2524日目・・・5/1・・・庭の桜(櫻・さくら)が蕾みを割ってモモ色の花弁を開いて咲いた・・・「倭-迹迹-日-百襲-姫命(やまとととひももそひめのみこと・日本書紀)」、「夜麻-登登-母母曽-毘売(やまとととひももそひめのみこと・古事記)」・・・「襲=かさねる=曽」・・・「百襲姫は大市に葬られ、墓は箸墓と呼ばれる」・・・箸は「二本の棒」だが、使用前の「割り箸の本体は一本」である。で、「箸を割るではなく、木や竹を割って作る箸が語源」?・・・割り箸は使用時の機能性の道具として「一体を二分した一膳の箸に割る」

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 1827年(文政十年)
 吉野を訪問した
 九州の
 杉原宗庵が
 吉野杉で作られた
 酒樽の余った材木から
 『割り箸』を作った・・・
 廃材は
 白太(しらた)と呼ばれ
 二本バラバラの形状の
 割り箸を削って造った・・・
 幕末
 未使用の清潔感を出すために
 二本の箸の根元をくっつけた
 『引裂箸(ひきさきばし)』
 と呼ばれる箸が造られた
 文政年間の引裂箸事情は
 『守貞漫稿(嘉永6年・1853年)』
 に記録・・・
 文政年間(1818年〜1831年
 食堂で初めて割り箸を導入
 江戸の『鰻屋(うなぎや)』
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 一膳でも二本・・・位置(位地)然、出母、日本・・・?
          市     全、出摸、似本・・・?
          壱(壹・臺)前零(ゼロ・レイ・0)
          壱(壹・臺)前弐(二・ジ・2)
 ナゼ、「二」を「おと」って訓読みするんだか?・・・拍手、「おと」は「音」だろう・・・
 ↓↑
 両手を打ち鳴らす拍手
 手拍子
 古代中国
 九拝の周礼第四に
 両手を打つ礼
 密教儀礼の壇上作法の
 拍掌(ビャクショウ)
 3度両手を打つ
 最初の2度は軽く手を合わせ
 最後は音をだす
 3度打つ意味
 修行の障害になる
 惑(ワク)・業(ゴウ)・苦(ク)
 の三障を取り除く為・・・
 ↓↑
 何かがナ二かにブツカった関係で音が出る・・・音の振動は何かに伝わって「音波」となって動物の「聴覚」を刺激する・・・音波発生と伝播の関係とは静的な「一」だけでは起きず、「1×1=1・1÷1=1」の動的関係性、or「一+一=二・1-1=0」の動的関係性で発生する・・・掛けても、割っても、足しても、引いても・・・音が出る・・・「甲と乙の関係性」で「乙」が分離、別れる時にオトが出ると言うコトだろう・・・
 「11」・・・「ジュウイチ=十一・壱壱・壹壹=壱拾壱=イチジュウイチ=壹拾壹・壹十壹」・・・
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 死出の田長・・・幣垂(しで)の田長(たおさ・デンチョウ)
 子規・田鵑
 時鳥・蜀魂・杜宇・杜鵑・橘鳥
 霍公鳥・無常鳥・早苗鳥・勧農鳥
 夕影鳥・黄昏鳥・菖蒲鳥・卯月鳥
 不如帰・妹背鳥・魂迎鳥・沓手鳥
 ↓↑
 うなゐ鳥=髫髪鳥
 幣垂(しで)=田植え開始時期の神事の垂幣紙
 うなゐこ=髫児・髫髪児
 童子鳥=うなゐこ鳥=髫髪児(うなゐ児)」
     「東風吹くや耳現るるうなゐ髪」
      (杉田久女・1890〜1946)
     子どもの髪を
     項(うなじ・脰・襟首・首筋・うなぜ)のあたりで
     切り垂らしたもの
     東風に吹かれた
     子供の耳が現れている
 髫髪少女=うないおとめ=髫髪童女
 子雋(しくわく)
 すぐれる・抜きんでている・英雋
 雋(すぐ)れる・シュン・セン
 形のととのった鳥・やわらかい鳥の肉
 すぐれている・すらりとしている
 異体字は「隽」
 隹(ふるとり) +凹(乃)・・・┎ப┑・┏ப┓
 ↓↑
 二矢=「おとや・にや」など
    二十二件の名前がある
 二矢=にのや・ふたや
    矢は二本を一と手といひ
    一の矢をハヤといひ
    二の矢を「乙」といふ
 ↓↑
 二矢(昭和18年2月22日〜昭和35年11月2日)
 癸未(丁・乙・己)⇔庚子(壬・ ・癸)
 甲寅(己・丙・甲)⇔丙戌(辛・丁・戊)
 辛亥(戊・甲・壬)⇔甲午(丙・ ・丁)
 寅卯=空亡     ↓↑
 壬子・傷官=大運  10月12日
           癸酉(庚・ ・辛)
 ↓↑
 死出の田長=死出田長(しでたおさ)・・・?
 ↓↑
 「しず(賤)のたおさ(田長)」の音変化・・・
  死出の山から飛び来るところから
  田植えの時期を知らせる鳥
  死出の山から飛び来る鳥
  田の主・農夫の長
 「田長鳥 (たおさどり) 」 は
 「死出田長 (しでのたおさ) 」の略
  ホトトギスの別名
 ↓↑
 「子規=不如帰=ホトトギス=郭公
           lesser cuckoo」の別名
 ↓↑
 かへりなんいざ
 カエりナンイザ
 ・・・変(替・代)得理、難、伊邪(躄・膝行)?
 ↓↑
 歸去来辭
 東晋末〜宋初の詩人
 陶淵明の散文
 義煕一 (405) 年成立
 官位を捨て
 故郷の田園に帰る心境を述べる
 ↓↑
 帰去来辞
 ↓↑         
 帰去来兮。・・・・・帰りなんイザ
 田園将蕪、・・・・・田園、将(まさ)に蕪(あ)れんとす
 胡不帰。・・・・・・胡(なん)ぞ帰らざる
 既自以心爲形役、・・既に自ら心を以て
           形の役(えき)と爲す
 奚惆悵而独悲。・・・奚(なん)ぞ・・・胡=なんぞ=奚・・・?
           惆悵(チウチョウ)として
           独り悲しまん
 悟已往之不諌、・・・已往(いわう・イオウ)の・・・以往?
           諌(いさ)められざるを悟り
 知来者之可追。・・・来者の追ふ可きを知る
 実迷途其未遠、・・・実(まこと)に
           途(みち)に迷ふこと
           其れ未だ遠からずして
 覺今是而昨非。・・・今の是にして
           昨の非なるを覺る
 ↓↑
 舟遙遙以輕颺、・・・舟は遙遙(ヨウヨウ)として
           以て輕く颺(あが)り
 風飄飄而吹衣。・・・風は飄飄(ヒョウヒョウ)として
           衣を吹く
 問征夫以前路、・・・征夫に問ふに前路を以ってし
 恨晨光之熹微。・・・晨光(シンコウ)の
           熹微(キビ)なるを恨む
 ↓↑
 乃瞻衡宇、・・・・・乃(すなは)ち衡宇を瞻(み)て
 載欣載奔。・・・・・載(すなは)ち欣(よろこ)び
           載(すなは)ち奔(はし)る
 僮僕歓迎、・・・・・僮僕(ドウボク)歓(よろこ)び迎へ
 稚子候門。・・・・・稚子(チシ)門に候(ま)つ
 三逕就荒、・・・・・三逕(サンケイ)
           荒(コウ)に就(つ)けども
 松菊猶存。・・・・・松菊(ショウキク)猶ほ存す
 携幼入室、・・・・・幼(ヨウ)を携(たずさ)へて
           室(シツ)に入れば
 有酒盈樽。・・・・・酒有りて樽(たる)に盈(み)てり
 引壺觴以自酌、・・・壺觴(コショウ)を引きて
           以て自ら酌し
 眄庭柯以怡顏。・・・庭柯(テイカ)を眄(み)て
           以て顏を怡(よろこば)しむ
 倚南窗以寄傲、・・・南窗(ナンソウ)に倚(よ)りて
           以て傲(ゴウ)を寄せ
 審容膝之易安。・・・膝(ひざ)を容(い)るるの
           安んじ易きを審(つまび)らかにす
 ↓↑
 園日渉以成趣、・・・園は日に渉(わた)りて
           以て趣を成し
 門雖設而常關。・・・門は設(もう)くと雖も
           常に關(とざ)せり
 策扶老以流憩、・・・策(つゑ)もて老を扶(たす)け
           以て流憩(リュウケイ)し
 時矯首而游観。・・・時に首(かうべ)を矯(あ)げて
           游観(ユウカン)す
 雲無心以出岫、・・・雲は無心にして以て岫(しう)を出で
 鳥倦飛而知還。・・・鳥は飛ぶに倦(う)みて
           還(かへ)るを知る
 景翳翳以将入、・・・景は翳翳(エイエイ)として
           以て将(まさ)に入らんとし
 撫孤松而盤桓。・・・孤松を撫(ぶ)して
           盤桓(バンカン)す
 ↓↑
 帰去来兮。・・・・・帰りなんイザ
 請息交以絶游。・・・請ふ交りを息(や)めて
           以て游(ユウ)を絶たん
 世与我而相遺、・・・世と我と相ひ遺(わ)する
 復駕言兮焉求。・・・復(ま)た駕(ガ)して
           言(ことば・ゲン)に
           焉(なに)をか求めん
 絓親戚之情話、・・・親戚の情話を絓(よろこ)び
 楽琴書以消憂。・・・琴書を楽しみ以て憂ひを消さん
 ↓↑
 農人告余以春及。・・農人余に告ぐるに
           春の及べるを以てし
 将有事於西疇。・・・将(まさ)に
           西疇(セイチュウ)に
           事有らんと
 或命巾車、・・・・・或いは巾車(キンシャ)に命じ
 或棹孤舟。・・・・・或いは孤舟に棹(さを)さす
 既窈窕以尋壑、・・・既に窈窕(ヨウチョウ)として
           以て壑(たに)を尋(たず)ね
 亦崎嶇而経丘。・・・亦(また)崎嶇(キク)として
           丘を経(へ)
 木欣欣以向栄、・・・木は欣欣(キンキン)として
           以て栄に向かひ
 泉涓涓而始流。・・・泉は涓涓(ケンケン)として
           始めて流る
 善万物之得時、・・・万物の時を得たるを善(よ)しとし
 感吾生之行休。・・・吾が生の行(ゆく)
           休するを感ず
 ↓↑
 已矣乎。・・・・・・已(や)んぬるかな
 寓形宇内復幾時。・・形を宇内(ウダイ)に寓(グウ)する
           復(ま)た幾時ぞ
 曷不委心任去留、・・曷(なん)ぞ
           心を委(ゆだ)ね
           去留に任せず
 胡爲遑遑欲何之。・・胡爲(なんす)れぞ
           遑遑(コウコウ)として
           何(いづく)に之(ゆ)かんと欲する
 富貴非吾願、・・・・富貴は吾が願ひに非ず
 帝郷不可期。・・・・帝郷は期す可(べ)からず
 懐良辰以孤往、・・・良辰(リョウシン)を懐(おも)ひて
           以て孤(ひと)り往(ゆ)き
 或植杖而耘耔。・・・或は杖(つゑ)を植(た)てて
           耘耔(ウンシ)す
 登東皋以舒嘯、・・・東皋(トウコウ)に登りて
           以て嘯(せう)を舒(の)べ
 臨清流而賦詩。・・・清流に臨みて詩を賦す
 聊乗化以帰尽、・・・聊(いささ)か
           化に乗じて以て尽くるに帰せん
 楽夫天命復奚疑。・・夫(か)の天命を楽しみて
           復(ま)た
           奚(なに)をか疑はん
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 「帰去来兮」を
 「かへりなんいざ」と訓読したのは
 「菅原道真」・・・菅(よこしま・すが・カン)
          原(はら・ゲン)
          道(みち・ドウ)
          真(まこと・さね・シン)
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 ・・・???・・・カエるナン、イザ・・・