2595日目・・・未明、3:00〜4:00〜5:30・・・颱風が轟音で襤褸屋敷を叩き、揺すりツヅけ、一度はベットに潜ったが、とても耐えられず、這い出し、風神の強請り、タカリの声高の訊問に怯えていた・・・今現在、8:50・・・オヒさまは光を投げかけ始めたが、いまだ風がゴォ〜ッて、木々を揺すっている・・・バラは全滅、名前は不確かだが黄色の花弁を散らして坊主頭だけになってしまった「あらげはんごん草(衣笠菊)?」・・・菊池=きくち=菊知・貴久知・釈氏・聴く知・・・菊池って・・・?・・・規矩知・季句知・起句知・訊
みみ(見視・看見)・・・文字を見て意味を知る・・・読書・・・
「投馬国、官曰、彌彌(みみ=耳)。副曰、彌彌(みみ=耳)那利」
耳なし(成・無・无・名意・梨)
巳巳成・三三七四
「狗奴国、官有、狗古智(くこち=枸杞地⇔規矩知)卑狗
(魏略は拘右智卑狗)」
「枸杞子=ナス(茄子)科の落葉低木
葉は柔らかく、枝はつる状で細く棘(とげ)がある
夏、薄紫色の小花を開く
枸(カラタチ)の様なトゲがあり
杞(コリヤナギ)の様な嫋(靭・しなやか)な細い枝
枸杞子=果実は赤色楕円形で生薬、枸杞酒として滋養
枸杞茶(葉)=保健・強壮などに効果
ーーーーー
神武天皇
神日本磐余彦天皇(日本書紀)
(かむやまといわれびこのすめらみこと)
神倭伊波礼毘古命(古事記)
諱は彦火火出見・狭野(さぬ)
の兄弟
第一子、彦五瀬(ひこいつせ)命
第二子、稲飯(いなひ)命
第三子、三毛入野(みけいりの)命
第四子、神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)尊
ーーーーー
『日本書紀』記載の別名
↓↑
神日本磐余彦火火出見尊
(かむやまといわれびこほほでみのみこと)
第11段の第2の一書・第3の一書
磐余彦火々出見尊
(いわれびこほほでみのみこと)
第11段の第4の一書
磐余彦尊
(いわれびこのみこと)
第11段の第2の一書
磐余彦の帝
(いわれびこのみかど)
継体天皇段
稚三毛野尊
(わかみけぬのみこと)
若御毛沼命(古事記)
第11段の第3の一書
狭野尊
(さぬのみこと)
第11段の第1の一書での幼名
始馭天下之天皇
(はつくにしらすすめらみこと)
豊御毛沼命(古事記)
(とよみけぬのみこと)
古事記
ーーーーー
神武天皇の
系譜
父は
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
・・・鸕鶿(ロジ)草葺不合尊・・・尊の総集が合わない
鸕=盧+鳥=ロチョウ 草(艹日十)葺(艹口耳)
(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
・・・鵜葺(テイシュウ)草葺不合命・命の総集が合わない
鵜=弟+鳥=音調・恩寵 草(艹日十)葺(艹口耳)
(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
↓↑ 鸕鶿=「うのとり・ロジ」・・・鵜(テイ)=始末鳥
水中に魚を捕ふること甚だ巧なり
古來和漢共に図せらるゝ所多し
東京帝室博物館に
僧単庵の筆あり
又清の沈南蘋画く所柳下鸕鶿捕魚の図
最も有名なるものにして
渡辺崋山(小室春三郎氏蔵)・・・渡辺崋山
林椿山(宮木仲氏蔵)之を擬して画き
爾後明清画派の好んで画く所たり
↓↑ (『画題辞典』斎藤隆三)
実母は・・・鰐=わに=「和邇・王仁・和爾・和珥・丸爾」一族
↓↑ 和珥=和邇吉師が応神天皇 (270〜310)
・・・珥=王+耳=みみだま・さしはさむ・ジ
みみだま・耳の飾り玉
さす・さしはさむ
太陽のまわりにくっついた雲気・ひがさ
捕虜の左の耳をきりとる・その刑罰
「珥筆」
↓↑ 和邇氏は日本へ千字文と『論語』十篇を伝えた・・・?
豐玉毘売(とよたまびめ)・・・豐=丰(簡体字)⇔豊=礼(禮)
↓↑ 「豐(とよ・フ・ブ・ホウ)」の ライ・レイ
異体字 : 丰(簡体字)・𣍈(説文解字の字体)
𧯮(俗字)・灃(俗字)・酆(俗字)
𤲊(俗字)・豊(代用字(新字体))
豐都=周の文王の旧都・陝西省西安市の西北
豐国=豊前・豊後・・・国東(くにさき)半島
↓↑ ブゼン・ブンゴ 神武の東征は国東?
養母(叔母)は
玉依姫(たまよりびめ)
↓↑
『日本書紀』本文・第11段の第1・第2・第3の一書
↓↑ ナゼか第十一段・・・?
第十一代
垂仁天皇ー景行天皇ー日本武尊=倭建命
↓↑ 礀 (母は播磨稲日大郎姫)
↓↑ 礀ー倭姫命(伊勢神宮の初代斎宮)
活目入彦五十狭茅尊
(いくめいりびこいさちのみこと)
伊久米伊理毘古伊佐知命
伊久牟尼利比古
(崇神天皇29年1月1日〜垂仁天皇99年7月14日)
在位、垂仁天皇元年1月2日〜垂仁天皇99年7月14日
↓↑ 崇神天皇の第三皇子
↓↑ 『古事記』では第四子
兄に
彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命
↓↑
妻子
妃は
吾平津媛(あいらつひめ・古事記は阿比良比売)
日向国
吾田邑出身
火闌降命(神武天皇の大伯父)の娘
吾平津媛と神武天皇は従兄妹の関係
吾平津媛の兄は阿多の小椅君(古事記)
↓↑
第一皇子
手研耳命(たぎしみみ の みこと)・・・
手は耳の命を研(と・磨・砥)ぐ・・・多義詞字名?
神武天皇崩後
皇太子
神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのすめらみこと)
「鑑定・漢帝・漢綴」の名撰を自尊・字遜・爾遵?
に対する反逆で殺害された
皇子
岐須美美命(きすみみ、『古事記』)
↓↑
皇后
媛蹈鞴五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめのみこと)
富登多多良伊須須岐比売命
比売多多良伊須気余理比売(古事記)
事代主神の娘
↓↑
第一皇子
彦八井耳命
(ひこやいみみ の みこと
『本朝皇胤紹運録』は彦八井命)
・・英彦山・彦根
・・・彦=ひこ・ゲン=肥後・比古・毘古・諺(ゲン)・言
『本朝皇胤紹運録』および
『先代旧事本紀』は
綏靖天皇の弟とする
茨田氏・手島氏の祖(古事記)
↓↑
第二皇子
神八井耳命
(かむやいみみ の みこと・神八井命)
多氏・火氏・阿蘇氏・科野国造等の祖(紀・記)
↓↑
第三皇子
神渟名川耳尊
(かむぬなかわみみ の みこと
神渟名川尊、渟名川耳尊)
綏靖天皇(第二代天皇)
ーーーーー
魏志倭人伝の国名と官名
↓↑
対馬国 其大官曰 卑狗 副曰 卑奴母離
一支国 官亦曰 卑狗 副曰 卑奴母離
末廬国
伊都国 官曰 爾支 副曰 泄謨觚、柄渠觚
奴国 官曰 兕馬觚 副曰 卑奴母離
不彌国 官曰 多模 副曰 卑奴母離
投馬国 官曰 彌彌 副曰 彌彌那利
邪馬壹国 官有 伊支馬 次曰 彌馬升
次曰 彌馬獲支
次曰 奴佳{革是}
狗奴国 官有 狗古智卑狗(魏略は拘右智卑狗)
河内・高知・耕地・巧緻?
菊池肥後(比古)・・・卑狗=俾犬?
ーーーーー
以上も以下も、参考原文はスベテ「wikipedia」・・・
↓↑
菊池町 - 1956年から1958年まであった町
1958年に市制を施行し、菊池市へ
菊池郡 - 熊本県にある郡
菊池温泉 - 菊池市にある温泉地
菊池川 - 熊本県を流れる一級河川
源流部に菊池渓谷
菊池渓谷 - 阿蘇市・菊池市にある渓谷
菊池城 - 熊本県菊池市にある山城跡
肥後菊池氏の本拠であった城
別名隈府城とも
菊池十八外城 - 菊池城を囲むようにあった城塞群
菊池十八城とも
菊池神社 (福岡市) - 福岡県福岡市鎮座
菊池神社 (菊池市) - 熊本県菊池市鎮座
群馬県高崎市菊地町
岐阜県岐阜市菊地町
映画『菊池千本槍シドニー特別特攻隊』
太平洋戦争中のシドニー港攻撃を題材とした戦意高揚映画
大映製作、菊池寛監督
菊池五山 (寺格) - 肥後国における禅宗の寺格
ーーーーー
東鯷人=東+魚+是+人
鯷=なまづ=鯰(魚今心)・魸(魚片)・鮀(魚它)=生津(漁場・漁港?)
↓↑
東鯷人=漢(呉と同族)と仲の悪い
春秋戦国時代の斉と秦の末裔で
邪馬臺国人のこと・・・?
三角縁神獣鏡
「倭呉合作鏡」→「鯷呉合作鏡」
魏の年号にない
景初四年銘三角縁神獣鏡があり
三角縁神獣鏡は
魏鏡ではなく東鯷国の産物・・・?
三角縁神獣鏡は
卑弥呼が魏から下賜された銅鏡ではない・・・?
↓↑
倭人と越裳と東鯷人(論衡の引用箇所)
越裳=ヴェトナム=越南・・・越前・越中・越後?
↓↑ 裳=裙=も・もすそ・ジョウ・ショウ
腰から下にまとった衣服の総称
「会稽海外、東鯷人有り、分かれて20余国を為す」
范曄(398〜445)編纂の『後漢書』倭伝
↓↑
神功皇后(神功天皇)=東鯷国の出身
東鯷国=鯷海:鯷人の住む海外の國(大漢和辞典)
↓↑
東鯷の二十余国
安曇氏の活動範囲の諸国・・・海部・海人・海女・海士・阿毎
↓↑
鯷(カタクチイワシ=堅口鰯(鰮)
因幡(鳥取県)〜若狭あたりまでの漁労地域・・・
↓↑
魏志倭人伝
日本書紀
で
神功皇后が
穴門の引島(彦島)に到着すると
岡県主の祖の
熊鰐が案内し、伊都県主の祖イトテが出迎えた・・・
対馬も東シナ海と日本海をつなぐ位置
東鯷の二十余国の一つ
朝鮮半島と日本列島の中間にあり
製鉄遺跡、鉄資源の流通路・・・
↓↑
北九州に属していた(呉系と燕系の弥生人)・・・
↓↑
倭国
「建武中元二年(西暦五十七年)
倭奴國奉貢朝賀
使人
自稱大夫
倭國之極南界也
光武賜以印綬」
紀元107年(百七年・永初元年)
後漢・安帝時代
「後漢書・倭伝(東夷伝)」
が初出
「光武帝賜印綬」は
志賀島(しかのしま)出土の金印
漢委奴国王印・・・
↓↑
「會稽 海外 有東鯷人 分爲二十餘國」
↓↑
会稽(かいけい・蘇州・上海=申)郡
の海の彼方に
二十余国に分かれ
「東鯷人が居、朝献」
蘇州から東方=台湾島・・・阿蘇・肥後・北緯33度
北東=朝鮮半島から日本列島・・・
↓↑
志賀島(しかのしま)の
金印・漢委奴国王印
(カンの倭の奴の国王の印)
イ ヌ=いぬ=戌・犬・狗
後漢・建武中元二年(西暦五十七年)
倭奴国、貢を奉り朝賀す
使人、自ら太夫と称す
倭国の極南界なり
光武、賜ふに印綬を以てす
(後漢書・倭伝(東夷伝))
東鯷人(漢書)=鯷の漁場は響灘、玄海灘、黄海・・・
↓↑
会稽の海外に東鯷人あり
分れて二十余国と為る
夷洲および澶洲あり
伝え言う
「秦の始皇、方士徐福を遣わし
童男女数千人を将いて海に入り
蓬莱の神仙を求めしむれども得ず
徐福、誅を畏れ敢て還らず
遂にこの洲に止まる」
「世世相承け、数万家あり
人民時に会稽に至りて市す
会稽の東治の県人
海に入りて行き風に遭いて流移し
澶洲に至る者あり
所在絶縁にして
往来すべからず(後漢書)」
↓↑
須佐之男=海の王=Neptunus・Neptune・大国主の舅
母の国へ行きたいと啼く=号泣・啼泣・悲啼
鳥や獣などが鳴く・哭哭啼啼
月落ちカラス啼(鳴・な)いて霜天に満つ
都落ちした旅人の「姑蘇」での
旅愁、旅情、心象?・・・姑と蘇をカケタ?
姑の涙汁=姑は嫁に対して
同情の涙をめったに流さない意
非常に少ない、稀(まれ)モノの譬
姑=配偶者の母親
姑=父の姉妹、おば・大姑・二姑
夫の姉妹=小姑・大姑子・小姑子
しばらく・一時的
「姑息・姑娘(クーニャン)・慈姑(くわい)」
嫁ルツと姑ナオミの信仰(旧約・ルツ記1:1〜18)?
↓↑ ↓↑
「寒山・拾得」=「和合二仙・和合二聖」
「寒山」と「拾得」は
有髪の人物で、仇敵同士だった人名
後、師の
「豊干(ブゼン)禅師に遵って・・・豊前?
国清寺の行者になった
↓↑
楓橋夜泊 張継
月落烏啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺・・・姑蘇は場外・条外の換算字
夜半鐘声到客船
寒山寺=中国江蘇省
蘇州市
姑蘇区にある
臨済宗の仏教寺院
大国主=大 穴牟遅命
(おほなむちのみこと)
おほなむぢ
「なむぢ=なまず」・・・膾=なます=生巣・鱠・生須
↓↑
夷洲
夷(ゐ)=委=倭・・・
倭(わ・イ)
「邪馬台=耶靡台=耶麻碓(タイ)=ヤマ鯷(テイ)」
↓↑
澶洲⇔檀君=朝鮮・・・檀君神話?
↓↑
電気なまづ(electricus)
なまず(ナマヅ)・・菜(那)無地・萎える・痺れる・しおれる
鯷=なまづ
鯰(魚今心)
魸(魚片)
鮀(魚它)・・・它=蛇
生 津・・・生口=海女・海鼠(なまこ)・・・息長
なむじ(ナムジ)・・菜(萎・那)無地
萎(な)える・痺(しび)れる・しおれる
ま⇔み⇔ム⇔め⇔も
↓↑
船(ふね)⇔なにぬねの⇔名似濡音納
風(かぜ)⇔ざじずぜぞ⇔家座・鍛冶・下図・和・風邪
神(かみ)⇔まみむめも⇔鎌・釜・窯・亀・甕・加茂・鴨
雨(あめ)⇔まみむめも⇔海女・天女・尼・亜麻・甘
↓↑
須佐之男⇔須(彡頁イナヱ之田力)=ひげ=髭・髯・鬚・卑下
↓↑
大国主=大穴牟遅=大なまず(ナマズ)のヒゲ
大穴持命=大己貴命=大汝命=大名持神=国作大己貴命
八千矛神=葦原醜男=葦原色許男神=葦原志許乎
大物主=大国魂大神=顕国玉神=宇都志国玉神
伊和大神=所造天下大神=地津主大己貴神
国作大己貴神=幽世大神(かくりよ の おおかみ)
幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
杵築大神
↓↑
大国主=大なむぢ=大なまず
=須佐之男(素戔嗚尊)の娘、須勢理毘売の婿
国譲りの強要で
要石を打った
鹿島神宮の武甕槌(たけみかづち)
香取神宮の経津主(ふつぬし)
↓↑
古代エジプト人は
「なまず」のことを「ナル」と言っていた
発電能力を持つ電気ナマズ・・・ナイル(Nile)河に棲息
↓↑
「ナルメルの名は
ナマズ(ナル)と鑿(メル)の象形文字によって表され
読み方は
ナルメルウ
メルウナル
で
ナルメル=荒れ狂うナマズ」という意味
↓↑
280年〜289年
中国正史『三国志・呉書孫権伝』
「230年
呉の皇帝
孫権は
将軍の
衛温と
諸葛直に
夷州と
亶州に分かれる
東鯷国への遠征を命じ
武装兵は1万」
「呉地(会稽山付近)の条」
「会稽海外、東鯷人有り
分れて二十余国を為す
歳時を以て来り献見すと云う」
↓↑
伊都國
席田郡地域
伊都國の官名の
爾支・・・
泄謨觚・・
渠觚・・・
243年
卑弥呼の使者の
伊聲耆・・・一大率に相当する役職名
掖邪狗
↓↑
難斗米(日本書紀)
難升米(魏志)
都市牛利(魏志)
泄謨觚(副官)
柄渠觚(副官)
↓↑
伊聲耆掖邪狗(魏志)
伊聲者掖耶約(日本書紀)
↓↑
「日本書紀・仲哀紀」
「天皇即美 五十迹手 曰 伊蘇志
故時人号 五十迹手之本土 曰 伊蘇国
今謂 伊覩 者 訛也」
↓↑
「會稽海外有東鯷人,分為二十餘國
又有夷洲及澶洲
傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海
求蓬萊神仙不得,徐福畏誅不敢還
遂止此洲,世世相承,有數萬家
人民時至會稽市
會稽東冶縣人有入海行遭風
流移至澶洲者」
↓↑
《呉志・孫策伝》には、
吳人嚴白虎等衆各萬餘人,處處屯聚
吳景等欲先擊破虎等,乃至會稽。策曰
「虎等羣盜,非有大志,此成禽耳」
遂引兵渡浙江,據會稽,屠東冶,乃攻破虎等
↓↑
《呉志・呉主伝》黄龍二年(230)の条
遣將軍衞溫、諸葛直將甲士萬人浮海求夷洲及亶洲
亶洲在海中,
長老傳言秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海
求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。世相承有數萬家
其上人民,時有至會稽貨布,會稽東縣人海行
亦有遭風流移至亶洲者
所在絕遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還
↓↑
范曄の《後漢書・東夷列伝》に
會稽海外有東鯷人,分為二十餘國。又有夷洲及澶洲
傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海,求蓬萊神仙不得
徐福畏誅不敢還,遂止此洲,世世相承,有數萬家
人民時至會稽市
會稽東冶縣人有入海行遭風,流移至澶洲者
所在絕遠,不可往來
↓↑
《呉志・呉主伝》黄龍二年(230)の条に
遣將軍衞溫、諸葛直將甲士萬人浮海求夷洲及亶洲
亶洲在海中,
長老傳言秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海
求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。世相承有數萬家
其上人民,時有至會稽貨布,會稽東縣人海行
亦有遭風流移至亶洲者
所在絕遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還
↓↑
范曄の《後漢書・東夷列伝》に
會稽海外有東鯷人,分為二十餘國。又有夷洲及澶洲
傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海
求蓬萊神仙不得,徐福畏誅不敢還,遂止此洲
世世相承,有數萬家
人民時至會稽市
會稽東冶縣人有入海行遭風,流移至澶洲者
所在絕遠,不可往來
↓↑
中世から近世にかけて
日本の知識人は自国の異称に
「東海・東洋・東瀛(とうえい)・東鯷(とうてい)」
などの語をそのまま用いた・・・
東シナ海の東方に存在する島国という意味
〈日東〉という異称も頻繁に用いられた・・・
↓↑
「後漢書・東夷傳倭章」
「自女王國
東度海千餘里
至拘奴國
雖皆倭種、
而不屬女王
自女王國
南四千餘里
至朱儒國
人長三四尺
自朱儒東南行船一年
至裸國、黒齒國、 使驛所傳、極於此矣
會稽
海外
有東
鯷人、(鯷音達奚)
反分爲二十餘國」
ーーーーー
???・・・「鯷の音は達、奚(なんぞ・ケイ)=爫+𡗞」・・・
「奚」の異体字は「貕」
声符「奚」・㜎・谿・騱・螇・雞・鼷・徯
鷄・謑・鞵・膎・蹊・𪓷
同訓異義. なに・なんぞ=何曷胡盍那庸奚詎