2213日目・・・「東田直樹」君の「The Reason I Jump」・・・「人間として」って、ナニ?・・・「人間」って、漢字(日本語)では「人+間」で、「人と人の間(の諸関係?)」で群れて生きていく生物の一般概念?・・・「人間の条件」と云うイヤな小説があったけれど、「大地」と云うスキな小説もあったが。登場人物は全部、「人間として」なんだけれど、様々、色々な「人間としての登場人物」なんだけれど・・・「人間としての尊厳」?、「人間らしい性質、感情などがあるさま」?、「ひと・人類・人柄・人格・人物」、「人

 「Homo sapiens(ヒト亜族(Hominina)に属する動物の総称・ 哺乳類霊長目(サル目)ヒト科ヒト属の 学名)」=「ラテン語の wise man(賢い人・智者)の意」
 「Homo(同じ・同種・同類・類似・ホモ(homo)=同じの意=同一細胞内に同一の遺伝子が対になって存在すること・一組の対立形質をAとaで表すと、AAかaaの遺伝子型になる」
 「sapiens(サピエンス)=ラテン語の賢明であるという意味の動詞 sapioサピオー)の現在分詞形」
 「自由の主体としての人間」?
 「ホモ・ルーデンス(遊び人)」?
 「人間はポリス(都市国家)的動物である」?
 ・・・「人間として当然のことをしただけ」の「当然の具体的な内容」はナニ?・・・「自我の尊重、個人(他我)の解放」?・・・
 そうですか、「sapiens(サピエンス)=分別のある人・賢人・賢者・哲人・美食家」・・・なるほデ、「美食家」ですか・・・
 「人間」+「として・だから」のコトバを使用する「人間」たちの「意味規定」は曖昧であるようだ・・・
 「協働・協同・共同」体内のヒトビトは「約束ゴト=掟=秩序」で生きているのだから「人と人の間の諸関係のルールを守もって生きていくヒト」が「人間」で、更に云えば「社会的人間」である・・・
 「協働・協同・共同」体内で守ることの「基本」は
 「盗むな・騙すな・殺すな・差別するな」
 に尽きるが・・・当然、これを犯すモノは「排除」されるか、「罰」を受ける・・・これらの「約束ゴト・掟」を知らない人々もワンサカいる・・・「約束ゴト・掟」は「社会」で知らされ、知っているコトが前提であるが・・・知ることが出来ないヒトもいる・・・「跳びはねるコト」が禁止されるカモ・・・
 だが、諸先輩の「人間とは」は、今現在の立場での「プチブル意識のエゴな枠内」での「人間とは」らしい。彼らも、その枠内で、「人間とは」、それも「人間なんだよ」のヒトリなんだろう・・・
 アンタの「生活財・生活地位」に「盗みと、差別の部分」はないのか?
 「自由」は「どの枠内」で許されているんだか・・・?・・・「選択の自由」、「自由な選択」・・・
 生きている間の「生活財の多寡の追及」の「人間とは」・・・「自由」で、当然なんだろう・・・
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 ・・・「跳びはねる場所」も与えられない、「君の本」も読めない仲間が居るのはキミのせいでもないが・・・「自由な枠内」・・・「自由」とは「余裕の枠内・秩序の枠内・社会的存枠の宿命」だから・・・「既存の自由」を「運命」でコワシテみる・・・?・・・本当に「トリ」にナッチャウかも・・・飛べればイインだけれど・・・「カゴ」が必要だ・・・