阜巡幸
随行の
岩倉具視
らが鵜飼を観覧
天皇に
鮎が献上
岐阜県は宮内省(宮内庁)の管轄の中で
庇護を得ようとし
皇室専用の
「御猟場」
管理官の
「監守」役職として
「鵜匠」の設置願い
1890(明治二十三)年
長良川流域の3か所を
御猟場(御料場)と定め
通年の禁漁区とし
鵜匠は宮内省主猟寮に所属
↓↑
1922(大正十一)年
イギリス
エドワード皇太子が
長良川鵜飼を観覧
1936(昭和十一)年
1961(昭和三十六)年
喜劇王チャールズ・チャップリンが
長良川鵜飼を観覧
↓↑
愛媛県
大洲市・・・大洲真福寺・大須観音・古事記
鵜飼
大洲市=城下町・伊予の小京都
大洲の鵜飼は
岐阜県・長良川
大分県・三隈川
の鵜飼と共に
日本三大鵜飼
↓↑
弟=弚+丿
八+弔+丿
丷+弔+丿
八+弓+丨+丿
丷+弓+丨+丿
ダイ
デ
テイ
おと
おとうと
兄弟のうち・年が下の者
弟子(でし)・門人
ある師から教えを受ける人
自分をへりくだって呼ぶことば
順序・ついで=第
ただ・それだけ・~のみ・限定の意
したがう
兄や目上の者に対して従順に仕える
↓↑
悌=心+弟=面影・於母影・・・森鴎外
ーーーーー
・・・