1428日目・・・カムイの山、ピンネシリに連なる山々には未だ残雪と山を縁取る紺青の線が水墨画のボカシの濃淡のように観える。外の風は強く音をヒューヒューと電柱と電線を掠めて冷たく、強い。庭の雪は完璧に溶けたけれど、家の北側の軒下にはまだ雪の塊りがある。黄色い福寿草も何時の間にやら咲きだしている。ムシ達も蠢き出し、侵入してきたハエも居間の引き戸のガラス張りにへばり付いて動き回っている。ツガイの雀も庭でピョンピョンと食事中・・・去年、植えて食べた胡瓜。その種をガレージの道脇に植えてみた。時期的には早いカモだが

 なんか、ココに来た目的を失ってしまって・・・ボンヤリと庭と空を見ている時間が長い・・・雲の動きは速いようで遅くも感じる・・・
 黒い渡り鳥が南へ行くのか、迂回して北へ行くのか、∧(逆?)字形に隊列を作って空の中に消えていく・・・
 調べてみると「マガン」であるらしい・・・「カモ目カモ科に属する暗褐色の鳥」。越冬地は本州・・・最近は北海道の伊達市が事実上最北の「マガン」の越冬地らしい・・・「9月〜10月に北海道に飛来し、シベリアへ戻る春の2月〜5月、苫小牧市ウトナイ湖美唄市宮島沼などを経由し、宮島沼は国内最大のマガン寄留地で、東アジアのマガンのうち約半数に当たる6万羽以上が宮島沼」に立ち寄っていくらしい・・・「マガン」なら時期は南ではなく、「シベリアへの北帰行」ですか・・・
 「ヒヨドリのツガイ」が頻繁に名古屋の大須の3階の喫茶店の窓際に現れるようになったのは・・・「2010年(?)」だった。店の中まで入ってきて、奥の倉庫の天井に逃げ込んで大変な捕獲作戦だった。なんとか捕獲し、外に逃がしてやったのだが、その後も暫らくは訪ねてくる人ナッこい鳥さんだったけれど・・・
 ヒヨドリを「NHKのダーウィンが来た」でみたけれど、調べてみたら「2011年1月9日午後7時30分・218回」の放送だった・・・「ダーウィンが来た生きもの新伝説 〜大追跡!ヒヨドリ津軽海峡越え」・・・「2011年1月9日」は、まだ、「フーテンの寅さん」気取りだったかも・・・「3月11日」・・・あれから4年目・・・
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 ・・・ナゼ、年号が「朱鳥(あかとり・シュチョウ)」なんだか・・・?「朱雀(すざく・シュジャク)・朱鷺(とき・シュロ)」・・・ナゼ、奈良時代以後の天皇在位時期に、年号の無い時期があるのか?
 ↓
 大化(タイカ・ダイカ)→おほばけ
 皇極天皇四年六月十九日=645年7月17日
 〜
 大化六年二月十五日  =650年3月22日
 の「6年間」
 孝徳天皇
ーー↓
 白雉(ハクチ・ビャクチ)→しろきじ(白記事)
 大化六年二月十五日  =650年3月22日
             650年2月15日
 〜
 白雉五年十月十日   =654年11月24日
 の「5年間」
 穴戸国の国司
 白雉を献上で元号(ゲンゴウ)を決めた
          言 傲
 孝徳天皇崩御 
 ↓
 斉明天皇
 天智天皇
 弘文天皇大友皇子
 ↓
 天武天皇
  十五年七月二十日  =686年8月14日
 の「32年間」は無元号
  ↓
 天武天皇崩御
 の「15年間」は無元号
  ↓
 岡本天皇草壁皇子
 持統天皇
ーー↓
 朱鳥(シュチョウ・スチョウ)→あかみどり・あかどり
    朱=牛+八       閼伽見努理・亜掛取
 〜
 朱鳥元年九月九日   =686年10月1日
 持統天皇
ーー↓
 元明天皇
 ↓
 文武天皇
  五年三月二十一日  =701年5月3日
ーー↓
 大宝(タイホウ・ダイホウ)→おほたから
 〜
 大宝四年五月十日   =704年6月16日
 対馬国から金の献上で決める
 「4年間」
 文武天皇
ーー↓
 慶雲(ケイウン)→よろこぶくも・よろこびくも
    慶云・慶運・慶應慶事
    慶(ケイ・キョウ・キャウ
      よろこぶ・めでたい
      慶賀・慶事・慶祝・国慶
      慶弔・大慶・同慶・余慶・落慶
 〜
 慶雲五年1月11日  =708年2月7日
 文武天皇崩御
 「5年間」
 ↓
 元正天皇
ーー↓
 和銅(ワドウ)→なごむあかがね
    和金同
 〜
 和銅八年九月二日   =715年10月3
 武蔵国より和銅が献上され決める
 「8年間」
ーー↓↑
 飛鳥時代
 孝徳天皇
大化 たいか     645 〜 649
白雉 はくち     650 〜 654
 ↓      無元号 654 〜 686→32
 斉明天皇
 天智天皇
 弘文天皇
 天武天皇
 岡本天皇
 持統天皇
朱鳥 しゅちょう   686 〜 686
↓   
 元明天皇   無元号 686 〜 701→15
 文武天皇
大宝 たいほう    701 〜 703

 文武天皇
慶雲 けいうん    704 〜 707
 元正天皇       
ー↓
 奈良時代
 元正天皇
和銅 わどう     708 〜 714
霊亀 れいき     715 〜 716
養老 ようろう    717 〜 723

 聖武天皇
神亀 じんき     724 〜 728
天平 てんぴょう   729 〜 748
 ↓
 孝謙天皇
天平感宝 かんぽう  749 〜 756
 ↓     
天平勝宝 しょうほう 749 〜 756
 ↓
天平宝字 ほうじ   757 〜 764
 ↓
 淳仁天皇
 称徳天皇
天平神護 じんご   765 〜 766
神護景雲 けいうん  767 〜 769
 ↓
 光仁天皇
宝亀 ほうき     770 〜 780
 ↓
 桓武天皇
天応         781 〜
 延暦         782 〜      
ー↓
 平安時代
 桓武天皇
 延暦十三年      794
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 ・・・ナゼ、「四文字の元号」があるのか?・・・平安時代はナゼ、「延暦十三年」からなのか?・・・暦(厂+木+木+日)の延ばす足(拾・十)の三(みつ・み・ぞう)=参(參=ムムム人彡=サン・シン・まいる)・・・「肢が三本」は「太陽=鴉の肢=黒点」で、「三」が名乗りでナゼ、「ぞう」と訓じるのか?・・・「三=かず・かみ・こ・さぶ・さむ・そ・そう・ぞう・ただ・なお・み・みつ・みる」・・・「三(ぞう)」は「横木が三本重なった層(ソウ)」からの発想としか思えないのだが、占いでは「三陽=地天泰」である・・・
 「三陽開泰=三匹の羊が三陽=冬去春来」で「11月冬至の日は正午の太陽の高度が最も低く、この日を境に太陽の高度が高くなっていく事象」である。「陽=ヨウ=羊」の音借でもあるらしいが、字面そのものも「羊=Y(ア)+三」である。兎に角、「冬が去って、春来る」である。
 「三陽は易経六十四卦の地天泰」で、「諸事順調・天下泰平」、「八卦」の「≡=乾=戌亥(犬猪)=北西」である。北西が「乾く、乾燥、涸れる」とは草原の「乾燥地帯」と、水の干(乾)上がった「砂(沙)漠地帯」も兼ねる場所であろう・・・そして、「安心、安泰」の水がコンコンと湧き出すオアシスである。
 「日本書紀元号、年月日の数字」は怪しいのである・・・幕末、明治の文明開化の産物だろう・・・