1843日目・・・「写字生(エズラ記7:6)」であった「以斯拉」がナンで「エズラ=Ezra」と発音で音読出来るのか?・・・「以遠・以往・以下・以外・以後・以降・以上・以西・ 以前・以東・以内・以来」、「斯界、斯学、斯道」・・・「瓦斯 (ガス)・螽斯 (きりぎりス) ・窒扶斯 (チフス) ・波斯 (ペルシア・ハシ・ハス)・斯波(シバ)氏 ・・斯(か)く、斯(か)く、しかじか(云々・然々)・・・拉(ラ・ラツ・ロウ・ひしぐ・くじく=挫く・強引に連れていく)、「拉致 (ラチ・ラッチ) ・拉麺(ラーメン)・拉薩(

 「写字( copying・transcription
  写字生=copyist・amanuensis」
 も漢字、換字の「訳語(トゴ・ヤクゴ)」である・・・
 ギリシャ語「グランマテウス=書士・公に教え諭す者」
 ヘブライ語「ソーフェール=数える」の訳語
       素緒増え重る
       措緒附重得留
 ・・・?・・・
ーーーーー
 舎人親王
  ↓
 天武天皇五年(676年)
  〜
 天平七年十一月十四日(735年12月6日)
 享年六十歳
 舎人皇子(とねりのみこ)
 天武天皇
 第五皇子(第三皇子?)
 知太政官事一品
  ↓
 「長屋王の変
 天平元年(729年)二月
 塗部君足・・・・・・塗り部の訓蛙詞
 中臣宮処東人・・・・あてるオミ、
           視哉、書の蛙通万訊
           急所を問う訊(字務)
 の讒言、密告により
 藤原宇合(うまかい・馬飼)に・・・馬会
                  葉歌意
 包囲、拉致
  ↓↑
 舎人親王
 母親の
 新田部親王と共に
 「長屋王
 (父は高市皇子
  母は御名部皇女・・・・・音名部
  妻は吉備内親王・・・・・吉備←日下部皇子の娘
                 久坂玄瑞
  子は膳夫(膳部)王・・・膳夫(かしわで)
  親新羅派)」
 を糾問し、自害させた
  ↓↑
 舎人親王
 贈・太政大臣
 淳仁天皇の父
 諡号
 「崇道尽敬皇帝
 (スドウジンケイコウテイ)」
 「日本書紀(養老四年・720年・五月二十一日)
  (紀三十巻・系図一巻←行方不明?)」
 編集上奏の中心人物である・・・「系図一巻」が何処かに隠蔽されたか委棄(遺棄)された・・・?
 ブログ記事を調べていたら、以下の記事があったので、添付しておく・・・
  ↓↑
 伊藤博文(ひろぶみ・ハクブン)は
 山尾庸三と一緒に
 「塙己保一(寅之助
       失明後は
       辰之助
       号は
       多聞房)」
 の息子
 「塙次郎-忠宝」を暗殺した・・・
 彼は「廃帝事例調査」していた・・・?
  ↓↑
 「伊藤博文、ベルリンの酒場で、塙次郎暗殺を懺悔」
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/514303/e/76b941ff3a106ae3c763f99ab4c954a2
  ↓
 ペルシャ=波斯
  ↓
 伊蘭・伊朗・意蘭
 イラン
  ↓
 フランツ・フォン・シーボルト
 長男
 アレクサンダー・フォン・シーボルトの日記・・・?
 伊藤博文が語った
 文久二年(一八六二)十二月二十一日夜
 塙次郎忠宝〈ハナワ・ジロウ・タダトミ〉
 暗殺の一部始終を記録・・・?
 日記の原書
 (Alexander von Sievolt“Die Tragebücher・A 1866〜1892
  Herausgegeben von Vera Schmidt・
  Harrassowitz Vertag・Wiezbaden/1999)
 1882(明治十五)年三月二一日(土曜日)
 の日記
 伊藤の秘書の
 伊東巳代治(ミヨジ)・・・視よ、字・・・苗字?
 も居合わせた
 ベルリンのヒラーなる酒楼で・・・
 伊藤のこの夜の告白が、
 シーボルトには
 伊藤博文(ハクブン)の
 本心からの懺悔だと思えた。・・・?
 彼はこれを綴った日の
 日記の最後の言葉を
 「美しき魂の告白!
 (Gestaendnisse einer schönen Seele!)」
 と結んでいる。
 なお、
 シーボルトは子供のころから
 父・フランツ・フォン・シーボルトについて、
 日本語に堪能で、
 日本外務省の通訳をつとめていた。
ーーーーー
 ・・・ボク的には「伊藤博文(ハクブン)」が「本心からの懺悔」だとは思われない・・・「廃帝事例調査」=「天皇家系図」=「明治天皇」に関わる大問題であるからだ・・・「日本書紀・紀三十巻・系図一巻←行方不明」であるカナ・・・?・・・
 「博文=ハクブン=白文=博聞」である・・・
 「1000円(千円・阡圓=センエン=撰圓・遷延・箋重武・箋絵毋)札(昭和38年・1963年)」の肖像である・・・撰縁かも・・・
 「毋(なかれ・ない・ブ・ム)」は
  女性を犯すことを禁ずることをあらわす字形で
 「毋」=女+一」
 「毋」の類字は
 「母(はは・ボ)」
 「毌(つらぬく・カン)=貫」・・・238年、魏の「毌丘倹」で「燕王の公孫淵」を「司馬懿」と共に滅ぼした。244年、高句麗の「丸都」を攻めて落した・・・255年、最後は「司馬師」に文欽・文鴦と共に叛したが、逃亡中に安風津の「張属?」に殺された・・・
 伊藤博文は1909年10月26日、「安重根」に暗殺されたが・・・全くの「暗重根」である・・・それにしても「父は百姓、林十蔵(重蔵)」だったが、
 父の
 林重蔵が
  ↓
 蔵元付中間・・・中間=武士の最下級、侍の下、小者の上
 水井武兵衛の
 養子となり
  ↓
 水井武兵衛が
 安政元年(1854年
 周防
 佐波郡
 相畑村の
 足軽
 伊藤弥右衛門の
 養子となり
 伊藤直右衛門と
 改名
  ↓
 重蔵
 博文
 父子も
  ↓
 足軽
 伊藤重蔵
 伊藤博文
 となった・・・
 林(百姓)→水井(中間)→伊藤(足軽)・・・
 ・・・「足軽伊藤博文」は、最初は「慎重な朝鮮独立擁護派」だったが・・・韓国を取り巻く、西洋帝国主義的列強の国際情勢の中で「日本の選択」は緊迫していた・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「舎人」
 「皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者。その役職」、「との(殿)い(入)りの音変化?」との説があるらしい。ならば、ボク的には「訳之意(トノイ)・伝(デン・傳)入」である・・・中国語では漢字そのものの「舎=𠆢+土(十一)+口」意味で、厩(うまや・馬小屋・馬舎・馬飼いの宿舎、厩舎)であり、「貴人の馬の口取りをする人」である・・・律令制度の日本では「大舎人(おほどねり)・内舎人(うどねり)・小舎人(こどねり)」などの序列があった。「駅舎・官舎・厩舎(キュウシャ)・校舎・宿舎・ 精舎(ショウジャ)・病舎・兵舎・茅舎(ボウシャ)・寄宿舎」で、「 軍隊の一日の行程」、「三舎 」、「寄宿舎」の略、「舎監」、「自分の身内を謙遜していう語・親族で自分より目下の者。舎弟」・・・
 詰まる所、「写人=シャジン=舎人」で、「舎人」は「記録係」の意味となった、である・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 エズラ記・・・以斯拉記
第2章
2:1
バビロン・・・葉備論(賂務)
の王
ネブカデネザル・・・禰武掛出音挿(指)留
に捕えられて、
バビロン・・・葉備論
に移された者のうち、
捕囚をゆるされて
エルサレム・・・重留作(差)例務
および
ユダ・・・委太・指田・湯田・弓田
     臾(臼人)拿→碓人→小碓・倭男具那
     諭拿・喩拿
に上って、
おのおの
自分の町に帰った
この州の人々は
次のとおりである。
2:2
彼らは
ゼルバベル、・・・是留葉部留
エシュア、・・・重取蛙
ネヘミヤ、・・・音経視哉
セラヤ、・・・施等哉(埜)
レエラヤ、・・・例重等埜
モルデカイ、・・・漏留出甲斐(解)
ビルシャン、・・・備留写務
ミスパル、・・・視素葉留
ビグワイ、・・・尾具和意・・・本居宣長
レホム、・・・例補ム(武・謀・務)
バアナ・・・葉蛙名

共に帰ってきた。
その
イスラエルの民の
人数は次のとおりである。
2:3
パロシ・・・葉賂詞
の子孫は
二千百七十二人、
2:4
シパテヤ・・・施葉弖(氐・弟・頽・出)哉
の子孫は
三百七十二人、
2:5
アラ・・・蛙等・阿等・吾等・新等・荒
の子孫は
七百七十五人、
2:6
パハテ・・・葉把弖(氐・手)・・・馬羽弖

モアブ・・・摸蛙伏(部)
の子孫
すなわち
エシュア・・・重取蛙

ヨアブ・・・与阿武
の子孫は
二千八百十二人、
2:7
エラム・・・重等務
の子孫は
一千二百五十四人、
2:8
ザット・・・指(挿・覚・座・坐)通訳
の子孫は
九百四十五人、
2:9
ザッカイ・・・指(挿・覚・座・坐)
       通
       解・歌意・下意・掛意
         甲斐・蝦夷
         海・会(會)→会津
の子孫は
七百六十人、
2:10
バニ・・・・葉(馬・羽・芭・把)
      似(爾・邇・迩・耳・尼)
       群馬・奥羽・芭蕉・把握
の子孫は
六百四十二人、
2:11
ベバイ・・・俳唄・部葉意・辺歯(罵)意
の子孫は
六百二十三人、
2:12
アズガデ・・・蛙事臥(画・雅・賀)出
の子孫は
一千二百二十二人、
2:13
アドニカム・・・蛙(阿・吾)土似掛務
の子孫は
六百六十六人、
2:14
ビグワイ・・・尾(備・美・靡・琵・毘)
       具(愚・虞)
       話(和・倭・羽)
       意
       
の子孫は
二千五十六人、
2:15
アデン・・・蛙出務
の子孫は
四百五十四人、
2:16
アテル・・・当てる・充てる・宛てる・中てる
      蛙氐(弖・手・𠂤)留
       氐=氏+一・・・得字の一(哉)
       弖=弓+一・・・諭観の一(哉)
の子孫
すなわち
ヒゼキヤ・・・比是記哉(埜)
の子孫は
九十八人、
2:17
ベザイ・・・俳指(挿)意
の子孫は
三百二十三人、
2:18
ヨラ・・・与等
の子孫は
百十二人、
2:19
ハシュム・・・葉取(種・諏・首)務
の子孫は
二百二十三人、
2:20
ギバル・・・義葉留
      技葉留
の子孫は
九十五人、
2:21
ベツレヘム・・・別(捌)例経武
        ベ=俳・部・辺・邊
の子孫は
百二十三人、
2:22
ネトパ・・・音訳葉
の人々は
五十六人、
2:23
アナトテ・・・蛙名訳堆(弖・氐)
の人々は
百二十八人、
2:24
アズマウテ・・・東撃て
        蛙事万得堆(𠂤)
        吾妻得弖(氐)
の子孫は
四十二人、
2:25
キリアテ・・・記理蛙堆(弖・氐・出)

ヤリム、・・・埜理務
ケピラ・・・・懸比等(羅・蠃)
および
ベエロテ・・・俳重賂出
の子孫は
七百四十三人、
2:26
ラマ・・・・・等万(萬・馬・摩・磨・真)
および
ゲバ・・・・解葉・下馬・刈葉・外葉
の子孫は
六百二十一人、
2:27
ミクマシ・・・見句馬史
の人々は
百二十二人、
2:28
ベテル・・・俳出留
および
アイ・・・蛙意
の人々は
二百二十三人、
2:29
ネボ・・・音模
の子孫は
五十二人、
2:30
マグビシ・・・万具備詞(施)
の子孫は
百五十六人、
2:31
他の
エラム・・・重等務
の子孫は
一千二百五十四人、
2:32
ハリム・・・葉理務
      針務・・・三浦按針
の子孫は
三百二十人、
2:33
ロド、
ハデデ・・・葉出弟(頽=くずれ・タイ・デ)
            頽廃
および
オノ・・・各・尾野・小野・小埜
     𨨞・自・斤・斧
の子孫は
七百二十五人、
2:34
エリコ・・・重理拠
の子孫は
三百四十五人、
2:35
セナア・・・施名蛙
の子孫は
三千六百三十人。
2:36
祭司は、
エシュア・・・重首(取・諏)蛙
の家の
エダヤ・・・重太(拿)哉
の子孫
九百七十三人、
2:37
インメル・・・意務目留
の子孫
一千五十二人、
2:38
パシュル・・・葉集留
の子孫
一千二百四十七人、
2:39
ハリム・・・葉理務
      針務
      張務・・・張政・朝清
の子孫
一千十七人。
2:40
レビ・・・例備
びとは、
ホダヤ・・・補拿哉(埜・夜)
の子孫
すなわち
エシュア・・・重取出

カデミエル・・・歌(掛・化・仮)で見える
の子孫
七十四人。
2:41
歌うたう者は、
アサフ・・・蛙作(差)附
の子孫
百二十八人。
2:42
門衛の子孫は、
シャルム・・・写留務・舎留務
の子孫、
アテル・・・当てる
の子孫、
タルモン・・・太留文・・・太安万侶の文
       足文・多留(樽)摸務
の子孫、
アックブ・・・蛙通句部
の子孫、
ハテタ・・・葉氐(弖)多
の子孫、
ショバイ・・・書葉意
       処梅・・・梅里→徳川光圀
       諸唄・・・和歌・民謡・節
の子孫
合わせて
百三十九人。
2:43
宮に仕える
しもべたちは、
ヂハ・・・散葉・字葉
の子孫、
ハスパ・・・葉諏葉
の子孫、
タバオテ・・・束(把)尾出
       他葉尾弖
の子孫、
2:44
ケロス・・・懸賂素
の子孫、
シアハ・・・詞蛙葉
の子孫、
パドン・・・葉呑・葉曇・葉ドン・・・鹿児島弁
の子孫、
2:45
レバナ・・・例葉名
の子孫、
ハガバ・・・葉臥場・「芳賀・羽賀・波賀」場
の子孫、
アックブ・・・蛙通句部
の子孫、
2:46
ハガブ・・・葉臥部
の子孫、
シャルマイ・・・写留毎
        写留万意
        舎留馬意
        捨留妹・・・捨松の妹?
        社留舞
の子孫、
ハナン・・・葉名務
の子孫、
2:47
ギデル・・・義出留・擬出留・疑出留・魏出留
      妓出留
の子孫、
ガハル・・・臥葉留
の子孫、
レアヤ・・・例文・例蛙哉
の子孫、
2:48
レヂン・・・例訊・例壬(壬申の乱不破の関
の子孫、
ネコダ・・・音拠拿
      猫拿
      根子拿
の子孫、
ガザム・・・臥指(挿)務
の子孫、
2:49
ウザ・・・宇座・右座・胡挿(指・覚)
の子孫、
パセア・・・・葉施蛙・覇施蛙
      「長谷・初瀬」蛙→雄略天皇
       頗施蛙(阿・亜)
の子孫、
ベサイ・・・部歳・部差(作)意
の子孫、
2:50
アスナ・・・明日菜・明日名・・・明日香・飛鳥
      阿須那・蛙素名・・・阿蘇
の子孫、
メウニム・・・目得似務
の子孫、
ネフシム・・・音節務・音附詞務
       音伏詞務・・・八木節・安来節
の子孫、
2:51
バクブク・・・葉句部句
       幕 武苦
       場句武句
       婆句武句
       罵句武句・・・阿武=則天武后
の子孫、
ハクパ・・・・葉句場
       白馬・薄葉・柏葉
の子孫、
ハルホル・・・葉留補留
の子孫、
2:52
バヅリテ・・・葉刷り出
の子孫、
メヒダ・・・・目比拿・目比太
       女襞(飛騨)
の子孫、
ハルシャ・・・葉留写
の子孫、
2:53
バルコス・・・葉留拠素
の子孫、
シセラ・・・詞施等
      史施蠃(始皇帝
の子孫、
テマ・・・出万・手間・弖馬
の子孫、
2:54
ネヂア・・・音字吾(蛙・阿)
の子孫、
ハテパ・・・葉弖葉
の子孫である。
2:55
ソロモン・・・素賂文

しもべたち
の子孫は、
ソタイ・・・素碓・素替・素他意
      素鯛
の子孫、
ハッソペレテ・・・頗通素経例出
の子孫、
ペリダ・・・経理
の子孫、
2:56
ヤアラ・・・埜蛙等
の子孫、
ダルコン・・・拿留言
の子孫、
ギデル・・・義出留
の子孫、
2:57
シパテヤ・・・司馬出埜
の子孫、
ハッテル・・・葉通出留
       初照・捌氐留
の子孫、
ポケレテ・・・補懸例出

ハッゼバイム・・・葉通是馬意務
の子孫、
アミ・・・蛙見・蛙見
     編・阿見・網
の子孫。
2:58
宮に仕えるしもべたちと
ソロモン
のしもべたちの子孫とは
合わせて
三百九十二人。
2:59
次にあげる人々は
テル・メラ、・・・照・女等
         手留・女裸
テル・ハレサ、・・・照・晴れ差
ケルブ、・・・懸留部(武)
アダン・・・・蛙段・吾譚・阿談・・・稗田阿礼
および
インメル・・・隠目留
から
上って来た者であったが、
彼らは
その氏族と
その血統とを示して、
そのイスラエルの者であることを
明らかにすることができなかった。
2:60
すなわち
デラヤ・・・出等埜
の子孫、
トビヤ・・・訳備埜
の子孫、
ネコダ・・・音拠拿
の子孫で
合わせて
六百五十二人。
2:61
祭司の子孫のうちには
ハバヤ・・・葉場埜
の子孫、
ハッコヅ・・・葉通拠事
の子孫、
バルジライ・・・葉留字等意
の子孫があった。
バルジライ・・・葉留字蠃意

ギレアデ・・・疑(義・技)例蛙出
びと
バルジライ・・・葉留字等意
の娘たちのうちから
妻をめとったので、
その名で呼ばれることになった。
2:62
これらの者は
系譜に載った者たちのうちに
自分の名を尋ねたが
見いだされなかったので、
汚れた者として、
祭司の職から除かれた。
2:63
総督は彼らに告げて、
ウリム・・・得理務
      売り務・胡理務・瓜務

トンミム・・・遁視務・訳務見務
を身につける
祭司の興るまでは、
いと聖なる物を
食べてはならないと言った。
2:64
会衆は合わせて
四万二千三百六十
人であった。
2:65
このほかに、
しもべ
および
はしため
合わせて
七千三百三十七人、
また
歌うたう
男女
二百人あった。
2:66
その馬は
七百三十六
頭、
その騾馬は
二百四十五
頭、
2:67
その
らくだは
四百三十五
頭、
その
ろばは
六千七百二十
頭あった。
2:68
氏族の長
数人は
エルサレムにある
主の宮の所にきた時、
神の宮を
もとの所に
建てるために
真心よりの供え物をささげた。
2:69
すなわち、
その力に従って
工事のために
倉に納めたものは、

六万一千
ダリク、・・・拿理句・拿陸

五千
ミナ、・・・視名
祭司の衣服
百かさねであった。
2:70
祭司、
レビ・・・例備
びと、
および
民のある者は
エルサレム
および
その近郊に住み、
歌うたう者、
門衛
および
宮に仕える
しもべたちは
その町々に住み、
一般の
イスラエルびとは
自分たちの町々に住んだ。
ーーーーー
 ・・・紀三十巻・系図一巻←行方不明・・・