509日目・・・「金融危機」・・・困っているのは余った、余裕のある「小金持ち」の人間なんだろうなッ・・・預けていたり、貸していた金が戻ってこない、となれば、心理的にドウヨウするのは当然で、アタリマエである。しかも「大金持ち・大富豪」なんていうのは逆に喜んでいるカモ・・・損する奴がいるから得して儲かるヤツがいるのが「世の中」と言うものだ。「経済原則」とは単純な仕組みに過ぎない。「モノとモノとの相互の交換」と言うことだ。この「交換」を頭を抱えて、殊更小難しく考え、「コトバ」の迷路に誘い込む「経済学者」は多分

 そもそも「使用価値」がない数字印刷の紙切れ自体が「商品」となって取引されてきたところに問題がある。「金券、証券、株券、債券」は印刷、あるいは記された数字と同じ「モノの価値」がある、と言うコトで「信用」されているだけである。土地、大地も、建築物、家屋も「使用価値」はまぎれもなく生活する人間とってはある。だが印刷された紙自体は「カミ自体」でしかない。
 この「信用とはナニか?」と言うことを考えてみるべきであるな・・・「信用を裏打ちするモノは何か?」と・・・どうやら「国家」と言うところに落ち着くのだが・・・・じゃぁ、この「国家の信用」とはナニか?・・・日本もアメリカも欧州も「民主主義」と「自由主義」の「法治国」らしいが、これらの「法治国家の法」も「金券」には翻弄されてしまう。
 そしてこの「信用」を裏打ちしているモノとは、実体のない「幻想と妄想」にしか過ぎない「観念上、心理上」の問題であるコトも見えてくる。「年金」は言うに及ばず、「ドクコメ」も「信用していた」のさ、「国民」は・・・
 「金融危機」・・・しこたま儲けた大企業の経営者やそのとりまきは企業が倒産しても「現物」があるし、「食うモノ」を確保し、生きていくことができるだろう。だが、自転車操業の中小企業経営者は金が借りられないとなれば夜逃げか、自殺か、アゲクの果ては自暴自棄になって殺人強盗や、放火魔になるやつもいる・・・問題は「銀行=金貸し」から「資本」として金を借りて経営しなければ「利潤・利益」が産み出せないところにある。「経済恐慌」は「人間欲望経済学」の本質である。
 経営者であろうが労働者であろうが「身体が資本」であるコトには「魔違い」ない・・・問題はダマサレテもイイと考えている奴と、ダマシテもイイと考えているヤツの「立場」である。「ダマシ、ダマサレル」とは「労働の成果」を「ヌスミ、ヌスマレル」と言うことに関してである。その結果としての「余裕時間」の使用量である。そして「エンゲル係数」である。
 「全体主義=社会生活」の「ミツバチ」や「スズメバチ」、それに「アリ」をみていると、あれが「自然」なら、人間の「社会」も・・・とは思うけれど・・・「ムシの社会」には「私欲」はないのかも・・・無私としての存在だから。
 貧乏人にとって「損」はすぐさま理解できるコトバだが、「得=利益・利潤」は結構、理解しがたいコトバである・・・
 とにかく、クッてイキて、今現在、生活できているトキとコトがハナである・・・