1056日目・・・「いとこチャン」は今頃どおしているかな・・・「比肩建禄(ケンロク)格」の人がよく訪ねてくるが・・・きっと「兼六カク」も兼ねているんだろう・・・「いとこ(従兄弟・従姉妹)」とは「父または母の兄弟姉妹の子・おじ、おばの子」、「従兄」「従弟」「従姉」「従妹」などとも書く。「いとこ」を全部一括して漢字で記せば「従兄弟姉妹」となるだろう・・・「従兄弟同士は鴨の味」・・・「いとこ」同士が夫婦になったときの情愛の深さは、鴨の味(いとこ同士の夫婦の仲はとても睦まじいこと)」だが、「従兄弟(男)同士」で

 ・・・「カモのアジ」=「カモの亜字」→「カモのアジ=庵治→安治→鯵(鰺=魚+ム+ム+ム+一+人+彡)→アンジ→按字→按針(三浦按針・領地は相模)→案示→暗示」・・・ここで、ブログ記事、辞典を食べ歩き・・・「カモ(鴨・神・加味)がネギ(葱・禰宜・根木)をショ(背負・書・諸)ってアルイテくる(歩いてくる・有る異出句留)」・・・以下はスベテ「抜粋」したモノのパーツで、ボクのモウソウは「ーー枠ーー」の「・・・」か「↑↓→」で示した・・・ごめん・・・
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 人を謗るは鴨の味
鴨の肉は鶏肉の中でもとりわけ美味だが、人の悪口を言ったり批判をするのは、その鴨の肉を味わうほど気分がよいということ。

 逢い戻りは鴨の味
逢い戻りは鴨の味の意味. 男女の仲が戻ると、以前にも増して睦まじくなるということです。
従兄弟同士の夫婦は非常に仲がよいことをたとえたものです。
鴨の肉の味が良いように、夫婦仲が良いという意味です。
     ↑

 「鶏肉(ケイジク→桂字句・景字句・啓示句・形而句)と、その「卵(ラン→蘭・乱・藍・爛・覧)」は頻繁だけれど「鴨肉(オウジク・アウジク)」は未だに食べたコトはない。だが、クリスマスの時期、アメリカで「七面鳥」は食べたことがあるのだが。
 「鴨脚」とは「公孫樹」のコトで「葉っぱが鴨の足の水掻きに似ているから」であるらしいが、では「公孫樹」とは何か?「孫の代に実がなる樹の意・銀杏(イチョウ)の別名・一葉(いてふ)の落ちる様子が蝶(てふ)に似ている説、銀杏(ギンナン)の実の形が杏(アンズ)に似ている・の学名:Ginkgo biloba」で、「ボケ防止」の漢方薬でもあった。で、日本では「公孫樹」を「コウソンジュ」としてあまり音読みできかない。訓読みなら「オオヤケのマゴのキ」だろう。
 「鴨(オウ・アウ)=かも」は、異字で「鳧(フ・ブ)=鳥+几=かも=けり・のがも・鴫(しぎ)に似た水鳥、千鳥科目の一で、渡り鳥」、では「鴫(しぎ)」とはどんな鳥なのか?・・・「口ばしが長く水鶏(くいな)に似た鳥」・・・「クイナ(秧鶏、水雉、Rallus aquaticus)に似る」である?・・・で、「ヒクイナ(緋水鶏、緋秧鶏・学名:Porzana fusca)は、ツル目 クイナ科 ヒメクイナ属に分類される鳥類」であるらしく、「上面の羽衣は褐色や暗緑褐色。喉の羽衣は白や汚白色。胸部や体側面の羽衣は赤褐色。腹部の羽衣は汚白色で、淡褐色の縞模様が入る。虹彩は濃赤色。嘴の色彩は緑褐色で、下嘴先端が黄色。後肢は赤橙色や赤褐色。卵の殻は黄褐色で、赤褐色や青灰色の斑点が入る」・・・で、鳴き声が「クイ、クイ、クイ」であるらしく「クイナ(秧鶏、水雉」とは「別種」である・・・古くは単に「水鶏」(くひな)と呼ばれ、その独特の「鳴き声」は古くから「水鶏たたく」と言いならわされてきた・・・?・・・日本人の「鳥類の漢字使用」には「草木・昆虫・魚貝」と同様に「現存・古事記」の「錠(locks)のカカッたナゾ」を「解き明かす鍵( keys→科技)=」があるらしい・・・「locks and keys」・・・六句と記意→陸苦と紀伊・・・戊辰戦争明治維新の苦労は東北奥羽(会津→合図)と紀伊(和歌山→忌諱の纂)・・・

 「鴨」、大修館漢和辞典には左右が入れ替えた「鳥甲」や、「鳥」が「甲」の上に記される文字が同字とある。「鴨黄(オウコウ)」はカモの雛鳥で、「鴨頭」は水の緑の譬えで、水源を「白頭山脈」に発し、中国、朝鮮の国境を流れて「黄海」に注ぐ河の名は「鴨緑江」である。「鴨」に類似する鳥は「鴛鴦(エンオウ・をしどり)」であるが、ほとんど「鴛鴦」は水鳥一般名詞としての「かも」と同義である。「鴛侶(エンリョ)」は「役人仲間・連れ合い・配偶」と記されている。「鳰(にお・にほ・かいつぶり)」は「国字」で、「鳰海・鳰湖」は琵琶湖の別名である。
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 「ちんちん」・・・・・→チンチンは一般的にはベルの擬音
 男女の深き交情を意味しつつ、
 一方では「千鳥」を引き出すための序ともなる。

 「チドリ(千鳥・鵆)」と総称されるものを整理体系したのが
 「パーシー Roycroft ロウ=Percy Roycroft Lowe (1870年1月2日〜1948年8月18日)」であった英国の 外科医と鳥類学者を兼ねた人物である。「 Lowe」は 「感激する;燃焼する;ぞくぞくする;感動する;感じる;感ずる;打たれる」で「 Low」は「低い・下げる・落とす・下ろす」。「lower one's eyes」は「 目を伏せる」であった。「ラ(l)ウ」は「ロ(r)ウ」でも
 漕ぐとは「row 《a boat》; work at the [one's] oars; pull the oar〈自転車を〉 pedal 《a bicycle》; pump the pedals 」・・・ロウ、ロウ、ロウアボート・・・である。「ラ(l)ウ」は「生肉・生魚」の焼き方の加減の程度・・・ 低(ちょっと・ちょこっと)・中(ほどほど)・高(こんがり)・・・

 「ちんちん節」のおかげで、
 「千鳥」は、男女のいい

 仲を暗示する鳥として名をあげた。・・・?→千鳥(センチョウ)は親密の関係→櫓(櫨・楼)→櫂(かい)や竿(さお)を手にする舟を漕ぐ船長・舟頭・水主であろう・・・「チンチン」は「合図」の「ベル(鐘→鈴)」の擬音(ギオン)である。そして「祇園・祗園」の「クルワのヤマ→だし→山車」の「鉦鼓」である・・・「くるわ」とは「遊廓・遊郭」のことである・・・

 「ちんちんかもかも」
 「ちんちん鴨の脚」
 「ちんちん鴨の入れ首」
 「ちんちん鴨の入れ首出し首」・・・カモ=下も
 「ちんちんかもめ」
 「ちんちん鴨の小鍋立(こなべだて)」
 すべて親密な男女の間柄を意味することばである。
 Meaning of the taste of duck
 男女の深い仲
 「ちんちんかもかも」
 江戸時代の作品にはよく出てくる。
 二人こっそり手を取って、ここから直ぐに随徳寺、誰憚らずちんちんかもかも、えゝ畜生め(えんま小兵衛 序幕)
 男と女が手に手を取って駆け落ちし、人目もはばからす深い仲になることを、「ちんちんかもかも」という

 辞書には「語源未詳」と書かれている・・・→英語の「come on」である
 「ちんちんかも」の形もある・・・「かも」→英語の「if」である

 同じく男と女の仲睦まじいことを意味

 「ちんかも」と言う時もある・・・・・・・→鴨の羽毛の枕である
 (鉄瓶の)湯のわく音から・・・・・・・・→鉄瓶の蓋(亠)の音だろう。河川を往来する水車タイプの蒸気客船、丘蒸気の客車、路面電車の昇降合図の「ベルの音」である・・・

 女夫(めうと)の仲はちんちん、去(さり)なしたは此母(このはは)
 (心中二つ腹帯 三)
 この「ちんちん」の方が、先の「ちんちんかもかも」などと「かも」の付いた形より本来的だと思われる。
 「ちんちん」の方が、
    ↑

 古代中国発祥の「犬の狆々」だろう。日本の皇族に愛され、愛玩犬として飼われていた。鳥籠に入れられて飼われてい。 「犬のチンチン」とは両足で立つと言うことだ。

    ↓
 時代的に先行する資料に見られるからである。
 「ちんちん」は、「ちんちんこってり」「ちんちんばなし」「ちんちんもの」と、「かも」以外の語にも付き、元来独立していたと察せられるからである。
 「ちんちん」は、どこから生れたことばなのか?

    ↑
 「チンチン電車」である。鐘の音は擬音語である

 江戸時代では、
 やきもちの心も「ちんちん」の語で表す。
 父の頭の茶鑵(やくわん)よりこっちの胸が煮えくら返り、
 「ちんちん」でこらへられねえのだ
     ↑

 コレは「胸の中(心の中)」の「擬音語での情景、状態」の説明で、「嫉妬」そのもではないだろう。擬音語としての修飾語である。

 (綴合新著膝栗毛 二幕)
 嫉妬心も「ちんちん」と言う
 この「ちんちん」
 鉄瓶などで
 湯のわく音をうつす
 擬音語から来たことばではあるまいか。
 『東海道中膝栗毛
 「お湯もちんちんわいております」とある。
 三味線の音から
 では、男女の交情を意味する「ちんちん」も、湯のわく音を写す擬音語から来たと考えてよいだろうか? 男女のしっぽりした間柄と湯の煮え立つさまとは、いまひとつしっくりしない。
 別の語源を考えてみる必要がありそうだ。
 男女間のこまやかな情愛を象徴しそうなものに、三昧線の音色「ちんちん」がある。

   ↑
 「琴瑟」だろう・・・一般的には「三味線」は「トテチリシャン」である。問題は擬音ではなく「三味線」の漢字文字である「撥」とタタく「三・味・線」の、「三味線」である。「サン(纂)をアジ(亜字)るイト(意図)のイズミ(セン=撰)」・・・アジるの『アジ』とは「扇動・運動・論議」を「意味」する英語「アジテーション( agitation)」の略。動詞化して接尾語の『る』をつけたもの。「アジる」とは人に不安や不信を煽りたて、ある行動に引き摺り込むコトだが・・・

 アアつがもねへ(=ばかばかしい)。ちんちんちん。
 (御存商賣物)
 五代目
 市川団十郎の声色で「つがもねへ」と言ったあと、
 三味線の合(あい)の手を「ちんちんちん」と写している。
 三味線の音色は、弾き方に応じてさまざまな擬音語で写されるが、
 「ちんちん」が一種の典型である。
 「浄瑠璃や歌舞伎」
 男女の仲睦まじい間柄を象徴する場面には、
 三味線の音が付きもの
  なぜ、「かも」なのか
 「ちんちん」の語が、こうして出来上がると、次に語呂合わせで「かも」が付く。なぜ、他の語ではなく、よりによって「かも」が付いたのか?
 元禄時代大変はやった小唄に「ちんちん節」がある。
 「ならぬ恋ならやめたもましよ。沖(おき・チュウ)のちんちん千鳥(ちどり・センチョウ)が、羽うち違への恋衣、さてよひ仲それが定よ(松の葉 三)」
 「ちんちん」が、男女の深き交情を意味しつつ、一方では「千鳥」を引き出すための序ともなる
 美味なものとして愛好した鳥に「鴨」がいる。
 「鴨の味」とは、とても良い味、特に夫婦生活の楽しい味わいを言う。

 こうして「千鳥(センチョウ→船長・撰帳?)」に「鴨(甲+鳥)→乞帳(故事記・古字記・古事記?)」を組み合わせ、

 「ちんちんかも」の語ができあがる。ここまでくれば、あとは語呂合わせでいくらでも新しい言い廻しをつくることができる。もっと口調を整えて「ちんちんかもかも」。ほかにも「ちんちん鴨の脚」「ちんちん鴨の入れ首」「ちんちん鴨の入れ首出し首」「ちんちんかもめ」「ちんちん鴨の小鍋立(こなべだて)」。すべて親密な男女の間柄を意味することばである。
 こんな語源探索に身をゆだねていたら、いつの間にか日が傾いていた。

 なるほど、面白かったデス・・・で・・・
ーー
 カモ(鴨、英: duck)
 カモ目カモ科の鳥類
 雁(カリ)に比べて体が小さく、
 首があまり長くなく、
 冬羽(繁殖羽)では
 雄と雌で色彩が異なるものをいう
 カルガモのようにほとんど差がないものもある。
 分類学上の
 まとまった群ではない。
ーー
 アヒル(鶩、または家鴨)
 カモ科のマガモを原種とする家禽
 水鳥
 マガモと同種
 ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、
 飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている。
ーーー
 鴛鴦の契
 春秋時代(前8〜前5世紀)
 大国、
 宋の
 康王は
 暴君
 史記の記載によれば
 この王のせいで宋国は滅ぼされた
 康王の侍従に
 『韓憑(カンピョウ)』という者がいた。その妻が絶世の美女であることに目を付けた康王、『韓憑』から妻をとりあげて側室にしてしまった。
 当然『韓憑』は王のやりかたを恨む。が、王はかえってそれを怒り、『韓憑』を無実の罪に陥れ、
 「城旦の刑」に処した。
 「城旦の刑」というのは、日中は辺境の守りにつき、夜はその防備のための城壁を築くという寝る間も与えない重い刑のこと》
 妻は、王の目を盗んで
 こっそり
 愛する夫だけに
 わかるような言い回しをつかって
 手紙を書いたが、
 『韓憑』が自殺したとの知らせが入る。
 これを聞いた妻は、
 こっそり

 腐らせておいた着物を着、・・・→狭穂姫・佐和遅姫の「垂仁天皇記」のハナシ

 康王とともに城壁の物見櫓に登ったとき、
 そこから身を投げた。
 王の側近が慌てて妻の
 着物の袖をつかんでとどめようとしたが、
 着物は腐っており、
 袖だけが側近の手に残った。
 彼女は落ちて死んだのである。
 彼女の遺書にはこうあった。
「王は生きたわたくしの体を自由になさいましたが、わたくしには死んだ我が身を自由にさせてくださいませ。どうか、私の遺骸を夫とともにうめてくださいますように」
 怒り狂った王はこの願いを無視し、
 ことさらに
 『韓憑』の墓と
 向い合せに妻の遺体を埋めさせた。
「ふん。きさまら夫婦は死んでまで愛しあおうというのか! それなら二つの墓を一つに合わせてみよ。わしもそこまではじゃまはせんわ!」
 すると、数日のうちに二つの墓の端の所に一本ずつ大きな梓の木がはえてきて、十日もすると一抱え以上にになった。そして互いに幹を曲げて寄りかかり、土の中では根がからみあい、地上では枝がからまりあった。
 樹上には
 一対の
 鴛鴦が巣を作り、日夜そこを去らず、頚を交えながら悲しげに鳴くのだった。
 宋国の人々は二人のことを哀れに思い、
 ついに
 その木を
 相思樹と名付けた。
 相思という言葉はこれより起こったのである。
 黄河の南に住む人たちは
 この鳥(鴛鴦)は
 韓憑(カンヒョウ)夫婦の生まれかわりだと信じている。
ーーー
 王怒りて聴かず、里人をして之を埋めしむ。冢相望む。
 王曰く、
 「爾夫婦相愛して已まず、若し能く冢をして合わせすむれば、即ち吾も阻まず」と。
 宿昔の間、便ち大いなる
 梓木有りて
 二つの冢の端に生じ、旬日にして大きさ抱に盈る。
 体を屈して
 相就き、
 根は下に交わり、
 枝は上に錯わる。
 又、
 鴛鴦雌雄各一あり、
 恒に樹上に棲み、
 晨夕去らず、
 頚を交えて悲しく鳴き、音声人を感す。
 宋人之を哀れみ、
 遂に其の木を号して
 相思樹と曰う。
 相思の名、此より起こる。
 南人、
 此の
 禽葉
 即ち
 韓憑夫婦の
 精魂なりと謂う。
ーーー
 ソウシジュ(相思樹)
 マメ科
 学名・Acacia confusa
 別名・タイワンアカシア(台湾アカシア)
 原産地・台湾,フィリピン
 花期・春

 常緑高木
 細い葉の葉柄
 春に直径1センチほどの
 球形の黄色い花をつける
ーーー
 「鴛鴦(エンオウ)」
 おしどり
 「鴛(エン)」は雄・・・夘+鳥→怨恨
 「鴦(オウ)」は雌・・・央+鳥→中央
 深く愛し合いながらも悲劇の生涯を送った宋の韓憑夫婦の墓を守る梓の木の上で、おしどりの雄と雌が寄り添って一日泣き続けたという故事
「鴛鴦の偶」

     ↑
     偶→人形・偶像・土偶・木偶
     二つで対をなすもの・ペア・カップ
     対偶・ 配偶・匹偶(ひつぐう)
     二で割り切れる数・「偶数」
     思いがけず。たまたま

     ↓
 夫婦以外の仲に使うのは誤り
 類語
 お前百までわしゃ九十九まで・・・→曰・句重句
 偕老同穴・・・・・・・・・・・・→廻廊同穴?
 琴瑟相和す・・・・・・・・・・・→均質
 形影相伴う・・・・・・・・・・・→計系・軽系・桂系
 水魚の交わり
 天に在らば比翼の鳥、地に在らば連理の枝
 比翼の鳥
 比翼連理
 連理の枝
ーーー
 人漕がず あらくも著(しる)し 潜(かづ)きする
 鴛鴦(をし)とたかべと 船の上に住む
 (鴨君(かものきみ)足人(たるひと)
 万葉集 巻三 二五八)
 船を漕がなくなったことで、水に潜るオシドリコガモ(たかべ)が船の上に住んでいるよ。
   ↑
 漕ぐとは「櫓・艪・櫨」である。「たかべ」が「子鴨」?・・・「黄色のシマ模様を有する魚」である・・・「たかべ」とは、「スズキ目タカベ科」の海水魚、とは「鈴木女→(鱸=魚+盧・須々木・鈴器=丸めの穴が連結している。擬音はチリンチリン)目」。全長約20センチ、背部は青緑色で黄色の縦帯がある。本州中部以南の太平洋岸に分布。伊豆諸島では春から夏のかけて大量に漁獲される。プランクトンを餌とし岩礁地帯に多い。塩焼きがいちばん美味。「たかべ」は潮通しの良い岩礁域で群れをなして泳ぎまわり、動物性プランクトンを食べて 育つ。 定置網や刺網、釣り、追込みで捕獲。また、平安時代には「中秋の名月を見ながら、『たかべ』の塩焼きを肴に酒を呑む事はこの上ない ぜいたくである」と言う意味の句がある。別名は「ホタ」、「シマウオ」、「シャカ」、「ベント」など。「yellow striped butterfish」「 Labracoglossa argentiventris (species of knifefish) 」

 礒の裏に 常よ引き住む 
 鴛鴦(をしどり)の
 惜(を)しき我(あ)が身は
 君がまにまに
 (大原今城真人 万葉集 巻二十 四五〇五)
 岩の裏に、常につがいで住み着いているオシドリのように、いとおしい我が身ですが、あなたに捧げましょう。
 (これは臣下が主君に忠誠を誓う歌です)
ーーー
[枕]オシドリが水に浮くところから、「憂き」にかかる。
「隠れなく流れての名を―憂き例(ためし)にやならむとすらむ」
 〈千載・雑下〉

(枕詞)
 同音の
 「惜し」
 また
 水に浮くところから
 「うき」にかかる
 「 −惜しき吾が身は君がまにまに/万葉集 4505」
 「 −うきねの床や荒ぬらむ/千載 冬」
ーーー
 鴛鴦茶
 日本語ではコーヒー(珈琲)紅茶と呼ばれる場合もある。多くは、砂糖とエバミルクをたっぷり加えて飲むため、「鴛鴦奶茶」(えんおうだいちゃ、広東語 ユンヨンナーイチャー)とも呼ばれる[
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 あひる
 しかし、万葉仮名を経由して平仮名、カタカナが発明されつつ次第に日本語が形成されていった経緯を読み取るとき、逆に不自然
 また、
 対馬
 卜部
 「阿比留(あびる)」家において発見され、
 平田篤胤によって
 「日文(ひふみ)」として紹介された
 「阿比留( あひる)文字」
 対馬
 卜部-阿比留家に伝えられたことからアヒル文字と呼ばれる説(神字日文伝平田篤胤)と
 ト部家がアヒル文字を伝えて阿比留家となった説(竹内義宮氏)がある。

 書体は、横組みと縦組みがあり、その構成はハングルと似通った文字種であるが模倣したものならアヒル文字の出現は、ハングルの制定1446年 李朝世宗時代以降となる。しかしそれ以前のものと思われる古い神社に伝えられる神札や石碑などにアヒル文字が使われていることに疑問が残る。宮崎県の円野神社(創建703年)にアヒル文字で刻まれた石碑が出土しているが、どういうわけかその石碑の存在自体も無視されている。
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 「カモンのカミ」・・・・「come on」の「カミ」であるかな
 「掃部守」ではなくて・・「ソウベシュ→草部種」
 「掃部頭(かもん)」・・・「掃除の長官」である。「箒と叩き、雑巾が必要
 長官の呼び名はすべて
 「かみ」ですが、・・・・「神・上・紙・髪・噛・加味」
 分野によって
 当てる文字が異なります
 (守、頭、正、督、将、大夫など)
 これは
 「井伊直孝」が
 「掃部頭」だったことから、・・・・なぜ「かもん」と訓じるのか?
 彦根井伊家が代々任じられていた
 大名の
 武田氏滅亡後、
 本能寺の変による
 武田遺領の争奪を経て
 甲斐国徳川家康によって平定
 その折に武田遺臣を配属されたのが
 徳川四天王にも数えられる
 井伊直政である。
 武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達も直政に付けられ、これにあやかって直政も自分の部隊を赤備えとして編成している。井伊の赤備え小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、
 「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられた。以後幕末に至るまで井伊家の軍装は足軽まで赤備えをもって基本とされた。
ーー
 大坂の役の折、
 家康が煌びやかな井伊直孝(直政の子)の隊を見て
 平和な時代で堕ちた
 赤備えを嘆いた。
 その中で使い古された具足を身に付けている者達を発見し、
 「あの者らは甲州からの家臣団であろう」と言い、
 確認が取れると
 「あれこそが本来の赤備え」と言ったという。
 井伊家は直政の頃に領地・家臣を与えられて家臣団が成立し、
 三度に渡る
 加増を受けた
 近江や
 上野の出身家臣が特に多い。
 また、
 武田氏滅亡後の
 武田遺領を巡る
 天正
 壬午の乱に・・・「ミズのエのウマ」、「ジンゴ」→人語・人後
 おける働きで
 知行安堵が行われた・・・知る行の按(配)を賭(途・渡・徒)
 武田遺臣や
 駿河
 今川氏、
 相模の
 後北条氏など
 旧戦国大名家の遺臣も召し抱えた
 「井伊年譜」に寄れば家臣団は
 「〜衆」といった・・・集
 組により・・・・・・・組む・汲む
 編成されている・・・・編制・変成
ーー
 アメリカの黒船艦隊来航に備えた
 相模湾から江戸内海の
 警備でも
 井伊の赤備えが出陣
 1853年(嘉永六年)六月三日の
 浦賀来航の様子を描いた
 「ペリー浦賀来航図」に、
 彦根勢の
 赤い陣羽織や旗差物などが描かれている。
ーー
 1866年(慶応二年)の
 第二次長州征伐では
 井伊直憲率いる彦根藩が芸州口の先鋒を務めた。
 長州藩のミニエー銃に対し、彦根藩は赤備えに火縄銃という古来より伝わる兵装で挑むが、小瀬川を渡ろうとした所を
 長州軍
 石川小五郎率いる遊撃隊の
 アウトレンジ戦法を受け一方的に敗れる
 この時、赤備えであったことがかえって格好の的となり、夜間にも関わらず長州軍の狙撃を容易にした。
 この為、彦根藩兵は由緒ある鎧を脱ぎ棄てて逃走した。
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 不思議な人物が存在した・・・名前と生年月日のコトだけれど・・・
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 梨本伊都子(なしもと いつこ)
 1882年(明治十五年)二月二日〜
 1976年(昭和五十一年)八月十九日)
 元皇族
 旧名
 「鍋島・伊都子」・・・なべしま・いとこ=カトウイトシ→可等意図詞
 「梨本宮守正王の妃」
 皇族女性随一の美人と謳われた。
 妹
 松平信子
 お印は

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