1949日目・・・「猿島=さるしま=乍留字眞」がある「横須賀」は東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾。東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれる」ですか。貝塚や古墳も存在するらしい。大日本帝国海軍の一大基地でもあった。ムカシは「日蓮」が漂着、「新井城」もあったらしい。「三浦半島の浦賀」は「三浦按針(ウィリアム・アダムス・出生地は英国ジリンガム市=現メッドウェイ市)の領地」で、「横須賀製作所建設」があった場所・・・ボク的には「横-須賀(三浦半島の大部分)」は「ヨコシマなスガ(素臥)」であり、「コジ

 1660年・・・砂村新左衛門が内川新田の開発
 1720年・・・浦賀奉行所が設置
 1842年・・・大津陣屋設置
 1853年・・・浦賀沖にマシュー・ペリーの黒船が来航
     久里浜に上陸・中島三郎助が乗船
 1860年・・・咸臨丸、浦賀港を出港
 1869年(明治二年)・・・初の洋式灯台
           「観音」埼灯台が点灯
          ・・・「観音」とは「音を観よ」である
 1873年(明治六年)・・・フランス人
           「ヴェルニー」が、
           「走水の湧水」を利用し、
            造船所への引水を計画
 1876年(明治九年)・・・・「横須賀村」と浦賀村が町制施行
 1878年(明治十一年)・・・郡区町村編制法施行
           現在の市域は
           全域が三浦郡となり、
           「横須賀町」に郡役所設置
 1884年明治17年)・・・横須賀鎮守府設置
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 ・・・同名の「横須賀村」が「尾張愛知県」に存在する・・・
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 横須賀村(よこすかむら)、愛知県幡豆郡にあった村
 現在の幡豆郡西尾市「吉良」町北部
 西尾市役所「吉良」支所は・・・吉良上野介
                大石蔵之助(播磨赤穂藩)、
                四十七士の
                浅野匠の仇であった
 旧村域の南部に置かれている
 江戸時代末期
 この地域は
 西尾藩領、沼津藩領、
 大多喜藩領、川越藩領、
 旗本領、寺社領
 などであった。
 1878年(明治十一年)
 上横須賀村、下横須賀村、中野村が合併し、
 「横須賀村」となる
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 ・・・ここには「上下の横須賀」があっても「横須賀」自体の地名が無いが・・・「?」である・・・
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 1889年(明治二十二年)10月1日
 荻原村、饗庭村、酒井村が合併し、
 荻原村となる
 1892年(明治二十五年)5月13日
 横須賀村が町制施行し横須賀町となる
 1906年(明治三十九年)5月1日
 横須賀町、荻原村、富田村、瀬門村、厨村が合併し、
 「横須賀村」となる、デある・・・
 「横」の漢字はそれ自体(単字)で「よこしま(横→邪)」と訓読みされている・・・デ、ある・・・
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 「神奈川県」の「横-浜(武蔵国)」も「ヨコシマ(邪)なハマ(浜=氵+兵→水兵→海兵→ハマ→嵌万・葉萬・頗万)」の「波満」である・・・横浜の村名初出は、室町時代中期の1442年(嘉吉二年)で、平子氏の家臣、市川季氏と「比留間-範数」の両名が、石河宝金剛院(宝生寺)に、横浜村の薬師堂免田畠を寄進する旨の文書があるらしい・・・「比留間-範数」ですか?・・・横浜村は「武蔵国久良岐」郡に属し、神奈川湊の対岸、いる関内地区(中区)にあたる地域だったらしいが、幕末までは「砂州の上の半農半漁の寒村」だった・・・
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 嘉永六年(1853年)
 黒船来航
 代将マシュー・ペリーが率いる
 アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の
 蒸気船2隻を含む艦船4隻が、
 来航し幕府の対応を待った後に横浜沖へと進み入り、
 後、幕府は
 横浜村に設営した応接所で外交交渉
 1854年安政元年)
 横浜村で日米和親条約締結
 1858年(安政五年)
 小柴(八景島周辺)の
 ポウハタン号上で日米修好通商条約が締結
 幕府は、神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけ、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。
 深谷市在の
 「笹井万太郎」により
 波止場、運上所(税関)などが整えられ、
 1859年7月1日(安政六年六月十二日)
 横浜開港
 1864年には安政五カ国条約の相手国へ
 横浜鎖港談判使節を派遣するが、失敗
 薩英戦争勃発
 横浜には
 ジャーディン・マセソン、デント商会
 オリエンタル・バンク
 が進出
 1866年には
 香港上海銀行も支店
 1872年には
 ドイツ銀行・・・・銀行とは「金貸し屋(鉦化史埜?)」
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 「浜=濱」であるが、「氵(さんずい)=水(みず・スイ)」の「賓(まろうど・ヒン)=敬ってもてなすべき客人・訪れて来た人」である・・・「オモテナシ」とは「表裏」の「裏(うら)」のみで接待すると云うコトだが・・・「秘密の接待」だろう・・・
 サミットの「賓客=貴賓・迎賓・国賓・主賓・来賓」であるが、多分、「横(よこしま)な須(彡+頁・ひげ・鬚)の賀(加+貝・くに・國・圀・国)」の連中だろう・・・「頁=一ノ目の八」であり、「貝=目+八」で、「貝(かい)」は「かね・金銭・財産」である・・・
 問題の「目的」は「金融」であって、「テロ(殺傷)」の防備、攻撃、破壊の「手段」ではない・・・ダレの「金融問題」なのか?
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 「科学(science)=かがく=化学(chemical)」の漢字熟語(造語)はダレの発明か・・・「歌学(Japanese poema tanka・traditional Japanese poetry)=かがく=価額(valuation・Value・worth)」、「百人一首(the Hundred Poems by One Hundred Poets)」の「歌意」とは?・・・以前にもブログ記事、辞典(字典・事典)などで調べて書き込んだが、今回も「ウイッキペデア」や、その他のブログ検索で検索したモノの参照、参考にして添付・・・
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 「科(カ・クヮ・しな・とが・しぐさ)」は
  物事の系統的な分類する意
  分類された特殊個別的な部門」
 「科学・科目・医科・学科・教科・外科
  工科・専科・百科・分科・文科・予科・理科」
 「罪の区分」
 「物事を種類・特徴等によって分ける事
  分類された部門の一つ一つ(科目・学科)」
 「事柄によっていくつかの分類の一階層
  界- 門-綱-目-科-(族)-属-(節)-種」
 「禾+斗」
 異体字
 「棵・𤖇」
 「窻・委・龢・盉」
 声符は「科(カ)」・萪・蝌
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 「科(カ・クヮ・しな・とが・しぐさ)」
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 罪を区分した法律の条文
 罪を決めること
 「とが(科)」
 「科料・罪科・重科・前科・金科玉条・犯科帳」
 中国の官吏登用試験の「科目」
 「科挙
 俳優の動作、仕草(しぐさ・仕種)
 「科白 (せりふ)」
 「莫斯科 (モスクワ)」・・・摸素科学
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 「物事を種類・特徴等によって分ける事」
 「分類された部門の一つ一つ(科目、学科)」
 「事柄によっていくつかに分けて
  書き並べたもの(科目)」
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 「のり(法律、規範(手本)
  おきて、決まり、法則、制度・(科禁、科条)」
 「罪を区分した法律を箇条書きにした文(罪科、前科)」
 「中国の官吏
  (中国の役人(公務員))登用試験の項目
   その試験(科挙)」
 「俳優(役者)の動作(しぐさ)・科白(せりふ)
 「等級(上下・優劣の順位を表す段階・位・科第)」
 「物事を種類・特徴等によって分ける・割り当てる」
 「生物を分類する単位(ネコ科の動物など)」
 「とが(過ち、間違い、失敗、罪・罪科)」
 「かする(刑罰を与える・罰金を支払わせる・罰金を科す)
 「しな(媚 (こびる)・科(しな)を作る」
 「穴・窪(くぼ)み」
 「うつろ(虚・空)・むなしい(虚・空)」
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 「科・課(かする)」
 「科」=「刑罰の金銭支払・強制労働」
 「課」=「義務として割り当てる(租税を課する)」
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 形声文字
 「穂先が茎の先端に垂(た)れかかる穀物」の象形
 「稲」の意味
 形象
 「物の量をはかる為の柄(ひしゃく)」
 「稲の量をはかる事を意味・区分、等級」
 字源
 「科」=「禾(稲)+「斗(枡)」
      穀物を量り分けること
 意義
 選択・分類
 とが・罪つみ
 科刑・科料
 あな・凹んだところ
 学問の分野
 生物学分類の一階層
 界-門-綱-目-科-(族)-属-(節)-種
 名詞の科
 とが(咎)=非難・懲罰されるべき行為
 生物の分類のひとつ
 界-門-綱-目-科-(族)-属-(節)-種
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 「科」の訳語
 生物分類
 イタリア語・・・famiglia
 英語・・・・・・・・・family
 スペイン語・・・familia
 フランス語・・・famille
 ロシア語・・・・・семейство
 「科」の動詞
 科する(五段活用化・・・科す)
 刑罰を処すこと・課する
 「科」の熟語
 科学
 科挙
 科名
 科目
 科料
 科白
 科班,科班儿
 科处
 科第
 科幻
 科幻小说
 科技
 科技扶贫
 科甲
 科教
 科教片儿
 科教片
 科举=科舉
 科林斯
 科盲
 科摩罗
 科派
 科普
 科錢
 科索沃
 科室
 科水
 科特迪瓦
 科头跣足
 科威特
 科西嘉岛
 科刑
 科学=科學
 科学城
 科学共产主义
 科学技术=科學技術
 科学家=科學家
 科学教育影片
 科学社会主义
 科学学
 科学研究=科學研究
 科学院=科學院
 科学知识=科學知識
 科研
 科英布拉
 科长=科長
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 新漢語(熟語)
 「科学・哲学・郵便・野球」など
 幕末以前
 独自の和製漢語を造った
 漢字で表記した大和言葉を音読したもの
 「火のこと」を「火事」、
 「おほね」を「大根」、
 「腹を立てる」を「立腹」
 中国語にない
 日本特有の概念や制度、物
 漢語造語法
 「介錯・芸者」など
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 幕末以後
 19世紀後半
 西洋の文物・概念を
 漢語によって翻訳した
 和製漢語が多く作られた
 「新漢語」と呼ぶ
 新漢語の割合は
 漢語全体から多くはない
 第二次世界大戦後の調査によれば、
 新聞・雑誌の
 二字漢語の上位
 1000語のうち、
 902語は幕末までに存在したもの
 ↓↑
 「科学・哲学・郵便・野球」
 「自由・観念・福祉・革命」
 など、古くからある漢語に
 新しい意味を与えて転用・再生した語
 近代以降は、
 「・・・性」、「・・・制」、「・・・的」、
 「・・・法」、「・・・力」、「超・・・ - 」
 などの接辞による造語
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 和製漢語
 近代以降、
 中国に逆輸出
 中国が近代化を遂げる過程で、
 特に日清・日露戦争前後に、
 中国人留学生によって
 日本語の書物が多く翻訳された
 中国語になった和製漢語
 「意識・右翼・運動・階級・共産主義・共和・左翼・
  失恋・進化・接吻・唯物論
 など
 「中華人民共和国」の「人民・共和国」
 も和製漢語
 漢字文化圏である
 台湾、大韓民国ベトナム
 和製漢語を自国語漢字音で取り入れている
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 幕末以降の和製漢語の例
 「文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義共産主義
 など。
 東北アジア各国で使われる漢字でできた
 近代的な概念語の大半が日本製・・・
 1860年代半ば
 清で翻訳された国際法解説書
 『万国公法』
 が幕末の日本にもたらされた際に、
 「国際法・政治・法学」関連
 の概念を表す
 中国製新漢語も多数日本語にもたらされた
 ↓↑
 「万国公法」により
 日本にもたらされた
 華製新漢語
 「国債、特権、平時、戦時、民主、野蛮、越権、
  慣行、共用、私権、実権、主権、上告、例外」
 など。
 日本語から
 中国語に取り入れられた
 新漢語の中には、
 各種英華辞典や漢訳洋書を参照して
 日本で広まったが中国では一旦忘れられ、
 もう一度中国に
 逆輸入されたものが多数含まれている
 ↓↑
 和製漢語に関する見解
 高島俊男は、
 『漢字と日本人』
 江戸時代以前に成立した
 「三味線」
 などは
 耳で聞いて意味が明確である。
 一方で、
 明治以降に造語された
 「真理」などは
 「心理」、「審理」、「心裡」と紛らわしい。
 明治以降に造語された
 和製漢語は中国人が見ても
 文字から意味が推測できるのに対して、
 江戸時代以前の和製漢語
 非常に困難である
 「世話」は「世の中の話」という意味ではなく、
 ・・・では、「世話は無い」は「世間話しではデない」か? 
 「無茶」は「お茶が無い」という意味ではない
 ・・・では、「お茶でオモテナシは出来ない」か?
 ↓↑
 カタカナ語
 わかりにくい片仮名外来語を
 わかりやすくするため、
 和製漢語などによる言い換え提案
 同音異義語の問題を大きくしてしまうと指摘
 和製漢語
 中国文化が浸透していた時代に合っていた方法なのであって、
 現在の日本はアメリカ文化が浸透しているのだから、
 片仮名の外来語のままにしておいて
 意味の定着を待つべき・・・
 ↓↑
 中国での賛否
 和製漢語の語彙は
 明治維新以後、
 中国人留学生らによって、
 中国に逆輸入された
 「社会主義共産党・幹部」
 などの常用語を筆頭に、
 800語を超える・・・
 「日本人」により作られた
 大量の漢語が中国のなかに入った
 「経済学」を「計学」、
 「物理学」を「格致学」、
 「社会学」を「群学」、
 「形而上学」を「玄学」
 と主張・・・
 日本に留学していた
 留学生の
 「彭文祖」・・・「彭(ペン・ホウ・さかき
          彭彭(ホウホウ)は
          多い、盛ん、盛大なさまの意」
          の「文の祖」ですか?・・・ダレ?
 は強烈な反対派で、
 「彭」は
 1915年
 『めくらがめくら馬に乗る新語論』
 (中国語名・盲人瞎馬新名詞)
 という書籍で、
 「支那、取締、取消、引渡、手續、目的、
  宗旨、權利、義務、代價、法人、當事者、
  第三者強制執行、親屬、繼承、文憑、
  盲從、同化、場合、衛生」
 など
 59個の新語を
 「きてれつ(奇天烈)な」と定義した
 中国人がこのような
 新語を援用することは
 「恥知らずな行為だ」、
 日本からの新語の導入は
 「亡国滅族」だと罵った・・・
 ↓↑
 和製漢語を作った人物
 ↓↑
 杉田玄白 (1733〜1817) - 『解体新書』にて
 市川清流(1824〜未詳)- 博物館
 西周 (1829〜1897)
 福澤諭吉 (1835〜1901)
 福地桜痴 (1841〜1906)
 中江兆民 (1847〜1901)
 森鴎外 (1862〜1922)
 夏目漱石 (1867〜1916)
 ↓↑
 国字
 ↓↑
 峠=とうげ
 辻=つじ
 笹=ささ・字訓「ささ」は本来「篠(しの)」で表記
 榊=さかき
 腺=せん
 栃=とち・「櫔」の略字の変形
 畠=はたけ・国字でない可能性
      ・独自に「ハク」と音読する場合あり
 畑=はたけ
 匂=にお(う)・にお(い)
 凪=なぎ・な(ぐ)
 凧=たこ
 俣=また・中国の漢詩に「俁」の異体字
 枠=わく・椊(ソツ・スイ、ほぞ)は別字
 込=こ(む)・こ(める)
 躾=しつ(ける)・しつけ
 働=はたら(く)・どう
   中国語では「動(动)」を使用
 搾=しぼ(る)
   さく「榨」の異体字・国字とは言い難い
 錻=ぶりき・ぶ・「錻力」でも「ぶりき」
 襷=たすき・国字でない可能性
 辷=すべ(る)
 糀=こうじ
 樫=かし
 鱈=たら
 萩=はぎ
ーーーーー
 ・・・???・・・文明開化・・・ボク的な漢字使用は「間違い」だらけデス・・・