1125日目・・・「吝嗇」がナゼ、「ケチ」と言う意味なんだか・・・「吝」=「文+口」、「嗇」=「十+一+人+人+回」、「十+人+人+一+回」、あるいは「亠+丄(ジョウ)+人+人+回」・・・「薔薇」の「薔」は「丱+十+人+人+一+回」だが、「薇」は「丱+微(彳山几攵)」で「丱」を「省(はぶけ)=(除(のぞけ)」ば「微笑」で「ビショウ・ほほえむ」である。小さい頃に友達の家でカレーライスをご馳走され、食べた後に皿に一粒とカレーがこびり付いていたのを舐めったら「犬のように卑しい真似をするな、ッ」って友達から言わ

 ブログで調べると・・・
 「吝(リン・やぶさか・けち)
 「けちくさい(吝臭い)・けちんぼう(吝ん坊)・しわい(吝い)
 「しわい(吝い)」
 金銭などを出し惜しみするさま。 けちだ。しみったれている。「猾(こす)い」・・・
 [音]リン(呉)(漢)
 [訓]やぶさか しわい物惜しみをする。けち。
 「吝嗇(りんしょく)・倹吝・慳吝(けんりん)」
 こせこせして卑しいこと・気持ちのせまいこと
 【吝い】しわい. けちである。 しみったれている。
 【吝か】やぶさか. 物惜しみするようす。けち。
 ためらうさま。思いきりの悪いさま。
 「吝の言い換えや別の言い方」
 許容範囲、柔軟性、あるいは見解の広さが欠けているさま、せせこましい
 狭量・狭い・心の狭い・偏屈・拙陋・けちくさい・褊狭・狭隘・偏窟・偏狭・けち臭い.吝いの同義語
 「吝いの言い換えや別の言い方」
 けち・セコい・みみっちい・しみったれ・がめつい・もの惜しみする・けちん坊
 吝とは、
 〔説文〕に「古文の吝、彣(あや・ブン・モン)に從ふ」とある古文。
 「彣」=「交(亠ハ乂)+彡(サン・セン)」
 けち、やぶさか、しぶる、惜しむ、恥じる、という意味がある。
 〔説文解字〕には「恨惜するなり」とある。
 吝を声符とする漢字には、悋、麐などがある。
 ・・・とある・・・「ケチ」なワリニは随分とあるな・・・「ケチ」は「意味内容」ではなく、「文+口」→「文(亠+乂)は口(音声、発声)」の「ケ・チ」の音の同音漢字である・・・「ケ=化・仮・懸・卦・気・氣・袈・華・祁・家・毛」の「チ=知・・・」であるカナ・・・
 「わたり=渡(と・ど)=氵(サンズイ)+度(ド)」って、一般的には「はし」がないから「ふね」で「かわ」を「横切」って対岸の川岸にに往くことだよな。舟が無ければ川を「足でコギ渡る」か、深ければ泳ぐしかない。カネがあれば渡し人足の肩車や、蓮台に乗って渡った・・・大井川は川越人足により渡されていて、天竜川では渡船が用いられていたらしい。渡船の運営は、「見附宿」と「浜松宿」との間の宿である「箔歯詩(磐田市)の人々であるそうだ・・・イズレにしても場合によっては「溺死・溺れ死に」である・・・「はし」が無いと不便であるけれど40年前に造られたコンクリートのハシは「老朽化」も激しいな・・・トンネル事故も多いけれど・・・
 「トンねル(隧道=ズイドウ→隋洞・隋同・隋如何→隋王朝→陽侯(やこ)氏→)」なら「モグル(潜る)」だろう。確かに「猪」は「ハナサキで土を掘って畑(火+田→国字)を荒らす」が「山芋や球根類」は「命を維持する食料」である・・・
 だが「ヤゴ(水蠆)」は「トンボ(蜻蛉・(不均翅亜目)の幼虫」で、「肉」食性の「水生昆虫」である。「ヤゴ(水蠆)」は「成虫」である「トンボ=ヤンマ」の「子(児)」だが、「ヤゴ」になったのかドウなのかは「?」でハあるナ、ッ・・・「やんまトンボ(秋津)」はトンボ目ヤンマ科の昆虫類で、体長六センチ以上、体は長く太めで、複眼も大きく、「翅(はね)」は幅広、「翅脈(しみゃく)」が太い。昆虫類中最も速く飛ぶ。ギン(銀?)ヤンマ・ルリボシ(瑠璃星?)ヤンマ・カトリ(蚊取)ヤンマ・・・「鬼やんま」・・・
 「オニヤンマ(鬼蜻蜓、馬大頭)、学名 Anotogaster sieboldii 」は、「日本最大のトンボ」。学名の種名「sieboldii」 は、「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」から名づけられた。
 「ヤン・マ」なら「ヤン・ヨーステン=耶楊子」で、「耶・麻」だろう・・・
ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Loodensteyn, 1556年?〜1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。日本名は耶楊子(やようす)。「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンスタイン」。「ウィキペディアでは生年1560年〜死没1623」・・・「耶楊子(やよす)」→「八代洲(やよす)」→「八重洲(やえす)」・・・家康の下で朱印船貿易、帰国を目論んで「バタヴィアジャカルタ)」に渡ったが帰国交渉が捗(はかど)らず、日本への帰路途中、船がインドシナ座礁し、溺死・・・であった・・・「サルタビコ」=「去る度拠・然る度拠」→「猿田彦」・・・
 「わたり」の漢字は「亘理・渡利・渉り・捗り、亙り・亘り」だけれども・・・「橋」を「歩いてワタル意」も、なのか、どうなのか、レインボーブリッジ、いと、おかし・・・「猪=獣+者(は・もの・シャ)」と「箸=竹+者(は・もの・シャは)」、「緒=糸+者」・・・「いのしし→意埜宍」の「肉=にく・ジク=字句・竺」・・・「宍(穴)戸錠」の火事・・・
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 枕草子
 (一八段)

 わたり(渡)は・・・話・他・理
ーーー↓
 しかすがの渡。・・・詞(史)化す我の「話・他・理」
ーーー↓
 志香須賀の渡・・・士の心、禾の秘、須(ヒゲ)が加えて改
       維新の士、乃木の秘密、伊藤博文・・・
 律令国家では
 中央と地方を
 結ぶ道路が
 官道として整備され
 約16㎞ごとに旅行者が
 休憩
 宿泊をする
 駅家(うまや)が置かれた
 三河国では
 鳥捕(ととり)・・・鳥取
 山綱(やまつな)・・埜俟つ名
 渡津・・・・・・・・「話・他・理」の「通」

 平安時代
 豊川河口付近の川幅は4㎞程
 志香須賀の渡の
 右岸の船着き場が
 柏木濱(かしわぎのはま)で、
 対岸は
 豊橋市
 牟呂町坂津であった
 三河国(愛知県)
 宝飯郡
 豊川(古称、飽海川)の
 河口付近にあった渡し場
 「歌枕」
 順集〔983頃〕
 「行き通ふ舟せはあれど
  しかすがの
  わたりは
  あともなく
  ぞ
  ありける」
 豊川の河口の渡しの
 安全を祈るための
 神社が
 兎足神社である・・・ウサギのアシとは・・・イナバの白兎
 「いづか
  たよりて
  渡らしむ
  しかすがの
  たむけの神に
  発つは
  つげまし」 の
 神が
 菟足神社
 祭神は
 穂国造たり・・・「禾(乃木)の恵みの拠句作り」
 菟上足尼命・・・「トガミソクニ」→咎視、タリの似の名
 柏木浜から・・・「か・しわ・ぎ」の「ヒン」
 今の地に移った
 三河国
 飽海川(豊川)河口近くにあった渡し場
 「歌枕」
 「をしむ
  とも
  なき物
  ゆゑに
  シカスガのと
  聞けば
  ただ
  ならぬ
  かな(拾遺 別)」
 愛知の歌枕
 「なき
  物
  ゆゑに
  しかすがの渡(わたし)と
  聞けば
  ただ
  ならぬ
  かな (巻6 316)」
ーーー↓しかすがの渡・・・「牛車通学」・・・ブログから抜粋
 1902年、それまであった神野小学校がなくなり、そこに通っていた子どもたちは、牟呂小学校へ通っていました。
 1912年には、五号(ごごう・神野新田町の北部)一帯は、吉田方校区になりました。ですが、学校が遠いので、雨の日には学校を休む子も多く、また家の手伝いで欠席する子もいました。校長先生や五号、吉前の人たちは何とかしてこどもたちがきちんと通学できるようにしたいと話し合いました。そうして考え出されたアイデアが牛車通学だったのです。そこで、牛車に乗って通学することとなりました。雨の日には、牛車に屋根をつけてバスのようなものにしたのです。牛車には低学年が乗り、中学年以上は歩いて通学していました。
 牛車通学は、
 1961年、
 吉前五号線のバスが開通するまで続けられました。
ーーー↓
 みつはしの渡。・・・視通葉詞の亘り・三橋の渡り・桟橋の渡り
ーーー↓小寺菊子
 1884〜1958
 明治-昭和時代の女性小説家。
 明治十七年
 八月
 七日生まれ
 徳田秋声に師事
 明治四十四年「父の罪」が大阪朝日新聞の懸賞小説に入選
 同年
 青鞜(せいとう)社に
 参加
 女性の苦闘を自然主義的手法でかきつづけた
 大正三年画家の
 小寺健吉と結婚
 昭和三十一年
 十一月
 二十六日死去
 享年七十二歳
 富山県出身
 旧姓は
 尾島
 作品集に
 「百日紅の蔭」、「美しき人生」など

 1883. 8. 7(明治16)〜 1956.11.26(昭和31) 小説家。
 旧姓
 尾島。
 富山県
 富山町生れ
 東京府
 教員養成所卒業
ーーー↓小寺菊子
 念仏の家 - 青空文庫・・・ブログから「参照部分抜粋」・・・

 越中の国水橋といふ小さな漁村
「有磯(ありそ)の海」といふ。
 枕の草紙に、「渡りはしかすがの渡、こりずまの渡、みづはしの渡」とある。その水橋である。
 文治二年正月末、
 源義経主従十七人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、
 京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅(あだか)の関をすぎ、
 倶利伽羅峠をこえて、
 越中に入り、
 水橋川を渡つた
 鎌倉時代
 富山城より二十四年おくれて、
 小さな城が築かれ、
 天正六年に
 姉崎和泉守が、
 水橋城で討死(うちじに)してから廃城
 明治十一年
 明治天皇が北国御巡幸(ほつこくごじゆんかう)の際、
 九月三十日
 午前十一時
 五十分、
 鹵簿(ろぼ)粛々として
 東水橋町に御着輦(ごちやくれん)になり、
 慮瀬といふ旧家に御座所を設けた
 行列は
 八百三十五人、
 乗馬は
 百十五頭
 芭蕉の像を祀つて運座の会が開かれたりすることは、
 富山市と変りがなく、
 私の父もその
 水橋の旧家に生れた一粒種の青年であつた。
 土地柄
 売薬を業としてゐたが、
 明治十一年ごろ富山市に移り、
 前田藩の士族で、祖父は町奉行、父は和歌俳諧の先生をして御殿に使へた浅野家の娘(私の母)を嫁に貰つた。悠長な士族の家に育つて、遊芸三昧に日を暮らした私の母は、商家の家風とは何事も合はず、姑に苛られて、年中出るの入るの騒ぎをしてゐたのである。
 酒屋をしてゐる「尾島屋」といふ本家に一泊
 蜃気楼で有名な
 魚津、
 滑川(なめりがは)
 水橋
ーーー↓三橋
 日本三景
 松島の橋
 松島三橋・・・松島朱塗り三橋
 朱塗りの
 三橋とは
 渡月橋 縁切りの橋・修行僧が俗世と縁を切った島・芭蕉の石碑
 福浦橋 出会いの橋・全長252m・福浦島へ渡る橋
 透かし橋 縁結びの橋・瑞巌寺五大堂へ渡る橋
      下が透けて見える?
 五大堂の
 すかし橋・・・透かし橋(縁結びの橋)
 福浦島の
 福浦橋・・・・出会い橋
 雄島の
 渡月橋・・・・別れ橋

 曾良の句
 松島や鶴に身をかれほとゝきす
 信州諏訪之産「曾良
ーー 
 (篆額)芭蕉翁松島・並序
 抑ことふりにたれと松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭
 西湖を恥す東南より海を入て江の中三里浙江の潮をたゝふ
 島・・の數を盡して欹ものは天を指ふすものは波に匍匐あ
 るは二重にかさなり三重に疊みて左にわかれ右につらなる
 負るあり抱るあり兒孫愛すかことし松の・こまやか
 に枝葉汐風に吹たはめて屈曲をのつからためたるかことし
 其氣色・然として美人の顏を粧ふちはや振・のむか
 し大山すみのなせるわさにや造化の天工いつれの人か筆
 をふるひ詞を盡さむ
 松島や鶴に身をかれほとゝきす
 「曾良
ーー
 芭蕉翁奧の細道松島の文
 抑ことふりにたれと松島は扶桑第一の好風にして凡洞庭
 西湖を恥す東南より海を入れ江の中三里浙江の潮を
 たたふ島々の數を盡して欹つものは天をゆひさし伏すものは
 波にはらはふあるは二重にかさなり三重にたたみて左にわかれ
 右につらなる負へるあり抱けるあり兒孫愛するか如松の
 みとりこまやかに枝葉汐風に吹たわめて屈曲をのつから
 ためたるかことし其氣色・然として美人の顏をよそほふ
 ちはやふる・のむかし大山すみのなせるわさにや造化の天工
 いつれの人か筆をふるひ詞を盡さむ
 本城兩足山廿三世無底叟靈應需書
ーー
 はるの夜の爪あかりなり瑞巖寺  古人乙二
 松島やここに寢よとよ花すみれ  曰人
 寢れは水のうちにありけり千松島 大坂催主鼎左
 松島や水無月もはや下りやみ   同江戸一具
ーー 
 吹きわたる千島の松にはるの風  由誓
 松島に□ころの□はなれけり   西馬
 こころややまとめて月の千松島  須賀川多代女
 さし汐に名をさへすこし扇谷   禾月
 松島やほのかに見出す秋の空   宗古
 月こそと思ふに雪の千松島    心阿
 松島やしまにかくれて殘る秋   舎用
 松島や□□□□をなく□□□   如雲
 嘉永四年辛亥彌生望建之
 寒山樵夫三余千常書
 嘉永四年(一八五一)三月十五日
 大年寺廿三世無底筆
 宮城郡松島町松島町内
 臨済宗妙心寺派・龍山瑞巖圓・禪寺
 兩足山=仙台市茂ヶ崎一丁目黄檗宗兩足山大年寺
ーー↓???・・・スベテ、ブログからの抜粋記事デス
 ・・・人物名と「数字」が「いと、おもしろし」なので、添付・・・
 鼎左=藤井氏 別号鳳棲舎・桃の本 師希淵の後を継ぎ
    花屋庵・大黒庵とも号
    備後に生まれ 大坂住
    明治二年(一八六九)没六十八歳
 一具=俗姓高橋氏 福島大円寺住職
    号夢南・十夢・一具庵
    山形楯岡の生まれ
    晩年江戸住
    乙二門
    嘉永六年(一八五三)十一月十七日
    没七十三歳
 由誓=豊嶋氏 
    通称久臧
    坎窩久臧と号
    為誰庵由誓
    成美門
    安政六年(一八五九)没七十一歳
    成美の家井筒屋の番頭
 西馬=上州高崎の人 養家先は左官
    文政九年(一八二六)当時高崎住の逸淵に入門
    弘化三年(一八四六)江戸に出て
    新橋宗十郎町に惺庵を開く
    安政五年(一八五八)八月十五日没五十一歳
 多代女=晴霞庵 須賀川の生まれ
     雨考に導かれ
     道彦に入門
     道彦没後は乙二に学ぶ
     文化三年三十一歳で夫に死別
     文政六年江戸に出て
     福島大円寺住職で江戸在住の
     一具の許に止宿
     慶応元年(一八六五)八月八日没九十歳
ーーー↓

 こりずまの渡。・・・「懲り、凝り、古里、狐狸」妻のワタシ(私)
ーーー↓
 ・・・いと、をかし・・・

ーーーーー