1482日目・・・「マタか」・・・同じような「事件が繰り返される」・・・「また=又・叉・復・俣・股・亦」・・・「マ多・マ他・マ汰」・・・「マ=真・間・馬・摩・麻・磨・魔」・・・自然事象も「またカナ」である。地球上に存在する「生物」は「マダか」と、「マタか」に覚悟して生きていかねばならない存在・・・特に「日本地域」は台風と、地震である・・・「自然災害」は甚大で、その枠内で「人間同士」は「暴行、殺傷」、「遊戯、娯楽」の「喜怒哀楽」に忙しい・・・

 最近、また、震度の大きい地震も多いし、巨大な台風8号も発生・・・最近と言っても「日常生活」はこの枠内での生命活動・・・
 「地震の神様」が「龍(竜・辰)」から「鯰(なまずナマズ・鮎=なまず?→あゆ→年魚→年のマナ→眞魚)」になったのは「天正十三年」の大地震からとは漫画家の「黒鉄 ヒロシ」氏が昨日のTVでコメントしていたコトだが・・・天正十三年(1585年)三月八日、豊臣秀吉大徳寺で大茶会を開催、七月十一日に秀吉が、関白。十一月二十九日に北陸・畿内で大地震天正地震)で、越中国「木舟城」の崩壊で城主の前田秀継が死去、「帰雲山」崩壊で「帰雲城」が埋没・・・
 「帰雲城
 戦国時代に
 岐阜県
 大野郡
 白川村にあった城
 内ヶ島氏の居城
 1585年の
 巨大地震による山崩れで
 内ヶ島氏および集落もろとも埋没
 ・・・ナマズ地震の関係について触れた書物は古く「日本書紀」にある?・・・1592年、豊臣秀吉伏見城築城の折に家臣に当てた書状には「ナマズによる地震にも耐える丈夫な城を建てるように」との指示?・・・江戸時代の「安政見聞録」には「安政地震前にナマズが騒いでいた」との記述?・・・ナマズは電気受容能力が敏感で電場の変化を起こす地震を予知して激しく動き出す・・・
 「なまず」は浮世絵の社会不安の象徴的題材・・・
 「なまず」は「淡水魚」で、「硬骨魚類」、体色や斑紋は変異に富み、個体によって様々・・・「鯰=魚+念(今心)→鮎=魚+占=年魚」・・・琵琶湖周辺地域での地方名として「ヘコキ→経古記・屁哭?」とも・・・「卵の大きさは約3mmで黄緑色をしており、およそ2〜3日で孵化。仔魚は孵化の翌日にはミジンコなどの餌をとるようになり、個体密度が高い場合は仲間の仔魚にも攻撃を加えるなど「共食い」が起こる・・・
 シーボルトらによる「日本動物誌(1850年)」には、ナマズはあまり食用にされず、「薬用」に用いられるとの記述があるらしい・・・
 皮膚病の「癜風(デンプウ・Tinea versicolor)=なまず」は、「表皮に発症する真菌感染症。細かい鱗屑が付着する淡褐色斑(黒色癜風=黒なまず=黒斑)、あるいは脱色素斑(白色癜風=白なまず=白斑)ができる。発症部位は背部、胸部、頸部、上腕、腋窩などで、痒みは無いが、春から夏にかけて発症および悪化しやすい・・・化粧品の白斑事件はカネボウ・・・
 「ブラジル(伯剌西爾)世界大会のサッカー選手の交代時にヤケに「22」と「13」、「11」と「10」の「背番号」が何となく目についたが・・・「数字」のパラノイヤの問題意識が燻ぶっていれば当然のコトだが・・・
 「天正元号期間」は、
 ↓↑
 元亀四年七月二十八日
 ↓↑
 ユリウス暦
 1573年8月25日
  〜
 天正元年
 天正二十年十二月八日
  〜
 ユリウス暦
 1592年12月31日
 グレゴリオ暦
 1593年1月10日
 文禄元年(改元
 ↓↑
 「安土桃山」時代を
 「天正時代」とも・・・
 天皇
 正親町天皇
 後陽成天皇
 征夷大将軍
 足利義昭
 ↓
 足利義昭を京都から追放した
 織田信長が、
 公卿や朝廷を通じて改元させた・・・
 「お湯殿上日記・元亀四年七月二十一日条
 (義昭追放の3日後・改元の七日前)」
 に、信長から改元の奏請があったと記録・・・
 「お湯殿上日記(元亀三年三月二十九日条)」
 に改元の発議を知らせる使者が
 朝廷から
 織田信長
 足利義昭の元に派遣の記録・・・
 「元亀」改元
 奏請したとされている
 足利義昭は反発
 改元経費の拠出を拒否
 (「お湯殿上日記・元亀三年四月二十日条」)
  ↓↑
 「御湯殿上日記
  (おゆどののうえのにっき
  お湯殿の上の日記)」
 御所に仕える
 女官達によって書き継がれた
 当番制の日記。
 禁裏(宮中)にある
 御湯殿の側に
 女官達の
 控えの間があり、・・・
 ↓       控え帳=後日の用のために
 ↓           書きとめておく帳面
 ↓           メモ帳
 そこに備え付けられて日記で
 当番の女官によって
 交替で書き接がれた
  ↓↑
 九月
 信長が義昭を非難した書状
 「異見十七ヶ条」で
 「批判の対象(元号改元)」とされた・・・
 年号勘文
 元亀三年十一月十一日付で作成
 改元時に朝廷は信長に勘文を見せて
 その意向に応じて
 元号
 「天正」と定めた
 勘文の作成に
 信長が関与した事実は確認できない・・・?
 「天正」の文字の出所
  ↓ 
 「君以下為基、
  民以食為天、
  正其末者端其本、
  善其後者慎其先(文選)」
 と
 「清静者為天下正(老子)」
 から・・・「天下正」はそのとおりだが・・・
 「天文」は文字通り「天の斑(星星の星図)」からだろ・・・室町時代(戦国時代・1532年〜1555年まで・後奈良天皇の代の元号・・・「易経」の
 「仰以観於天文、
  俯以察於地理」
 および
 「孔安国尚書注」の
 「舜察天文斉七政」から・・・
  ↓
 「天下布武」は
  ↓
 「沢彦 宗恩(タクゲン ソウオン)」
 生年不詳
  〜
 天正十五年十月二日
 1587年11月2日
 臨済宗妙心寺派の僧・大住持
 卍元師蛮の
 「延宝伝灯録」によると、
 各地を歴参行脚した後に
 妙心寺東海派の
 泰秀宗韓の元に辿り着き、
 泰秀から印可を受けた
 妙心寺第一座
 後、美濃の
 大宝寺の住持
 織田氏家臣
 平手政秀の依頼により
 「吉法師(織田信長)」の教育係
 信長が長じた後は参謀
 信長が美濃国を攻略後
 稲葉山城下の
 「井ノ口」について改名を進言
 中国・周の故事にならい
 沢彦の挙げた
 「岐山・岐陽・岐阜」の
 3つから岐阜が選ばれた・・・
 信長の政策である
 「天下布武」も
 沢彦の進言による・・・?
 妙心寺
 第三十九世住持
 辞した後は
 瑞龍寺に住んだ
 天正十五年(1587年)十月二日
 示寂=死亡
 貞享三年(1686年)
 「円通無礙禅師」の号が下賜
 恵林寺山門で焼死した
 「安禅必ずしも山水を用いず、
  心頭滅却すれば火も亦た涼し」の
 辞世を残した
 「快川紹喜」と
 兄弟の契りを結んでいた・・・?
  ↓↑
 「天正元号
 勧申者は
 元亀と同じく
 高辻長雅
ーー↓ーー
 西暦の改暦
 天正十年(1582年)
 カトリック教会が主導して
 ユリウス暦
 から
 グレゴリオ暦
 への改暦
 グレゴリオ暦の実施
 ユリウス暦1582年10月4日(木曜日)
 の翌日を、
 グレゴリオ暦1582年10月15日(金曜日)
 とした・・・
 ↓↑ 
 天正十年九月十八日
 1582年10月4日(木曜日)通暦日=2299160
 ↓↑
 ユリウス暦
 天正十年九月十九日
 1582年10月5日(金曜日)
 グレゴリオ暦
 1582年10月15日(金曜日)通暦日=2299161
 ↓↑
 天正十年九月二十日
 ユリウス暦
 1582年10月6日(土曜日)
 グレゴリオ暦
 1582年10月16日(土曜日)通暦日=2299162
 ↓↑
 明治六年1月1日
 1873年1月1日
 太陽暦グレゴリオ暦)を採用
ーー↓↑ーー
 ・・・
 ユリウス暦
 1573年8月25日
 天正元年
  〜
 ユリウス暦
 1592年12月31日
 グレゴリオ暦
 1593年1月10日
 天正二十年十二月八日
ーー↓↑ーー
 天正十年(1582年)
 1月28日=天正遣欧少年使節
      4人が長崎を出発
 3月11日=甲州、武田家滅亡
 4月3日=恵林寺を焼き討ち、
      快川紹喜ら焼死
 4月27日=羽柴秀吉
      清水宗治の兵と交戦
      備中高松城の戦い
 6月2日=本能寺の変
 6月13日=山崎の戦い
 6月27日=清洲会議
 9月23日=山田重直、羽衣石城を攻略
      小鴨元清の籠る岩倉城落城
 10月15日=大徳寺織田信長の葬儀
 天正十一年
 4月24日=柴田勝家戦死
 4月24日=お市の方自害・・・天文十六年?
 天正十三年(1585年)
 3月8日=豊臣秀吉大徳寺で大茶会
 7月11日=豊臣秀吉、関白
ーー↓↑ー↓↑ーー
 天正十一年
 11月29日=北陸・畿内
      大地震天正地震
      越中国
      木舟城の崩壊で城主の
      前田秀継が死去
      帰雲山崩壊で
      帰雲城埋没
ーーーーー
 ・・・
 ナマズを題材とした絵画
 室町時代の画僧、
 如拙による
 「瓢鮎図」(ヒョウネンズ)・・・表念図(事)?
 「鮎」は「鯰の古字」・・・?
 ぬめった(ぬるぬるした)皮膚のナマズ
 滑らかな「瓢箪(ヒョウタン)」で
 いかに押さえるか、という
 禅問答をテーマにした水墨画

 「大津絵」
 瓢箪とナマズ
 滋賀県
 大津宿の
 民俗絵画である
 大津絵
 瓢箪を持った
 猿が
 鯰を押さえつけようとする姿の
 作品で
 「瓢箪鯰」と総称され、
 「大津絵十種」とされ
 「大津絵」の代表的画題の一

 「鯰錦絵(多色刷りの浮世絵の一)」
 1855年に関東を襲った
 「安政の大地震」の直後から、
  江戸市中で流布

 「鯰山車」
 岐阜県
 大垣市
 大垣八幡神社
 大垣祭
 「鯰軕(なまずやま)」と呼ばれる
 「山車(だし)」が参加
 金の瓢箪をもった老人が
 ナマズを押さえつけようとする
 「からくり人形」が乗せられ、
 白鬚神社例祭においても、
 同様の山車を引き回す
ーー
 ナマズ伝承
 琵琶湖の
 竹生島にある
 都久夫須麻神社(竹生島神社)
 ナマズが龍に変身、
 あるいは龍から大鯰となって島と神社を守護
 するという縁起(言い伝え)がある
 中国地方
 「ナマズギツネ」という
 老いたナマズが、
 夜に小川で魚が昇ってくるような音をたて、
 人が
 音に近づくたびに
 上流へ上流へと逃げて行くという伝承
 群馬県前橋市
 清水川には
 「オトボウナマズ」という主が住んでおり、
 「おとぼう、おとぼう」と言いながら
 釣り人を追いかけるという説話
 九州
 熊本県阿蘇市に総本社の
 阿蘇神社の氏子は
 ナマズを神の使いとして信仰
 捕獲・食用は禁止
 佐賀県
 なまず
 淀姫神社の使いで
 ナマズを食べると病気になるとし
 食用にしない風習がある・・・らしい・・・
  ↓↑
 「千成瓢箪」・・・文字の「ナ・マ・ズ=名・馬・頭」と、音声の「な・ま・ず=納・間・事」の掛けであろう・・・豊臣秀吉の「馬印(うまじるし)」・・・
 小馬印=金の逆さ瓢箪に金の切裂
 大馬印=金の軍配に朱の吹き流し
 千成瓢箪=馬印としては用いられなかった
      船印に使用されていたとの説・・・