2330日目・・・「集鳥(あっとり)=あとり=臘觜(ロウシ)鳥=獦子(カツシ)鳥」・・・「あぢ(阿治)=集(アツ)ノ轉、群集ノ意」・・・「安治=安治とは地名?アワジ(awaji)所在は滋賀県野洲市」・・・「ア・あ=蛙(かえる)・鴉(からす)・Y(ア)・亜・吾・阿(おもねる)・娃・亞・当・閼・遖・氬・屙・呀・譆・誒・唉・朙・擭」の字・・・「あ(足・あし)→安能於登世受 由可牟古馬母我(あのおと乙せず ゆかむこ甲まもが・万葉集、下総国の歌)=足音もせずに行く駒が欲しい」・・・「吾・我→第一人称、われ・阿賀淤

 「あめなるや
  おとたなばたの
  うながせる
  玉のみすまる
  あな玉はや み・・・あな玉はや、み?・・・なのか?
           「はや」=よもや、まさか
                …ダよなぁ〜
                もはや、既に
            or
            あな玉は、やみ?・・・なのか?
           「やみ=病・已・止・闇」+たに(だに)
  谷?・・・・・・・・・・・だに=…でさえ…だ
                  …だけでも…である
                  せめて…だけでも
                  …だから…なのに
               闇拿似・矢視拿似
ふたわたらす
  あぢしき
  高ひこねの神ぞ
 (下照姫=したてるひめ)・ひなぶり(夷振り)」
 ・・・「ひな=夷・狄・蝦夷・毛人」・・・
 原型の歌い、踊りの振り・・・
 「ひな形=雛型・雛形・・・比名臥多」・・・
 「ひな形=実物を小さくかたどって作ったもの
      模型・形式・様式を示す見本
      物の形式や様式を示す見本
      手本
      鋳型
      金型・木型・造型・原型」
 ・・・「天にいる、若い織り姫が、首にかけている玉を連ねた首飾り、その連ねたあな玉は大変美しいが、それは深い谷を二つに渡って輝いている、味耜高彦根神と同じである)?」・・・こんな意味内容じゃぁ無いだろう・・・
 「あとり」の意味探索のタメ・・・以下、ブログ検索で得たモノを参考、参照資料として抜粋添付・・・少々改作・・・
ーーーーー
 「臘觜(ロウシ)鳥」・・・ロウシ=老子・漏示・浪士・労使
                  弄し→愚弄・弄ぶ?
 「集鳥(あつとり)」
 群れ集まる小鳥
 日本書紀(720) 巻29
 天武天皇紀七年(686)
 十二月癸丑朔己卯
  臘子鳥
  弊
  ↓↑
 「臘子鳥(あとり)が
  天を覆って
  西南より東北に飛んだ」
 日本書紀
 天武七年十二月(679年1月)
 アトリ=スズメ目の冬鳥
     日本で
     地震の被害を伝える
     最古の記録の書き出し
  ↓↑
 臘=月+巤=⺼+巤
   異体字=腊・臈・蟖
  ↓↑
 和名「あとり=ア鳥」
 漢字「集鳥=集まり来る鳥」
 別名「臘觜(ロウシ)鳥」・・・「希臘・蝋燭(蠟燭)」の
                「ロウ=臘」
 又は「獦子(かつし)鳥」・・・
   「獦=狼(おおかみ)・カツ・カチ・リョウ・ケツ」
   「猲=獵=猟」
  ↓↑
 「猲(ケツ・カツ)
 大字源
 口もとの短い犬
 「獦(犭+葛)」+「犭喬」=猲驕(ケッキョウ)
 おどす=「恐猲(恐喝)」
     「喝・愒」
 恐れあえぐさま=「恫疑虚猲」
 「歇驕(カッキョウ)」=「口の短い犬」
 大字源では
 「歇(ケツ)」としておきながら、
 「歇」の項では、
 「歇驕(カッキョウ)」
 「恫疑虚猲」
 「恫疑虚喝」
 「アトリが大群をつくることから、
  その動きを
  狩猟の勢子に見立てて
 「獦(猟)子鳥」と当てられた
 「猲=リョウ・狩り」の意味
 「万葉集にもこの字が使われている・・・
  藤原仲麻呂の三男の名前が
  藤原朝獦(あさかり)」
  ↓↑
 「猿子鳥」=「ましこ(猿子)とり」
       「ましこ=猿子」
 「ましこ」=「綿入れの袖なし羽織」
 「ましこ(猿子)」=猿の異名
  ↓↑
 「スズメ目アトリ科オオマシコ属の小鳥の総称
  雄は赤色を帯びて、雌は赤褐色
  ハギマシコ・ベニマシコなどが北海道で繁殖
  アカマシコ・オオマシコなどが冬鳥として渡来
  増子=猿子鳥
  スズメ目アトリ科のマシコ属などの鳥の総称
  スズメに似た大きさ・体形
  一般に雄は赤色
  日本では
  ベニマシコ・ハギマシコ・ギンザンマシコが繁殖
  アカマシコ・オオマシコが冬鳥として少数渡来
  ましこどり
  その「赤さ」は
  ニホンザル(ましこ=猿子)の赤い顔の例え?
  ↓↑
 「大言海昭和7年冨山房発刊)」
 「臘觜(ロウシ)鳥・獦子(カツシ)鳥」
 「集鳥ノ略ナルベシ
 (泊瀬 [ハツセ]、はせ、速翔 [ハヤツバサ]、はやぶさ
  即チ、現今、
  あッとり
  ト云フ、
  あぢ(阿治)語源ヲモ見ヨ、
  漢字ハ
  蝋觜ナルベシ、
  觜ノ色、
  黄白ニシテ蝋ノ如シ、
  今名、あッとり。
  雀ヨリ稍大キク、
  觜、黄白、
  腰ハ純白ニシテ、
  喉ト胸トハ、
  茶色ナリ、
  頸背ハ、
  雄ハ、黒クシテ、
  雌は、暗褐色ニ、薄茶色ノ斑紋アリ、
  秋,北地ヨリ群リ来ル」
 と記述・・・
  後段の出典欄に
 「あッとり」の漢字名は
 「臘觜(ロウシ)鳥」
 古くは
 欣明天皇期(西暦540年前後)の
 欣明(きんめい)記、
 また、
 天武記(680)
 万葉集(759年)
 にも記述が有る・・・
 「あぢ(阿治)」・・・
 「集(アツ)ノ轉、群集ノ意」
 「臘觜(ロウシ)鳥=集鳥(あつとり)」
 とも解説・・・群れ集まることを意味・・・
  ↓↑
 日本書紀(720)巻二十九
 天武天皇紀七年十二月(686)
 『十二月癸丑朔己卯、
  臘子鳥弊天、自西南飛東北。
  是月、
  筑紫國大地動之。」
 「アトリが天を覆って、西南から東北に向かって飛んだ
  この月に
  筑紫の国に大地震があった」
 「天武天皇紀九年十一月
 「十一月壬申朔、辛丑、臘子鳥蔽天、自東南飛、以度西北」
 「アトリが天を覆って、東南から西北に飛び渡った」
 「アトリ」の大群が地震の前兆・・・
 「秋終から初冬にかけて
  アトリは日本へ渡ってくる鳥・・・
  ↓↑ 
 「2010年(平成22年)3月5日金曜日
  岐阜新聞・・・アトリ、天を覆い黒い大群」
 「倭名抄=倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)
  930年代の日本最初の分類体の漢和辞典)」
 「阿止里(あとり)」
 「臘觜」の「臘(ロウ)」
 「動物の群り、生えた頭上の毛の総称で、多く集まる意」
 學名
 『Fringilla   montifringill
 (フリンギルラ、モンチィフリンギルラ(Linne)』
 第一學名は“小さな鳥”
 第二學名は“山の小鳥』
 本邦では
 『冬鳥として大きな群れとなって
  たくさん渡来し、
  山ろくの低木林や山裾の畑で
  群れなって生活すると』
  ↓↑
 あとり=獦子鳥・花鶏
 スズメ目アトリ科の小鳥
 雀(スズメ)よりやや大形で
 頭と背面は黒色
 胸は橙褐色
 腹は白色
 ヨーロッパ・シベリアの北部で繁殖
 日本へは秋に渡来し
 全土で越冬する
 「あっとり」
  ↓↑
 ヒワ亜科(ヒワあか・学名 Carduelini)
 鳥類スズメ目アトリ科の亜科
 ヒワ(鶸)とも総称される
 狭義にはその一部をヒワと呼ぶ
 (ヒワという鳥の種類はいない)
 ・・・言語的に同音のコトバは
 「鶸=ひわ=日羽・比和・秘話・悲話」・・・
 「ひ・わ」、「ヒ・ハ」は多数・・・
  ↓↑
 ヒワ亜科(ヒワあか、学名 Carduelini)
 鳥類スズメ目アトリ科の亜科
 「ヒワ(鶸)」とも総称
  ↓↑ 
 「臘子鳥(あとり)が天を覆って、西南より東北に飛んだ」
 日本書紀
 天武七年十二月(679年1月)
 アトリとはスズメ目の冬鳥
 これが日本で地震の被害を伝える最古の記録
 「地面が
  広さ二丈(1丈は約3メートル)
  長さ三千余丈にわたって裂け、
  どの村も多数の民家が崩壊した」
 「筑紫(つくし)地震
 「福岡県
  久留米市
  東部を走る
  水縄(みのう)断層帯が動いた・・・
  寒川(さんがわ)旭(あきら)著
  「歴史から探る21世紀の巨大地震朝日新書
 「そこから約60キロ南、
  ちょうど布田川(ふたがわ)、
  日奈久(ひなぐ)両断層帯
  交わるあたりで起きた今度の熊本地震だった。
  熊本県震度7を観測した
  マグニチュード(M)6・5の本震だが、
  それに近い震度のものも含む余震が頻発しているのは、
  付近の複雑な地下の構造が原因らしい」・・・
  ↓↑
 680年1月8日=九年 春正月(むつき)
            丁丑(ひのとのうし)
             朔(ついたち)
            甲申(きのえさるのひ)
  天渟中原瀛眞人天皇(下)
 (あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのしものまき )
   天武天皇
 (てんむてんわう)
 九年春
 正月(むつき)
 丁丑(ひのとのうし)
 朔(ついたち)
 甲申(きのえさるのひ)
 天皇(すめらみこと)
 御(おはす)
 于向小殿(むかひのこあんどの)
 而宴(とよのあかりす)
 王卿(おほきみまへつきみ)
 於大殿(おほあんどの)
 之庭(おほば) 是日
 忌部首首(いみべのおびとこびと)
 賜姓(かばね)
 曰(いふ)
 連(むらじ)
 則與弟色弗(おととしこぶち)
 共絓拜(きこゆ)
 癸巳(みづのとのみのひ)  親王(みこ)
 以下(しもつかた)
 至于小建(せうこん)
 射(いくふ)
 南門(みなみのみかど)
 丙申(ひのえさるのひ)
 攝津國(つのくに)
 言(まうす)
 活田村(いくたのむら)
 桃李(もも)
 實(なる)也 
 「九年の春正月の丁丑の朔甲申(680.01.08)に
  天皇、向小殿に御して、王卿に大殿の庭に宴したまふ。
  是の日に、
  忌部首首に姓を賜ひて連と曰ふ。
  則ち弟色弗と共に絓び拝ゆ。
  癸巳(01.17)に、
  親王より以下、
  小建に至るまでに、
  南門に射ふ。
  丙申(01.20)に、
  攝津国言さく、
  「活田村に桃李実れり」
  とまうす。
  ↓↑
 子孫の斎部広成が、
 中臣氏の偏重任用と逸脱を非難
 「天命開別天皇天智天皇)八年十月条(書紀巻二十七)」
 忌部首首→狛麻呂→虫名→浜成(斎部)→斎部広成
  ↓↑
 二月(きさらぎ)
 丙午(ひのえうま)
 朔(ついたち)
 癸亥(みづのとのゐのひ)
 如鼓(つづみ)
 音聞
 于東方(ひむがしのかた)
 辛未(かのとのひつじのひ)
 有人云(いふ)
 得鹿角(しかのつの)
 於
 葛城山(かづらきのやま)
 其角、
 本二枝(もとふたまた)
 而
 末(すゑ)合(あふ)有宍(しし)
 宍上(うへ)
 有毛
 毛長一寸(ひとき)
 則異(あやしぶ)
 以
 獻(たてまつる)
 之
 蓋(けだし)
 邾角(りんのつの)
 歟
 壬申(みづのえさるのひ)
 新羅(しらき)
 仕丁(つかへのよほろ)
 八人(やたり)
 返于本土(もとつくに)
 仍垂恩(めぐみ)
 以
 賜祿(もの)
 有差(しな) 
 三月(やよひ)
 丙子(ひのえね)
 朔(ついたち)
 乙酉(きのとのとりのひ)
 攝津國(つのくに)
 貢(たてまつる)
 白巫鳥(しりしとと)
 巫鳥、
 此云、
 芝苔々(しとと)
 戊戌(つちのえいぬのひ)
 幸(いでます)
 于
 菟田(うだ)
 吾城(あき) 
  ↓↑
 「二月の丙午の朔癸亥(02.18)に、
  鼓の音の如くして、東方に聞ゆ。
  辛未(02.26)、人有りて云く、
  「鹿角を葛城山に得たり。
   其の角、本二枝にして末合ひて宍有り。
   宍の上に毛有り。毛の長さ一寸。
   則ち異びて献る」とまうす。蓋し邾角か。
  壬申(02.27)に、
  新羅の仕丁八人、
  本土に返る。
  仍りて恩を垂れて祿賜ふこと差有り。
  三月の丙子の朔乙酉(03.10)に、
  攝津国、
  白巫鳥
  巫鳥、此をば芝苔々と云ふ
  を貢れり。
  戊戌(03.23)に、
  菟田の
  吾城に幸す。
ーーーーー
 金光明経
 妙幢菩薩(みょうどうぼさつ)が
 ある夜、夢に覚った教である。
 大きな
 金の鼓が太陽のごとく輝き、
 ある婆羅門が打ち鳴らすと、
 妙(たえ)なる韻文となって聞こへたそうである。
 妙幢菩薩は、
 六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
 の辻で人を
 人間・天上界に導く、
 いわゆる
 地蔵菩薩
 釈尊が亡くなり、
 五十六億七千万年後に
 弥勒菩薩が現れるまでの間、
 人々を救済するのが
 妙幢菩薩(閻魔大王の化身)とされる。
 聞こへたのが
 懺悔の法、
 慚(ザン)とは
 自分がふたたび罪を作らぬこと、
 愧(ギ)とは
 人を教えて罪を造らせないこと。
 また、
 慚とは
 みずから
 かえりみて恥じること、 愧とは
 人に向かって
 告白すること。
 また、
 慚とは
 人に対して羞じること、
 愧とは
 天に対して羞じること、
 とされる。
 「慚愧なき者は
  人せず、
  畜生となす」
 とあり、
 懺悔による滅罪を目指すもののようである。
 人は
 善行を修さめば、
 天上にゆけるが、
 悪業をすれば、
 死して必ず
 三塗に堕ちる。
 懺悔により、
 三塗に堕ちるを救ふ。
 護国思想とされるのは、
 王が国法の厳正・造悪遮止、
 正法尊重の正しい王道を為し、
 一切の人民に十善を行はせば、
 国土昌平豊楽にして、
 諸天善神は守護に参集する。
 しかし
 非法の悪政を行はば、
 三十三天の
 衆
 (慾界、地居天、帝釈天をはじめ
  三十三の神すべて)、
 ことごとく
 忿怒の心を生じ、
 天地の災禍が起こり
 国家の喪乱をみる、とする。
 王の善政には
 諸天の仏や菩薩が守護するが、
 悪政をすれば
 仏や菩薩が悲しみ怒り、
 災禍を以て警告する、
 諸悪を放置すれば
 王位すら失ひ、
 国が滅びる故に、
 王の責務、懺悔怠ることなかれとする。
 仁王経
 我が国では
 天豊財重日足姫天皇斉明天皇)六年五月条
 に、
 「一百の高座・
  一百の納袈裟を造りて、
  仁王般若の会に設く」
 (書紀巻二十六)
 国=王(天皇)であり
 護国=護王(天皇
  ↓↑ 
 辛巳(かのとのみのひ)
 雷(いかづちなる)
 於
 西方(にしのかた)
 癸未(みづのとのひつじのひ)
 皇后(きさき)
 體
 不豫(みやまひす)
 則爲皇后 誓願(ちかふ)之
 初興(たつ)
 藥師寺(やくしじ)
 仍度(いへでせしむ)
 一百僧(ももたりのほふし)
 由是
 得安平(みやまひいゆる)
 是日
 赦罪(つみびと) 丁亥(ひのとのゐのひ)
 月蝕(はえる)
 遣(つかはす)
 草壁皇子(くさかべのみこ)
 訊(とふ)
 惠妙僧(ゑめうほふし)
 之病
 明日(くるつひ)
 惠妙僧
 終(みうす)
 乃遣
 三皇子(みはしらのみこ)
 而
 弔(とぶらふ)之
 乙未(きのとのひつじのひ)
 新羅(しらき)
 遣(まだす)
 沙飡(ささん)
 金若弼(こむにやくひつ)・
 大奈末(だいなま)
 金原升(こむぐあんせう)
 進(たてまつる)
 調(みつき)
 則習言者(ことならひひと)
 三人(みたり)
 從若弼(にやくひつ)
 至(まうく)
 丁酉(ひのとのとりのひ)
 天皇(すめらみこと)
 病(みやまひす)
 之
 因以度一百僧、
 俄(しばらくありて)
 而愈之
 辛丑(かのとのうしのひ)
 臘子鳥(あとり)
 蔽(かくす)
 天(あめ)
 自(より)
 東南(たつみのかた)
 飛以
 度(わたる)
 西北(いぬゐのかた)。
  ↓↑
 辛巳(11.10)に、
 西方に雷なる。
 癸未(11.12)に、
 皇后、体不予したまふ。
 則ち皇后の爲に誓願ひて、
 初めて薬師寺を興つ。
 仍りて一百僧を度せしむ。
 是に由りて、安平ゆること得たまへり。
 是の日に、罪を赦す。
 丁亥(11.16)に、月蝕えたり。
 草壁皇子を遣して、
 恵妙僧の病を訊はしめたまふ。
 明日、恵妙僧終せぬ。
 乃ち三の皇子を遣して弔はしめたまふ。
 乙未(11.24)に、
 新羅
 沙飡金若弼・
 大奈末金原升を遣して、
 調進る。
 則ち
 習言者三人、
 若弼に従ひて至り。
 丁酉(11.26)に、
 天皇、病したまふ。
 因りて
 一百僧を度せしむ。
 俄ありて愈えぬ。
 辛丑(11.30)に、
 臘子鳥、
 天を蔽して、
 東南より飛びて、
 西北に度れり。
ーーーーー
 ・・・???・・・重複で貼り付けたが、「Yトリ」・・・