1897日目・・・「罪のない者を救われる」・・・「罪のない者は存在しない=原罪(アダムとイヴ)」のに・・・救われるのか?・・・「罪のあるものを(も)救われる」・・・なるほど、「親鸞」は「論理=理屈」に於いて、その「観念的な整合性」を説いたのだ・・・

 その「蠢いている自然の存在」の「合理性=整合性=論理性」を「コトバと記号と数式と図式」で認識、記憶、思惟するモノが「自然科学」である。そして、その存在の「構成・形態」の「関係作用の原点」は「物質」そのものである。
 そして「蠢いている人間社会の存在」の「合理性=整合性=論理性」を「コトバと記号と数式、図式」で認識、記憶、思惟するモノが「社会科学」である。
 だが、「蠢いている人間社会の存在」とは原則的に「人間」が作った「慣習・掟・法律・約束・倫理・道徳・ルール」の「社会生活の認識規範=守るべき行為としての観念(コトバ)」であるから、「自然界(人間の生理的な生体も含む)」の存在の「合理性=整合性=論理性」とはマッタク異なっているのはアタリマエである。
 「蠢いている人間社会」とは「非合理性=非整合性=非論理性」なのだ・・・原則的に「社会常識」の「慣習・掟・法律・約束・倫理・道徳・ルール」とは、個々人の「認識レベル」によって「行為・行動・所為・所作」によって「遺棄・破戒(破壊)」される。
 そして、「人間」は「歴史的」に新たな社会的な「慣習・掟・法律・約束・倫理・道徳・ルール」を形成しようとするし、してきた。
 ナゼ、「遺棄・破戒(破壊)」しようとするのか、されるのか・・・「十戒」=「10戎・X戎・拾戎・足戎」の、「六、七、八、九」は「常識」であるが、人間は、その「非(否)常識」で生きてきたし、生きてきている・・・いわゆる、人生では殆んど「守れない」、と、云うことである。
 その「守れない」と云う根元は「盗む」と云う「様々な代替の同義のコトバ」である・・・「殺す=命を盗む」、「姦淫=強姦=相手の操を盗む」、「騙す(偽証)=盗むための手段」・・・コトバを広げれば「交易・交換」での「利益・利潤・儲け」、これらは「法の下」では「強盗・掠奪(略奪)」ではないハズであるらしいが・・・ヨクヨク、考えてみるべき「コトバ」である・・・
 5父と母を敬え
 6殺してはならない
 7姦淫してはならない・・・強姦の禁止?
 8盗んではならない
 9隣人について、偽証してはならない
 10隣人の家を貪(むさぼ)ってはならない・・・貪欲?
 ・・・を守れない「個々人の生活諸状況」がアルからだ・・・「十戒」はスベテ「命令禁止条項」である。肯定的なコトバではな・・・
 6殺すな→生かせ
 7「姦淫=強姦」するな→合歓せよ
 8盗むな→与えよ
 9騙すな→教えよ
 「10の隣人の家を貪(むさぼ)ってはならない」の「貪る」とは何を云っているのか?・・「貪=欲しがる」ならば、自分の家にはないモノ、「隣家の財産、富、家族状況などを羨望する気持ち」だろう・・・「自分の生活環境の現状に満足しろ、我慢しろ」と云うコトだ・・・コレは「気持ち」の問題である・・・そして、どうやら、「公平」ではない「格差社会」があってのコトバかも・・・美味しいモノ、旨いモノを望むな、と云っても、先ずは喰って、その経験がなけば、どうしょうも無い。そして、その経験も「蓼食う虫も好き好き」である・・・
 「十戒」は神から
 モーゼに
 二度、渡され
 最初に
 モーセ(moses)が受け取った
 「十戒の石板」は
 「モーセ」自身が叩き割った・・・?・・・ナゼか?・・・物語でも映画でも「エジプトから脱出してきた難民の一部が偶像を造って崇拝した。それがモーゼの怒り」となって、その「石板」を彼等に投げつけたコトになっている。
 だが、「モーゼ」の「心境」も、自問自答、コンナモン、ダレが守れるのか・・・だったのではないか?・・・で、「最初の石板」を叩き割ったが・・・押しつけがましくも「カミ」はマタ、呉れた・・・「民族主義者?」のモーゼは、その利用が得策だった・・・当然、「カミの意志」は「選民」ではなく、「全人間種の公平」であり、「ユダヤ選民」は単なる「テコ」であったのかも・・・エジプト、その他の異邦寄留人混在のエジプト難民を率いてエジプト脱出を敢行したモーゼも「人種」なんかは問題にもしなかったカモ。だが、「戦争」での侵略には内部結束の「粛清」が必要であった・・・そして「大義名分の律法」も・・・だが、モーゼは戦争もせずに「40年間」も「マナ」だけを食べ続け、放浪し続けたのである・・・放浪中に家畜としての羊が存在しなかった、とも、思われない・・・ジンギスカン(成吉思汗・チンギス-ハン・1162〜1227))のモンゴル帝国の世界征服には「兵糧」としての「羊」が不可欠だったハズだが・・・
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 旧約聖書
 約伯 記
 ヨブ・・・「与分・余部」記
   ・・・・呼ぶ記(紀)
第22章
22:1
そこで
テマン
びと
エリパズ
は答えて言った、
22:2
「人は神を益することができるであろうか。
 賢い人も、
 ただ自身を益するのみである。
22:3
 あなたが正しくても、
 全能者になんの喜びがあろう。
 あなたが自分の道を全うしても、
 彼になんの利益があろう。
22:4
 神は
 あなたが神を恐れることのゆえに、
 あなたを責め、
 あなたをさばかれるであろうか。
22:5
 あなたの悪は
 大きいではないか。
 あなたの罪は、
 はてしがない。
22:6
 あなたは
 ゆえなく
 兄弟(キョウダイ・えと)
 の
 ものを
 質にとり、
 裸な者の
 着物を
 はぎ(剥ぎ)取り、・・・萩
             葉木・葉義
             接ぎ・矧ぎ
             脛・臑→足・脚・脚
             蘒・骹
             八木・羽木
22:7
 疲れた者に
 水を飲ませず、
 飢えた者に
 食物を与えなかった。
22:8
 力ある人は
 土地を得、
 名ある人は
 そのうちに住んだ。
22:9
 あなたは、
 やもめ(寡婦・鰥夫)を
 むなしく去らせた。
 みなしご(孤児)・・・・ミナシゴ→視名詞語
             皆 死後
               死語・私語・詩語
               四語(四文字熟語)
 の
 腕(うで・ワン)は
 折(お・セツ)られた。
22:10
 それゆえ、
 わな(罠)は・・・・・・和名・話納
 あなたをめぐり、
 恐怖は、
 にわか(俄)に・・・・・似和歌
 あなたを
 驚(おどろ・キョウ)かす。・・・驚愕
22:11
 あなたの光は暗くされ、
 あなたは見ることができない。
 大水は
 あなたを
 おおう(被)であろう。・・・奥羽
               大生・大胡
22:12
 神は
 天に高くおられるではないか。
 見よ、
 いと
 高き星を。
 いかに
 高いことよ。
22:13
 それで
 あなたは言う、
 『神は
  何を知っておられるか。
  彼は
  黒雲(コクウン)を・・・国運
  通して、
  さばくことができるのか。
22:14
 濃(こ・ノウ)い
 雲(くも・も・ウン)が・・・運・韻・云・蘊
 彼を
 おおい隠すと、
 彼は見ることができない。
 彼は
 天の大空を
 歩まれるのだ』
 と。
22:15
 あなたは
 悪しき
 人々が
 踏んだ
 いにしえの道を
 守ろうとするのか。
22:16
 彼らは
 時がこないうちに
 取り去られ、
 その基は
 川のように
 押し流された。
22:17
 彼らは
 神に言った、
 『われわれを
  離れてください』
 と、
 また
 『全能者は
  われわれに
  何をなしえようか』
 と。
22:18
 しかし
 神は
 彼らの家を
 良い物で満たされた。
 ただし
 悪人の計りごとは
 わたしの
 くみする所ではない。
22:19
 正しい者は
 これを見て喜び、
 罪なき者は
 彼らを
 嘲笑(あざわら・チョウショウ)って
 言う、
22:20
 『まことに
  われわれの
  あだ(敵・仇)は
  滅(ほろ・メツ)ぼされ、
  その残した物は
  火(ひ・カ)で
  焼(や・ショウ)き
  滅ぼされた』
 と。
22:21
 あなたは
 神と
 和らいで、
 平安を得るがよい。
 そうすれば
 幸福が
 あなたに来るでしょう。
22:22
 どうか、
 彼の口から教を受け、
 その言葉を
 あなたの
 心に
 おさめ(納・収・修)る・・・長(州)治める
 ように。
22:23
 あなたが
 もし
 全能者に立ち返って、
 おのれを低くし、
 あなたの
 天幕から
 不義を除き去り、
22:24
 こがね
 を
 ちりの中に置き、
 オフル
 の
 こがね
 を
 谷川の
 石の中に置き、
22:25
 全能者が
 あなた
 の
 こがね
 となり、
 あなたの貴重な
 しろがね
 となるならば、
22:26
 その時、
 あなたは
 全能者を喜び、
 神に向かって
 顔をあげることができる。
22:27
 あなたが
 彼に祈るならば、
 彼はあなたに聞かれる。
 そして
 あなたは
 自分の誓いを果す。
22:28
 あなたが
 事をなそうと定めるならば、
 あなたは
 その事を成就し、
 あなたの道には
 光が輝く。
22:29
 彼は
 高ぶる者を低くされるが、
 へりくだる者を
 救われるからだ。
22:30
 彼は
 罪のない者を救われる。
 あなたは
 その手の潔いことによって、
 救われるであろう」。
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 ・・・「ユダヤ人」は自然科学の「申し児」である・・・人間社会の本質も「カミ=自問自答」との対話(弁証法)から育んできた・・・だが、支配階級としては、人種、民族に関係なく、「人間ども」は右往左往させておけば、取り敢えずは安泰なのだ・・・ナニゴトモ、地球枠内でのバランスである。「自然科学=物質作用の本質=モノの変化」も「社会科学=人間作用の本質=法=カネの変化」も握っていた・・・?・・・