1440日目・・・庭の「サクラ(桜・櫻)の花」は散ったが、何時の間にやらと言った感じで「ナシ(梨)の白い花」が咲きだしていた。今年は黄色いチューリップが庭に目立ち始めている。ブログで調べたら一重遅咲き系の「黄色のチューリップ」だった。

 「チューリップの伝説」、
 トルコ、ペルシャの伝説では
 「ある村にファルハドと言う青年が村長の娘シーリーンと恋をし、村の井戸が枯れ、ファルハドは水を得るために穴を掘った。必死に掘って水が湧き出したが、その間にシーリーンは死んでしまっていた。恋人の死を悲しんでファルハドは崖から飛び降り自殺・・・その体から出た血から真っ赤な花が咲き、チューリップとなった」
 オランダの伝説では
 「美しい少女に三人の騎士が求婚した。一人は黄金の王冠、もう一人は剣、最後の一人は財宝を結い納品として求婚したが、少女は悩んだ末に、花の精霊に願い、自分を花の姿に変えてもらった。貰った王冠は花に、剣は葉に、財宝は球根になった。そして、その花はチューリップと名付けられた」・・・
 「チューリップ相場」ってのがあった・・・17世紀初頭にオランダで行われたチューリップ取引相場・・・投機的な資金で、珍しい品種のチューリップの球根が高値で取引され、「チューリップ・バブル」で「求根」が高騰し、1637年に球根価格は暴落。破産する人間が大勢出た・・・江戸時代に伝来したらしいけれど、普及は大正期の新潟からであるらしい。
 また、同じようなコトを書き込んでいる・・・季節の移り変わりで目で確認するモノは庭の変化だし、人間関係の変化はホトンド無いし、ボケてきているらしいから書き込むことも同じようなコトの繰り返し・・・まぁ、今のところ自己確認、自己満足の世界に浸っているので、認知症で外に出てウロツイてアウトになるよりはマシかも・・・それでも、モモが捜してくれるかも・・・
 庭のチュウーリップは「壺(つぼ・壷)」の口を上に向けているような形である・・・ツボの中にはサイコロである。なるほど、「思う壺」とは「座頭市」、「メクラのイチ」さんの博打の「賽(サイ)の目」である・・・チューリップの和名は「ぼたんゆり・みっかぽんず」、日本には「アマナ、ヒロハノアマナ」というチューリップと姿が似ているモノがあるらしい。漢字名では「鬱金香(ウコンコウ・ウッコンコウ)」らしいが、「緋衣草(ヒイソウ=サルビア)・紫丁香花(むらさきはしどい・シチョウコウカ=ライラック)」も併記されていた・・・?・・・画像を見るとチューリップとはカナリ違う・・・
 チュウーリップの中生種には「トライアンフ系 (Triumph)」と云う最も品種数が多いモノがあるらしく、「紫のネグリタ」、「赤と黄色のキースネリス」、「白のホワイトドリーム」、「赤いプロミネンス」・・・ムカシ、アメリカで中古の紺青色のTriumphのオープンカーに乗っていたけれど・・・特殊な花色の品種も最近オランダから多く輸入され、茶色っぽい色の「カイロ」、白に紫の絞りの「ズレル」、黒紫に黄覆輪の「ガボタ」などがある・・・「ズレル」って・・・「思う壺の中のサイコロ(骰子・賽子・ダイス)の目の数字は6」・・・「ドツボに填まった」って、博打でスッカラカンになってしまったコト・・・チューリップの花の中の「はなしべ(花蕊・花蘂)=花のしべ・かずい」も六本・・・「噺部」の「陸本・理句本」・・・
 ・・・「桐壺(きりつぼ)」って「桐=木+同」=「十+八+同」で造った「壺」・・・ボクの「十八番(おはこ)」は「源字(ゲンジ)探索」のモノガタリ人・・・並べてみるかな「源氏物語」・・・
ーーーーー
 ・・・例の如く、以下の「下敷き」はスベテ「ウイッキペデア」から・・・
  ↓
 「源氏物語(ゲンジものがたり)」
 文献の初出は
 長保三年(1001年)であるらしい・・・
 「紫式部日記」には、
 寛弘五年(1008年)に
 源氏物語と思われる
 物語の冊子作りが行われたとの記述があり、
 その頃には源氏物語のそれなりの部分が完成していた・・・
 源高明が「光源氏のモデル」であるらしい・・・
  ↓
 原作者は「紫式部」とか、
 他の複数の作者によるとの説もアルらしく
 推理作家の
 「藤本泉」氏の説は
  ↓
 モノガタリ
 「現実とは逆に、
  常に
  藤原氏が敗れ、
  源氏が政争や恋愛に
  最終的に勝利する話」
  になっており、
 「藤原氏の一員である紫式部
 が書いたとするのは不自然・・・
 「紫式部」の呼び名の元になった
 父親(式部大丞の地位)を思わせる
 「藤式部丞」なる者が、
 「帚木の帖」の雨夜の
 「品定め」で最も
 愚かな内容の話をする役割を演じており、
 紫式部が書いたとするには不自然である・・・
 との説であるらしい・・・
  ↓
 原作者の「紫式部」を
 一条天皇
 「源氏の物語の作者は
  日本紀をよく読んでいる」
 という述懐により
 「日本紀の御局」と呼ばれた
 女性(紫式部)だったらしいが、
 「一条天皇」とは・・・
 天元三年六月一日(980年7月15日)
  〜
 寛弘八年六月二十二日(1011年7月25日)
 第六十六代天皇
 在位は
 寛和二年六月二十三日(986年8月1日)
  〜
 寛弘八年六月十三日(1011年7月16日)
 諱は
 懐仁(やすひと)
 号は
 大宮院
 追号
 「一条院」
 藤原氏と深い関係
 円融天皇の第1皇子
 母は
 藤原兼家の娘、
 詮子
 兄弟姉妹は無
 花山天皇が内裏を抜け出し出家し
 数え年七歳で即位
 内覧となって実権を掌握した
 藤原道長
 先に
 中宮を号していた
 定子を皇后宮と号し、
 娘の
 彰子も皇后に立てて
 中宮を号させ
 一帝(一条天皇)二后の先例を敷いた
 時代は道隆・道長兄弟のもとで
 藤原氏の権勢が最盛
 皇后定子に仕える
 清少納言
 中宮彰子に仕える
 紫式部和泉式部
 らによって平安女流文学が開花
 天皇も文芸に深い関心を示し、
 「本朝文粋」などに詩文を残し
 音楽も笛を能くした人物・・・
 天皇崩御後、
 道長・彰子は天皇
 遺品一通の手紙を発見
 「三光明ならんと欲し、
  重雲を覆ひて大精暗し(愚管抄)」
 と書かれ、その意味を
 「道長一族の専横によって国は乱れている」
 と解釈・・・?
 天皇道長・彰子の関係は良好ではなかった・・・
 一条天皇
 五月末頃には病が重くなり
 六月十三日に皇太子
 居貞親王三条天皇)に譲位
 十九日出家
 二十二日に死亡
 辞世の句は
 「露の身の 草の宿りに
  君をおきて 塵を出でぬる
  ことをこそ思へ(御堂関白記)」
 となっているが
 「権記」では
 「塵を出でぬることをこそ思へ」が
 「塵を出でぬる事ぞ悲しき」となっているらしい・・・
 「塵(ちり・ジン)」だが、音の意味か、
 それとも
 「塵=鹿(王)+土(十一)」か・・・
 明治以後、
 「一条院」の号は廃止され、「一条天皇」とされた
 一条天皇には分かっている限りで
 六人の后妃がいた・・・
 ヘンリー八世
 (1431年6月28日
   〜
  1547年1月28日)も
 6人の妃・・・
   ↓
 「源氏物語」の 
 古写本は題名の記されていないものが多いらしく
 「物語全体の標題」が記されているよりも、
 それぞれの
 各「帖名」のタイトルが記されていることが多く、
 現在、
 一般に「源氏物語」と呼ばれている「当時の題名」は
 不明らしい・・・
 「源氏の物語」
 「光源氏の物語」
 「光る源氏の物語」
 「光源氏
 「源氏」
 「源氏の君」
 などとする系統と。
 「紫の物語」
 「紫のゆかり」
 「紫のゆかりの物語」
 などとする系統があるらしい・・・
 他にも
 「源語(ゲンゴ)」
 「紫文(シブン)」
 「紫史(シシ)」
 などという「漢語風の名称」があるそうだが、
 これらは
 「江戸時代」のモノらしい・・・
 紫式部の「源氏物語」は
 通常「五十四帖」とされるが
 「雲隠」は題のみで「本文」が伝存しない
 「更級日記」は「源氏物語」の巻数を
 「五十余巻(よかん)」としているが
 「四」ではなく、
 「余(あまり)」である
 「無名草子・今鏡・源氏一品経・光源氏物語本事」の
 資料には「源氏物語」を
 「六十巻」と記録
   ↓
 「雲隠」を含む「三十七巻」と
 「並び」の「十八巻」
 とに分けられていたモノを
 「37+18=54=源氏物語」とする
   ↓
 「並びの巻」とは・・・?
 巻の「分類・関係」であるらしい・・・
 「並び」とは
 「源氏物語」のほかに
 「うつほ物語」、「浜松中納言物語」などに見られる
 「並びの巻」を単に
 「並び(ならび)」と呼ぶこともある・・・?
 たとえば源氏物語では、
 「帚木(ははぎ)」は
 「本の巻」であり、
 対応する
 「空蝉、夕顔」は「並びの巻」とされる
   ↓
 帚木(ははきぎ)
 信濃国園原伏屋にある木
 遠くから見れば箒を立てたように見えるが
 近寄ると見えなくなるという伝説の木
 『延喜五年平貞文家歌合』、
 『古今和歌六帖』
 の坂上是則の歌
 「園原や伏屋に
  生ふる帚木のありとてゆけど
  逢はぬ君かな」で広く知られている.
 「帚木 (源氏物語)」
 五十四帖の巻名の一
 「桐壺」に続く
 第二帖
 光源氏
 空蝉が交わした和歌
 「帚木の心をしらで
  その原の道に
  あやなく
  まどひぬるかな」
 及び
 「数ならぬ伏屋に生ふる
  名のうさに
  あるにも
  あらず
  消ゆる帚木」に因む・・・
ーー↓
 「桐壺」のように、
 「並びの巻」を持たない
 「本の巻」はあるが、
 「並びの巻」には、
 必ず対応する
 「本の巻」がある・・・?
   ↓
 だが、「必ず対応」するとされている「内容」は不明であるらしい・・・
 「並列」されるモノは
 「同じ共通項」か、あるいは
 「異なっていても関連項」である。
 (A+B)×(A+B)=C=AA+2AB+BB
 (A+B)+(A+B)=C=2A+2B
 「対応の比較」での「並び」であるなら「同列の比較」であろうが、その比較されるモノは「歴史的事件の同事(類似)性」か、「出来事の同時性」の「並び」であろう・・・「同時性」とは「年月日時」である。「日本史の何々事件」は「西洋史の何々事件」と匹敵、類似し、同様、同列の事件。あるいは「出来事は異なる」が「時間的な同時性」の「同時並列性」である。英語で言えば「シンクロナイズ(synchronize;
synchronise )」である。この「音」で漢字変換したらどうなるか?
 あるいは「コトバの本質(リンゴの概念)」を「説明するその内容(果物の分析説明)」。あるいは「日本語=リンゴ」に対応する同意義の「英語訳=アップル」・・・
 りんご=リンゴ=林檎
 「日並皇子(ひなみしのみこのみこと)」は「何々」と同じに並ぶ・・・「日並皇子=草壁皇子」のことで、「太陽と並ぶ皇子という皇太子の意味」・・・すると「太陽=日=天皇」に「並ぶ=皇太子」なのか・・・それとも、「二人の天皇」が「同等に並ぶ」と言うことなのか・・・「同一人物の異なる名前が並べられる」の意味なのか?
 並列、併記すれば、
 草壁皇子草壁皇子尊(日本書記)
     =日並知皇子尊・日並知皇子命・日並知皇太子(続日本紀
     =日双斯皇子命(万葉-四十九)
       ↓
      柿本朝臣人麿作歌
      日雙斯 皇子命乃 馬副而 御獦立師斯 時者來向
       ↓
      草壁皇子が、
      馬を副えて(並べて)
      御獦(みかり・狩・猟)に師斯を立(発)つ
      時が向かい来る
       ↓
     =日並皇子尊(万葉-巻二-百十題詞、167題詞)
            石川郎女に贈歌
             ↓
            石川 内命婦(いしかわ の うちみょぶ)
            大伴安麻呂の妻
            石川 命婦(いしかわ の みょうぶ)とも
           「万葉集」には、
            同一人物ともいわれる
           「石川 郎女」という歌人がいる
           「石川 女郎(いしかわ の いらつめ)」
           「大名児(おおなこ)」とも書く・・・?
             ↓
            おほなじ・ダイメイジ→代明治(代名字)
     =日並皇子(天平勝宝八歳六月二十一日
           東大寺献物帳国家珍宝帳)
     =日並知皇子
     =岡宮御宇天皇天平宝字二(758)歳八月
            追尊
     =岡宮天皇
     =長岡天皇
 である・・・草壁皇子→「石川女郎」←大津皇子・・・この3人は「三角関係」であったらしく、「大津皇子」が「石川女郎」を奪(うばった・窃)らしい・・・
 大津皇子の「窃(窃盗)」に石川女郎を婚きし時に、
 津守連通その事を占ひ露はせるに、
 皇子の御作りたまひし歌。
 「大船の津守の占に告らむとは
  まさしく知りて我が二人寝し(巻2-109)」
 ・・・?・・・「万葉集の解釈」も、並んでいる「数字」も何か変である・・・「巻2−109」・・・ダレが付けた「番号=ナンバー=NO」なんだか・・・
 草壁皇子大津皇子ではないのか、双璧、双子、双生児・・・大小の「碓(うす・タイ)」は「日本建命(やまとたける)=倭建命=倭日本童男=倭男具那命(やまとをぐな)」と、その兄であった。
ーーー↓
 「源氏物語」の 
 「並びの巻」を含めない
 「三十七巻=37=源氏物語」のみという数え方
   ↓
 「三十七巻=37」に
 「宇治十帖全体」を「一巻」に数えて
 全体を「37+1=38=三十八巻」
 とする数え方をされることもあった・・・
 「三十八巻」ではなく、「二十八巻」とも、とは?・・・
 「法華経二十八品」=「仏体三十七尊」に重ねた?
  ↓
 ・・・「二十八(28)」を「三十八(38)」の「数字」と「等しく」するのは無理だろう・・・「六十」は「六十干支」、「二十八」は「宿曜経二十八宿」の数字である「宿曜師」は占い師で「源氏物語」に登場している・・・人物を「占い」で重ね並べた・・・「源氏物語」の「桐壺」の第三章、「若宮七歳」、第三段「高麗人の観相、源姓賜わる」には・・・
     ↓
 そのころ、
 高麗人の参れる中に、・・・高麗人(こまうど)=渤海
 かしこき相人ありけるを
 聞こし召して、 宮の内に召さむことは、
 宇多の帝の御誡めあれば、いみじう忍びて、
 この御子を
 鴻臚館に遣はしたり。
 御後見だちて仕うまつる
 右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、
 相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。
     ↓
 高麗人(渤海人)
     ↓
     倭相→宿曜師
         ↓
 「宿曜の賢き道の人(宿曜師)」
   ↓
 際ことに賢くて、ただ人にはいとあたらしけれど、
 親王となりたまひなば、
 世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、
 「宿曜の賢き道の人」に勘へさせたまふにも、
 同じさまに申せば、
 源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。
   ↓          
 「宿木(やどりぎ)」の意味するものも「宿曜経の宿星」であろう・・・モチロン、「帚木(ははぎ)」は彗星の「客星=箒星=ほうきぼし」である。「法規・放棄・蜂起・宝器・法器」がナラブ・・・「並ぶ=楢分(部)=木(十八)+酋(八酉)」とは・・・「占いの命式」?
ーーー↓
 「源氏物語」は
 写本・版本により多少の違い
 約、
 300名の登場人物
 七十年余りの出来事
 八百首弱の和歌
 を含む
 「竹取物語」や「うつほ物語」などに
 接ぐ長編モノガタリ
 後続して成立した
 「王朝物語」に影響を与え
 「狭衣物語」の人物設定や筋立てに多くの類似点
 「宇治十帖」の巻数を「宇治一」、「宇治二」というように
 それ以外の巻とは別立てで数えている・・・
 このころ、「宇治十帖」は
 その他の部分とは
 分けて取り扱う考え方が存在した・・・?
 「源氏物語」全体を
 「光源氏を主人公」にしている
 「幻」=「雲隠」までの
 「光源氏物語」と
 それ以降の
 「宇治大将物語」=「薫大将物語」の
 二つに分け、
 「前編」、「後編」
 または
 「正編」=「本編」、「続編」
 と呼ばれていた・・・
 分類で
 帚木三帖・・・帚木、空蝉、夕顔
        の三帖
 玉鬘十帖・・・玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、
        篝火、野分、行幸藤袴、真木柱
        の十帖
 匂宮三帖・・・匂兵部卿、紅梅、竹河
        の三帖
 宇治十帖・・・橋姫、椎本、総角、早蕨、宿木、
        東屋、浮舟、蜻蛉、手習、夢浮橋
        の十帖
 とされている場合がある・・・他には
 「紫上物語」
 「明石物語」
 「玉鬘物語」
 「浮舟物語」
 など、特定の主要登場人物が活躍する
 部分を分けて物語と呼ぶことがある・・・
ーーーーー
 ・・・胡瓜の芽は未だ出ず、とまと(赤茄子・西紅柿・唐柿)、蕃茄(バンカ)なら時期は「晩夏」・・・挽歌は原田康子の小説・・・北海道、釧路で、「苫小牧(トマコマイ)」は舞台ではなかった・・・不倫に赤いトマトはそぐわない・・・やっぱ、トマトは「日曜日はダメよ」である・・・芋は「男爵」だが、爵位は「カネ」でもらった・・・