イヤリング (pierced earrings) ・邪悪なものから身を守る魔除け・耳栓

 2920日目
 耳栓・耳の飾り玉(earring=イヤリング=year-ring)
 縄文時代には石を円形に刳り抜き
 一部を削り取った
 「玦状耳飾」や、
 「耳栓状耳飾」が出土
 主に女性の
 耳朶を穿孔してその孔に装着した
 縄文時代の耳栓

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 耳学問
 ↓↑
 中国では
 漢字の(阜=阝)
    (邑=阝)
 を耳に喩えている
 ↓↑
 耳飾り
 耳朶(ジダ)=「耳たぶ」を挟んだり
 耳朶に孔をうがつなどして装着する装身具
 「イアリング」
 男女共に用いた
 首飾や腕輪などと同様
 先史時代以来行われ
 素材,形状ともさまざま
 古代エジプト
 メソポタミア
 では黄金製の各種の形状のものが出土
 ツタンカーメン王墓
 垂飾付きの黄金製耳飾が出土
 ↓↑
 耳飾(みみかざ)り
 耳につける装身具
 耳たぶにはさんだり
 ねじで留めたり
 穴をあけてつるしたりする
 耳輪・イヤリング・ピアス
 ↓↑
 ピアス(英: pierce)
 身体の一部に穴を貫通させ
 その穴に通して付ける
 装身具の総称
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 「clip-on
 「穴を開けずに耳に装着する装身具」
 ↓↑
 「イヤリング (pierced earrings) 」
 耳たぶなど外耳に穴を開けて
 とりつける耳飾り
 「穴を貫通させる」という意味の動詞
 「ピアシング(piercing)」
 で
 「穴を貫通させること」
 「その穴にピアスを通すこと」
 「ボディ・ピアシング(body piercing)」
 「イヤリング(earrings)」
 「イヤリング (pierced earrings)」
 耳たぶなど外耳に穴を開けて
 とりつける耳飾り

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 邪悪なものから身を守る魔除け
 ↓↑
 日本
 縄文時代早期末(紀元前6500年頃)
 からピアスが着用された・・・
 骨製で
 円の一部を欠いた形で
 「玦状(ケツジョウ)耳飾り」
 縄文時代中期ころより
 土製のピアスが作られ
 ピアスをつけているとされる
 土偶も出土
 耳部分に穴の開いている土偶も存在
 縄文時代晩期終末
 (紀元前2500年)~弥生時代
 には
 ピアスはほとんど出土しない・・・?
 ・・・「異変」で習慣が変わった・・・?
 ・・・「種族の支配者」が「異種族」変わった・・・?
 ↓↑
 古墳時代
 金属製のピアスが出土
 埴輪から男女を問わず
 ピアスをしていた・・・
 千葉県
 殿塚古墳から出土した
 人物埴輪の両耳には
 上下にそれぞれ2つの穴
 飛鳥時代を最後に
 明治時代まで
 日本本土では
 ピアスは姿を消した
 大宝律令(701年)
 身分による衣服の違いの定め
 装飾品で身分を示す必要がなくなった・・・
 「身体髪皮膚之を父母に受く
  敢て毀傷せざるは
  孝の始めなり」
 儒教の孝経の影響・・・
 ↓↑
 アイヌ
 江戸時代末期まで
 「ニンカリ」
 と呼ばれる
 真鍮製のピアスを
 男女問わず付けていた
 ↓↑
 ボディピアス
 鼻や臍、舌、乳首や性器
 指や腕などに付ける
 耳以外へのピアスを
 ボディピアスと呼ぶ
 ピアスを着装するために
 身体に穴を開けることを
 「ボディピアッシング
 ↓↑
 マヤ文明
 ヤシュチラン遺跡
 女性たちが
 舌に穴をあけて
 紐を通したという記述・・・
 「クリトリスフード・ピアッシング
 陰核の包皮を貫通させる
 「女性器ピアス」
 ↓↑
 ピアス(pierce)
 身体の一部に穴を
 貫通させその穴に付ける
 装身具の総称である
 「piercing=穴を貫通させる」
ーーーーー
 耳飾は
 弥生時代に入る頃にはほとんど見られなくなった
 ↓↑
 古墳時代
  埴 輪 挂 甲 武人(群馬県太田市飯塚町出土)
 (はにわ けいこうぶじん)
 ↓↑
 金製垂飾付耳飾
 垂れ飾りの付いた環状の
 金属製耳飾が出現
 宮山古墳(兵庫県
 ↓↑
 珥=王+耳
   ジ
   みみだま
   さしはさむ
   耳栓
   耳の飾り玉(earring=イヤリング)
         year-ring=回帰年・年輪
         marriage-ring=結婚指輪
   さす
   珥筆
   耳に つける玉(王)
   珥(みみだま)
   真珠または玉で作った耳輪
   ↓↑
   武 埴 安 彦  命
  (たけはにやすひこのみこと)
   ↓↑
   崇神天皇十年九月二十七日頃)
   第八代
  「孝元天皇」の皇子
   母は
   河内
  「青玉繋(あおたまかけ)
      の女(娘)」の
   埴 安 媛
  (はにやすひめ)
   ↓↑
   妻は
  「吾田媛(あがたひめ)」
   ↓↑
   崇神天皇(第十代)
   に対する反乱
  『日本書紀』で
  「武埴安彦命
  『古事記』で
  「建波邇夜須毘古命」
   ↓↑
  「建波邇安   王」
    ↓↑
  神話↓↑
  の「波邇夜須毘古神」とは
   異なる人物・神ではない

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   カグツチ=火の神
   火之夜藝速 男 神
  (ひのやぎはやをのかみ)
   火之炫 毘古 神
  (ひのかがびこのかみ)
   火之迦具土  神
  (ひのかぐつちのかみ)
     加具土  命
        (古事記
   軻遇突智
  (かぐつち)
   火産 霊
  (ほむすび)
    (日本書紀
   と表記

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  「カグツチ(加具土命)=火の神」等
   を産んだ
   死ぬ間際に
  「伊邪那美命」の
   大便(糞・くそ・屎)から
  「波邇夜須毘古神」
  「波邇夜須毘売神」
   ・・・波邇≠埴≠塙≠葉名=華花=洟?
      波邇=はに=埴=洟=氵+夷(蝦夷
   の二神が生まれた・・・?
   と表記
   糞=米+異(田共)・・・米異化
   屎=尸+米・・・・・・・屍米
ーーー↓↑ーー
 ・・・「うぅ~ん、うぅ~ん、ッて、踏ん張るのョッ」・・・
 ・・・「この子はウンチとオシッコを早い時期から教えてくれたのョ」・・・
 「今昔物語第三十巻」
 「平定文、本院の侍従に懸想せし語」
 「巻三十第一話
  平定文仮借本院侍従語 第一」
 「宇治拾遺物語
 「今は昔、兵衛佐平定文」
 「巻三十第一話
  芥川龍之介『好色』元話」
ーーー↓↑ーー
 排泄訓練を終えた児童は
 等しく
 自己と他人の存在を意識し
 自我と
 その他の間に
 境界を築く
 ↓↑
 ルサンチマン(仏 ressentiment)は
 弱者が
 強者に対して
 「憤り・怨恨・憎悪・非難」
 の感情を持つこと
 ↓↑
 ジークムント・フロイト
 心理学の父
 人間精神の発達や
 人格形成の段階において
 排泄行為が
 欠くことの出来ない要素であるとした
 排泄行為の
 セルフコントロールにより
 欲求の抑制と
 快感の増大を通して
 自己抑制の学習
 性欲の萌芽が見られる
 ↓↑
 スカトロジー(英語 Scatology)
 「糞・尿」
 に対する研究・考察を言い
 日本では
 「糞便学(フンベンガク)」
 糞尿への興味
 糞尿を愛玩する
 性的興奮
 性癖・性的嗜好
 糞尿に関するユーモア
 糞尿や糞尿愛好等を
 主題とした文芸作品等も指す
 糞尿趣味を指す場合は
 「スカトロ」と略される
 これらに関係する人間を
 「スカトロジスト」と呼ぶ
 ↓↑
 「スカトロジー
 古代ギリシア語で
 糞便を意味する
 「スコール(σκωρ)」
 に由来する
 語幹 「scat-」+「-ology」
 の合成語
 学問としての
 「スカトロジー」には
 排泄という生物の基本的な機能に関して
 研究する生物学的研究のほか
 哲学・心理学的な研究
 糞便にまつわる文化・芸術に関して
 研究する
 社会学的研究
 文化圏毎の糞便のあり方を
 研究する
 文化人類学民俗学的研究等が存在する
   ↓↑
   土器・陶磁器の祖神
  風土記・統治記
     (当時・冬至・東寺・湯治・杜氏)記

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  「火之迦具土神
     ・・・熔岩=ラテン語
     「labes=滑り落ちる・崩れる」
     「lava=古いナポリ
          (Neapolitan)」
           名保 理探?
     による名称
     「雨による流れ・rain-wash」
     古いナポリでは
     「lavare=洗うこと」
     「lava=流れ」を意味
     マグマ(magma)=岩漿(ガンショウ)
     ギリシャ語「μάγμα(糊)」
     糊(のり)=米+古+肉=接着剤
                接合剤(材)
           米(八方)の胡人?
     火山溶岩=二酸化ケイ素の
     成分の少ないものから
     玄武岩安山岩→デイサイト→流紋岩
     後になるほど粘性が高い
   を産んだのは
  「阿蘇山伊邪那美命」の噴火・熔岩流
   冷えた迦具土=熔岩・・・赤丹=丹土
               青丹⇔白丹?
               瀝青
  「輝夜・迦具夜」姫=阿毎王朝の姫?
   ↓↑
   青丹⇔白丹⇔白砂・・・白拍子
   瀝青・・・ 白馬=あおうま
      萱場・丹波=青(蒼・葵)葉(馬)
         熊本・隈本・・蒼頡鳥肢字?
      あんたがたどこさ
      童歌の手鞠歌
      熊本県熊本市
      埼玉県川越市)が舞台
     「肥後手まり唄」
      あんたがたどこさ
      肥後さ・・・比語作(差・査)?
      肥後どこさ(肥後もっこさ)
      熊本さ・・・句眞本差?
      熊本どこさ
      船場さ・・・せんばさ=撰葉差?
      船場山には・・・撰葉纂似葉?
      狸がおってさ・・句眞?
      それを
      猟師が・・漁師・両誌・両詞?
      鉄砲で・・綴方出?
      撃ってさ
      煮てさ 焼いてさ 食ってさ
     (似) (譯・訳)(繰・句)?
      それを
      木の葉で・・・記紀之葉出?
      ちょいと・・・著意譯?
      隠(かぶ)せ
      ↓↑
      あんたがたどこさ
      肥後さ
      肥後どこさ
      熊本さ
      熊本どこさ
      船場
      船場には
      蝦(海老・えび・蛯)・・・重備?
      さが(佐賀・性・作臥)
      おってさ
      それを漁師が
      網さで
      捕ってさ
      煮てさ 焼いてさ 食ってさ
      ↓↑
      「問答歌」
      幕末~明治時代初期の手鞠歌
      「戊辰戦争」時
      薩長軍が東征軍として
      彰義隊の残党
      振武隊を追って
      川越城に進駐
      城に隣接する
      仙波古墳群のある周辺一帯
      に駐屯
     (熊本は船場川で仙波山ではない)
      仙波山付近の子供たちが
      兵士にどこからきたのか尋ね
      熊本藩出身の兵士が答える・・・?
      異説は
     「太田信一郎『童謡を訪ねて』」?
     「太田牛一」は
     『信長公記』等の軍記、伝記の著者
      官位は和泉守
      通称は
     「又助(又介)・和泉」・・・?
   ↓↑
   瀝青=天然アスファルト
      ヘーマール・ビチューメン
      ピッチ・固体状
      タール・液状
   二硫化炭素に溶ける
   半固状、固状の炭化水素混合物
   石油の原油の変質物
   石油の蒸留残留物の
   アスファルトやピッチ
   天然アスファルトがさらに変質
   濃褐色の防腐用塗料
   pixtumens=ピッチが増大するの意味
   樹木、泥炭、褐炭などから
   ベンゼンなどの有機溶剤で
   抽出される有機物質の総称
   チャン・・・?
   ビチューム=ビチウメン(Bitumen)
   土瀝青系焦性瀝青
   asphaltic pyrobitumen・・・?
   ソドムやゴモラの近くにあった
   「シディムの谷=瀝青」
   エドムの地=「燃える瀝青の地」
   瀝=氵+歴=氵+暦
     氵+厂+林+止
     纂出は眞誰、記戯(早志)をトめる?
     氵+厂+十+八+十+八+ト+丄
   ギリシャ
  「倒れないもの=堅くして固定するもの」
         「接着剤」
   ↓↑
   四道将軍の1人
   大彦命
  (武埴安彦の異母兄弟
        阿倍臣祖)・・・阿毎王朝
   が北陸への派遣途中
   不吉な歌を歌う少女に出会って
   大彦命は引き返して
   天皇に報告
  「倭迹迹日百襲媛命」
   の占いによって
  「武埴安彦」
   妻の
  「吾田媛」の謀反が発覚
  「武埴安彦」は山背から
  「吾田媛」は
   大坂(奈良県香芝市逢坂付近)
   から大和へと攻め入った
   吾田媛
  「五十狭芹彦命」
  (吉備津彦命四道将軍の1人)
   に
  「武埴安彦」
   は
  「大彦命
  「彦国葺(和珥=わに臣祖)」
   に討ち取られた
   ↓↑
  「武埴安彦」
   と
  「彦国葺(和珥=わに臣の祖)
   彦国葺 (くにふき)
    国夫玖(クニブク)」命
   とによる矢の射ち合いで
  「武埴安彦」
   の矢は当らず
  「彦国葺(和珥=わに臣祖)」
   の放った矢(忌矢)が
  「武埴安彦」の胸に当たった
  「武埴安彦」の軍は崩れ
   鎮圧された・・・?
   ↓↑
  「和珥=わに」⇔「埴=はに」
   ↓↑ ↓↑
  「埴輪=はにわ=塙=はに=土」
      ↓↑   ↓↑
  「畝 尾 坐 健 土 安 神 社
  (うねおにますたけはにやすじんじゃ)
   主祭神  「健 土 安 比売命」
   ↓↑
  「塙=土+高・・・・埴=土+直
     土+亠+口+冋
     十+一+亠+口+冂+口
      カク
      コウ
      かたい
      はなわ
      かたい土
      たかい・高さのある土地
      石の多いやせた土地
      日本語では
      はなわ・・・塙 保己一
      ↓↑   
      山の突き出た所・小高い所
      ばん・姓氏に用いられる
      ↓↑
      塙 保己一
      延享3年5月5日
     (1746年6月23日)
      ~
      文政4年9月12日
     (1821年10月7日)
      国学者
      幼名は丙寅にちなみ
      寅之助
      失明後
      辰之助に改名
      多聞房(たもんぼう)
      雨富検校に入門後
      千弥(せんや)
      保木野一(ほきのいち)
      保己一(ほきいち)
      と改名
     『群書類従
     『続群書類従
      編纂
      ↓↑
      武州
      児玉郡
      保木野村
     (埼玉県本庄市児玉町保木野)
      に誕生
      「塙(はなわ)」は
      師の
     「雨富須賀一」の本姓を用いた
      荻野(おぎの)氏の出自
      近世に帰農
      百姓
      父 宇兵衛
      母 きよ
        加美郡
        木戸村(上里町藤木戸)
        名主
        斎藤理左衛門家の娘(女)
      弟 卯右衛門(うえもん)
      息子
      塙 忠宝(はなわ ただとみ)
  ↓↑
  塙 忠宝
  文化4年12月4日
 (1808年1月1日)
  ~
  文久2年12月22日
 (1863年2月10日)
  塙保己一の四男
  母 岡田イヨ
  通称 次郎
     忠宝の名は
     林述斎が命名
 『史料・武家名目抄・続群書類従
  などの編纂に携わった
 『南朝編年稿・近世武家名目一覧・集古文書』
  などを編著
  ↓↑
  文久2年(1862年)12月21日
  江戸幕府
  老中
 「安藤信正
  の命で
 「前田夏蔭」
  と共に
  寛永以前の幕府による
  外国人待遇の式典について調査
 「孝明天皇」の廃位陰謀で
 「廃帝の典故」を調査していると
  誤解した勤皇浪士達
  幕臣
  中坊陽之助邸(駿河台)
  で開かれた
  和歌の会から帰宅時
  自宅 兼 和学講談所の前で
 「加藤甲次郎」
  と共に襲撃され
  翌日死去
  ↓↑
  暗殺
  渋沢栄一
  大正十年(1921年
  忠宝六十年祭に
  暗殺襲撃者が
  伊藤博文
  山尾庸三
  であると明らかにした
 「田中光顕」
  が伊藤本人から聞いた暗殺時の話も記録
  シーボルトの長男
  アレクサンダーは
  1882年3月21日の日記に
  当時ドイツのベルリン滞在中の
  「伊藤博文」本人から聞いた
  文久2年に
  「H」という学者を暗殺述懐の記録
  大正十年(1921年)6月
  検校
  塙保己一の百年祭
   忠宝の六十年祭
  を新宿区愛染院で行い
  忠宝の孫
  温故学会初代理事長の
 「塙忠雄」は
  祖父を暗殺した博文の息子
 「伊藤博邦」に出席を依頼し
  博邦の代理
  陸軍大将
 「大井成元」
 「山尾庸三」の息子
 「山尾三郎」
 が参列し
 式典の最後に発起人の
 「渋沢栄一」がスピーチで
 「忠宝」暗殺について触れ
 「恩怨共に遺る聖代に当り
  自他共に何等
  悪感の存するところなきの実を
  示したるもの」
 と述べた・・・
  ↓↑
 忠宝の子
 「塙忠韶」は明治維新
 「大学少助教」に任ぜられ
 文部小助教
 租税寮十二等出仕
  ↓↑
 「修史局御用掛」へと出世
  ↓↑
 「山尾庸三」は明治維新
 盲学校、聾学校の設置を主張
 建白書を表し
 障害者教育に熱心に取り組み
 楽善会訓盲院(東京盲唖学校)
 の運営にも深く関わって
 明治九年(1876年)
 設立認可が下りた日に因む
 同校の設立記念日
 12月22日(新暦)は
 「忠宝の命日」と同じ日
   ↓↑
   はにわ=埴輪・塙・波爾
   垂仁天皇
   推古天皇
   十一世代前の天皇
   ↓↑
   江戸時代の古記録では
   人物埴輪に対してのみ
   埴輪と呼称せず
  「瓦偶人(がぐうじん)」
   と記した
   明治期
  「埴輪土偶
   ↓↑
   1930年(昭和五年)
   埼玉県大里郡小原村
  (江南町・熊谷市大字野原字宮脇)
   の野原古墳群にあった
  「野原古墳」から農地開墾中に出土
   ↓↑
  「踊る埴輪(おどるはにわ)」
   踊りではなく手綱を持ち
   馬を引く
  「馬飼=うまかい・馬子・馬曳)」
   を表した像とする説・・・
   ↓↑
   王の耳
   耳・佴・毦・髶・弭・䣵
   咠・𩱓・恥・餌・㛅・茸
   ↓↑
  「珥 珠在耳也 彌々玉(新撰字鏡)」
   海女が潜水するとき
   耳に水の入るのを防ぐため
   耳栓として用いる玉
   女潜水员用的耳塞
   耳塞
   ↓↑
   耳飾り
   耳に穴を開ける
   剣のつば(鍔)
   太陽や月の暈
   差し挟む
   衈と通じて「耳血で塗る」
   咡と通じて「糸を吐く」
   刵と通じて「左耳を削ぐ」
  「瑱なり(説文解字)」
  「耳飾りなり(広韻)」
   ↓↑
   珥糸・珥貂・珥彤・珥璫・珥筆・珥笔
ーーー↓↑ーー
 ・・・「蓼食う虫も好きずき」・・・
 谷崎 潤一郎
 1886年明治19年)7月24日
 ~
 1965年(昭和40年)7月30日
       大運1961年5月(74歳)~1971年
            癸卯・偏印
 丙┏戌(辛丁戊)傷官・正財 墓⇔乙巳・比肩
 乙┗未(丁乙己)比肩・偏財 養⇔癸未・偏印
 乙 酉(庚 辛)  ・偏官 絶⇔乙酉・比肩
 壬 午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔壬午・印綬
   午未空亡
 ↓↑
 1886年明治19年)7月25日?
 ~
 1965年(昭和40年)7月30日
        大運1961年1月(74歳)~1971年
               癸卯・正官
 丙戌(辛丁戊)比肩・食神 墓⇔乙巳・比肩
 乙未(丁乙己)印綬・傷官 衰⇔癸未・偏印
 丙戌(辛丁戊)  ・食神 墓⇔乙酉・比肩
 甲午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔壬午・印綬
  午未空亡
ーーー↓↑ーー
 ・・・???・・・