1842日目・・・「白文鳥の考察交・三重吉と駕籠、小鳥、千代、漱石」・・・昨日の夜7時ころ、三笠市の従姉から電話があって、隣町のホーマックに息子の車で買い物に行くが、序でに必要なモノがボクもあれば、同乗して行かないか、とのコト。従姉のハナシでは畑仕事をしている最中に「嘴が赤で、身体が白」の小鳥がやってきて人懐っこくマトワリつくのだ、と云う・・・追い払っても戻ってきては肩や腕、手に乗ってしまうらしい・・・どうやら飼い主がいる小鳥が逃げてきた、とのこと・・・それで、もしかして、飼い主が見つかるまで「鳥篭」を

 車の中で、「嘴が赤で、身体が白の小鳥」の経緯を訊いたが、不思議に思える。子供のころにオフクロが「紅ひわ」を買ってくれたこと、犬の「ポール」、そして、「ツガイの十姉妹」を飼ったコト、そして、「三毛猫のチコ」を飼ったコト等などのコトを従姉と思い出しながら話し合った・・・お祭りで買ってきた「ヒヨコ」を育てたコトには触れなかったが・・・
 今現在の「モモちゃん(牝の黒猫)」は「猫エイズ」で体毛は斑(マダラ)に抜け落ち、歯もボロボロだが、前肢の左足は回復しつつあり、食欲もあり、ナントカ持ちこたえている・・・
 兎に角、飼った生き物とはコッチがエゴで生きているかぎり、生き別れ、そして死に別れが宿命である・・・
 ホーマックの閉店までは10分くらい・・・ボクは緑色のカーペット2枚とモモの缶詰を10個を買った。従姉は店内で「鳥篭」を捜していたが断念して、「ピーコの鳥篭」を使うコトにし、序でにボクはホーマックの隣の隣の薬屋で「はやめのパブロン」を買った・・・この間、風邪なんだかどうなんだか、右咽喉がヤケに痛い・・・
 それで、昨夜はオワリだったが・・・
 「嘴(くちばし)が赤で、身体が白の小鳥」とは「?」で・・・「?」をブログで検索しして調べてみた・・・
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 ハクブンチョウ
 (白文鳥Java Sparrow)
 小鳥(体長13cm・体重25g程度)
 身体は白色で、
 口ばしは赤く、
 足は淡紅色
 発祥の地は
 愛知県海部郡弥富町
 ↓
 ハクブンチョウ
 (白文鳥
 スズメ科カエデチョウ類
 寿命・・10〜15年程
 稗(ヒエ)
 粟(あわ)
 米(こめ)などを好む
 ハクブンチョウ(白文鳥
 体表色が白い
 スズメ目
 カエデチョウ科
 ブンチョウ属
 の小鳥
 全身が
 白く、
 嘴と目の周囲が赤く、
 身体に丸みがある
 人に慣れ易く
 「手、頭、肩など」に乗る
 飼い主に付いて廻る
 名前を呼ばれると
 鳴いて返事をし、
 やってくる
 文鳥に限らず、
 鳥は犬や猫と同じように
 人間の言葉を理解できる
  ↓
 日本には江戸時代「中国」から輸入
 長崎出島を通じて、
 文鳥が日本に輸入された
  ↓↑
 文鳥(ブンチョウ)の歴史と品種
 http://www.bunchoya.com/setsu/syu.htm
  ↓↑
 18世紀半ばの記録
 (「花蛮交市洽聞記」)、
 日本での繁殖も18世紀後半には始まっており
 (1773年「唐鳥秘伝百千鳥」
  1799年「諸鳥飼法百千鳥」)、
 19世紀となると一種のブーム
 菅茶山の随筆集
 「筆のすさび」によれば、
 「備中備前文鳥を畜う(やしなう)ことはやり」
 と言い、
 1808年刊行の
 「飼篭鳥」と言う本に拠れば、
 数百羽ずつカゴに入れて
 大阪や江戸に出荷する
 大規模な生産者まで現れた・・・
 この文鳥飼育の流行は、
 江戸の末期に至っても続いていた・・・
 1847年刊行の
 山本亡羊
 「百品考」に拠れば、
 「世人好んでこの鳥を畜い(やしない)」、
 ついには京都の街中を
 野良文鳥が飛び交っているような状況となっていた・・・
 文鳥の原種(ノーマル)
 江戸時代の文鳥の姿は、
 佐竹曙山
 「椿に文鳥図」には、
 すべて頭とアゴと尻尾が黒く、
 頬とお尻が白、
 胴体は少し青みがかった
 銀鼠色で、
 下腹部が桜
 鼠(さくらねず)色をした原種の姿・・・
  ↓
 1697年刊行の
 「本朝食鑑」という書物が記録初見
 江戸時代中国を経由して入り、
 明治九年初め
 突然変異により,
 「白文鳥」が誕生・・・
 日本の独自の小鳥
 「Japanese Rice Bird」
 と呼ばれ輸出
 原種は
 「ライスバード(Rice Bird)・米鳥?」の呼称
 愛知県弥富「白文鳥」・・・白文の調(帳)?
 の
 特産地・・・・・・とくさんち
          訳句纂知?
          解句纂知?
  ↓
 明治の
 「夏目漱石」の
 「文鳥(1908年)」に登場する「白文鳥」、
 「1月坑夫・6月文鳥・7月夢十夜・9月三四郎
 を朝日新聞に連載
 ・・・六(陸)月=(水無月)に「文鳥」・・・
 その弟子の名随筆家
 内田百輭の
 大正期の作品
 「漱石山房の夜の文鳥」に登場する「白文鳥」、
 明治末期から大正期には、
 文鳥と言えば「白文鳥」を指すといった状況・・・
  ↓
 インコと比べると、
 性格は文鳥の方は強く、
 気性が激しく、
 飛んで廻る
 インコは
 大人しく床を歩いている事が多い
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 ・・・らしい・・・
 ・・・「舌切雀」は「わらべ草子」だが「スズメの恩返し」である・・・「ツルの恩返し(音解詞)」は「夕鶴」である・・・
 ・・・ボク的には「文鳥」はどうやら幕末の「長崎出島」の輸入産物(1697年=犬公方の徳川綱吉の時代)、そして「白文鳥」は明治九年ころに命名された「小鳥の名前」で・・・「子取りの名は白い文の調(帳)」です・・・
 中国では
 「色彩豊か」=「文」+鳥=文鳥・・・らしいが
         文
        (アヤ=彩)模様の文様
         綾・絢・彪・亜矢の
        「蛙哉」で、
        「文字、文章」自体の「文」では無い・・・
         字形は本質であるから、
        「文=亠(音略の字)+乂(かる・おさめる
                     ガイ・ゲ)」
           音声を刈ったモノの画意(ガイ)
              借ったモノの解(ゲ)である
  ↓↑
 以下は「文鳥の歴史」から参考、参照し、抜粋・・・
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/bun2/syunokigen/history.htm
  ↓↑
 大化三年(647)
 オウムが新羅から送られた
 11世紀
 平安貴族たちは、
 小鳥合(コトリアワセ)、
 持ち寄った
 小鳥の鳴き声や
 羽の色を競う遊び
 (『日本史小百科?動物』、
  『鳥の日本史』など参照)、
 清少納言
 「すずめの子がひ」
 がお気に入り
 14世紀
 兼好法師は、
 「空を飛ぶ鳥の翼を切って
 籠に入れるなんてかわいそうだ」・・・
 (『徒然草』第121段)
  ↓↑
 前近代に中国で
 ジャワ雀が・・・ジャワ・・・邪和・邪話・蛇羽(葉)?
         爪哇・耶婆提
         闇婆達・社婆
         Java→ジャバ←Jawa
          volks-    wagen
          フォルクス-  ワーゲン
          V v=ファオ
          Vater=ファーター・父
          viel=フィール・多くの
          ドイツ語「w→v」、「v→f」
          と音韻変化
          オランダ語でも
         「v」が無声化して「f」で発音
         「v=音素はv」が標準
          とされており、
          音韻変化は不完全
 飼われていても、
 野生のものを捕まえて
 輸入したものだった可能性が高い
 「文鳥」という言葉の由来
 『大漢和辞典』の「文鳥」の項によれば、
 「文鳥之夢」という四文字熟語がある?
  ↓
 鳥の夢・・・ユメ=喩目・諭女・喩愛・喩芽・癒痲?
 「中国古代の占夢」から参照、参考で添付・・・
  ↓↑
 「鶏は武吏たり、冠距有ればなり。
  夢に雄鶏を見るは、猶ほ武吏の如く」
 「鶏は武吏たり、冠距有ればなり。
  夢に雄鶏を見るは、猶ほ武吏のごとく」
 「伯労は(口舌)たり、声悪むべければなり。
  夢に伯労を見るは猶ほ口舌のごときなり。」
 「夢に鵁䪐を見るは、猶ほ双せざるなり。
  婦夢に之を見る、此れ独居なり。
  婿夢に之を見る、恐らくは妻を失ふなり。
   (本書付録二、虫鳥類第59、60、57)」
 「雄鶏の戦闘好きは周知。
  雄鶏のとさかは戦士のしるし」
 鳥占いとは
 「蒼頡(ソウケツ)」で
 古代文字の発明者
 「制字先師」
 「黄帝の記録官」
 「鳥獣の足跡から文字を発明」・・・とは
 「メソポタミア楔形文字」だろう・・・
 「文鳥占い」は台湾ですか・・・
 かって、子供の頃
 お祭りの境内で
 「小鳥(種類は?)」がお御籤(くじ)を
 嘴に加えて曳いてきてくれる「小鳥占い」があった・・・
  ↓
 この『文鳥』というのは
 「文彩の有る鳥」、
 つまり模様の有るきれいな鳥という意味・・・
 「ジャワ雀」の事だけを指す言葉ではない
 現代の中国南部の人が、
 野生の文鳥(並文鳥)を
 「灰文鳥」と呼んでいる
 (『ブンチョウの飼い方・ふやし方』)、
 「灰(はい・カイ)」をつけるところを見ると、
 いまだに『文鳥』が
 ジャワ雀固有の名詞となっていない・・・
 彩色の有る鳥=「文鳥
 と中国人が説明したのを、
 『文鳥』という種類の鳥なのだと誤解した・・・
 ジャワ雀が
 日本で
 文鳥と呼ばれるようになる
 発端なのではないか・・・
 『日本鳥名由来辞典』によれば、
 清国では
 「瑞紅鳥」・・・「瑞光・随行」トリ(訳理)
          瑞高ならば
          高野長英
        号は瑞皐(ズイコウ)である・・・
  を
 文鳥と表記していた・・・
 中国では、元々
 ジャワ雀は
 「文鳥」ではなく
 「瑞紅鳥」という別の固有名詞を持っていた・・・
 過去も中国で
 「文鳥」が文鳥という
 品種をさす固有名詞ではなかった・・・
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 ・・・バード中尉の所有していた「英和辞典=箋」・・・第20連隊第2大隊所属の「ロバート・ニコラス・バード中尉(23歳)」・・・
 1864年
    鎌倉事件
    元治元年10月22日
    (1864年11月21日)
    相模国鎌倉郡大町村(神奈川県鎌倉市御成町)で
    イギリス人士官2名が
    日本の武士に斬殺された事件
    横浜駐留中の
    イギリス陸軍
    第20連隊第2大隊所属の
    ジョージ・ウォルター・ボールドゥィン少佐(34才)
    と
    ロバート・ニコラス・バード中尉(23歳)
    が殺害された
    ↓↑
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http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kojiki55y.htm
 「1999年7月7日水曜日」の「中日新聞・夕刊・E版」の記事には「【ロンドン7日共同】幕末の鎌倉で(じょうい)浪人に殺された英国軍人の署名がある英和事典がこのほど、ロンドンの古書市場で見つかった。日英交渉史を研究している恒松郁生『ロンドン漱石記念館』館長が競売で入手した。」とある。この辞書の内側のページには「英国歩兵第二十連隊バード中尉、1864年8月13日」と書き込みがあるらしい。右から
 「安政四年稟准」、
 「井上修理校正」、
 「英語箋」、
 「一名 米語箋」、
 「村上英俊閲」
 と印刷されている。そして、英語で、
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・AN ・
  ・EINGLISH AND JAPANESE ・
  ・AND ・
  ・JAPANESE AND EINGLISH ・
  ・VOCABULARY ・
  ・COMPILED PROMANTIVE WORKS・
  ・BY ・
  ・W,H.MEDHCRST ・
  ・ ・
  ・BATAVIA ・
  ・PRINTED BY LITHOGRAPNY ・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 と印刷されている。ちなみにこの「バード中尉」は「1864年(元治元年)」の「十一月二十一日」に「鶴岡八幡宮前」で事件にあって死亡したらしいのだ。
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    ↓↑
    下関戦争
    攘夷を唱える長州藩
    関門海峡で外国船を砲撃
    報復でイギリス海軍
    フランスなどと共に
    下関の砲台を占拠
    帰国した井上と伊藤は事態収拾に奔走
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