2480日目・・・「あいづ(會津・会津・合図)」・・・ナゼ、「垂仁」なんだか?・・・「スイニン」・・・ナゼ、「景行」なんだか?・・・「ケイコウ」・・・傾向と対策・・・蛍光と大作・・・他意策デスか・・・

 ナゼ、「崇神」なんだか?・・・
 「御真木入日子印恵命」、
  音眞記入比拠インケイ見事
 (ミマキイリヒコイニエ・古事記
  ↓↑
 「御間城入彦五十瓊殖天皇
  音換白入言語拾意殖素女羅視語訳
 (ミマキイリビコイニエノスメラミコト・日本書紀)」・・・
  ↓↑
 「スウジン」・・・「崇=山+宀+示(二亅八)」・・・「数得盡(ジン=壬・尋・訊・塵・陣・神・腎・・・)」・・・「魔方陣=15⇔1+5=6」・・・「壱を拾う五」、「六=陸」・・・「聿(壹)足吾(伍)」・・・睦・・・
ーーーーー
 高島 嘉右衛門
 ↓↑
 父親は
 常陸国
 新治郡
 牛渡村
 出身
 江戸で材木屋
 「遠州屋」を商(あきな)う
 薬師寺嘉衛門
 ↓↑
 薬師寺嘉衛門の
 六男
 ↓↑
 高島 嘉右衛門
 1832年12月24日(天保三年十一月三日)
  壬辰(乙・癸・戊)
  三合壬
 壬子(壬・ ・癸)・・・印綬・従旺格
 乙亥(戊・甲・壬)
   申酉=空亡
  〜
 1914年(大正三年)十月十六日
 甲寅(己・丙・甲)劫財
 甲戌(辛・丁・戊)劫財
 乙亥(戊・甲・壬)比肩
 ↓↑
 横浜の実業家・易断家
 父は遠州屋嘉衛門(本姓は薬師寺
 母は「くに」
 父親の薬師寺嘉衛門は
 常陸国
 新治郡
 牛渡村出身
 江戸で
 材木店「遠州屋」を経営
 ↓↑ 
 「安政江戸大地震
 ↓↑ 
 安政二年十月二日
 1855年11月11日午後10時
 乙卯(甲・ ・乙)
  三合乙
 丁亥(戊・甲・壬)
 壬辰(乙・癸・戊)
  沖戊
 甲戌(辛・丁・戊)
 ↓↑
 前年
 1854年安政元年)
 安政東海地震
 安政南海地震
 も含める場合もある
 飛越地震
 安政八戸沖地震
 伊賀上野地震
 に始まる
 安政年間に発生した被害地震も含めて
 「安政の大地震」と総称
 ↓↑
 高島 嘉右衛門は
 佐賀藩邸の
 普請や材木の売却により
 二万両の儲けたが
 盛岡藩藩邸普請の際に暴風雨に見舞われ
 材木の流出
 盛岡藩の支払い拒否で
 二万両の負債
 ↓↑
 「安政の大獄
 安政五年(1858年)
 〜
 安政六年(1859年)
 江戸幕府
 大老
 井伊直弼
 尊皇攘夷派を
 弾圧
 ↓↑
 高島 嘉右衛門は
 佐賀藩家老
 田中善右衛門の斡旋で
 1859年(安政六年)
 横浜に
 伊万里焼の
 磁器
 白蝋
 を独占販売する
 「肥前屋」を開店
 外国人を相手に
 国内と国外の
 交換比率の違いを利用して
 金貨を売り、
 銀貨を受け取って儲けていた
 当時この
 交換方法が禁法で
 高島 嘉右衛門は
 疑われ隠れていたが自首
 鉱山の採掘事業で
 外国人相手に
 ご禁制の小判を密売で逮捕
 1860年(万延元年)
 牢に入れられ
 1865年(慶応元年)
 釈免
 ↓↑
 九星學=キュウセイガク救世鰐(わに・王仁)?
 ↓↑
 一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫
 ↓↑
 8 1 6 ⇔ 4 9 2 ⇔ 6 1 8⇔ 6白金 1白水 8白土
 3 5 7 ⇔ 3 5 7 ⇔ 7 5 3⇔ 7赤金 5黄土 3碧木
 4 9 2 ⇔ 8 1 6 ⇔ 2 9 4⇔ 2黒土 9紫火 4緑木
ーーーーー
 勾股弦の定理(コウコゲンのテイリ)=ピタゴラスの定理
        考 古諺(言)
        好 古源
        後 顧言
        江 湖源
 三平方の定理(サンヘイホウのテイリ)
        纂 兵 法
        残(惨・懺)
          閉 方の定理
ーーーーー
 古事記・・・建⇔楗(かんぬき・ケン)腱縨旔犍鍵鞬
       肄(ならう・イ)・肆(四・つらなる・シ)
       肇=はじめ・チョウ・ジョウ=肈
          異体字は「𦘟・𢾹・肈」
         戸(戶)+攵⇔啓・肇
         𢼄は戸を手で開くこと
         𢼄=戸(戶)+攵
         啓=ひらく・もうす・ケイ
           𢼄+口=戶+攵+口=戸+攵+口
           異体字は啓・启・𠭎・唘・啔・𠶳
           𢻻・𢼄・啟・諬・闙・䁈・䁉・𢾥
           棨=𢼄+木=通仮字の啓・稽
             古時一種通行的憑證・通行証明書
             通行證
         肇(はじ)め・ことのはじめ・承けて継始する
         戶(戸)+聿(イツ)+攴(ボク)
         戶=神戸・聿=書・筆
           神戸の扉を啓(ひら)いて
           祝祷の書を見ることを啓
           神意を承け
           それによってことをはじめる意
           継承する意(字通)
         肇=𢼄+聿
           物事の糸口を左右に開くこと(漢字源)
         「擊(う)つなり、攴に従ひ、
          肈の省聲(説文解字)」
          
       ム⇔厸(リン)・禸・勾・构・台=臺・・・台=至
       桲⇔木の孛(節)=殻座(カラザ)?
         chalaza=カラザ(殻座・殻鎖)=卵帯
 ↓↑
 垂仁天皇の息子、
 ホンダワケ
 ↓↑
 故、
 率遊
 其御子之狀者、
 在
 於
 尾張・・・・尾張
 之・・・・・の
 相津、・・・あいづ(會津・会津・合図)に於いて
 二俣榲・・・二俣榲(フタマタスギ)で
ー↓↑ーーーー↓↑ーー
 ↓↑榲=木+𥁕(昷)・・・囚(とりこ)+皿
       囚+皿=囚人に食べ物を与える・和らげる
    =すぎ・オツ・オチ・ウン
     榲桲=マルメロ⇔丸めろ?・・・丸め込め?
     オツボツ
        桲=木+一+字=十+八+十+冖+子
          からざ・ボツ
          サンザシ=山査子・山樝子?
          堅い
          唐木(からき・トウボク)の一つ?
          古くから唐木細工(仏具など)に使用
          タガヤサン(鉄刀木)
          シタン(紫檀
          コクタン(黒檀)・ビャクダン(白檀)
          カリン(花梨・花林・花櫚)
           ↓↑
          「孛(ハイ・ボツ)」
           孛=彗星
           孛星(ハイセイ)
           孛彗(ハイスイ)
           ほうきぼし(箒星
                 箒木・帚木=ははきぎ
         「α+孛(ハイ・ボツ)」
          勃興・勃起・勃発
          渤海・・・彗星が落下して出来た?
          悖=忄(心)+一+字=忄+十+冖+子
            忄(心)+十+字
            もとる・そむく・乱れる
            さかん・盛んに興る=悖然
            ハイ
            狂悖・悖徳・悖反・悖理・悖戻
            老悖・悖逆
       マルメロ (marmelo・榲桲)
       バラ科マルメロ属の1種
       落葉高木
       マルメロ属はマルメロのみの1属1種
       ポルトガル語のマルメロは果実の名で
       樹は
       マルメレイロ (marmeleiro)⇔marmalade⇔Jammu
                    磨蛙万例度 字哉務
       英語はクインス (quince)
          句韻(允)素・・・木戸孝允
       スペイン語は「キンセ」と発音し
              金 世⇔近世・謹製
             「数字の15」の意味
              15=quince(キンセ)
       別名は「西洋花梨(セイヨウカリン)」
       生薬名は「カリン(花梨)
            アンランジュ(安蘭樹)
            アンラジュ(菴羅樹)
            メイサ (榠櫨)」
       属名は「偽(にせ)の・紛い物の・もどき」
       という意味で
       種小辞は「中国の」の意
       和名「かりん(花梨)」
       木目がマメ科の「花櫚(カリン)」に似ている
       別称としては「唐梨(カラナシ)」
       「キボケ(木ぼけ・木瓜
        アンラクジュ(安楽樹)」
       中国での呼称は『榠樝』
       イギリスでは『Chinese quince』
       マルメロの日本渡来は
       寛永十一年(1634年)
 ↓↑    中国経由で招来
ー↓↑ーー
 作・・・・・つくり
 二俣小舟・・二俣小舟(フタマタオブネ)=双同の小舟(双艇)
 而・・・・・しこうして
 持上來、・・持ち上げ来たり
 以
 浮・・・・・浮かべ
 倭
 之
 市師池・・・いちしのいけ・シシチ⇔死史地・獅子地・志士地
       シのシチ⇔支の七は午(馬)
       詞の七は漆(質・志知・死地)
 輕池、・・・かるのいけ・ケイチ⇔京地・戦車の馳
 率
 遊・・・・・あそび⇔阿蘇
 其御子。・・基の音詞
 然、
 是御子、
 八拳鬚・・・・やつかひげ・ハチケンシュ(ス)
              葉知建主(素・諏・蘇)
 至于・・・・・まわり、いたる
 心前、・・・・むなさき・シンゼン⇔親善
 眞事(まこと)・・・まジ(眞字)・シンジ(新字)
 登波受。(とはづ・此三字以音)。⇔問わず・訪わず
 故、
 今聞
 高往・・・・高往(コウオウ)⇔康応=北朝
 ↓↑             後小松天皇の時の年号
                1389年2月9日〜1390年3月26日
                南朝方が後亀山天皇
                室町幕府将軍は足利義満
       元年(1389)2月18日
       高麗が
       倭寇討伐で対馬に侵攻
 ↓↑   「康応の外寇」
 鵠之音、・・・鵠=牛+口+鳥・・・主の䪼(クチ)をトル
          ハイタカ     䪼=出+頁=セツ
                   頬骨(ほおぼね)
        コウのオト=「くくい・しらとり⇔新羅とり
               白鳥(ハクチョウ)」の聲
 ↓↑     「拝高・鷂・隼鷹・速鷹・灰鷹」
 始爲
 阿藝登比(あぎとひ)。⇔安芸問い(訪い)・安芸、土肥
 (自阿下四字以音)。  長州(安芸)・土佐(高知)
             肥前(佐賀)、肥後(熊本)
 爾
 遣
 山邊・・・山邉=山辺丈夫?
 ↓↑   1851年12月30日(嘉永四年十二月八日)
      〜
      1920年大正九年)五月十四日
      実業家・紡績技師・津和野藩士
      東洋紡創業者
      従五位
      石見国津和野藩士
      清水家に生まれ
      同藩士山辺家の養子
      津和野潘の藩校
      養老館に学んだ後
      明治三年(1870年)
      上京
      同藩出身の
      西周(にし あまね)
      育英舎や
      中村敬宇
      に学んだ
      明治六年(1873年
      大阪慶應義塾に学び
      育英舎や慶應義塾で教鞭を取る
      明治十年(1877年)
      旧藩主の養子であった
      亀井茲明
      のイギリス留学に随行
      ロンドン大学
      経済学や保険学を学んでいたが
      渋沢栄一の手紙により
      キングス・カレッジに転じて
      機械工学を学ぶ
      渋沢から費用の援助を受けて
      マンチェスターで工場見学や実習
      明治十三年(1880年
      帰国
      その際
      イギリスの
      紡績機械、蒸気機関
      などを買い付け
      松本重太郎らに賛同し
      明治十五年(1882年)設立の
      大阪紡績会社(東洋紡の前身)の
      工務支配人に就任
      明治三十一年(1898年)
      社長
      明治三十三年(1900年)
      大日本綿糸紡績同業連合会委員長
      大阪商業会議所特別委員を歴任
      大正九年1920年
 ↓↑   死去
      1886年明治19年)三重紡績株式会社を設立
      1888年明治21年)金巾製織株式会社を設立
      1906年明治39年)金巾製織と大阪紡績が合併
      1914年(大正3年) 大阪紡績と
               三重紡績が合併
 ↓↑            東洋紡績株式会社設立
 之
 大鶙・・・「鶙鵳(テイケン)=鷂(はいたか)
       大鶙⇔大帝鳥
 此者人名・コレ(此)は人名
 令取
 其鳥。
 故
 是人
 追尋
 其鵠、
 自
 木國
 到
 針間國、
 亦追越
 稻羽國、
 卽
 到
 旦波國、
 多遲麻國、
 追廻東方、
 到
 近淡海國、
 乃
 越
 三野國、
 自
 尾張
 傳
 以追
 科野國、
 遂
 追到
 高志國
 而、
 於
 和那美
 之
 水門・・・水戸
 張網、・・張る網(あみ)・・・諜報網
 取
 其鳥
 而
 持上獻。
 故、
 號
 其
 水門・・・水戸
 謂
 和那美(わなみ)⇔罠見・・・和名見
 之
 水門也。・・・水戸
 亦
 見
 其
 鳥者、
 於
 思物言・・・思い、モノ言う
 而、
 如思・・・・思うが如く
 爾
 勿言事。・・云うコト勿(なか)れ
 ↓↑
 於是、
 天皇
 患賜
 而、
 御寢
 之時、
 覺于御夢曰
 「修理
  我宮
  如
  天皇之御舍者、
  御子
  必
  眞事
  登波牟。(とはむ・自登下三字以音)。」
 如
 此覺時、
 布斗摩邇邇占相
 而
 求
 何藭之心、
 爾祟、
 出雲大藭
 之
 御心。
 故、
 其
 御子
 令
 拜
 其大藭宮
 將遣之時、
 令
 副誰人者吉、
 爾
 曙立王・・・開化天皇の孫
       日子坐王子供
       垂仁天皇の従兄弟
 食ト。
 故、
 科
 曙立王
 令
 宇氣比
 白
 宇氣比(うけひ・三字以音)・・・誓約・右傾・有刑
 「因拜
  此大藭、
  誠有驗者、
  住是
  鷺巢池・・・サギスのイケ⇔詐欺素の意掛
  之
  樹鷺乎・・・従記賂掛
  宇氣比・・・有掛比
  落。」・・・等句(ラク)⇔おちれ
 如
 此詔之時、
 宇氣比
 其
 鷺・・・さぎ⇔詐欺
 墮地死、・・・堕ちる=おちる=落ちる
 又詔之
 「宇氣比
  活爾。」者、・・・活(カツ)⇔活きる
 更
 活。
 又在
 甜白檮・・・アマカシの前なる葉広熊白梼(ハビロクマカシ)
 之・・・・・の
 前葉・・・・前の言葉
 廣熊・・・・ひろくま⇔コウユウ
 白檮、・・・あらかし⇔しろかし⇔ハクトウ(白等)
       檮=きりかぶ(梼)・トウ・ドウ
       檮=おろか・無知
         檮昧(トウマイ)=おろかな・蒙昧・愚昧
 令
 宇氣比
 枯、・・・かれ・コ⇔枯=木(十八)+古(十口)
 亦
 令
 宇氣比
 生。・・・生きる=いきる=活きる
 爾
ーー↓↑ーーー
 名賜・・・・・ここに名を
 曙立王、・・・アケタツノミコに賜ひて
 謂・・・・・・と云う
 倭・・・・・・ヤマト
 者・・・・・・は⇔「者=もの=人物」
 師木・・・・・シキの
 登美豐・・・・とみ-トヨ⇔豊臣・臣豊
 朝倉・・・・・アさくら
 曙立王。・・・あけぼののたつ王⇔曙は日本海軍の駆逐艦
                 吹雪型特型)の
                 18番艦(特II型の8番艦)
        曙立(ショリツ)=日+署
        署の異体字=暏=日+者
        曙=曉なり、日に従ひ、署を聲
        署⇔警察署・消防署⇔署官庁の部署
 (とみ・登美二字以音)。
 卽・・・・・・すなわち
 曙立王・・・・あけぼののたつ王⇔ショリツ=書理通
 菟上王・・・・うさがみの王⇔トガミ=戸上⇔戸籍定
 二王、・・・・
 副・・・・・・そえて⇔副島種臣
            文政十一年九月九日
           (1828年10月17日)
            明治三十八年
           (1905年1月31日)
            佐賀藩
            勲一等、伯爵
            初名は竜種
            通称は次郎
            号に蒼海・一々学人
            マリア・ルス号事件で
            中国人奴隷を解放
 其御子遣時、・その御子をつかわす時
 自・・・・・・おのず(みず)から
 那良戸、・・・ナラトで
 遇・・・・・・あう
 跛盲、・・・「ちんばのめくら=あしなえためしい」に
 自・・・・・・おのず(みず)から
 大坂戸、・・・オオサカトで
 亦・・・・・・また
 遇・・・・・・あう
 跛盲、・・・「ちんばのめくら=あしなえためしい」に
 唯・・・・・・ただ
 木戸・・・・・キド⇔木戸=大阪府河内長野市の地名
           木戸番=江戸・京都・大坂
           などの城下町で町ごとに作られた
           区画領域の木戸の番人
           木戸孝允桂小五郎
 是・・・・・・これ
 掖月・・・・・わき(掖・エキ)の月(つき・ゲツ・ジク)
        倭記 腋・役・訳   通記 解通 字句
        和気
        脇
        誘掖=力を貸して導く、誘導して助ける
           扶掖
 之・・・・・・これは
 吉戸・・・・・キチドと
 ト而・・・・・ウラナイ、しこうして
 出行之時、・・この時、いでゆく
 毎・・・・・・いつも・毎度
 到・・・・・・いたる
 坐地・・・・・チにザし
 定・・・・・・さだめなした
 品遲部也。・・ヒンジベヤ=斌治部哉
 ↓↑     hinge=戸・ふた・二枚貝などの
        ちようつがい(蝶番)
        ↓↑
      hinge on(ヒンヂ オン)⇔頻(斌・賓)字 音
      〜次第である、〜で決まる
      〜による、〜に依存する、〜にかかっている
        ↓↑
        品遲部=ホムチワケ王の部民(使用人・配下人)
       「品遅別王=本牟智和気王=誉津別王」の
        部=私有地管理人、その地の隷属人
ー↓↑ーー
 ここに名を
 その曙立王(アケタツノミコ)に賜ひて、
  倭  者師木登美豊 朝 倉
 (ヤマトハシキトミトヨアサクラノ)
 曙立王(アケタツノミコ)と謂ひき。
 すなはち
 曙立王
 菟上王(ウナカミノミコ)、
 二王をその御子に
 副へて遣はしし時、
 「那良戸(ナラト)よりは、
  跛(アシナヘ)・盲(メシヒ)遇はむ。
  大坂戸(オオサカト)よりも
  跛(アシナヘ)・盲(メシヒ)遇(ア)はむ。
  ただ
  木戸(キト)ぞ
  これ
  掖月(ワキヅキ)の吉き戸」
  と
  卜(ウラナ)ひて出で行かしし時、
  到ります地ごとに
  品遅部を定めたまひき
ーーーーー
 ・・・???・・・