2104日目・・・「ラマダン」は餓えている者に対する想(おも・思・意)いであるハズなのに・・・生きている人間は「地獄に逝く」のでもなく、「天国に逝く」のでもなく、「この地上に天国を創(つく・造・作・做・製)ろう」としてきたのに・・・テロ、戦争、殺人で「この地上に地獄を創」っている人間が存在する・・・「做(イ古攵)=僱(イノ尸隹) ・做る(なる)・する・つくる・サク・サ」、「做=僱」・・・「看做す・見做す・仮にそうと見る・判断してそうと決める・そうでないものをそうとする・仮定する」、「心做(こころな)しか

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 今夜(7月3日)の「真田丸」は「瓜売り」ですか・・・「瓜子(うりこ)姫」は、ウイッキペデアを調べたら「瓜姫(うりひめ)、瓜姫子(うりひめこ)、瓜子織姫(うりこおりひめ)、瓜娘(うりむすめ)など」とも云われているらしい。
 「爪(つめ・ソウ・ショウ)」の漢字に似ている「瓜(うり・カ・ケ)」の「瓜子姫」は以前にも書き込んだが・・・「瓜畑(畠)で屈(かが)むな=瓜田(カデン)に履(リ)を納れず」、「歯牙(シガ→滋賀・滋賀→史臥)にカケル」である・・・
 ストリーでは「瓜子姫」は、「天邪鬼」に
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 「柿(かき)の木(き)に上らされ
  墜落死
  殺されるのみならず
  剥いだ生皮(なまがわ)を・・・生皮(セイヒ)
  天邪鬼が被(かぶ)り、
  着物(きもの)を着て・・・・・着物(チャクブツ)
  姫(ひめ)に成りすまし・・・・姫(キ)
  老夫婦に
  姫(ひめ)の肉(にく)を・・・肉(ジク)→耳句
  料理して食わせる」
 「木(き)から・・・・・・・・・記・紀
  吊(つ)るされたり、
  降(お)りられなくなって、
  助(たす)けられる」
 「天邪鬼が姫に成り代わり
  輿入(こしい)れを図る」・・・輿入(ヨニュウ)
                 腰入れ・越し入れ
                 古史入れ
 「木に吊るされた
  姫(ひめ)の骨(ほね)から
  化生(カセイ)した
  小鳥(ことり)が告発」・・・・小鳥(コチョウ)
 「天邪鬼は最後に殺される」
 など、
 「江戸時代の随筆
 『嬉遊笑覧』が初出」・・・希有照覧(小欄)
              杞憂小乱
 であるらしい・・・
  ↓↑
 「嬉遊笑覧(キユウショウラン)」は、
 「喜多村信節(きたむら のぶよ)
  天明三年十月十六日(1783年11月10日)
   〜
  安政三年六月二十三日(1856年7月24日)
  喜多村 筠庭(きたむら いんてい)
  筆号は他に筠居・節信 (ときのぶ)
  が
  江戸時代後期の
  風俗習慣、
  歌舞音曲などについて書いた随筆
  天保一 (1830) 年発刊
  各巻上下二章・全十二巻と付録が一巻で、
  十三巻
  各項目を
  和漢古今の文献を引用解説し、
  体系的に整理した百科事典的な書物」
 と記述されていた・・・兎に角、記録上では「天保一 (1830) 年」の物語の紹介である・・・
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  ↓↑
 「心做(こころな)し」、「模倣・摸倣」が「うりこヒメ」にマタ、跳んでしまった・・・「做=僱」・・・「倣」・・・
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 「顰に倣う(ひそみにならう)」、
 「顰=歩+頁+卑」=しかめる・ひそめる・顔をしかめる
    眉をひそめる・・・顰める→潜める→嚬・矉
    日本建築の
    木鼻(きばな)などの・・・木鼻(モクビ)
    抉(えぐ)れた部分・・・・抉(ケツ・ケチ)
    能面の一で、
    口(くち)を開き、
    牙(きば)を表した
    恐ろしい
    形相能面」・・・・・・・・形相能面
    「顰蹙 (ヒンシュク) 」
     =顰蹙を買う
    「一顰一笑(イッピンイッショウ)
     =顔をしかめたり、笑ったりすること
      ちょっとした表情の変化
      人の顔色
      機嫌(キゲン)のよしあし」、
 「蹙」=「戚(いたむ・うれえ・セキ・シャク)
      +
      疋(ひき・あし・ショ・ソ)」
 「蹙」=せまる・ちぢむ・しかめる・シュク・セキ

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 遠津年魚眼眼妙媛(日本書紀
 遠津年魚目目微比売(古事記)
 崇神(すじん)天皇の皇妃

 豊城入彦命・・・上毛野君、下毛野君の始祖
 豊鋤入姫命
 の母親
 尾張大海姫の娘の
 八坂振天某辺?

 遠津年魚眼眼妙媛
 遠津年魚目目微比売
 (とおつあゆめまくわしひめ)
 荒河戸畔=紀伊(きい)の人(日本書紀
  (あらかわとべ)の娘
  荒河刀弁=木(紀伊)国造(古事記
       (きのくにのみやつこ)

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 崇神天皇
 諱は
 御間城入彦五十瓊殖尊
 稚日本根子大日日天皇
 第二子
 母は、
 皇后の
 伊香色謎命
 (物部氏の先祖の
  太綜杵命の娘)
 十九歳で皇太子
 ↓↑
 開化天皇六十年夏四月
 稚日本根子大日日天皇
 崩御
 元年春正月十三日
 皇太子は天皇位に就く
 皇后を尊んで皇太后と呼び
 皇太后太皇太后を追贈
 ↓↑
 二月十六日
 御間城入姫命を・・・・・御間城入-姫命
 皇后とし
 活目入彦五十狭茅天皇
 彦五十狭茅命
 国方姫命
 千千衝倭姫命
 倭彦命
 五十日鶴彦命
 を生む
 ↓↑
 妃の
 紀伊の国の
 荒川戸畔の娘の
 遠津年魚眼眼妙媛は・・・遠津年魚眼眼妙-媛
 豊城入彦命
 豊鍬入姫命
 を生む
  ↓↑
 妃の
 尾張
 大海媛は・・・・・・・・大海-媛
 八坂入彦命
 渟中城入姫
 十市瓊入姫命
 を生む
  ↓↑
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 「先代旧事本紀・巻第七」
 崇神天皇
  ↓↑
 諱は
 御間城入彦五十瓊殖尊
 稚日本根子大日日天皇の第二子
 母は
 皇后の
 伊香色謎命・・・・・・・伊香色謎命
 (物部氏の先祖の
  太綜杵命の娘)
 十九歳で皇太子
 開化天皇六十年夏四月
 稚日本根子大日日天皇崩御
  ↓↑
 元年春正月十三日
 天皇位に就く
 皇后を皇太后と呼び、
 皇太后
 太皇太后を追贈・・・・・「太」とは?
             太陰・太陽・太乙・太歳
             太田
  ↓↑ 
 二月十六日
 御間城入姫命・・・・・・御間城入-姫命
 を皇后
 活目入彦五十狭茅天皇
 彦五十狭茅命
 次に国方姫命
 千千衝倭姫命
 倭彦命
 五十日鶴彦命
 を生む
  ↓↑
 妃の
 紀伊の国の
 荒川戸畔の娘の
 遠津年魚眼眼妙媛は
 豊城入彦命
 豊鍬入姫命
 を生む
  ↓↑
 妃の
 尾張
 大海媛は
 八坂入彦命
 渟中城入姫
 十市瓊入姫命・・・・・・十市瓊入-姫命
 を生む
  ↓↑
 三年秋九月
 都を磯城の地に遷す
 瑞籬宮
  ↓↑
 四年春二月四日
 武膽心命を・・・・・・・武-膽心-命
 大禰とし、
 多辨命を
 宿禰とし、
 安毛建美命を
 侍臣とした
 皆、
 物部連公の先祖で有る
  ↓↑
 四十八年春正月十日
 天皇
 豊城命
 と
 活目尊・・・・・・・・・活目-尊
 に勅して
 「・・・
  どちらを後継ぎにすれば良いか判らない。
  各々が見た
  夢で私はこれを占おうと思う」
 と、
 二人の皇子に命ぜられ、
 沐浴し
 眠って夢を見た。
 翌日、
 兄の
 豊城命は夢の事を天皇に奏じて
 「自ら
  三諸山に登り
  東に向かって
  八回矛を突き、
  八回刀を撃つ」
 と言った。
 弟の
 活目尊は夢の事を奏じて
 「自ら
  三諸山の嶺に登って
  四方に
  縄を組み
  沫を食べる・・・・・・・沫(あわ)
  雀を追う」・・・・・・・雀(すずめ・さざき)
 と言った。
 天皇は双方が見た夢を聞いて二人に
 「兄は東に向いたので東国を治めなさい。
  弟はこの如く四方を見たので
  私の位を継ぎなさい。」
 と言った。
  ↓↑
 四月十九日
 活目尊を立てて皇太子とし、
 豊城尊に東国を治めるよう命じた。
  ↓↑
 六十年春二月
 群臣に詔をして
 「武日照命が・・・・・・・・武-日照-命
  天より持ってきた神宝が
  出雲の大神の宮に納められている。
  これを見て見たい」
 と言われた。
 矢田部造の先祖の
 武諸隅命を・・・・・・・・・武-諸隅-命
 遣わして、調べて献じさせた。
  ↓↑
 六十五年春正月
 武諸隅命を
 大連とした。
 物部氏の先祖で有る。
  ↓↑
 六十八年冬十二月五日
 天皇崩御
 年、百二十歳
  ↓↑
 明年八月十一日
 山邊(あまのべ)の道の上の陵に葬る
  ↓↑
 皇子は
 六男
 五女
  ↓↑
 活目入彦五十狭茅天皇
 次に彦五十狭茅命
 次に次に国方姫命
 次に千千衝倭姫命
 次に倭彦命
 次に五十日鶴彦命
 次に豊城入彦命
 次に豊鍬入姫命(初めて天照大神を託し斎祠になる)
 次に八坂入彦命
 次に渟中城入姫(初めて大国魂神を斎祭る)
 次に十市瓊入姫命
 (日本書紀では六十年秋七月の記載)
  ↓↑
 妃の尾張
 大海媛は
 八坂入彦命
 次に渟中城入姫、
 次に十市瓊入姫命を生む
  ↓↑
 三年秋九月
 都を磯城の地に遷す
 瑞籬宮と云う
 四年春二月四日
 武膽心命を大禰とし、
 多辨命を宿禰とし、
 安毛建美命を侍臣とした
 皆、物部連公の先祖で有る。
  ↓↑
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 ・・・「転語句」にして考え直したほうがイイだろう・・・神を崇拝して、あるか、ないかの「天国・地獄」に命をカケるよりは・・・
 だが、「無神論者」も、「唯モノ論者」も、アマリにも「裏切り者」が多い・・・究極の「エゴイスト」は他人のイノチを使い捨てにする・・・