2596日目・・・09/07/22:15・・・電気がついた・・・9/8 (土) 1:56 〜 3:45 (109分)、「『愛を読むひと(The Reader)』を観ることが出来た・・・「The Readerは、2008年のアメリカ・ドイツ合作映画。英語作品。1995年 に出版されたベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』を、スティーブン・ダルドリー監督が映画化」・・・電源のパワーが無ければ、ボクの人生、前(さき)も後(あと)も真っ暗〜ッ・・・やっぱ、「神武」は猩紅熱に罹った「サガのオトコ」・・・「卑弥

 1959年4月12日公開の「私は貝になりたい」・・・フランキー堺新珠三千代水野久美加東大介笠智衆橋本忍シナリオ脚色・監督」・・・
 市街電車の車掌ハンナは「文盲」であることを恥、高知の漁港町の床屋の清水豊松は「臆病」であることを恥じた・・・そして二人は「国家の義務と責任」を果たすこと・・・敵を抹殺するコトに忠実だった・・・?・・・職業で出世するコトは、その組織の監督責任を負う・・・?・・・
 ドッチの監督も狡い・・・「物語」の結末を「勧善懲悪」で終わらせなかった・・・なんで、コロシテしまうんだョぅッ・・・
 国家間戦争では負けた国家は責任を強要される・・・
 自然災害は神の責任か、人間の悪さの責任か・・・十六才・・・
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 神武天皇
 神日本磐余彦天皇日本書紀
 (かむやまといわれびこのすめらみこと)
 神倭伊波礼毘古命古事記
 諱は彦火火出見
 狭野(さぬ・さの・キョウヤ・コウヤ)
   狭(犭夹)=狹(犭夾⇔爽)=犭+人+大+人=犭+一+人+人+人
   狭=犭+夹=犬+夹=狗+夹
     犭+ 二+丷+ 人
     犭+ 一+一+丷+人
   せまい・せばめる・せばまる・さ・キョウ(ケフ)・コウ
   ↓↑
  「視野狭窄(シヤキョウサク)」
   視野が周辺や中心から狭くなる状態
   網膜色素変性症・緑内障・網膜剝離など
   視神経路の障害によって起こる
 ↓↑
 彦火火出見⇔肥子(肥後)で噴火の様子を観察?
 ↓↑
 狭野(さぬ)⇔さぬき=佐貫・左貫・佐抜=讃岐?
              持統天皇⇔鸕野讃良(うのさらら)
 持統天皇・・・字統・地等・時唐・自答・事問
 645年(大化元年)
 〜
 703年1月13日(大宝二年十二月二十二日)
 崩御・五十八歳
 天智天皇の第二皇女
 母は
 蘇我倉山田石川麻呂の女(むすめ)の
 遠智娘(おちのいらつめ)
 持統天皇
 「竜田神社(元々の社名は龍田比古龍田比女神社)」
 「龍田比古神・龍田比女神の二神」
 への頻繁な「三社詣?」の意味・・・?
 「伊勢神宮」ではなく、なぜ「竜田神社」・・・?
  中華(唐王朝占領)GHQ本部・・・?
 「三社」とは・・・
 厄除・災難除
 「素戔嗚尊
 良縁成就・家内安全
 素戔嗚尊の六世の孫神「大國主命
 北向蛭子社 商売繁昌・開運招福
 大國主命御子神事代主命
 のこと・独立の請願の結果
 大正十一年三月に
 龍田大社より独立し県社に列格・・・?
 ↓↑ ↓↑
 和歌
 ↓↑
 春過ぎて夏来たるらし・・・春過而 夏来良之
 白たへの衣(ころも)・・・白妙能 衣
 乾(ほし)たり・・・・・・乾有
 天の香具山・・・・・・・・天之香来山
 ・・・天の香具山=奈良県橿原市南浦町
    大和三山の一つ
    天から降ってきた山
    (伊予国風土記逸文)・・・ナンで、伊予国讃岐国
    飯依比古=伊予之二名島の顔の一つ
         国名表記は「讃岐・讃伎・賛支」とも
         高松藩の藩儒
         中山城山の地誌
        『全讃史(1828年(文政十一年)』
         に「四国内の他の国よりも
         緯[注 2]が狭いために
        『狭緯(さぬき)』と称した」とされ
         時を経て『讃岐』となったと記録
        「空海=佐伯真魚」が
         讃岐国那珂郡に誕生
 燃ゆる火も・・・・・・・・燃火物
 取りて包みて・・・・・・・取而L而
 袋には・・・・・・・・・・福路庭
 入ると言はずや・・・・・・入澄不言八
 面智男雲・・・・・・・・・面智男雲
 ・・・面智男雲=も知るといはなくも・もちをくも
         あはなくもあやし
         ???・・・色々あるらしい
 ・・・「万葉漢字」って、よくも、コンナ風に日本語で読めるナッ・・・?・・・漢字の意義なら「ツラを知る(面が似る)・オトコ(男の)のクモ(入道雲の形)」・・・これって、斉明天皇が九州の空に見た男の雲の姿・・・
 天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)
 斉明天皇元年(655年)
 正月三日
 飛鳥板蓋宮にて即位
 五月一日
 油絹の笠を付け龍に乗った唐人のような者が
 葛城山から生駒山の方向へ飛んで行った
 この年の冬
 板蓋宮が焼けたので
 飛鳥川原宮に遷る

 斉明天皇七年(661年)
 正月六日
 難波津から筑紫へ
 14日
 伊予の
 熟田津の
 石湯行宮を経由し
 那の
 大津に入港し
 磐瀬行宮に入った
 「大津」を「長津」と改名
 五月九日
 朝倉橘広庭宮に遷った
 この時、
 朝倉社の叢林を切り倒して宮を造ったので
 祭神は怒って社殿を打ち壊したり
 鬼火が出現したりして
 大舎人などに死者が続出
 七月二十七日、天皇崩御
 八月一日
 皇太子は喪儀を行い
 磐瀬行宮へ
 夕方、
 朝倉山の上に大きな笠を被った鬼が現れ
 葬列を見守った
 人々は嘆き怪しんだ
 十月二十三日
 斉明天皇の喪が難波津に帰還
 十一月七日
 飛鳥川原に殯(もが)りを営なむ
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 垂仁天皇四年九月一日(西暦155年10月上旬頃)
 ↓↑
 狭穂彦王の乱=佐保彦王の乱⇔沙本彦王の乱
 狭穂彦=さほひこ
 生年不詳〜垂仁天皇五年十月没
 日下部連・甲斐国造の祖
 彦坐王の子
 母は
 沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の女)
 開化天皇
  稚 日 本根子彦 大 日日 天皇
 (わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)
 の孫
 ↓↑
 狭穂姫=沙本毘売=佐波遅比売命
 垂仁天皇二年二月九日立后
 死去  垂仁天皇五年十月
 配偶者 垂仁天皇
 子女  誉津別命(本牟智和気御子)
 父親  彦坐王開化天皇皇子)
 母親  沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の女)
 同母兄 狭穂彦王(沙本毘古)
     袁邪本王(次兄・葛野別・近淡海蚊野別の祖)
     室毘古王(弟・若狭耳別の祖)・・・若狭の耳を別る?
 ↓↑
 垂仁天皇の次の皇后
 日葉酢媛命は・・・比葉素秘女のミコト(イノチ・メイ)
 彦坐王の子である
 丹波道主王の女で、狭穂姫の姪(女至)
              ・・・至=一ム土(十一)
              始めの横島の津の地(重位置)?
 ↓↑           壱(壹⇔臺・台)與
 狭穂彦の乱=佐保彦の乱⇔沙本彦の乱
 ↓↑
 亦天皇、命詔其后言
 「凡子名必母名、何稱是子之御名」
 爾答白
 「今當火燒稻城之時而火中所生、
  故其御名宜稱、本牟智和氣(誉津別命)御子」
    ・・・ナゼ、「火中所生=本牟智和氣」?
         火燒稻城⇔仮称登場?
         火中所生⇔華(歌)中書生?
 又命詔
 「何爲日足奉」
 答白
 「取御母、定大湯坐
  若湯坐、宜日足奉」
 故、隨其后白以日足奉也。
 又問其后曰
 「汝所堅之美豆能小佩者、誰解。」
 (美豆能三字以音也)。
 答白
 「旦波比古多多須美智宇斯王之女、
  名
  兄比賣、
  弟比賣、
  茲・・・茲= 兹(簡体字)、玆(旧字体)=玄+玄
        ここ・ここに・しげる・ます・ますます・とし
        これ・この・ジ・シ・此(シ)・斯(シ)
        しげる・草が生いしげる
        ます・ふえる・ますます・とし
  二女王、
  淨公民、
  故
  宜使也」
 然、遂殺其沙本比古王、
     其伊呂妹亦從也。
 ↓↑
 ・・・・・・
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 ↓↑
 佐保姫(さほひめ)=春の女神
 佐保山の神霊
 948年の『陽成院一宮姫君歌合』で
 秋の歌に登場
 『記紀』における
 狭穂姫(沙本毘売)とは
 同名であるが無関係?・・・ではない、有関係
 ↓↑
 平城京の東に佐保山(奈良県法華寺町法華町)の女神
 白く柔らかな春霞の衣をまとう
 若々しい女性・・・
 この名は春の季語
 竜田山の神霊で秋の女神の
 竜田姫と対を成す女神
 ↓↑
 竜田姫
 佐保姫も
 裁縫や染めもの機織を司る女神
 竜田山の紅葉は竜田姫が染め
 佐保山を取り巻く薄衣のような
 春霞は
 佐保姫が織り出すものと
 和歌に歌われる・・・
 ↓↑
 佐保姫の
 糸染め
 掛くる青柳を
 吹きな乱りそ
 春の山風
 平兼盛『詞花集』
 ↓↑
 佐保姫の
 霞の衣ぬきを・・・横糸が少ない=薄織り
 うすみ
 花の錦を
 たちや
 かさねむ
 後鳥羽院後鳥羽院御集』
 ↓↑
 佐保姫神奈良市西包永町
ーーーーー
 ・・・???・・・