2542日目・・・「五稜郭」・・・ポルトガルの五稜郭=エルヴァスの要塞・・・「エルヴァスは、グアディアナ川から約8km離れた丘の上にある町。 エルヴァスは、7つの稜堡とサンタ・ルジーアとノサ・セニョーラ・ダ・グラーサと名づけられた要塞に守られている」・・・門は三箇所・・・住人、1万5千人・・・水の確保はアモレイラ水道橋・・・アフリカから伝わったという楽器、ロンカ(つぼ型楽器・いびき音 (rhonchi))の製造と演奏・・・サンタ・ルジア要塞・・・サン・マメデ、グラーサ要塞・・・星型要塞・・・五稜要塞に接

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 エルヴァス
 ローマ時代に
 Alpesa
 or
 Helvas
 ムーア人時代は
 Balesh
 スペイン統治時代は
 Yelves
 アルフォンソ8世が
 1166年
 カスティーリャ王国の領土とした
 カスティーリャ
 と
 ポルトガル
 の間で
 エルヴァスをめぐり衝突
 1226年
 ポルトガル領土
 1570年
 監督教会派の司教座
 スペインvsポルトガル
 領土争い
 1658年と1711年
 スペイン領土
 ナポレオン支配の
 スペイン独立戦争(1808年)で
 ジャン=アンドシュ・ジュノー
 に攻撃された
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 五光星・五稜星・五角星
 交差する長さの等しい5本の線分で構成
 中心に五角形が現れる図形
 五芒星
 ペンタグラム・五線星・星型五角形
 星型正五角形
 西洋式城郭の
 函館の五稜郭
 長野県
 龍岡五稜郭=桔梗城

 ペンタグラム(pentagram)
 五芒星=星型正多角形の一
     正5/2角形
     正五角形に内接
     対称的で一筆書きが可能
 キキョウ(桔梗・Platycodon grandiflorus)
 多年生草本植物
 万葉集秋の七草
 絶滅危惧種
 ↓↑
 未確認飛行物体・・・確認しても「未確認」?・・・
 (unidentified flying object、UFO)
 ↓↑
 多治見=多治見風土記の・・・「字見・多事見・多時見・他字見」?
     天火明命
    (あめのほあかりのみこと)の
     十一世の子孫が
     移り住み「タジヒ部」を名乗った
     タジヒ=マムシの古称・・・?
 蛙目粘土(がいろめねんど)・・・蛙(ア)=がいろ?
 木節粘土(きぶしねんど)
 を産出する、陶磁器(美濃焼)の産地
 ↓↑
 「多治部を諸国に定め、
  皇子の「湯沐邑」と為す
 (平安時代新撰姓氏録)」
 「多治部」は
 天皇の養育に当たる
 古代の部曲の一つ
 「蝮部(たぢひべ)」
 「湯沐邑」
 とは皇族に与えられた領地
 ↓↑
 「虎杖(イタドリ)」
 ↓↑ ・・・タデ科多年草
   高さ約1.5メートル・葉は卵状楕円形
   晩夏、白色の小花多数を穂状につける
   春出る若芽は酸味があって食用
   花が紅色は明月草
   根は漢方の
   緩下・利尿・通経剤
   表皮から糸状のものを採るので
   「いとどり(糸取)」と呼ばれ、
   「いたどり(板取」になった・・・
   「虎杖(コジョウ)」は漢名
   「杖」は茎で、
   「虎」は若い芽の紅紫色の斑点が
 ↓↑ 虎の斑(まだら)模様の皮に似ている
 を指す
 「多遅(タヂ、タヂヒ)」とする説・・・
 県内に
 旧「板取(村)」の地名も・・・
 「多治見」という地名
 南北朝時代
 それ以前は
 「只見」と書いて
 「たじみ」と読んだ・・・
 「太平記」に登場する
 「多治見国長」が有名
 後醍醐天皇に参画しようと
 事が発覚
 幕府側に京都で急襲され、自害
 「正中の変
 日本一の盃の産地=市之倉
 忠臣蔵で赤垣源蔵が使っていた
 源蔵徳利
 高田徳利の産地の高田・・・高田の馬場・新宿?
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 函館(箱館
 ↓↑
 五稜郭
 江戸幕府により
 蝦夷地の
 箱館函館市)郊外に建造された
 稜堡式の城郭
 同時期に築城された
 長野県
 佐久市
 龍岡城(桔梗城)も
 稜堡式城郭で
 「五稜郭」と呼ばれた
 ↓↑
 名称は築造中は
 亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)
 亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)
 元は湿地で
 ネコヤナギ(猫柳)が多く生えていた土地で
 柳野城(やなぎのじょう)
 の別名
 五稜郭
 箱館開港時に
 函館山の麓に置かれた
 箱館奉行所の移転先として築造
 1866年(慶応二年)完成
 2年後に幕府が崩壊
 箱館府が使用した後
 箱館戦争旧幕府軍に占領された
 ↓↑
 明治
 郭内の建物は1棟を除いて解体
 陸軍の練兵場として使用
 1914年(大正三年)から
 五稜郭公園として一般開放
 ↓↑
 1854年安政元年)三月
 日米和親条約の締結
 箱館開港が決定
 箱館周辺を上知
 同年六月
 箱館奉行を再置
 箱館奉行所
 前幕領時代(1802年〜1807年)と
 同じ基坂
 (松前藩箱館奉行詰役所)に置かれた
 初代奉行の
 竹内保徳・・・最初の遣欧使節正使・通称,清太郎
        下野守・父富蔵の跡を継いで勘定方吟味役に出仕
        安政元年(1854年)、箱館奉行就任
        文久元年(1861年)、勘定奉行外国奉行
        同年12月に遣欧使節文久遣欧使節
        30余名を伴い横浜から出港しイギリスへ
        ・・・竹内宿禰・・・?
 は
 松前藩の建物を増改築
 続いて奉行に任命された
 堀利煕(としひろ)・・・通称は織部織部正、省之助
 ↓↑         字は欽文、士績虎
            号は有梅、梅花山人・初名は利忠
            箱館外国奉行兼務の
            堀利煕は日普修好通商条約
           (プロイセン・ドイツ)
            締結直前の1861年1月24日に切腹
            日本年号
            萬延元年(1860)十一月六日
            老中の
 ↓↑         安藤信正に疑いをかけられ憤死
 ↓↑         1818〜1860(自刃・享年43 )
 は
 外国人の遊歩区域内の
 箱館山に登れば
 奉行所を見下ろすことができ
 防御に適さず
 亀田方面への移転が必要と上申
 竹内と
 堀は江戸に戻ると
 箱館湾内からの
 艦砲射撃の射程外に位置する
 鍛冶村中道に
 「御役所四方土塁」を築いて
 奉行所移転の意見書を
 老中
 阿部正弘
 に出し受理され
 五稜郭の建設が決定
 ↓↑
 1855年安政二年)七月
 フランスの
 軍艦
 コンスタンティーヌ号が
 箱館に入港
 箱館奉行所
 器械製造と
 弾薬製造の
 御用取扱を務めていた
 武田斐三郎が
 同艦の副艦長から指導を受け
 大砲設計図や
 稜堡の絵図面を写し取った
 武田は
 この絵図面を基に
 五稜郭
 弁天台場の設計を行い
 五稜郭
 弁天・築島・沖の口台場の築造からなる
 総工費41万両の予算書が作成
 蝦夷地警備を命じられた
 松前藩戸切地陣屋)
 津軽藩津軽陣屋)
 南部藩(南部陣屋)
 仙台藩(白老陣屋)
 の各陣屋が既に完成していたことから
 五稜郭
 台場の工事が遅れると
 箱館市民や外国人に対して
 幕府の権威を失うことになるので
 弁天台場と五稜郭の築造を急いだ
 ↓↑
 1856年(安政三年)十一月
 組頭・河津祐邦
 調役並・鈴木孫四郎
 下役元締・山口顕之進
 諸術教授役・武田斐三郎
 らを
 台場並亀田役所土塁普請掛に任命
 1857年(安政四年)七月
 五稜郭の築造を開始
 1856年(安政五年)から
 郭外北側に役宅を建設
 1861年文久元年)
 奉行所庁舎建設を開始
 施工は
 土木工事を松川弁之助
 石垣工事を井上喜三郎
 奉行所の建築を江戸在住の
 小普請方鍛冶方石方請負人
 中川伝蔵が請け負った
 地盤が脆弱で
 冬季の凍結・融解により
 掘割の壁面が崩落し
 急遽石垣工事を先行させた
 1864年(元治元年)に竣工
 6月15日
 箱館奉行
 小出秀実が
 奉行所五稜郭内に移転
 1866年(慶応二年)
 工事完了
 ↓↑
 大政奉還
 新政府により箱館府が設置
 1868年(慶応四年)十月二十一日
 榎本武揚率いる旧幕府軍
 鷲ノ木(森町)に上陸
 箱館府は各地で敗北
 十月二十五日
 清水谷知事が箱館から青森へ逃走
 十月二十六日
 松岡四郎次郎隊が
 五稜郭を占領
 五月十一日
 新政府軍による箱館総攻撃の際
 五稜郭
 大砲で
 七重浜
 箱館港方面に砲撃
 新政府軍が箱館市街を制圧
 翌十二日以降
 甲鉄が
 箱館港内から
 五稜郭に向けて
 艦砲射撃
 五月十八日
 榎本らが降伏
 五稜郭は新政府軍に引き渡された
ーーーーー
 以上も以下も「Wikipedia」、「諸検索ブログ」などを参照、参考にして少々改作添付・・・「・・・?」のヶ所はボクの脳ミソ反応記・・・
 ↓↑の
 彐=彑・ヨ・彐・⺕
   夛=⺕+タ=多
 ↓↑
 多氏(おほシ・おほうじ)
 「多(おお・おほ・タ)」を氏名とする氏族
 日本最古の皇別氏族・・・
 「太(おほ・ふとい・タイ)」=「一人丶」
 「大(おほ・おおきい・ダイ)」=「一人」
 「意富(おほ・イとみ・イフ)」=「立日心宀𠮛(𠫔)田(口十)」
 「飯富(おほ・いひとみ・イフ)」=「飠厂又宀𠮛(𠫔)田(口十)」
 「於保(おほ・オホ)」=「方𠆢冫イ口十八」
 ↓↑
 九州と畿内に系譜を伝える
 皇別氏族の古族
 神武天皇の子の
 神八井耳命の後裔
 シンハチセイジメイ・・・?
 新 葉知政 治名?
 ↓↑
 多 品治(おお の ほんじ)・・・タヒンジ=他斌(貧・賓)字?
      多 之 本 字?
       ・・・翻字・誉字・褒事?
          ↓↑
          誉津別命=垂仁(活目)天皇の皇子
          本牟都和気命=本牟智和気命
          品津別皇子
          ↓↑
          誉田別尊応神天皇・胎中天皇
          誉田別命
          大鞆和気命
         (おおともわけのみこと)
          品太天皇
          凡牟都和希王
 ?〜持統天皇十年 (696年)八月?
 旧仮名遣いで
 「おほの-ほむぢ(多-品治)」・・・多くの本あそん字?
 姓は
 始め臣(おみ・シン)
   臣姓
   蘇我氏、巨勢氏(巨瀬・許勢)、紀氏
   平群氏、葛城氏、波多氏
   阿部氏、穂積氏
   等がある
   臣の姓はもとは皇室に従属
   ヤマト王権を形成した
   畿内周辺の豪族に与えられた
   後に
   朝臣(あそん・あそみ・チョウシン)
   ↓↑
   朝臣=684年(天武天皇十三年)
   八色の姓の制度
   姓(カバネ)で、上から二番目
   一番上の真人(まひと)
   皇族に与えられた
   皇族以外の臣下の中では
   事実上一番上目の地位
   古くは阿曽美、旦臣とも書いた・・・「阿蘇見・阿蘇観」?
  ↓↑
  672年
  壬申の乱
  大海人皇子天武天皇)について戦い
  莿萩野(たらの)を守った
  ↓↑    三重県-卽急行到-伊賀郡、焚伊賀驛家。
        逮于-伊賀中山、而當国郡司等率數百衆歸焉。
        會明至-莿萩野、暫停駕而進食)
      莿=艹+刺
      莿=とげ・シ・セキ・シャク
        thorn
      萩=艹+秋=Lespedeza
        はぎ・シュウ・シュ
        秋の七草のひとつ
        花期は7月から10月
        蘒・骹・骭・蘒・萩
       「萩(はぎ)」≠「荻(おぎ)」
        よもぎの一種
        川岸の砂地や荒れ地に自生
        かわらにんじん(川原人参)
        はぎ・初秋に
        紫紅色または白色の花をつける
        荻=艹+狄
          おぎ・テキ
  ↓↑      異体字は蔐・𧁱・藡
 倉歴(くらふ・ソウレキ)の戦い・・・蒼頡(ソウケツ・倉頡)の暦
     ・・・操 歴(暦)・・・双極性障害躁鬱病)
        槽 櫪=かいばおけ・馬小屋・厩戸・厩舎⇔鳩舎
        槽(ソウ)=かいばおけ=櫪(レキ)
        蔵 礫?・・・蔵の瓦礫(瓦と小石
                    破壊された建造物の破片)
         ↓↑
        厩戸皇子(うまやどのみこ・うまやどのおうじ)
        聖徳太子聖徳太子・聖徳王)
        敏達天皇3年1月1日(574年2月7日)
        〜
        推古天皇30年2月22日(622年4月8日)
        甲午(丙・ ・丁)⇔壬午(丙・ ・丁)
        丙寅(己・丙・甲)⇔甲辰(乙・癸・戊)
        庚申(己・壬・庚)⇔辛未(丁・乙・己)
        子丑=空亡
         ↓↑
        馬屋古女王(うまやこのひめみこ)は
         ↓↑
        厩戸皇子聖徳太子
        厩(厂既)=廏(广良殳)=廐(广`既)
               (广白ヒ旡)・(广白ム旡)
        馬を支配する役所
        別当・預(あずかり)・舎人(とねり)などが勤めた職場
        厩=「食器に盛った御馳走、手に木の杖を持つ」象形
          馬小屋で馬を世話するさま
     ・・・厩=厂+良+旡
            既⇔艮+旡
            尢(オウ)=片足の曲がった人
            尤(ユウ)=もっとも・すぐれる
                 とがめる・非難する
                 ただし・ことなる
                 すぐれている
                 とりわけ
                 尤異・尤物
          良+旡=「丶+艮=白+ヒ」+旡⇔兂
            旡=つくす・つきる・つまる
              いきつまる・むせる
              キ・ケ
            兂=かんざし・シン
            无=ない・ブ・ム
          良の異体字は、𣌩(異体字
     ・・・と              
        膳部菩岐々美郎女
(かしわで の ほききみのいらつめ)
        ゼンブボキキビロウジョ
        全 部模記吉備(機微)漏(廊・弄)所?
        ?〜推古天皇三十年二月二十一日(622 年4月7日)
        聖徳太子
        「膳大娘(女)」
        「高橋妃」などとも記録・・・高橋=膳部
        ↓↑
        の第八子(第四王女)で
       『上宮記』は
       「馬屋古女王」を
       「馬屋女王」と記録・・・
ーーーーー
 「合言葉は金」・・・?・・・「かね・こがね・キン・キム」
 近江(おうみ)朝廷軍(大友皇子)の将軍
 田辺小隅(たなべのをすみ)が
 倉歴道の守備兵に夜襲をかけたとき
 「金(かね)」と問われたら
 「金」と答えるという合言葉を決めた
  ↓↑
 倉歴(くらふ)の戦い
 美濃国に入った
 大海人皇子
 7月2日
 軍を二手に分け
 一軍を伊勢国の大山越えで大和国
 一軍を直接近江国に入らせることを命じた
 多品治は
 紀阿閉麻呂、三輪子首、置始菟
 とともに大和に向かう軍を率いた
 後
 多品治は
 3千の兵とともに
 莿萩野(たらの)に駐屯
 大和〜伊賀-莿萩野〜伊勢〜美濃
 田中足麻呂は
 近江と伊賀を結ぶ
 倉歴道(くらふ)を守る
 ↓↑
 大友皇子側の
 田辺小隅は
 倉歴に夜襲
 守備兵は敗走し
 田中足麻呂は一人逃れ
 田辺小隅の軍は
 翌日
 莿萩野を襲ったが
 多品治が迎撃、追撃
 田辺小隅は一人逃げた
 ↓↑
 天武天皇十二年(683年)十二月十三日
 多品治(小錦下)は
 伊勢王
 羽田八国(羽田矢国)
 中臣大島
 とともに
 全国を巡り
 諸国の境界を定めた
 天武天皇十三年(684年)十一月一日
 多臣など52氏に
 朝臣の姓を授ける
 天武天皇十四年(685年)九月十八日
 天皇は皇族・臣下と
 大安殿で博打
 多品治は
 天皇
 衣(イ)と袴(コ)・・・ころも&はかま(衣+太+丂)・・・丂=曲
   意    故・・・?・・・イコジ=意固地・依怙地
      袴=衣+夸(おごる・カ・コ)⇔誇張・誇大
        はかま・ももひき・衣袴(イコ)・弊袴(ヘイコ)
 を与えられた
 十人の中の一人
 持統天皇十年(696年)八月二十五日
 多品治は
 直広壱・・・天武天皇十四年(685年)一月
       直広壱(じきコウイチ)の位
       冠位二十六階を四十八階に改訂し
       諸臣四十八階の・・・九位=直大壱・十位=直広壱
       文武天皇四年十月の条
      「直大壱-石上朝臣麻呂を筑紫総領に
       直広参-小野朝臣毛野を大弐(次官)と為し
       直広参-波多朝臣牟後閇を周防総領と為す」
      「直広壱」は「総領」とも・・・
 と物を与えられ
 壬申の乱の功績を
 褒められた
 多品治を
 太安万侶の父とする説・・・
 (阿蘇家略系譜)・・・ナンで阿蘇家?
 ↓↑
 推古天皇十一年(603年)
 冠位十二階が制定
 ↓↑
 大化三年(647年)
 冠位十三階
 大化四年(648年)施行
 ↓↑
 大化五年(649年)施行
 冠位十九階
 ↓↑
 天智天皇三年(664年)
 冠位二十六階
 ↓↑
 天武天皇十四年(685年)一月
 冠位四十八階
 ↓↑
 多品治(おお の ほんじ)⇔直広壱の冠位
              (持統天皇十年(696年)八月二十五日)
 ↓↑
 多=夛(彐+タ)
   おおい・たくさん・さわ
   多彩・多様・雑多
   ほめる・ありがたく思う
   多謝
   「多」の省略形が
   片仮名の
   「タ」になった・・・
   夕(ユウ)=星が現れる時刻
         多=タ+タ⇔星空の夜
 ↓↑
   幾多(いくタ)・過多(カタ)・雑多(ザッタ)
   煩多(ハンタ)・繁多(ハンタ)
 ↓↑
 帚(はく・ソウ・掃除)
 帚・菷・箒・薓・婦・帰・掃・歸
 鯞・㫶・巋・㑴・㷌・蘬・㱕・濅
 㝲・䢜・埽・㴆
 ↓↑
 帚+α
 止・丿・㠯・扌・女・竹・艹・土
 山・又⇔手=彐=⺕・宀 氵・魚・田・灬・⺈
 亻・冖・爿・罒・日・火・辶
 ↓↑
 彗星の「彗=丰+丰+⺕」
       𡴀(古字)・草木が茂る
       異体字、豐(繁体字
       風貌=フウボウ=風丰
        貌=ボウ=丰
 彑・彐=⺕(ケイがしら・⺈⇔々⇔互)⇔鶏冠(とさか)
 ↓↑         互=一L(T-)ユ⇔ユの上下反転逆字
 彗星・・・慧=恵・・・智慧 (ちえ)
      彗氾画塗(すいはんがと)
 ↓↑
 「婦人」
 「女・妻」等の熟語を構成
 「ほうき(箒・菷・帚・彗)
  を持って掃除をする女性」
 を意味
 ↓↑
 鶏冠=ニワトリなど
    キジ科の一部の鳥の
    頭上の肉質の冠状突起
 鶏冠(ケイカン・とさか)
 鶏冠=ニワトリなどの鳥の頭にある突起物
    体温調節のための機能性を有す・・・
    くちばしの肉垂れも同じ機能
ーーーーー
 ・・・???・・・