禾の口のキンの同の語撚・移置の解通・似重を葉知の比・・・

 2965日目・文字霊日記
 ・・・コジキ「原本・元本・元品・源本」のネンダイ・・・
 712年3月9日(和銅五年一月二十八日)
 和銅五年一月二十八日
 712年3月13日g
 712年3月09日y
 ↓↑
 壬┏子(壬 癸)正官・正官 絶
 癸┏卯(甲 乙)偏官・印綬 病
 丁┗酉(庚 辛)  ・正財長生
 丙┗午(丙 丁)劫財・劫財建禄
  辰巳空亡
 「古事記」完成、元明天皇に献上

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 『古事記』最古の写本
 「伊勢本系統」の
 南朝 建徳二年(1371年)~文中元年(1372年)
 北朝 応安四年(1371年)~応安五年(1372年)
 真福寺の僧
 「賢瑜」によって写された
 「真福寺本『古事記』三帖」
 奥書
 祖本の
 上・下巻
 「大中臣 定世」本
 中巻
 「藤原  通雅」本
  ↓↑
 「大中臣 定世」の「古事記
  ・・・大中臣   定世
     一  人  中心 宀疋七廿?
     位置の日都は中津、定めの世(丗)?
  ↓↑
  大中臣 定世  ?~1297・・・1297-712=585
                  1372-1297=75
  父 伊勢神宮祭主
    岩出 隆世・・・磐の出の隆の世・・・?
 ↓↑
 大 中臣 氏(おほ なかとみ うじ)
   中臣 鎌足
 藤原姓を賜った後
 その子
 藤原 不比等
 が幼かったため
 鎌足
 甥で婿養子
 「中臣 意美麻呂」
 が藤原氏を継ぎ
 後
 藤原 不比等
 文武天皇の勅が下り
 藤原姓は
 鎌足の嫡男
 不比等とその子孫のみとし
 他の者は
 中臣氏に復するように命じた
 意美麻呂も中臣姓に戻った
 不比等の後押しで中納言に昇進
 意美麻呂の息子の
  ↓↑
 「中臣 清麻呂
  大宝二年
 (702年)
  ~
  延暦七年七月二十八日
 (788年9月6日)
  ↓↑  ↓↑      ↓↑
 ・・・・同名に「和気 清麻呂」・・・?
     天平五年
    (733年)
     ~
     延暦十八年二月二十一日
    (799年4月4日)
    「和気清麻呂」の先祖 和気氏
     第十一代
     垂仁天皇の第五皇子
    「鐸石別命」が祖・・・鐸 石別命
               金睾石捌見事?
 ↓↑
 「中臣 清麻呂
  は
 天平宝字八年(764年)
 「藤原 仲麻呂(恵美押勝)の乱」
 孝謙上皇に就いて昇進
 神護景雲三年(769年)六月
 「大中臣 朝臣」を賜姓
 「大中臣 朝臣 清麻呂
 正二位、右大臣
 後
 「三門(『中臣氏系図』)」
 平安時代
 これらの家々に対しても
 「大中臣」氏の名乗りが許された
 ↓↑
 大中臣氏
 「清麻呂」の系統・・・和 気⇔大中臣?
            ↓↑   ↓↑
            清麻呂清麻呂
 神祇伯
 伊勢祭主
 を世襲
 平安時代
 「大中臣 能宣」とその子
 「大中臣 輔親」その孫
 「伊勢大輔
 は歌人
 ↓↑
 平安時代中期
 「中臣 逸志」
 を最後に
 中臣氏(大中臣氏)の
 神祇伯は消滅し
 「白川」家が
 神祇伯世襲
 嫡流子孫は
 江戸時代に
 「藤波家」を称する
 ↓↑
  大 中 臣    清麻呂
 (おほなかとみ の きよまろ)
 公卿・歌人
 名 清万呂・浄万呂
 姓 中臣  朝臣
   大中臣 朝臣
 中納言
 中臣 意美麻呂の七男
 官位は正二位・右大臣
 ↓↑
 三河掾・式部大丞・神祇大祐・神祇少副
 などを経
 天平十五年(743年)
 従五位下・神祇大副
 ↓↑
 聖武朝末
 天平十九年(747年)
 尾張
 孝謙
 天平勝宝三年(751年)
 従五位上
 天平勝宝六年(754年)
 神祇大副に還任
 左中弁
 ↓↑
 天平勝宝九歳(757年)
 正五位下
 天平宝字三年(759年)
 正五位上
 「藤原 仲麻呂恵美押勝)」
 政権下で昇進
 天平宝字六年(762年)正月
 従四位下
 十二月
 仲麻呂の子
 訓儒麻呂・朝狩・・・訓儒⇔儒教の訓(よみ)?
 と共に参議
 八月        葉の知の解通?
 藤原 訓儒麻呂・・・儒の教のマルの訓(よみ)?
 上道 正道
 らと共に
 中宮院で
 淳仁天皇の勅旨の宣布・伝達
 天平宝字七年(763年)
 左大弁
 摂津大夫
 天平宝字八年(764年)正月
 従四位上
 ↓↑
 九月
 「藤原 仲麻呂恵美押勝)の乱」
 孝謙上皇側について
 正四位下に昇叙
 ↓↑
 天平神護元年(765年)
 勲四等
 称徳天皇 重祚
 大嘗会に神祇伯
 従三位
 ↓↑
 称徳朝~光仁
 神護景雲二年(768年)
 中納言
 神護景雲四年(770年)
 正三位
 大納言
 ↓↑
 宝亀二年(771年)
 左大臣藤原永手薨去
 右大臣・吉備真備の致仕
 従二位
 右大臣に叙任
 ↓↑
 宝亀十一年(780年)末
 太政官首班
 ↓↑
 宝亀二年(771年)
 皇太子
 他戸親王東宮傅
 宝亀三年(772年)
 他戸親王が廃皇太子
 東宮傅を免官
 宝亀四年(773年)
 山部親王桓武天皇
 立太子
 東宮傅に還任
 神護景雲三年(769年)
 中臣朝臣
 から
 大中臣朝臣
 に改姓
 ↓↑
 宝亀三年(772年)
 正二位
 天応元年(781年)
 桓武天皇の即位後
 致仕
 延暦七年(788年)七月二十八日
 薨去・享年87
 前右大臣正二位
 文武朝~桓武
 の九朝に亘って生き
 聖武朝~桓武
 の六朝に仕えた
 『万葉集』に五首採録
 ↓↑
 父 中臣  意美麻呂
 母 多治比 阿伎良(多治比嶋の娘)
 ↓↑
 妻 多治比 子姉(乙奈子)
       従二位・尚侍
 四男 大中臣 諸魚(743~797)
 ↓↑
 生母不明子女
 長男 大中臣 宿奈麻呂
 次男 大中臣 子老(?~789)
 三男 大中臣 継麻呂
 五男 大中臣 老人
 六男 大中臣 今麻呂
 女子 藤原  瀧麻呂室
ーー↓↑ーー
  中 臣     意美麻呂
 (なかとみ の  おみまろ)
         臣万呂=臣萬呂
         臣麻呂
  とも書く
  大錦上
  中臣 国足の子
  氏姓 中臣朝臣
     藤原朝臣
     中臣朝臣に復姓
  官位 正四位上中納言
  ↓↑
 朱鳥元年(686年)
 大舎人
 「大津皇子の謀反」に加担
 捕らえられるが
 罰されることなく赦され
 持統天皇三年(689年)
 藤原不比等
 らと共に
 刑部省 判事に任ぜられた
 (冠位は務大肆)
 持統天皇七年(693年)
 冠位 四十八階の十六位
  ・・・敢為肆拾捌甲斐の壱拾陸意?
 「直広肆(ぢきくわうし・チョクコウシ?)」
 ↓  ↑
 肆=長+聿
   シ
   ほしいまま・かってきまま
   肆意・放肆
   類 恣(シ)
   つらねる・ならべる
   みせ・品物をならべて売る店
  「書肆」
   数詞の「四」の代用字
 ↓↑
 文武天皇二年(698年)
 藤原 鎌足に与えた
 藤原朝臣姓は
 鎌足の子である
 不比等のみに継承詔勅
 「意美麻呂」
 は中臣氏の世業である祭祀を掌っているとし
 藤原朝臣から
 中臣朝臣姓に戻され
 文武天皇三年(699年)
 初の「鋳銭司」長官
    ・・・鋳銭司=ジュセンシ=受洗司?
 大宝元年(701年)
 正五位下
 慶雲二年(705年)
 従四位上・左大弁
 元明
 和銅元年(708年)・・・禾口金同本念?
 正四位下
 中納言
 兼
 神祇伯
 和銅四年(711年)四月・・・七壱拾壱念?
 正四位上
 閏六月二十二日
 卒去
 中納言正四位上 兼 神祇伯
 ↓↑
 『出雲国風土記』の記録、神官の
 猪麻呂(いのまろ)が
 意美麻呂(いみまろ)
 と同一人物・・・説?
 ↓↑
 官歴
 『六国史
 朱鳥元年(686年)十月二日
 見大舎人
 和銅元年(708年)三月十三日
 中納言神祇伯
 和銅四年(711年)四月七日
 正四位上
 ↓↑
 「意美麻呂」の
 系譜
 「中臣氏系図・『群書類従』巻第62所収」
 父 中臣 国足
 母 不詳
 妻 藤原 斗売娘=藤原鎌足の娘
 男子
   中臣 東人
   中臣 安比
 妻 紀  奈賀岐娘=紀 大人の娘
 ↓↑        紀 麻呂の妹
           ↓↑
        ・・・紀 貫之(紀望行の子)
           貞観八年
          (866年)
           or
           貞観十四年
          (872年)頃?
           ~
          天慶八年五月十八日
          (945年6月30日)?
          「阿古久曽(幼名)~貫之」
           あこくそ?
 ↓↑
 男子
   中臣 広見
 ↓↑
 妻 異妹 東子
 男子
   中臣 長人
   中臣 豊人
   中臣 豊足
 ↓↑
 妻 多治比 阿岐良・多治比 嶋の娘
 男子
   大中臣 清麻呂(702~788)
 生母不明
 男子
   中臣 泰麻呂
ーー↓↑ーー
  和気   清麻呂
 (わけ の きよまろ)
 奈良時代末期~平安時代初期の貴族
 ↓↑
 磐梨別 乎麻呂・・・をまろ?
    (平麻呂)・・たいらまろ?
 の子
 ↓↑
 生誕 天平五年(733年)
 死没 延暦十八年二月二十一日
     (799年4月4日)
 改名 穢麻呂(処罰に伴う改名)
 別名 濂麻呂
 神号 護王大明神
 墓所 護王神社
 官位 従三位民部卿
    贈正一位
 主君 称徳天皇光仁天皇桓武天皇
 ↓↑
 氏族 磐梨別氏(磐梨別公)
    →藤野(輔治能)氏(藤野真人)
    →和気氏(和気宿禰、和気朝臣
 父  磐梨 別 乎麻呂(平麻呂)
         をまろ たいらまろ・・・?
 兄弟 広虫(姉)
    清麻呂
 妻  和気 嗣子
 子  広世(長男)
    達男
    磐梨 為綱(妙運)
    真綱(783~846)
    仲世(784~852)
    藤原 葛野麻呂 室、ほか
 ↓↑
 備前国
 藤野郡(岡山県和気町)出身
 天平宝字八年(764年)
 「藤原仲麻呂恵美押勝)の乱」
 孝謙上皇側に参加
 天平神護元年(765年)
 正月
 功労で勲六等の叙勲
 三月
 藤野別 真人
 から
 吉備
 藤野
 和気
 真人
 に改姓
 右兵衛少尉
 天平神護二年(766年)
 従五位下
 近衛将監
 ↓↑
 神護景雲三年(769年)七月
 宇佐八幡宮の神官
 大宰府の主神(かんづかさ)
 中臣
 習宜
 阿曾麻呂が
 宇佐八幡神の神託として
 称徳天皇の寵愛していた
 道鏡皇位に就かせれば
 天下太平になる、と奏上
 ↓↑
 称徳天皇
 神託を確認するため
 側近の尼僧
 和気広虫法均尼)
 を召そうとしたが
 法均では長旅は堪えられないため
 弟の
 清麻呂を召して
 宇佐八幡宮へ赴き
 神託を確認するように勅した
 ↓↑
 清麻呂宣命を読もうとした時
 神が禰宜
 「辛 嶋  勝  与曽女
 (からしまのすぐりよそめ)」
 に託宣、宣命を聞くことを拒む
 清麻呂
 与曽女とともに
 大神の神託
 「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ
  無道の人(道鏡)は
  宜しく早く掃い除くべし」
 を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告
 称徳天皇は怒り
 清麻呂
 を因幡員外介に左遷
 「別 部  穢  麻呂
 (わけべ の きたなまろ)」
 と改名させ
 大隅国流罪
 ↓↑
 神護景雲四年(770年)
 八月
 称徳天皇崩御
 道鏡失脚
 九月
 清麻呂
 大隅国から入京を許され
 宝亀二年(771年)三月
 従五位下に復位
 九月
 播磨員外介に次いで
 豊前守に任ぜられた
 祖先四名と
 清麻呂
 美作
 備前
 両国の国造
 とする詔が出された
 ↓↑
 延暦七年(788年)
 備前国
 和気郡
 吉井川の西側の人民から
 人民の居住地と藤野郷にある
 同郡の役所の間に
 大きな吉井川があるため
 雨で増水が発生するたびに
 公務が果たせなくなるとの訴えがあった
 河の西側を
 磐梨郡
 として独立させて新役所を設置
 水難を避けるとともに
 人民の負担に
 不公平がないよう
 和気郡
 藤野郷にある駅家を川の西側に移転
 ↓↑
 延暦十八年(800年)
 備前国にあった
 私墾田100町を
 子息の
 広世
 が賑給田として寄進
 ↓↑
 天応元年(781年)
 桓武天皇即位
 四階昇進し
 従四位下
 延暦二年(783年)
 摂津大夫
 延暦三年(784年)
 従四位上
 ↓↑
 延暦四年(785年)
 神崎川と淀川を直結させる工事
 大阪湾から長岡京方面への物流路を確保
 延暦七年(788年)
 大和川を大阪湾に直接流入させ
 水害を防ぐことを目的に
 のべ23万人を動員
 上町台地の開削工事を行ったが
 費用が嵩んで失敗
 摂津大夫を務め
 民部大輔
 民部卿
 を務め
 民部大輔
 菅野真道
 とともに民政の刷新
 『民部省例』20巻を編纂
 延暦七年(788年)
 中宮大夫
 皇太夫人系譜」
 を編纂
 『和氏譜』
 として撰上
 延暦三年(784年)
 長岡京に見切り
 山背国
 葛野郡
 宇太村
 を選んで
 平安京への遷都を進言
 延暦十二年(793年)
 造宮大夫
 延暦九年(790年)
 正四位下
 延暦十五年(796年)
 従三位
 延暦十八年(799年)二月二十一日
 薨去・享年67
 従三位
 行民部卿
 兼
 造宮大夫
 美作備前国
 即日
 正三位の位階を贈
ーー↓↑ーー
 ・・・混乱・混符諭得事・・・???・・・
ーー↓↑ーー
 「応神天皇の条」
 渡来漢人
 阿知使主
 を氏祖とする
 帰化系氏族集団
 東漢氏=集団の総称
 「応神天皇二十年九月の条」
 「倭漢直の祖の
  阿智使主
  其の子の
  都加使主は
  己の
  党類十七県の人々を率いて来帰」
 『続日本紀延暦四年(785年)六月条』
 「阿智王は
  七姓(朱・李・多・皀郭・皀・段・高の漢人)
  と共に渡来
 『古事記応神天皇)』応
 「秦造の祖、漢直の祖、が渡来」
 ↓↑
 漢氏
 東漢氏西漢
 漢氏 (あやうじ)
 東漢氏(倭漢氏、やまとのあや)
 西漢氏(河内漢氏、かわちのあやうじ)=王仁後裔
 今来漢人(新漢人・いまきのあやひと)

 阿知使主末裔の漢氏
 飛鳥に近い檜隈を拠点
 大和に居住する漢氏は
 東漢氏(東文氏)となり
 河内に本拠を持っていた漢氏は
 西漢氏(西文氏・西書氏)となった
 織物工芸に長け
 両氏とも
 「漢」と書いて
 「アヤ」と読む
 ↓↑
 東漢氏
 後漢帝国に由来
 霊帝の末裔・・・
 『続日本紀延暦四年(785年)六月条』
 「神牛の導き」で
 中国漢末の戦乱から逃れ
 帯方郡へ移住
 聖王が日本にいると聞いて渡来・・・
 ↓↑
 百済から
 五経博士「漢高安茂」
 という人が派遣され
 それ以前に派遣されていた博士
 「段楊爾」と替えたいと
 百済が申し出・・・
 ↓↑
 東漢氏
 先来の秦氏と同じく
 漢土由来の
 製鉄技術をもたらした
 土木建築技術
 織物技術者
 が居た
 東漢氏の一族
 東文氏
 7世紀~8世紀頃
 内蔵省・大蔵省などの官人に就く
 ↓↑
 東漢氏
 軍事力
 蘇我氏の門衛や宮廷の警護などを担当
 『肥前国風土記
 602年
 新羅征討計画の際
 兵器製作を担当
 崇峻天皇暗殺
 東漢氏
 東漢駒東漢直駒)が暗殺実行
 壬申の乱の際
 蘇我氏と袂(たもと)を分ち
 奈良時代以降
 武人
 平安時代初期には
 蝦夷征討で活躍した
 坂上苅田麻呂
   田村麻呂
 親子が登場
 ↓↑
 阿智使主の直系の子孫
 天武天皇より
 「忌寸」の姓を賜り
 他の氏族とは姓で区別
 ↓↑
 「掬」の代に
 「東漢直」姓を賜った
 ↓↑
 東漢氏
 坂上
 書(ふみ)氏(文氏)
 民氏
 池辺氏
 荒田井氏
 などの
 直姓氏族に分かれ
 「八色の姓」で
 「忌寸」姓に改められた
 8世紀~9世紀
 坂上氏が台頭
 宿禰・大宿禰
 を賜った
 ↓↑
 坂上
 東漢氏の宗家
 坂上直姓初代
 坂上直志拏の兄
 東漢直山木
 曾孫
 東漢駒
 蘇我馬子の指図で
 崇峻天皇暗殺
 天皇の妃
 河上娘と不倫関係で
 東漢氏の宗家は没落
 東漢氏の宗家は次男の
 志拏の系統
 家坂上
 にもたらされた・・・
 ↓↑
 東漢直駒は
 坂上氏初代とされる
 志拏の子で
 坂上宿禰田村麻呂の直系の先祖
 坂上直駒子に比定・・・説
 坂上氏が蘇我氏と袂を分かった理由
 坂上駒子を
 蘇我馬子が口封じに殺害したため
 坂上氏が蘇我氏に対して恨んだから・・・
 ↓↑
 坂上
 東漢氏の宗家ではなく
 東漢氏は末弟の
 「東漢直 爾波伎」が継ぎ
 東漢直角古
 東漢直久爾
 東漢直福因
 と続き
 東漢直福因(倭漢直福因)は
 608年
 小野妹子の遣隋使の際に
 留学生として同行
 623年
 帰国
 「唐国に留まる学者は
  皆学びて成業したので
  帰国せしむるべきであり
  大唐国は
  法式備わり定れる国であるゆえ
  常に通交すべきである」
 と朝廷に奏上
 ↓↑
 坂上氏のほかに
 東漢氏から出た諸氏には
 平田氏、内蔵氏、大蔵氏
 丹波氏、調氏、文部氏
 谷氏、佐太氏、井上氏
 などがある・・・
ーーーーー
 ・・・
 桓武天皇の前で
 藤原緒嗣・・・糸(いと)の者(もの)を嗣ぐ?
 (ふじわら  の  おつぐ・号=山本大臣)
                纂本の大尽・意富?
                   緒保頓?
 との間で
 「徳政相論」
 ↓↑
 大同元年(806年)・・・大の同の元の年?
 平城天皇即位
 正四位上
 大同二年(807年)・・・題(多・他・田・足・太)は同?
 観察使 制度の設立・・・観察の詞?
 山陰道 観察使・・・・・纂隱同 観察の詞?
 大同四年(809年)
 従三位
 東海道 観察使
 ↓↑
 嵯峨朝
 弘仁二年(811年)
 参議を致仕
 弘仁五年(814年)六月二十九日
 薨去・享年74
 常陸守・従三位
 ↓↑
 藤原 継縄
 秋篠 安人
 と『続日本紀』の編纂
 延暦十六年(797年)
 全四十巻完成
 桓武天皇の命で
 藤原 内麻呂
 と共に「格式」の編纂を進めた・・・書く私記?
 ↓↑
 平城天皇時代
 地方政治の再建
 参議
 藤原 園人と
 観察使制度を設置
 地方政治の運営を
 中央政府の高官が
 直接監視する新制度を導入
 大同二年(807年)
 参議の官職自体を廃止し
 参議クラスの高官達を
 観察使専任
 ↓↑
 大同三年(808年)
 藤原 緒嗣は
 中納言
 坂上 田村麻呂・・・坂上百済帰化
 の後任とし
 陸奥 出羽 按察使を兼務
 「蝦夷平定に反対」した前歴があり
 3度に亘って辞表を提出したが
 辞意が認められることはなく
 大同四年(809年)
 現地に赴いた
 在任中一度も軍隊を動かす事はなく
 現地役人や兵士・民衆の
 保護政策に専念・・・?
 ↓↑
 嵯峨朝
 一年半後
 参議
 文室 綿麻呂に
 陸奥 出羽 按察使
 の職を譲って都に戻る
 平城天皇の譲位
 「薬子の変」・・・810年(大同五年)
          平城上皇嵯峨天皇とが対立
 緒嗣の従兄弟・故藤原種継の子
 「尚侍・薬子」・・・「薬子の変」はあったのか?
  ・・・「尚侍(ないしのかみ・ショウジ)
      律令制における官職
      内侍司の長官(かみ)を務めた女官の官名
           「尚侍=なおじ=直字・・・直す字?
            薬子=やくし=譯詞」・・訳す字?
 平城上皇の愛妾であった
 「薬子」
 と兄の
 「参議・藤原仲成
 の兄妹が事件の首謀者として殺された・・・
 「大同五年(810年)九月十一日」の夜
      ・・・大同語粘(810年=捌百拾撚)句解通拾壱比?
 「藤原仲成」は「死刑」として射殺された・・・?
 以後、死刑は「保元の亂(1156年)」まで、
 346年間一件も無かった・・・?
 ↓↑
 緒嗣の
 藤原 式家の政治的地位低下で
 観察使制度が廃止
 参議復活
 藤原 緒嗣は参議に復帰
 藤原 緒嗣の改革政策は挫折
 ↓↑
 一歳年下の
 藤原北家
 藤原冬嗣
 新設された
 蔵人頭に任命され
 政治の中枢に立ち
 弘仁五年(814年)
 従三位に昇進
 官位で
 藤原 緒嗣を抜き
 北家が台頭
 ↓↑
 弘仁八年(817年)
 中納言
 ↓↑
 弘仁十二年(821年)
 大納言
 弘仁九年(818年)
 右大臣・藤原 園人
 中納言・藤原 葛野麻呂
 の死去により
 太政官において首班である
 藤原 冬嗣に次ぐ地位
  ↓↑
 『新撰姓氏録』・・・姓氏の記録?
 『日本後紀』・・・・似本所記の後期?
 の編纂事業に参画
 ↓↑
 往来通過で住民を煩わせる
 「渤海」使者の制限を提案
  ・・・渤海=「満州=燕国=高麗」地域・・・
 ↓↑
 弘仁十四年(823年)
 甥(姉・旅子の子)の
 大伴親王が即位(淳和天皇
 ↓↑
 天長二年(825年)
 右大臣
 天長三年(826年)
 藤原 冬嗣 死亡
 藤原 緒嗣は
 淳和天皇を助けて政治の中枢に立つ
 ↓↑
 嵯峨朝~仁明朝
 「崇文の治」
 安定治世の期間
 嵯峨天皇
 自らの皇子
 正良親王仁明天皇
 に譲位せず
 弟の
 大伴親王淳和天皇)に譲位し
 両親王派の派閥を生む
 ↓↑
 承和九年(842年)
 「承和の変
 中納言
 藤原吉野(緒嗣の従兄弟の子)
 が流刑
 承和十年(843年)
 正二位・左大臣の官に就いて
 病死・享年70
 従一位贈呈
ーーーーー
 ・・・???・・・

「音殸」も「カンジコウセイ」も異なるけれど・・・「あか」のルイジ?

 2964日目・文字霊日記
 清麻呂・清麿・清磨・・・きよめろ、ッ!
 くちびる寒し・・・アルカイク・スマイル(Archaic smile)・・・
 雪が降ってもバラの華一輪の紅・・・百万本は迷惑であるカナ・・・
 「紅色=くれなゐいろ」と「赤色=あかいろ」の違いって、
 「べに=紅=糸+工」・「あか=赤=一+亦」・・・

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 「音殸」も「カンジコウセイ」も異なるけれど・・・「あか」の類ジ・・・

 ↓↑
 南梁からの帰化
 仏師、 技術者
 日本での最初の僧侶
 徳斉法師
 止利仏師
 司馬鞍作首止利(しばのくらつくりのおびととり)
  銅造釈迦如来及両脇侍像・・・法隆寺金堂
  ↓↑            報留字金同?
  同象譯化語解音呼和記双?
  ↓↑
  釈迦 三尊像
  譯化 簒(蚕)拵双
  ↓↑
  銘文 623年
 「薬王菩薩⇔釋迦⇔薬上菩薩」
  譯意宇  譯化 譯状

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 鞍作 止利(くらつくり の とり)
       句等通句理之盗人?
 司馬達等の孫・・・・史話多通盗?
 鞍部多須奈の子・・・比べ足す名?
 ↓↑
 名  鳥(とり)とも
 姓  村主(すぐり)・・・・・主=おさ=長⇔村長
              譯語田(おさだ)・訳語拿?
 ↓↑  ↓↑             ↓↑
             「和佐田(わさだ)」
             「他田 (をさだ・おさだ)」
             「他田宮(長田宮)」
 ↓↑  ↓↑         ↓↑
              第三十代天皇
              敏達天皇
              渟中倉太珠敷尊
              他 田(おさだ)天皇
              譯語田(おさだ)天皇
              譯語田(おさだ)
              渟中倉太珠敷天皇
              皇后
              額田部皇女=推古天皇
             (ぬかたべのひめみこ)
              糠 多部?・・・米+唐+國+足?
 ↓↑    ↓↑        ↓↑
      百済       大井宮
      訳語田      幸玉宮
 ↓↑    ↓↑
      敏達天皇
      訳語田・幸玉宮
      桜井市      太田
      or
      桜井市      戒重
      とする二説
      戒重村はかって
      他田庄と呼ばれ
      戒重村の
      小字
      「和佐田(わさだ)」は
      明治以前
      「他田(おさだ)」で
      この春日神社は古くは
      「他田宮(長田宮)」
      と称した
      (「扶桑略記」・「帝王編年記」)
      訳語田宮
      大津皇子の邸宅
      皇子は
      訳語田舎(おさだのいえ)
      で死を賜った・・・
 ↓↑    ↓↑
      初め
      百済    大井宮
      (大阪府  河内   長野市太井
       奈良県  北葛城郡 広陵町百済
       大阪府  富田林市 甲田
       奈良県  桜井市
 ↓↑    ↓↑
      敏達天皇四年(575年?)
      「訳語田 幸 玉  宮
      (おさたのさきたまのみや
       奈良県 桜井市 戒重
       他田宮)
      へ遷った
 ↓↑    ↓↑
      物部守屋が大連
      蘇我馬子が大臣
 ↓↑    ↓↑
      欽明天皇の遺言
      任那復興を目し
      百済と協議
      世界最古の企業
      「金剛組」が
      敏達天皇六年(578年?)
      宮大工の集団として発足・・・
 ↓↑    ↓↑
      敏達天皇
      廃仏派寄り
      廃仏派の
      物部守屋と中臣氏が勢いづき
      崇仏派の蘇我馬子と対立
      蘇我馬子が寺を建て
      仏を祭るとちょうど疫病が発生
      敏達天皇十四年(585年?)
      物部守屋天皇に働きかけ
      仏教禁止令を出させ
      仏像と仏殿を燃した
      8月15日(585年9月14日?)
      崩御古事記では584年)
 ↓↑    ↓↑
      崩御の翌月の
      敏達天皇十四年九月五日
     (585年10月3日?)
      異母兄弟の
      大兄皇子(日本書紀)が
      用明天皇として即位

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    酸塊(すぐり)=雪の下(ユキノシタ)科の落葉低木
    長野・ 山梨両県の特産
    葉の付け根に三裂の棘(とげ)をもつ
    すぐり=ふぐり=きんたま=睾丸
             譯語田=おさだ=織田(おだ)
         ・・・翻譯・銅鐸・澤田・演繹・驛宿・醳酒
             釋迦・解釋・選擇
         繹=エキ・たずねる= 䋇
           糸口を引き出す
           演繹・尋繹
           糸を引くように続く
           絡繹(ラクエキ)
         驛=エキ・うまや
           律令制
           諸道の30里(約16キロ)ごとに
           置かれた施設
           官道に公使のために
           人馬の継ぎかえや
           宿舎・食糧などを提供した所
         醳=酉+睪
           異体字「液・𨣠・釋」
           エキ・ヤク・セキ・シャク
           ねぎらう
           濃い酒・苦い酒・古い酒
           酒食を振る舞って労をねぎらう
           とく・ゆるす・ときはなす
         懌=忄+睪
           エキ
           よろこぶ・たのしむ
         釋=釆+睪
           丿+米+罒+幸
           シャク
           セキ
           おく
           とかす
           とく
           ゆるす
           ときあかす
           言い訳をする
           衣服をぬぐ・ときはなつ
           理解する
           とける・消えてなくなる
           とかす・うすくする・うすめる
           捨てる・放つ
           おいておく
           そのままにしておく
         釋(お)く
         釋(と)かす
         釋(とく)く
         釋(ゆる)す
        凙=冫+睪
          冫+罒+幸
          タク・ダク・ジャク
          氷柱(つらら)
        擇=扌+睪=選擇=選択
          タク
          えらぶ・よる
          適したものをえらびとる
          区別する・選別する
 ↓↑ ↓↑
   睾=丿+睪
     丿+罒+幸
     コウ
     きんたま
     さわ(澤・沢)
     たかい
     きんたま
     男性生殖器
     水辺の低地
     高いさま・広いさま
 ↓↑ ↓↑
   睪=罒+幸
     罒+一+辛
     罒+一+立+十
     罒+一+立+十
     罒+一+亠+䒑+十
     罒+一+亠+丷+一+十
     エキ
     うかがい見る
 ↓↑ ↓↑
   睪
   鐸・懌・繹・譯・澤・擇
   釋・驛・醳・襗・斁・歝
   曎・檡・凙・殬・墿・嬕
   嶧・燡・礋・蠌・鸅・㘁
   䁺・䆁・䐾・䕉・䦴・䭞
   圛
 ↓↑ ↓↑
   罒=网
     ボウ・モウ
     あみがしら・あみめ
     网𦉳𠕀𦉯𦉽𦉸𠔿𠕃𠕈𦊀𦉮䍏
     𦉰㓁罓
     四・罒
     網(あみ)
     糸や紐を格子状に
     目を粗く編んだ
     魚鳥獣を捕らえる道具
     同「網」
 ↓↑ ↓↑
   网=冂+メ+メ
     ボウ・モウ
     あみがしら・あみめ
     𦉳𠕀𦉯𦉽𦉸𠔿𠕃𠕈𦊀𦉮䍏
     罒𦉰㓁罓
     網(あみ)
     糸や紐を格子状に
     目を粗く編んだ
     魚鳥獣を捕らえる道具
     同「網」
     繁「網」          
 ↓↑
 司馬 達等 の孫
 鞍部 多須奈の子
 ↓↑
 鞍作 止利(くらつくり の とり、生没年不詳)
 ↓↑
 登理=とり=鳥・・・鶏・雞・鷄・・・トリ=止利・・・仏師・・・?
           酉・隹・禽
           取(取得)・採(採用)・盗(簒奪)・録(記録)
 ↓↑
 阿麻=あま=天・・・阿毎・阿部・阿倍
           阿媽
           亜麻
           海女・海人・海士
           白水郎・泉郎・漁人
           尼・甘・甜
           雨・蛙眞・蜑
 ↓↑        ・・・倭寇・海族
 720年・・・「七百弐拾・漆百念」撚
 「続日本紀」の記録
 養老四年(720年)五月癸酉条に
 「日本書紀」完成上奏の記録
  ↓↑
 「続日本紀」は
 「菅野 真道(すがの の まみち)」・・・?
        彼は
       「菅原道真
       (すがわらのみちざね)」ではないが・・・?
        承和12年6月25日(845年8月1日)
        ~
        延喜3年2 月25日(903年3月26日)
       「菅原道真(すがわらのみちざね)
        承和12年6月25日(845年8月1日)
        ~
        延喜3年2 月25日(903年3月26日
       大運895年7月(49歳)戊寅偏印
       乙┏丑(癸辛己)正財・印綬 墓⇔癸亥傷官
        冲   己
       癸┣未(丁乙己)傷官・印綬冠帯⇔乙卯正財
        害
       庚┣子(壬 癸)  ・傷官 死⇔丙申偏官
        冲
       壬┗午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔甲午偏財
         辰巳空亡
 ↓↑
 らによって
 延暦十六年(797年)に完成した歴史書
  ↓↑
 「菅野 真道(すがの の まみち)」
  百済(近仇王=貴須王)系の帰化人の子孫
 「津連(むらじ)→津山守」の子・・・菅野朝臣
    村治(字) 新参種      菅野=居住地名
  天平十三年(741)[
  ~
  弘仁五年(814)六月二十九日
  桓武王朝で参議
 「藤原諸継」の
  蝦夷平定と平安京の建設中止の建議
  と政策対立・・・
 ↓↑
 『日本書紀
 本文全三十巻
 系図一巻の発刊
 ・・・三十一巻・・・簒奪の壹の巻?
 ↓↑  ↓↑       ↓↑
    纂拾位置    第三十一代
    30+1=31    用明天皇
           (ようめいテンコウ)
            用 名 転 向?
            諡号 橘豊日天皇
            諱  池辺
            別称 大兄皇子
               橘豊日命
            父親 欽明天皇
            母親 蘇我堅塩媛
            皇后 穴穂部間人皇女
            子息 聖徳太子
 ↓↑
 『日本書紀』最古の「写本(冩本=寫本)」
       ・・・「源本・元本・原本」ではない・・・
       冩=冖+舄
         冖+臼+勹+灬
         シャ
         うつす・うつる
         文字などを書きうつす
         もとの形を別のところに描きウツす
         のぞく・トリのぞく
         そそ(注)ぐ・流し込む
         舄=臼+勹+灬=舃=臼+ㄎ+灬
                舃=臼+一+ㄅ+灬
                  臼+一+ㄣ+灬
                  勹=ノ+𠃌=𠂉+亅
           シャク
           セキ
           くつ=靴・沓・履
           底に木や革を貼り
           二重底にしたもの
           かた・ひがた
           塩分を多く含んだ土地=潟
           鳥の名=鵲(かささぎ)
 熱田本十四巻中
    七巻
 応安五年(1372年)~永和三年(1377年)
 田中本・・・9世紀写
 岩崎本・・・10~11世紀写
 前田本・・・11世紀写
 書陵部本・・12世紀頃写
 鴨脚本・・・13世紀写
 弘安本・・・13世紀写
 乾元本・・・14世紀写
 丹鶴本・・・14世紀写
 水戸本・・・14世紀写
 熱田本・・・14世紀写
 北野本・・・11世紀写
 伊勢本・・・15世紀写
 兼右本・・・16世紀写
 内閣文庫本・16~17世紀写
 田中本・・・9世紀写
 岩崎本・・・10~11世紀写
 前田本・・・11世紀写
 書陵部本・・12世紀頃写
 鴨脚本・・・13世紀写
 弘安本・・・13世紀写
 乾元本・・・14世紀写
 丹鶴本・・・14世紀写
 水戸本・・・14世紀写
 熱田本・・・14世紀写
 北野本・・・11世紀写
 伊勢本・・・15世紀写
 兼右本・・・16世紀写
 内閣文庫本・16~17世紀写
 ・・・最古の冩本でも「九世紀=800年代」
             ・・・800-720=80
ーーーーー
 ・・・???・・・じゃぁ、「こじき(712)」は・・・?

 

「無我の境地」・・・我、私から分離解放したモノ・・・屎尿?

 2963日目・文字霊日記
 三別抄(サンベツショウ)?・・・纂(簒)捌抄?
 纂(簒)捌抄・・・?
 ↓↑
 「世界や社会」を理解するにはあまりにも「知識」が貧困であるかな・・・
 昼夜の明暗にも関わらず・・・何時でも、何処でも眠ってしまう・・・
 ナゼ、意識が朦朧としている世界で8時間以上も眠ることが必要なんだか・・・・
 熟睡、睡眠じゃぁなく、随時、「微睡(まどろ)む」か・・・
 盹=目+屯・・・メに駐屯するって?・・・ナミダか目脂・・・カスミ?
   目+丿+凵+乚
   シュン
   目がとろんとする
   まぶたが重くなる
   居眠り
   盹盹=誠実なさま・手厚いさま
 朝昼夕晩
 腹が減ったらモノを喰って
 催したら只管(ひたすら)トイレで踏ん張って
 濃臭で
 余程のことがない限り
 呼吸をしているんなんてコトは意識もせず・・・
 ・・・「ひたすら」って?・・・なんで、「只管(シカン)」?
 「曹洞宗道元が説いた「只管打坐」
         ・・・「只管(シカン)」
              「打坐(タザ)」
  ただひたすら座り続ける坐禅修行
  心身脱落の境地」・・・
 確かに、トイレで踏ん張って
 出るモノが出た時(とき=斎?)の気分は
 「心身脱落の境地」かも・・・
 「無我の境地」・・・我、私から分離解放したモノ・・・屎尿
 「無我夢中」・・・?
 それにしてもアテナの漢字が
 「只=口+ハ」
 「管=竹+宀+㠯」=中身が空洞
 「只管=ひたすら=一向」=「一途(位置図)・専(もっぱら)」・・・
 「一向一揆」ですか ・・・「ひたすら一紀(記)」カモ・・・
 ・・・「切にお願い申す」・・・なぜ「切る」んだか?

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 咫=尺+只
   尸+乀+口+八
   シ
   あた・た・ちかい
   周の国の長さの単位・八寸
   ちかい・短い・少し
   昔の長さの単位
   親指と中指を広げたときの長さ
   咫尺(シセキ)
   きわめて近い距離
 只尺=シセキ=咫尺=わずかな距離・すぐ近く
 只今(ただいま)
 只管(ひたすら)
 只の異体字
 衹(繁体字・別字衝突=別々の字種なのに
            字体が一致)
 隻(繁体字・別字衝突)
 祇(繁体字・別字衝突)
 ↓↑
 八咫烏(やたがらす・やたのからす)
 ↓↑
 咫尺(シセキ)
 距離が非常に近いこと
 ↓↑
 咫尺天涯(シセキテンガイ)
 近い場所にいても
 なかなか会えないこと
 「咫・尺」はどちらも距離の単位
 短い距離のたとえ
 「天涯」は天の果て
 ↓↑
 咫尺之書(シセキのショ)
 短い手紙の文章や書状
 「咫尺」は周代の長さの単位
 咫=八寸
 尺=十寸
 ↓↑
 咫尺之地(シセキのチ)
 非常に狭い土地
 ↓↑
 咫尺万里(シセキバンリ)
 詩や絵画などの小さなものの中に
 壮大な世界がこめられているということ
 咫尺ほどの小さなものに
 万里ほどの大きな世界を描く
 ↓↑
 天威咫尺(テンイシセキ)
 天子の側近
 天子の威光に近づきすぎて怖れ多いこと
 「天威」は自然と恐れ従わせる天子の威厳
 天子の威光が非常に近くにある
 ↓↑
 天顔咫尺(テンガイシセキ)
 天子の側近として仕えること
 「天顔」は天子の顔
 「咫尺」は非常に近いこと
 ↓↑
 咫尺を弁せず(シセキをベンせず)
 視界がきかず
 ごく近くのものも見分けが付かないこと
 「弁」は見分けるという意

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 「ひたすら=頓=屯+頁
        =丿+凵+乚+頁=とみに」
                ・・・登美に(似)?
  頓(くる)しむ
  頓(つか)れる
  頓(つまず)く
  頓(とど)まる
  頓(とみ)に
  頓(ぬか)ずく
  頓(ひたぶる)
  頓(ひたすら)
 「頓首再拝」 ・・・「古事記・序文」の末文「頓首」・・・
 「謹以獻上。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。」
  整頓・頓狂・頓悟・頓才・頓挫
  屯=糸を丸くまとめた織物の縁飾りを象ったもの
   「純」の原字
   「 屮(草)+一」=草の芽が地表に出る様
    駐屯・屯田兵
    屯=真綿の質量=40匁(もんめ)or 120匁
  頁(ケツ・ヨウ)=page・ページ=大貝(おほがい)
  頁(かしら)・頁岩(ケツガン)・頁(ページ)=一葉
 ↓↑
 ・・・盹=目+屯
      目+丿+凵+乚
      シュン
      目がとろんとする
      まぶたが重くなる
      居眠り
      盹盹=誠実なさま・手厚いさま・・・?
 ↓↑
 㠯=尸+コ・・・已(已然・依然・既)
   巳+¬
  =以=丄+丶+人・・・・ 以前
   㠯(もちい)る
   㠯(も)って
   イ
   もちいる・使う・使用する
   もって・~によって・~で
   もってする
   おもう・おもんみる・考える
   率いる
   ゆえ・わけ・理由
   すでに
   はなはだ・非常に・大変
 ↓↑
 官=鼻・耳・目・口
   などの人体器官
 管=竹+官
   竹+宀+㠯
   カン
   くだ
   つかさどる
   ふえ
   竹製の笛・吹き鳴らす楽器の総称
   筆の軸
   くだ・竹の管・細い筒状のもの
   鍵
   つかさどる・支配する
   とりしまる・統べる
   かなめ
 菅=艹+官
   艹+宀+㠯
   カン
   すが
   すげ
   かやつりぐさ科の植物
   ふじばかま(藤袴・蕑?)
  「姉は菅笠(あねはすげがさ
   妹とは日傘(いもとはひがさ)」
   女性は嫁ぎ先次第で
   境遇に格差が出てくるということ・・・

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 三別抄(サンベツショウ)
 高麗王朝の軍事組織
 崔氏政権(武臣政権)
 林衍(イム・ヨン)
 ら時々の実権を握った者の私兵
 政敵の暗殺・クーデターのための武力
 後
 高麗への
 モンゴル軍の襲撃に際し事実上の国軍に発展
 ↓↑
 「別抄」=別に組織「抄」
 「抄」=没収
     反乱を起こした地域へ派遣
     鎮圧後
     没収した財産を
     分け与えられる臨時の軍組織
     鎮圧のための臨時編成の軍兵組織
     崔氏政権のもとで拡大
     常備軍化し
     左別抄
     右別抄
     の2部隊となり
     モンゴルの捕虜から脱出した
    「神義軍」を加えて
    「三別抄」と呼称
 ↓↑
 「三別抄の乱」
  936年
  高麗は
  中華諸王朝の冊封
  北方の
  モンゴル系遊牧民
  契丹
  などの諸民族が高麗へ侵攻し
  契丹
  女真族金王朝に対して入朝
  高麗では科挙制度の導入
  文臣だけを優待したため
  武臣たちの政変が頻発
  以後の高麗は
  武臣政権が統治
  1196年
  武臣の
 「崔忠献(チェ・チュウケン)」
  が同じ武臣である
 「李義旼(イ・ギブン)
 を殺害し実権を握った
 ↓↑
 「崔忠献」
 王権を弱体化させ
 宿衛機関である
 都房(トバン)を組織し
 崔氏独裁体制成立
 次代の
 「崔瑀(チェ・ウ)」は
 騎馬部隊の
 馬別抄と
 夜間の巡察警戒のための
 夜別抄を組織
 これらの組織が統合され
 三別抄になる
 三別抄は
 崔氏政権を維持するための
 私兵組織であったが
 高麗の軍事制度に変わって
 事実上の国軍と化した
 ↓↑
 モンゴル帝国
 1271年
 クビライによって
 国号を「大元」とした
 1219年
 高麗と同盟を結ぶ
 1231年
 第一次 高麗侵攻
 高麗軍は各地で苦戦
 1232年
 開城を放棄
 漢江河口の江華島へ遷都
 モンゴルの侵攻で高麗は衰退
 「金俊(キム・ジュン)」
 を主体に
 崔氏政権に対するクーデター
 1258年
 崔氏政権は滅亡
 金俊に協力し
 クーデターの主力を担ったのは
 三別抄の
 「朴希実」ら・・・
 ↓↑
 「金俊」は
 モンゴルに降伏
 崔氏に続く
 武臣政権の傀儡となった国王
 「元宗」は
 「林衍」ら文臣と手を結び
 「金俊」からの政権剥奪を画策
 1268年
 三別抄を取り込んで
 「金俊」を暗殺
 ↓↑
 「林衍」らは
 「元宗」と対立
 1269年
 「元宗」を廃して政権掌握
 「元宗」・およびその子
 「忠烈王」の要請を請けた
 モンゴルは「林衍」討伐のため進軍
 「林衍」は三別抄を動員して抵抗し
 最中に急死
 ↓↑
 1270年5月
 「林衍」の子
 「林惟茂(イム・ユム)」
 らが
 国王側に雇われた三別抄によって暗殺
 実権を握り続けてきた
 武臣政権崩壊
 ↓↑
 モンゴルの支援の
 「元宗」は
 江華島から開城へ戻り
 武臣政権の私兵集団
 「三別抄」に解散を命じた
 「三別抄」の
 「裴仲孫(ペ・チュンソン)」
 「夜別抄」の
 「盧永禧」らは
 宗室の
 「承化侯・王温」
 を推戴し
 「江華島(コウカ・ソウル特別市の北西
      京畿湾黄海)に位置する島)」
 を本拠に自立・・・
 ↓↑
 1270年6月
 三別抄政権は
 西南の
 「珍島」に移り
 抗戦の準備
 全羅南道慶尚南道に勢力を拡大
 1271年
 「鎌倉幕府」へ救援を求めるが
 黙殺された
 2月
 モンゴルから降服を求められた際
 「軍を引き上げてください。
  そうすれば服従いたします。
  蒙古の将軍
  忻都が願いを聞いてくれません。
  私たちに全羅道をくだされば・
  蒙古朝廷に直接したがいます」
 と返書
 指導者
 「裴仲孫」自身が
 全羅道を領土として
 モンゴルに隷属画策
 ↓↑
 1271年
 「珍島」の
 「三別抄」は
 高麗の
 「金方慶(キム・バンギョン)」
 「洪茶丘(ホン・タグ)」
 らモンゴルの連合軍に撃破され
 残党が
 「金通精(キム・トンジョン)」
 率いられて
 「耽羅済州島)」
 に落ち延びた
 1273年
 「耽羅島」
 も攻め落とされ
 「三別抄の乱」は完全に鎮圧
 「三別抄」の壊滅と同時に
 モンゴルは
 「耽羅総管府」を設置
 モンゴルによる
 高麗の征服完了した
 ↓↑
 高麗は元朝へ服属
 征東等処行中書省の統治下に置かれた
 高麗国王となった
 「忠烈王
 は日本招諭のための使節派遣や
 1274年からの
 日本侵攻(元寇・文永・弘安の役
 に苦言を呈する蒙古諸将をさしおいて
 積極的に
 「クビライ」
 に侵攻を進言し
 軍船兵糧・将兵を提供・・・

f:id:naie:20201013012340j:plain

 沖縄県浦添市浦添
 で高麗瓦が発掘
 三別抄が
 「珍島」に造営した
 龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似
 「浦添」の瓦に
 「癸酉年高麗瓦匠造」
 と刻印
 癸酉年は
 1153年・1273年・1333年・1393年
 などが該当
 これが
 1273年だとすれば
 三別抄が済州島で滅ぼされた年と同一
 三別抄の生き残りの人々が
 沖縄に逃避してきた・・・
 「徳之島」には
 既に「高麗陶工」が入り
 「カムィ焼」の生産に従事していた・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「癸酉年」・・・
 水鳥?・・・鵜・鸕・・・
 「盧生の夢」・「盧遮那仏」
 盧=くろい・すびつ・火入れ・めしびつ
   飯を入れる容器などの意味をもつ 
 ↓↑
 鷺=さぎ=詐欺・詐偽
 ↓↑
 盧溝橋事件(ロコウキョウ ジケン)
 1937年(昭和12年)7月7日
 中華民国北京(北平)西南方向の
 「盧溝橋」で起きた
 日本軍と
 中国国民革命軍
 第二十九軍との衝突事件
 中国で
 「七七事変」と呼ばれ
 英語名d
 「マルコ・ポーロ橋事件」
 と表記される
 「Marco+Polo+Bridge+Incident
  Battle+of+Marco+Polo+Bridge」
 ・・・「ちび丸子」ちゃん事件・・・?
 ↓↑
 「日中戦争支那事変)」の発端
 「蘆溝橋・芦溝橋」とも表記・・・
ーーーーー
 ・・・?・・・
 1936年
 6月頃
 「抗日人民戦線」の結束
 コミンテルン
 抗日運動指導
 「五・三〇事件」~
 抗日人民戦線は
 「罷業と排日」の扇動ではなく
 対日戦争の準備・・・
 1935年
 11月
 「中山水兵射殺事件」
 1936年
 8月24日
 「成都事件」
 9月3日
 「北海事件」
 9月19日
 「漢口邦人巡査射殺事件」
 9月23日
 「上海日本人水兵狙撃事件」
 1936年
 12月
 「西安事件
 コミンテルンの判断
 「蔣介石」の殺害目的ではなく
 人民戦線に引き込むこと
 1937年
 1月6日
 中華民国
 南京政府
 国府令として
 「共産軍討伐を役目」としていた
 西北
 剿匪
 司令部
 の廃止を発表・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 北京市
 市街地
 南西部に位置
 ↓↑
 豊台駅(ホウダイエキ)
 北京市
 豊台区
 に位置
 永定河が流
 その上に架かる
 盧溝橋
 その東の袂にある
 城郭都市
 宛平城の史跡
ーーーーー
 ・・・???・・・
 盧=虍+田+皿
   卜+丿+乛+七+田+皿
   ロ
   くろい
   めしびつ
   飯を入れるための容器
   黒い・黒い色
   酒を売る場所・酒屋
   すびつ・火入れ
 ↓↑
 α+盧
 壚・廬・蘆(芦)・瀘・攎・櫨
 爐(炉)・臚・矑・艫・纑・籚
 鑪・顱・驢・𪈒・黸・䰕
 㔧・
 壚・攎・廬・㠠・蘆・嚧・獹・瀘
 㱺・臚・爐・曥・㪭・櫨・瓐・矑
 㿖・蠦・艫・籚・纑・罏・轤・鑪
 顱・䰕・驢・髗・鱸・鸕・黸
 ↓↑
 盧橘・盧胡・盧舎那
 ↓↑
 異体字「𥃈・籒文の盧」
 異体字「壚・廬・櫨・獹・爐・矑
     𥃈・𧆣・籚・鑪・顱・鸕」
ーーーーー
 ・・・???・・・

『上海リル』のアンサーソング・・・返歌=ヘンカ・・・?

 2962日目・文字霊日記からのツヅキ・・・

 ↓↑

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 tango・・・タンゴ=単語・丹後・端午・丹吾・丹呉
           旦誤・担後・多夢語・・・?
          アルゼンチン・タンゴ・・・「亜爾然丁(あるぜんちん)」
          ・・・有る撰(潜)枕の単語?
          約130年前
          南米アルゼンチンの首都
          ブエノスアイレスの港町
               ・・・伯那斯愛列斯・舞埃城 ・倍諾愛勒   
                  不宜諾塞利・捕諾愛利・普納塞利斯
                  布宜诺斯艾利斯・布宜諾斯艾利斯
          ラ・ボカ地区で生まれた
 ↓↑
 『上海リル』のアンサーソング
 アンサーソング
 既に存在する歌に対する返答として作られた歌
 返歌
 元となる歌とは
 別の歌手・アーティストによるものが多い
 自身で「続編」の意味で
 アンサーソングを作る例も見られる
 ↓↑
 タイトル・歌詞の内容・イントロの一部
 1933年の
 アメリカ映画
 『フットライト・パレード』
 の主題歌
 『Shanghai Lil』
 並びに同曲を
 唄川幸子
 川畑文子
 ディック・ミネ
 江戸川蘭子
 らがそれぞれの訳詞で競作した
 『上海リル』から借用
 上海・・・申・・・
 ↓↑
 上海帰りのリル 津村 謙
        (1923年12月12日~1961年11月28日)
 上海帰りのリル 津村 謙 (1951)
 上海帰りのリル 春日八郎 (1951年・昭和26年)
 上海帰りのリル 美空ひばり
 上海帰りのリル 根津甚八
 上海帰りのリル 田渕純
 ↓↑
 こぼし
 「こぼし」、「茶こぼし」茶道具の一つ
 建水の別名
 お点前で使った
 湯や水を容器
 水翻=水盤・スイバン=建水
 「建」の意味は
 「覆(こぼ・くつがえ)す」・・・靴返えす?
 と言う意味
 「水翻=みずこぼし・みずひるがえす」
 「水覆=みずこぼし・みずくつがえす」
 とも書き
 「水下・骨吐(ほねはき)」とも
 ↓↑
 雲南省
 建水県
 略称は雲、滇(テン)
 省都昆明
 省名は雲嶺(四川省との境の山地)
 の南にあることに由来
 ↓↑

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 石林
 イ族自治県
 雲南省
 昆明市に位置
 雲貴高原中部に位置
 市内の海抜は 1,891メートル
 三方を山に囲まれ
 南は
 滇池と呼ばれる大湖に面する
 滇池の西は西山森林公園
 南東100kmに
 石林という
 カルスト地形の景勝地

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 前109年
 漢により設置された
 連然県を前身
 唐代
 621年(武徳四年)
 安寧県と改称
 後は南詔の版図に組み込まれ
 中国側による記録が途絶えるが
 元朝
 1266年(至元三年)
 安寧千戸として行政区画が再設置
 1275年(至元十二年)
 安寧州と改編
 ↓↑
 安寧市(あんねいし)
 雲南省
 昆明市に位置
 ↓↑
 安寧区(あんねい-く)
 甘粛省
 蘭州市に位置
 ・・・???・・・丁寧・安寧・・・
 名前を見てワラッた・・・
 「王・滬・寧」
 「文化大革命の反省と政治体制改革」
 30年前の論文
 王 滬寧(オウ コネイ)

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 ↓↑
 建水(ケンスイ)・・・懸垂・県水・検水?
 茶道具の一
 茶碗を
 清めたり温めたりしたときに使った湯や水を
 捨てるために使うもの
 「こぼし」
 材質は陶器、磁器、曲物(木地物)
 唐銅や砂張(サハリ)(金属器)
 形状
 筒型や桶型、壺型、碗型
 湯を捨てやすいように
 口は大きく開いている物がほとんど
 「水をこぼす(こぼし入れる)器」
 の意味から「こぼし」と呼ぶ
 ↓↑
 ヤジロベエ(弥次郎兵衛、ヤジロベー)
 ↓↑
 おきあがり「こぼし」
 重心を利用した玩具
 国、地域によっては
 丸底人形
 roly-poly toy
 tilting doll
 タンブラー
 wobbly man
 などと呼ばれる
 ↓↑
 会津藩
 「蒲生氏郷」・・・「蒲生君平」の祖
           画募得訓併?
           画望 訓評?
 が藩士
 小法師・・・・・・・扈胞子?
 を作らせ正月に
 売らせたのがはじまり
 ↓↑
 起き上がり小法師
 (おきあがりこぼし
  おきあがりこぼうし)
 福島県会津地方に古くから伝わる
 縁起物・郷土玩具の一
 起姫(おき夢ひめ)ともいう
 会津の人にとっては
 「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具
 起き上がり小法師
 だるま・おきあがりポロンちゃん
 ロシアの ↓↑
 неваляшка nevalyashka
 (倒れないもの)
 ванька-встанька van'ka-vstan'ka
 (起き上がるイヴァン)
 Playskool製の
 Weeble
 ↓↑
 甘肃(粛)省
 中国北西部に位置する省
 省都蘭州市
 ↓↑
 蘭州市(ランシュウし)
 中国甘粛省省都
 雅名を金城
 市域は海抜 1,600m
 市内を
 黄河が東西に流れる
 市街地は
 黄河に沿って20kmに渡って細長く延び
 黄河には12の橋が架けられている
 近隣の都市
 約220km北西の武威
  170km西の西寧
 ↓↑
 民族
 漢族・回族
 ドンシャン族
 ユグル族
 サラール族
 など
 白い帽子を被った
 イスラム系住民が多
 ↓↑
 歴史
 シルクロードの要衝
 秦の
 「昭王」時代
 隴西郡の地となり
 漢代に
 「金城」郡が設置
 「金城」が
 「蘭州」の古名
 隋代
 582年
 蘭州が設置
 清代に
 甘粛
 布政使が駐在
 元南満州鉄道
 日本人技術者
 ソ連の援助
 によって
 宝鶏からの鉄道開通
 ↓↑
 5世紀
 倭国
 五王が
 南朝
 宋に使者を派遣
 『宋書倭国
 王「讃・珍・済・興・武」
 の「倭の五王
 ↓↑
 王武は
 済 の子
 興 の弟で、
 「倭の五王」の最後の1人で
 第21代
 雄略天皇に比定・・・
 墳墓陵
 岡 ミサンザイ古墳
  「ミサンザイ」は
  「ミササギ(御陵)」の転訛
 (現在、仲哀天皇陵)に比定
     仲哀天皇は倭建(倭武)の父親・・・
 「恵我 長 野 西  陵
 (えがのながののにしのみささぎ
  惠我 長 野 西  陵)」
  墳形は
 「前方後円形」
 ↓↑   ↓↑
 倭 の  五王
 讃(421~425年) ・・・讃岐・鸕野讃良
 ↓↑  ↓↑
 珍(彌・ビ⇔禰・ネ)(438年)
 珍(チン)=うづ=宇津(漩)の陳列?
 珍=「高貴・尊厳・珍貴」なもの
   「珎=王+尓」は異体字
      玉+爾=璽
        尓=爾=一+小+冂+丨+㸚
            一+八+冂+爻+丨+爻
            一+八+冂+爻+丨+㐅+乂
           =爯=爫+冉
            爫+冂+土
            爫+冂+十+一
    珎=王+𠂉+亅+ハ
      王+尔(尓・爾)
      王+丿+乛+亅+ハ
      ↓↑    ↓↑
      倭 の  五王
      寳(寶・宝・財)・靌
      寶媛=皇極-斉明 女帝
      和同開珎
      ↓↑
      日本書紀(720)神代上
     「吾、御寓(あめのしたしら)すべき
      珍(ウヅ)の子(みこ)を
      生まむと欲(おも)ふ。
     (珍、此をば于図(うづ)・・・?
   ・・・右図・烏頭・渦・漩
      うづ=宇受女・猿(猨・沙流)女
         塡目(うづめ)?
   と云ふ)」
   ↓↑
   万葉集(8C後)六・九七三
  「天皇(すめら)朕(われ)
   宇頭(ウヅ)の御手もち・・・烏頭・烏帽子(えぼし)
   かき撫でそ 労(ね)ぎ賜ふ」
   ↓↑
   良寛歌(1835頃)
  「いくそばくぞ
   ウヅのみ手もて
   おほみ神にぎりましけむ
   ウヅのみ手もて」
   ↓↑
   語誌
  「う」=貴く見事な様を讃えた褒め言葉・・・?
  「つ」=上代の格助詞
     「ウツ木綿」などと慣用され
      濁音化し
      格助詞「の」を伴って
     「ウヅの幣帛」など
      連体修飾語として用いられた・・・?
   接尾語「なふ」が付いて
   活用語「うづなふ」がある
  「うづ」と意味の近い上代のことばの
  「厳(いつ)」・・・厳の雄叫(をたけび)
  「瑞(みづ)」・・・瑞の御舎(みあらか)
   などと使われるのに対し
  「うづ」は
  「御子(みこ)、御手(みて)」など
   人やその身体部分を表わす語を
   修飾するのに用いられる・・・
    ↓↑    ↓↑
 珍(うづ)=王+㐱
       王+人+彡
    =珎=王+尓
       王+尔
       王+丿+乛+小
       王+丿+乛+亅+ハ
 ↓↑       ↓↑
 地名  音 羽 珍 事町
 読み方 おとわ ちんじちょう
 市区町 京都市山科区
 ↓↑
 山海珍味(サンカイ チンミ)
 山と海で採れた珍味な食べ物
 非常に豪華な料理
 ↓↑
 七珍万宝(シッチンマンポウ)
 多種多様な宝物
 仏教語で「七珍」は
 「金、銀、瑠璃、シャコ
  瑪瑙、玻璃、珊瑚」の七種
 ↓↑
 珍味佳肴(チンミカコウ)
 珍味なご馳走
 佳肴=酒のおかず
 「珍味嘉肴」
 ↓↑
 珍問珍答(チンモンチントウ)
 変な質問と変な答え
 普通とは違う質問と
 対する奇妙な答え
 ↓↑
 「珍」を含む言葉・熟語
 七珍(シチチン)
 仏教で宝物とされる七種類のもの
 七宝
 ↓↑
 袖珍(シュウチン)
 袖やポケットに入る程度の大きさ
 ↓↑
 珍果(チンカ)
 珍しい果物
 珍しい菓子
 ↓↑
 珍奇(チンキ)
 珍しくて変わっているさま
 ↓↑
 珍客(チンキャク・チンカク)
 珍しい客
 ↓↑
 α+㐱
 診・疹・軫・袗・殄・畛・趁・參・跈
 紾・翏・聄・眕・抮・昣・胗・曑・沴
 鉁・駗・䂦・䝩・䪾・飻・轸・诊
 ↓↑
 珍島(チンド・ちんとう)・・・ウヅのシマ?
 朝鮮半島西南端付近
 半島本土と近接して存在する島
 幅約300mの鳴梁海峡沖
 全羅南道珍島郡が管轄
 済州島・巨済島に次いで3番目に大きな島
 体島(チェド・體島=本島の意)
 と呼ばれる
 タイダル・アイランド(Tidal Island)
 Tidal=潮汐
 TIdal Wave(タイダルウェーブ)=津波
 珍島(うづしま・チントウ・珎島)?
 と
 茅島(かやしま・スキしま・すげしま・ボウトウ・蘆島)?
 Tidal Island=潮汐の海面の高低変化の関係で
       「島と陸地」がツナがる現象
        陸繋砂州(トンボロ)の
        成立過程の過渡的な状態に
        満潮時には島に
        干潮時には陸繋島となる現象
        複数の島々を結ぶものは
       「tombolo cluster」と呼ばれる
  ↓↑
 「鳴梁海戦(メイリョウカイセン)」
  鳴梁渡海戦
 慶長二年(1597年10月26日)九月十六日
 豊臣秀吉
 日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった
 「慶長の役」における海戦
 ↓↑
 鳴梁渡=「珍島」と花源半島との間にある海峡
     潮流が速く
     大きな渦を巻いている航行難所の海峡
ー↓↑ーー↓↑ーー
    倭 の  五王
         済(443~451年)=氵+斉(斎)
                 済州島
                 斎王
                 斎國(姜斉・田斉)
    ↓↑             ↓↑
    興(462年)         武(478年)
    興福寺藤原鎌足夫人、   ↓↑
        鏡大王が山背に
        夫の病気平癒を願い        
        山階寺
       (やましなでら)   ↓↑
        を建立し
        藤原京に移転して
        厩坂寺
       (うまやさかでら)  ↓↑
        さらに
        平城京左京に移転し
    創建 天智天皇八年(669年) ↓↑
    開基 藤原不比等
     ↓↑            ↓↑
     安康(穴穂)        雄略(大泊瀬幼武)
     ↓↑            ↓↑
   国家安康=方広寺       大=一+人
  「国家安康・君臣豊楽」     泊=氵+白
   イチャモン          瀬=氵+束+頁
   慶長十九年(1614年)     幼=幺+力
   八月十八日に銘文に対して   武=一+弋+止
   崇伝が住職を務める      太白施用伏
   臨済宗南禅寺        明けの明星を「啓明」
   及びその下位に属する     宵 の明星を「長庚」
   京都五山の7人の僧侶に
   検証が命じられ
   清韓が銘文に隠し題として
  「国家安康」と
   家康の諱を用いたことは
   不敬とみなされ
   更に
   林羅山
   より
   呪詛と批難された
 ↓↑
 武は
 「使持節
  都督
  倭・百済新羅任那加羅・秦韓・慕韓
  七国諸軍事
  安東大将軍
  倭国王」と自称
  ↓↑
  順帝
  昇明二年(478年)
  武は
  宋に遣使して上表文を奉り
  順帝は
  武を
 「使持節 都督
  倭・新羅任那加羅・秦韓・慕韓
  六国 諸軍事
  安東大将軍
  倭王
  に除す
 ↓↑
 封國 偏遠
 作 藩于外,自 昔祖禰,躬擐 甲冑
 跋涉 山川,
 不遑寧處。
 ↓↑
 東征 毛人五十五國,
 西服 眾夷六十六國,
 渡
 平 海北 九十五國,
 王道融泰,廓土遐畿,
 累葉朝宗,
 不愆于歲。
 ↓↑
 臣雖下愚,忝胤先緒,
 驅率所統,歸崇天極,
 道逕假授 百濟,
 裝治船舫,而句驪無道,
 圖欲見吞,掠抄邊隸,
 虔劉不已,每致稽滯,
 以失良風。
 ↓↑
 雖曰進路,或通 或不。
 ↓↑
 臣亡考濟實忿寇讎,
 壅塞天路,控弦百萬,
 義聲感激,方欲大舉,
 奄喪父兄,使垂成之功,
 不獲一簣。
 ↓↑
 居在諒闇,不動兵甲,
 是以偃息未捷。
 ↓↑
 至今欲練甲治兵,申父兄之志,
 義士虎賁,文武效功,白刃交前,
 亦所不顧。
 ↓↑
 若 以帝德覆載,摧此強敵,
 克靖方難,
 無替前功。
 ↓↑
 竊 自假開府儀同三司,
 其餘咸各假授,
 以 勸忠節。
 ↓↑
 『宋書倭国伝 所引
     倭王武 上表文
ーー↓↑ーーー
 武・・・???・・・建・・・
 1494年・・・癸丑・乙丑・丙申・・・2月26日(節入?)~甲寅年
 2月11日(明応2年1月6日)?・・・・2月26日(節入?)~甲寅年
 武田信虎、誕生・・・・・・・・・・・・・「甲斐の虎」⇔甲寅捻?
 武田信玄(晴信・太郎・機山)・・・大永元年十一月三日
         (1521年12月01日y) 辛巳・己亥・辛亥
                           寅卯空亡
         (1521年12月11日g)
           ~
                  元亀四年四月十二日
         (1573年5月13日y) 癸酉・丙辰・壬戌
      大運 1563年07月(41歳) 甲午正財
         (1573年5月23日g)
 の父
 ↓↑
 西暦1493年2月01日g癸丑・乙丑・壬申
 西暦1493年1月23日y
 ↓↑
 誕生
 尾崎重歳、戦国時代の武将(~1572年)
 蒲池鑑久、戦国時代の戦国大名(~1543年)
 斎藤道三、戦国時代の戦国大名(~1556年)
 徐階、明の政治家(~1574年)
 ドミンゴ・デ・ソト、スペイン
 の神学者、哲学者、法学者(~1560年)
 武田元光、戦国時代の戦国大名
      若狭武田氏の第6代当主(~1551年)
 バッキアッカ
 イタリアのルネサンス期の画家(~1557年)
 ↓↑
  万里 小 路 栄 子・・・萬里=まり=真理
 (までのこうじ えいし)     毬・鞠
 明応三年(1494年)
 ~
 大永二年十月十日(1522年11月8日)
 室町時代の女性
 後奈良天皇後宮
 正親町天皇の生母
 父は参議右大弁、従三位
 万里小路 賢房
 院号
 吉徳門院(きっとくもんいん)
 ↓↑
 森 可行、戦国時代の武将(~1571年)
 吉田孝頼、戦国時代の武将(~1563年)
 ↓↑
 6月7日
 スペインとポルトガルの間で
 トルデシリャス条約が締結
 クリストファー・コロンブス
 ジャマイカを発見
 11月9日
 メディチ家
 フィレンツェから追放
 ↓↑
 干支   甲寅 年・・・2月26日~甲寅年
 日本   明応三年
      皇紀2154年
 明    弘治七年
 李氏朝鮮 成宗二十五年
 ↓↑
 ローマ教皇が両国を調停し
 大西洋の
 「子午線(meridian)」の
  東側をポルトガル
  西側をスペイン 領
 とする植民地分界線(教皇子午線)設定
 ↓↑
 子午線に対して直交するのが
 卯酉線(ボウユウセン)
 ↓↑
 1884年以降
 イギリス・ロンドン郊外の
 旧グリニッジ天文台跡を通過する
 グリニッジ子午線が
 本初子午線
 経度0度0分0秒と定義された
 本初子午線
 180度経線とともに大円を形成
 この大円により
 地球表面は2つの半球に分けられ
 本初子午線の東の半球を東半球
       西の半球を西半球
 基準の子午線(経線)
 英語の「meridian」は・・・「 マァリィディィアン(ヌ)
               メリディアン」
               明里出意編(案)?
 子午線・経線
 太陽の最高点
 繁栄などの頂点、全盛期
 針療法の「経絡」
 「正午」を意味する
 ラテン語の「meridies」に由来
 ↓↑
 トルデシリャス条約
 (ポルトガル語: Tratado de Tordesilhas,
  スペイン 語: Tratado de Tordesillas)
 ↓↑
 トルデシリャス
 盗る照市理邪素(州)?
 ↓↑
 1494年06月 07日 12時
 甲寅・己巳・壬辰・丙午
 ↓↑
 スペインとポルトガルの間で結ばれた条約
 「新世界」における紛争を解決するため
 教皇アレクサンデル6世
 の承認によって
 ヨーロッパ以外の新領土の分割条約
 ↓↑
 大航海時代
 スペイン・ポルトガル
 イベリア両国が定めた、世界分割条約
 ↓↑
 スペイン語
 デマルカシオン(demarcacion)
 出丸 可視音?
 ↓↑
 英語
 デマルケイション (demarcation)
 出丸 景 書 務?
 ↓↑
 ポルトガル語
 デマルカサン (demarcacao)
 出円 加纂(簒)
ーーーーー
 ・・・?・・・

Vatican City=和地関・・・火神 ( バチカン )・・・罰姦(奸・諌)?

 2962日目・文字霊日記
 跳梁跋扈(チョウリョウ バッコ)・・・
 跳梁跋扈(チョウリョウ    バッコ)
  ・・・「張良張遼・調陵」場通娘(児・処)
      張政       婆都児=壹與?
 跋扈(バッコ)
 全州扈氏
 壬辰倭乱の・・・「壬辰倭乱」1592~98年(文禄一~慶長三年)
       豊臣秀吉
       明国を服属させる「唐(から)」入り途中の
       仮道入明(カドウニュウミン)で
       朝鮮に対する渡航侵攻
       朝鮮側では「壬辰倭乱・・・・壬辰
                     ┣干合支合=天地徳合? 
             丁酉倭乱」・・・丁酉
       とも・・・「カドウニュウミン」?
       カドミウム=Cd・亜鉛族元素の一
       体に有害
       発癌(がん)性
       ・・・スペ イン=西班牙
          ポルトガル葡萄牙
          バチカン=法迪坎・和地関
               梵蒂岡・教廷梵蒂岡
          Vatican City=和地関・・・?
         「火神 ( バチカン )・・・罰姦(奸・諌)?
          ↓↑・・・話知・蜂・撥・鉢・・・托鉢?
              枹(ホウ・なら)=ばち=撥
              =琵琶・三味線などの弦を
               はじいて鳴らす、へら状の道具
               ブナ(樗)科の落葉高木の総称
               ばち=太鼓を打つ棒状の道具
               なら(楢・柞・枹)=オーク(oak)
               アベマキ(棈)=コルククヌギ・ワタクヌギ
             枹杞(くこ)=ナス科の落葉小低木
             枸橘(からたち・枳殻・唐橘)=棘がある
                外敵の侵入を防ぐ生垣
                ・・・カラ断(絶)ちの
                   名護屋城・・・?
          ↓↑  バチ=抜・拔・跋・葉値+缶(巻・観)?
          巴里より (新字旧仮名)
               与謝野寛・与謝野晶子(著)」
          ローマ法王=羅馬豊応・・?
       ↓↑
       カドミウム(cadmium)・・・仮道入明(カドウニュウミン)?
       原子番号48の金属元素・・・4+8=12=6×2=3×4=拾弐
                    肆+捌=足貳
                    連(つら)ねて捌(さば)く
                    4×8=32=16×2
                      =位置拾陸×爾(字)
                      =2×4×4=爾(字)肆×肆
       六方最密充填構造 (HCP)
       融点は320.9 °C
       亜鉛鉱と一緒に産出
       亜鉛精錬の際回収される軟金属
       人体にとって
       腎臓機能に障害で
       骨が侵される・・・?

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ーーーーー
 1586年(天正十四年)
 日吉丸
 木下藤吉郎
 さる・はげねずみ
 羽柴秀吉が・・・・平=多比良=太良=たいら・・・?
 ↓↑             太田牛一太安万侶
                大田  田根子
                意富多 多泥古
                大直  禰子
               (おおた たねこ)
                 ↓↑
            織田信長平氏・・・アラブ系?
                 平 清盛⇔アラブ貿易?
                     日宋貿易で政権維持
                 永久6年1月18日
                (ユリウス暦1118年2月10日
                 グレゴリオ暦1118年2月17日)
                 ~
                 治承5年閏2月4日
                (ユリウス暦1181年3月20日
                 グレゴリオ暦1181年3月27日)
                 1180年8月(62歳) 
                 丙午正官
             丁酉  辛丑比肩
             癸丑  庚寅劫財
             辛丑  庚戌劫財
             甲午  壬午傷官
                 辰巳空亡
                 ↓↑
                 厳島(いつくしま)神社
                「信は  荘厳より起こる」
                 清王朝 草原(宋元・争源)?
                 厳父慈母(ゲンプ ジボ)
                 厳格な父親と
                 優しい母親
                 厳=⺍+厂+敢
                   ⺍+厂+丅+耳+攵
                   ⺍+厂+一+丨+耳+攵
                   ⺍+厂+一+丨+耳+𠂉+乂
                   ゲン・ゴン
                 異体字「嚴=口+口+厂+敢」
                 厳(きび)しい
                 厳(おごそ)か
                 厳(いか)つい
                 厳(いかめ)しい
            ↓↑
            織田氏=斯波氏(守護代)の家臣
                波斯=ペルシャ=斯波の置換字?
            信長の肖像画ペルシャ・アラブ系の顔?
            本貫
            越前国 丹 生郡  織 田 荘
            福井県(にゅうぐん)史記
            継体天皇本貫地
            越前  越中  越後
           (高志前・高志中・高志後)
            ↓↑
            織田信長
            天文三年五月十二日
            1534年6月23日
            ~
            天正十年六月二日
            1582年6月21日
            大運1575年12月(41歳)甲戌偏官
              1585年12月(51歳)乙亥正官
       ┏甲午(丙 丁)偏官・印綬帝旺⇔壬午偏財
       ┗己巳(戊庚丙)劫財・偏印建禄⇔乙巳正官
        戊寅(己丙甲)  ・偏官長生⇔戊子比肩
        戊午(丙 丁)比肩・印綬帝旺⇔戊午比肩
         申酉空亡
 ↓↑
 羽柴秀吉
 豊臣姓を賜る
 以後に家臣に賜姓
 豊臣=豊かにした臣?・・・豊(とよ)の臣(朝臣・安孫)?
             「豊国・豊後・豊前」の朝臣・・・?
              とよくに・ぶんご・ぶぜん
 豊=豊富・豊満・豊作・豊年
  農作物の実りがよい
  とよ・語の上につけてほめる意
 「豊葦原(とよあしはら)」
 「豊前(ぶぜん)の国・豊後(ぶんご)の国」
 「筑豊(チクホウ)」
 豊=曲+豆
 異体字「丰(簡体字)・豐(被代用 字(新字体)」
 「禮(後起字)」
 異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字)
     灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字)
     豊(代用字・新字体)」
  豐=𠁳+豆
    通仮字「麷 ・夆」
    簡体字「丰」
    異体字.「豊・𣍈・𤲊・𧯮・酆」
   「豊=曲+豆」は曲がった穂先を
      高坏(豆=たかつき)に盛った形
    と
   「豐=丰+山+丰+豆」は
      穀物の穂(丰)を
      高坏(豆=たかつき)に盛った形
    は別 字で
   「豊=壴(鼓)の原字」に
   「玨(二玉)=供え物」を整えた事
 ↓↑
 「豊臣」の改姓帰化
 「朝鮮・韓国」系
 東京都港区
 2005年7月20日
 帰化して改姓
 本姓は「楊」・・・?・・・やなぎ=楊・柳・簗木・栁=ヤナギ?
 ↓↑
 天正十三年(1585年)
 正親町天皇から
 羽柴秀吉に下賜
 秀吉は関白叙任の際に得ていた
 藤原の氏を豊臣に改めた
 有力大名の官位叙任で
 家伝の姓は無視され
 豊臣氏・・・・・・・
 が用いられた
 ↓↑
 秀吉は立身栄達により
 家系の公称を
 「平」氏を称した
 天正十一年(1583年)の項
 『公卿補任
 の項に「従四位下参議」として記載されて以降
 関白になる直前の
 天正十三年(1585年)の
 「正二位内大臣」まで
 氏名は
 「平秀吉」と記されている
 ↓↑
 天正十三年(1585年)七月
 関白叙任に際し
 前関白
 近衛前久の猶子となり
 氏を
 「平」から「藤原」に改める
 天正十四年
 氏を「豊臣」と改めた
 秀吉が自らの右筆の
 「大村由己」
 に執筆させた
 『任官之事(『関白任官記』)』
 で
 「古姓を継ぐは鹿牛の陳跡を踏むがごとし」
 「われ天下を保ち末代に名あり
  ただ新たに別姓を定め濫觴たるべし」として
 秀吉は特別に傑出した人物であるから
 源平藤橘にならぶ
 第五の新しい氏を創始できるのだ
 宣言・・・
 ↓↑
 『押小路家文書』に
 「請う、藤原姓を以て豊臣姓に改めんことを」
 云々と記す秀吉の上奏文
 これに応えた
 天正十三年(1585年)九月九日
 改姓を許可する宣旨
 『公卿補任』で
 天正十四年(1586年)
 「藤秀吉(藤原秀吉)」と記載したうえ
 「・・・藤原姓を改め豊臣姓となすと云々」
 と注
 『公卿補任』で
 「豊秀吉(豊臣秀吉)」
 となるのは
 天正十五年(1587年)から
 秀吉の官位叙任
 天正十年(1582年)十月三日
 左近衛少将
 天正十一年(1583年)五月二十二日
 参議
 実際に秀吉が
 藤原氏から豊臣氏に改めたのは
 天正十四年(1586年)十二月十九日
 太政大臣任官
 契機が通説・・・

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ーー↓↑ーー
 明朝軍の副将軍
 扈 俊(コ シュン)
 ↓↑
 跋=足+友+丶
   足+犮
   口+龰+又+丶
   口+止+又+丶
   口+龰+犬+丿
   口+止+犬+丿
      口+ 丄+ ト+ 一+ 人+ 丿+ 丶
   ・・・國の上を占うハジメの人の経の典・・・?
  ↓↑
   跋扈(バッコ)
   悪人が思うままに振る舞うこと
   のさばりはびこること
  ↓↑
   跋渉(バッショウ)
   山を越え、川を渡ること
   各地を歩き回ること
  ↓↑
   跋語(バツコ)
   書物の終わりに書く文章
   あとがきの言葉・跋文
  ↓↑
   跋文(バツブン)
   本などで本文の終わりに添える文章
   後書き
  ↓↑
   横行跋扈(オウコウバッコ)
   我が物顔で歩き回り、横暴に振舞うこと
   「横行」=身勝手に振舞うこと
   「跋」=飛び越えること
  「扈」=水中で魚をとるための
      「竹がき」・・・魚籠(ビク・魚篭)・比丘?
      「跋扈」=魚が竹がきを飛び越えるさま
       他を無視して横暴な態度を取る
       悪人の振舞いのこと
  ↓↑
   跳梁跋扈(チョウリョウバッコ)
   悪人などの世間から
   疎まれるような人たちが
   好き勝手に振舞い、横暴な態度をとること
   「跳梁」=跳ね回ること
   「跋扈」=大きな魚が仕掛けた罠
        飛び跳ねて逃げる様子
        悪人などが我が物顔で
        好き勝手に振舞うこと
   跋扈跳梁(バッコチョウリョウ)
      ・・・抜処調陵(御陵)?
      抜き出した古墳を調べる・・・蒲生君平?            
  ↓↑
   跋山渉水(バツザンショウスイ)
      ・・・抜纂 章  出(推+古女帝)・・・?
   苦しく辛いことを克服しながら
   長い旅をすること
   「跋山」=山を越えること
   「渉水」=河を渡ること
   「山を跋み水を渉る」
  ↓↑
   飛揚跋扈(ヒヨウバッコ)
   思うまま横暴に振る舞うこと
   臣下が好き勝手に振る舞い
   君主の力をこえること
   「飛揚」=猛禽類の鳥が舞い上がること
   「跋扈」=魚を捕まえるための
        竹垣の罠を飛び越えて逃げること
        悪人などが
        常識や規則などを無視し
        好き勝手に行動すること
  ↓
   陸梁跋扈(リクリョウバッコ)・・・理句抜処?
   好き勝手に振る舞うこと
   「陸梁」=好き勝手に暴れまわること
   「跋扈」=魚を捕らえるための網から・・・魚=まな=眞名=漢字
        魚が躍り跳ねて逃げること
        横暴に振る舞うこと
       「陸梁抜扈」
  ↓↑
   跋扈(ばっこ)
   思うままにふるまうこと
   勝手放題にのさばり、はびこること
   「跋」=踏み越える
   「扈」=魚を捕える竹籠(かご)
         ・・・竹(筑紫)の加護・過誤・歌語・加胡
  ↓↑
   異体字「䟦=足+ノ+友」
   足+叐
   口+龰+丿+友
   口+止+丿+友
   口+龰+丿+又
   口+止+丿+又
   䟦(おくがき)
   䟦(こえ)る
   䟦(つまず)く
   䟦む(ふ)む
   ハツ
   バツ
   おくがき
   こえる
   つまずく
   ふむ
   おくがき
   文体のひとつ
   あとがき
   書物の終わりに書く文章
   こえる・山野を歩く
   つまずく・足をとられる
   よろける・倒れる
   ふむ・ふみつける・ふみにじる
  ↓↑

 つづく・・・ねっくすと・・・?

「Don't believe 是武」 ・「So I & you chose 不利位打武」・・・?

 2961日目
 琴似・手稲銭函・・・古都に・丁寧(叮嚀)・銭函
 ・・・すごいね、「島津 亜矢」さんの歌唱力・・・
 ことに、ていね、ぜにばこ
 函館本線・・・旭川・・・→
 →苗穂→札幌→桑園→琴似→手稲→稲穂→
 →星置銭函→朝里→小樽築港→南小樽
 →小樽→塩谷→蘭島→余市→二木→然別→

f:id:naie:20201005203027j:plain

 ・・・「Don't cry for me ママ、& friends」
 ・・・不湅吐・・・ boil silk=沸騰 シルク?
    湅=湅(ね)繪( きぬ)・・・?
      凍(こおる)?
 「It won't be easy, you'll think it strange」
 「Don't believe ゼム」
 「So I & you chose freedom
  Running around, trying everything new」
 「Don't  cry  for  是武・・・C&K&A・・・安東 J」
 ・・・???・・・
  ↓↑
 『Do not stand at my grave and weep』
 の日本語訳・・・?
 (「Ⅰ=私」の「grave=お墓= tomb」で佇み泣かないで)・・・
    ・・・佇(たたず)み・・・
         たたずむ墓は在るんだナッ・・・何處に?
         厹=九+ム=九州の横島?=禸
         禸=獣の足跡・三又(俣)の矛
         禸=蹂
 「前方後円墳」・・・「前円後方墳」
 ・・・前方後円墳命名者は「蒲生君平
  享和元年(1801年)
 『山陵志』で
  古墳の形状を
 「前方後円」と表記
  ↓↑
 「Keyhole-shaped tomb」
 上から見ると鍵穴のように見える・・・
 「鳥見彦」に訊いてみたい
 「後円部は牛車」・・・?
 「車」の上にヒトが乗る屋形(やかた)、車箱、箱・・・

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 ・・・「圓(円)」ならば「車」・・・
    「車」+「はこ=凵・冂・匚・コ・・・「亠+凵」
            區・匲・医・枢・匛
            函・凾・箱・匣・笥・匳
       匿・臣・匪・匞・匵・匾
            匧・筥・叵・匡・匚・囗」?
    「丸+台」=「🔴+臺」=「丸+台」=「乙+乂+ム+口」
    「囗+ロ+〇」・「〇+囗+口」・・・
    「叵+〇」・「匡・〇」・・・
    「𦣞=匚+口+╹+ₗ
     𦣝=匚+∣+⊐+¦」
    「㕣=八+口=八+🔴=旦=🔴+一」・・・
          「𠫔=𠮛=一+🔴=旨
            =𣅀=亠+日」
    「𡛸=女+囙」
    「𡛸=イン・姻婣𡜭𤯠・女+口+コ=𡛸」
       婿(むこ、娘の結婚相手の男性)の実家
       嫁の実家は「婚」
    「婚𡛸(コンイン・婚姻)」

f:id:naie:20201005203037j:plain

    「𣌩=冂+曰+亾」
     逃げる・行方をくらます・失う・いなくなる
     死ぬ・滅ぼす・滅ぶ
     忘れる=亡+心=亠(音・蓋)+乚(乙)+心(忄・㣺)
                        添付・慕情
                        叅=參=参
     (無と通じて)ない・なかれ・・・
     否定の助辞. 〔説文解字〕の本字は亾(兦)
    「逃るる(説文・巻十二)」
    「字形=人が足を曲げた形」
     ボウ・モウ・ない・なくなる・ほろびる

f:id:naie:20201005203043j:plain

    「上方下円墳」
     ・・・つぼ(壺・坩・臺・🏺)型⇔豆(坏)・高坏(高杯)
     ・・・形状は手鏡にも、銅鐸にも見えるが・・・

    「〇◎○●▼◆○O0o凸凹」
    「呂・㠯=已=以 ・吕・o囗・串」
    「O0・oO・0o・・・瓢箪(ヒョウタン)」
    「𠂤=阜」・「𡰪=䐁」
    声符「㠯=イ=佀 ・耜・𢍀・允・苢・㭒・台

f:id:naie:20201005203049j:plain

 宁=宀+丁・・・宁=貯・・・貯金・・・臍繰り貯金箱・・・
   通仮字「著・箸」
   繁体字「寧・寕・寗・寜・甯」
   異体字「佇・貯」
   簡体字「㝉」
   貯
   貯の初文
   安らかな・安定した
   南京の別称
   寧夏回族自治区
   ↓↑
   寧=宀+心+罒+丁
     丁寧・・・
     異体字
     「宁(簡体字
      𡨴(異体字
      𫝱(俗 字)
      㝕・寍・寕・寜
      ニョウ( ニャゥ)
      ネイ(ネィ)
   ↓↑
   ネイ
   むしろ~するほうがましだ
   ~よりは~を選ぶ
   ~ と言うことがあるだろうか
 ↓↑
 上海=申・・・サル女=猿女=上海女?
 戦国時代
 「春申君」
 の封地だった
 で、今も
 「申」と称す
 「滬=魚を捕る道具」
 とも呼ばれる
 北緯31度10分00秒
 東経121度29分00秒
 ↓↑
 寧波市(ニンポーし・ネイハし・宁波市
     Ningbō Shi・Ningbo
     Ning Pou)
 浙江省に位置する副省級市
 長江デルタ南翼経済中心、浙江省経済中心
 沿海部の港湾都市
 年間貨物取扱量が世界一の港
 北緯29度52分0秒
 東経121度33分0秒
 ↓↑
 7000年前の河姆渡遺跡
 春秋時代
 「越」の地
 戦国時代中期
 「楚」に併合
 紀元前222年
 「秦」に統一
 「会稽郡」が設置
 「唐」代
 開元年間
 「明」州
 「南宋」では慶元府
 「元」代に
 「慶元路」と称された
 「元寇
 1281年
 弘安の役
 江南軍10万、約3500隻が日本へ出港
 帰還は1割から2割ほどだった
 日本と交流のあった旧南宋人は
 捕虜となった後も処刑されず助命
 九州などの
 「宋」人街などに住んだ
 「明」建国間近
 1367年
 「明」州の呼称に戻り
 「清」代に
 「寧波」府と称される
 ↓↑
 「唐」代
 日本、新羅、東南アジアの船が往来
 「宋・元」の時代
 日本の仏僧が遊学
 「宋」代より
 市舶司が設置
 外国船の入港地が
 国ごとに決められていた明代には
 「寧波」が
 日本の指定港となり
 日明貿易勘合貿易)が行われた
 1523年
 寧波の乱の後
 日本船の入港禁止
 「倭寇」の横行
 16世紀半ば
 朝廷から朝貢を拒絶された
 「ポルトガル船」が沖合いの
 「双嶼(六横島)」で密貿易
 16世紀末
 「唐入り(文禄・慶長の役)」
 「豊臣秀吉」は
 中国征服後
 「寧波」を居住地と考えていた・・・
 1842年
 「南京条約」で対外開港

f:id:naie:20201006214322j:plain

 ・・・???・・・丁寧・安寧・・・名前を見てワラッた・・・
 「王・滬・寧」
 「文化大革命の反省と政治体制改革」
 30年前の論文
 王 滬寧(オウ コネイ)
 1955年10月6日
     大運2015年8月(59歳)  己卯印綬
       ~
       2025年8月(69歳)   戊寅偏印
  乙┏未(丁乙己)正財・印綬冠帯⇔庚子比肩
 ┏乙 酉(庚 辛)正財・劫財帝旺⇔乙酉正財
 ┗庚┏子(壬 癸)  ・傷官 死⇔壬午食神
  壬┗午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔丙午偏官
    辰巳空亡
    井宿・庚子⇔参宿・壬午
 ↓↑
 中国政治哲学者・政治家
 第18期・第19期
 中国共産党中央政治局委員
 第19期中央政治局常務委員
 中央書記処書記
 中央精神文明建設指導委員会主任
 党中央政策研究室主任
 復旦大学教授
 江沢民胡錦涛習近平
 政権を理論面で支えた
 「三朝帝師」の異名
 ↓↑
 「1986年
  上海の『世界経済導報』に
  「『文革』の反省と政治体制改革」
  という文章を載せている」
 ↓↑
 王=一+十+一
 滬=氵+扈
     扈=コ・・・扈従・・・
       したがう
       つきそう
       はびこる
       ひろい
       したがう
       つきそう
       つきしたがう
       主人のお供をする者
       従者
       ひろい・広大
      「跋扈(バッコ)」・・・ナニがバッコ?
       思うままに振る舞う
       のさばりはびこること・・・ノサバル
       蔓延る・巣くう・罷り通る・伸娑婆留・野乍生留?
       蔓(つる・かづら=葛・蘰・桂
               =和良・加貫・優来・曽良
               =藤)・・・鬘(かづら)
                藤原=中臣⇔長十三
                  =中登美・長冨・長富
                    登美比古=鳥見彦
       登美     毘古(とみ びこ)
          那賀須泥毘古(ながすね びこ)
       登美能那賀須泥毘古(とみの ながすね びこ)
                     長髄   彦
          長 髄(ながすね)=邑の名
                   =鵄邑(とびのむら)⇔鳶
                   =孔舎衙坂(くさかのさか)
            隋・随・隨=ズイ⇔蕊・蘂
                  瑞⇔瑞皐(ずいこう)=高野長英
       『二物考』=高野長英著=天保の凶作時
             民の窮乏を救うため
             早蕎麦(そば)と馬鈴薯(じゃがいも)の
             栽培をすすめ
            「避疫要法」で
             疫病の流行から民衆を救う方を記した
 ↓↑
 滬=氵+扈
   氵+戸+邑
   氵+戶+邑
   氵+戸+口+巴
   氵+戶+口+巴 
   コ
   えり
   川の名・呉松江の下流
   転じて上海(シャンハイ・申)
   えり
   あじ
   竹を並べて魚を捕る仕掛け
 寧=寍+丁
   宀+心+皿+丁

f:id:naie:20201006214327j:plain

 ・・・???・・・ワラッた・・・コジキ学者・・・「鳥見彦」?
 Black Kite
 鵄(とび)⇔鳶(とび)・鳥見(とみ)・・・鴟・鵈・登尾・登日・・・
 「汙麻斯麻尼足尼命(宇摩志麻遅命)の補註に
  「母飛鳥大神之女、登美夜毘売」と記されている(本荘家譜)」・・・?

f:id:naie:20201006214331j:plain

 邇芸速日命、
 登美毘古が妹、
 登美夜毘売を娶して生める子、
 宇摩志麻遅命
 此は物部連、穗積臣、?臣の祖
 Black Kite
 なみ(波、浪、濤)・・・伊佐早・・・伊邪早・・・諫早・・・
 浪速・難波・浪花・・・名似話(倭・和・輪・環・把)・・・羽

 

 

Mrs,コロナの思惑・・・

 2960日目・文字霊日記
 いさ---はや・諫早・・・早く諌(いさ)めろ・・・?
 いさ---はや・・・・諫早・・・早く諌(いさ)めろ・・・?
 ↓↑
 伊差=いさ=伊佐・伊差・石原・異差
       伊佐 知伎(いさ ちき)
       伊邪 那岐(いざ なぎ)

f:id:naie:20201003022053j:plain

 ↓↑
 諫早 湾(いさはや ワン)=泉水海(センスイカイ)・・・潜水海?
 有明湾の中央部西岸~南西側に入り込んだ湾
 「多比良と竹崎を結ぶ線より西側の水域」
 「啼 伊佐-知伎(ちぎ)」・・・地祇・遅疑・契・智義・智顗
    いさ-な=鯨(くじら・久志羅・櫛羅)・勇魚
    いさーはや   
       はや=~よ・~よなぁ
       文末に用いて、強い詠嘆
       源氏物語
       須磨「漁(いさ)りせむとは 思はざりし はや」
       はや=はよ
       すみやかに・一刻も早く
       命令・勧誘・願望
       はやち
       急に強く吹く風
       突風・はやて
       ↓↑
   ・・・「ち」は「風(かぜ)」の古語・・・?
      「こち=東風」は中学校で習ったが、
      「ち=風」の古語とは初耳、初目である・・・
      ブログ検索で調べてみたが「古語のチ」は?
       ↓↑
      「千の風にナって=I am a thousand winds that blow」・・・
      「千の風になって(せんのかぜになって)」
       アメリカ人女性メアリー・フライの作品・・・?
       アメリカ合衆国で話題となった詩
      『Do not stand at my grave and weep』の日本語訳」・・・?
      (私のお墓で佇み泣かないで)・・・佇(たたず)み
ー↓↑ーーー
 葛の裏風・・・葛城(木)皇子=中大兄皇子
 「葛の白い葉裏」を見せて吹く風
    新羅の葉裏?
 ↓↑
 科戸の風(しなとのかぜ)
 罪や穢れを吹き払う風
 「し」は「風」・・・?
 「な」は「の」・・・?
 「と(ど)」は「処」?
 の意・・・???・・・志那(中国)渡の風・・・?
 ↓↑
 まつぼり風
 阿蘇の火口原にたまった冷気が
 外輪山から熊本平野へ吹き出す強風
 立野火口瀬を中心とした南北30kmにわたる範囲内で
  阿蘇外輪山西麓の谷に沿って吹く
 東寄りの強風(10m/s以上)
 阿蘇の火口原にたまった冷気が
 外輪山の立野から
 白川沿いに熊本平野へ吹き出す強風
 ↓↑
 「まつぼり」は
 他人にわからないように
 こっそり物や金銭をくすねてしまうこと
 余分、へそくりなどの意味
 古語の「まつべる」=一つにまとめるの転・・・?
 ↓↑
 いなさ
 東日本、関東で
 海から吹く南東ないし南西の強風
 雨の前兆とされ
 「辰巳の風」とも
 ↓↑
 ひかた
 日のある方から吹く風
 日本海側一帯でいわれる夏の南寄りの強い季節風
 ↓↑
 時雨(しぐれ)
 「し=風の古語」・・・「ち」・・・?
  +
 「くれ=狂う」
    からの転訛(てんか)とする・・・説ですか・・・?
 ↓↑
 時雨(しぐれ)=一時的な驟雨(しゅうう)
 し=風の古語・・・「ち」・・・?
 くれ=狂う
 からの転訛(てんか)とする説・・・
 前線の通過に伴われた風の乱れと驟雨
 スコール現象・・・
 by https://kotobank.jp/word/
 コトバンク
 日本大百科全書(ニッポニカ)
 - 季節の風の用語解説
 ↓↑
 東風(あゆ
    こち、こちかぜ
    とうふう、とんぷう
    はるかぜ、ひがしかぜ)
    「東風」でも歳時記では
    「あいの風」は夏の季語
    「こち」は春の季語
     東風(こち)
  ↓↑
 「東風=こち」
     あゆ=東風(アイ)=東のかぜ
  ↓↑
 「南風=みなみかぜ・なんぷう
     はえ・まじ・まぜ」
     まぜ=真風=西風、南風または南西風
           東南風
     まじ=真風=まぜ(真風)と同
     かんだち(神立)=夏の雷に伴われた疾風
  ↓↑
 「北風=きたかぜ・ほくふう・ならい」
     ならいごち・ならえ
  ↓↑
 「西風=にしかぜ・せいふう
     にし・ならい」
  ↓↑
 「野分(のわき)」=秋の暴風
 「木枯し(こがらし)=凩(こがらし)・木嵐」
 「からっ風(からっかぜ)=冬の北西の乾風
            上州(群馬県)地方」
 「伊吹おろし(息吹颪)=愛知県」
ー↓↑ーーーー↓↑ーーー
   ・・・「ち」はやぶる?
       ならば
      「千=風」早振るだろう・・・?
       千早振る(ちはやぶる)=風早の振り、降り・・・?
                  =突風・旋風・辻風・疾風・烈風
                  =颱風・暴風・hurricane・tornado
                  =かぜつなみ=風津波=高潮(たかしお)
                  =かざしお=風潮=強風で起こる高潮
                  =ふうとう=風濤=風が吹き波が
                   騒めき立つ
                   風波・風浪・波浪
      「枕ことば・枕詞」
       動詞「ちはやぶ」の連体形から
       勢いが激しい意で
      「神」、
       地名
      「宇治 (うぢ) 」・・・氏・家・有時
                 得時・得字・雨時・雨地
       宇=宀+于(ここに・ゆく・ウ)
       治=氵+台(ム口・私國)
          ・・・ム=シ=私=シ・己・邪(よこしま)
          ・・・ム(横島)の國(六合・九州)
       ↓↑
       に掛かる「懸詞・掛詞」
       たけだけしい・荒々しい
      「ちはやぶる人を和(やは)せ」
       荒々しい壬を和(やわ)らげろ・・・?

f:id:naie:20201003022049j:plain

       ↓↑
      「千早振る=ちはやぶる=ちはやふる
       ↓↑
       娘に小倉百人一首
      「在原業平」の
      「ちはやふる
       神代もきかず
       竜田川
       からくれなゐに
       水くくるとは」
       という歌の意味を聞かれて
       答えられなかった・・・
   ・・・「原話は、安永五年(1776年)に出版された
       笑話本・『鳥の町』の一篇である「講釈」
       山東京伝の『百人一首和歌始衣抄(1787年)』
       にも類話
       初代「桂文治」の作
       後世に改作などを繰り返し現在の形になった・・・
       by ウィキペディアWikipedia
       ↓↑
       不思議なことが多かったという神代でも
       こんなことは聞いたことがない
       竜田川の水を
       紅葉(もみじ)の葉が
       紅(くれない)に
       くくり染めにするなんて

f:id:naie:20201003022045j:plain

 諫早・・・朝=十+早+月=十+日+十+月
      ・・・日月が重(十)なる
         日月が交(十・乂)わる・交叉
 ↓↑
 諫=言+柬=諌=言+東
   カン
   いさ(める)
   いさめる・人の過ちを正す
   正す・改める
   諫言
 柬=十+中+丷+八
   十+ヽ+中+ノ+八
   異体字「揀=扌+柬」
   柬ぶ(えらぶ・選ぶ)
   柬ける(えりわける・選り分ける)
   柬(てがみ・手紙)
   柬(なふだ・名札)
   カン
   えらぶ
   えりわける
   てがみ
   なふだ
   えらぶ・えりわける
   えらび出す=揀
   てがみ・ふみ=簡
   なふだ・ふだ=簡
 ↓↑
 柬浦寨=カンボジア=柬蒲塞
   寨=宀+𠀎+ハ+木
     宀+井+一+八+木
     宀+三+丿+丨+八+木
     サイ
     とりで
     まがき
     とりで・外敵を防ぐ小規模な城
     まがき・敵の攻撃を防ぐための柵
   塞=宀+𠀎+ㇵ+土
     サイ
     ソク
     ふさがる
     ふさぐ
     せく
     とりで
     みちる
     とざす・さえぎる
     ふさがる・とじる
     閉塞
     ふさがる・みちる
     あいている部分や
     足りない部分がみちる
     とりで=砦・チャシナイ
     外敵を防ぐ小規模な城
     要塞
     国の境目
     国境地帯
ーー↓↑ーーーー↓↑ーー
 龍田(たつた)神社
 奈良県
 生駒郡
 斑鳩町
 龍田
 ↓↑
 本殿
 天御柱大神
 国御柱大神
 ↓↑
 右社殿
 龍田比古大神・・・健磐龍命
          阿蘇都彦
 龍田比女大神・・・
 ↓↑
 阿蘇都彦
 阿蘇都媛
 ↓↑
 左社殿
 天児屋根大神
 外三大神
 ↓↑
 龍田大社
 創建
 第十代
 崇神天皇年間(傳)
 奈良県
 生駒郡
 三郷町
 立野南
 ↓↑
 旧称は
 「龍田神社
 風の神(風神)
 主な神事
 滝  祭(四月三日)
 風鎮大祭(七月第一日曜日)
 ↓↑
 龍田の「風神」
 広瀬の「水神」と並び称された
 ↓↑
 祝詞などでは
 天御柱命
  級 長津 彦命(男神)・・・長津
 (し なつ ひこのみこと)
  志 那戸 辨命
  志 那都 比売神
  志 那都 比古神
 (し なつひこのかみ)
    長津村=日本各地にあった村名
    長津 (中間市)=福岡県中間市の地名    
    長津郡=朝鮮・咸鏡南道の郡名
  ・・・長津(ながつ・おさつ=長都・チョウシン)?
  ・・・長=おさだ=訳語田・譯語田・・・長崎?

f:id:naie:20201003022040j:plain

 ↓↑
 国御柱命
   級長戸辺 命(女神)・・・風の神
  (しなとべのみこと)
 ↓↑
 天武天皇四年(675年)四月十日
 勅使を遣わし
 「風神」を
 「龍田立野」に祀り
 「水神=大忌神」を・・・大忌神=水神
 「広瀬河曲」に祀った
 (日本書紀)初見
 ↓↑
  健 磐 龍   命
 (たけいわたつ の みこと)
 神武天皇即位前十四年
 ~
 神武天皇九十三年丙午八月十五日
 ↓↑
 別名
  阿蘇都彦   命
 (あそつひこ の みこと)
  武 五百建   命
 (たけいおたけ の みこと)
 ↓↑
 阿蘇神社の祭神
 二神
 阿蘇 都 彦
 阿蘇 都 媛
 ↓↑
 神号
 健磐龍命
 健磐龍 神
 阿蘇  神
 阿蘇 大神
 阿蘇大明神
 後
 阿蘇山の「火山神」
ーー↓↑ーー
 伊佐・・知伎
     ↓ ↑
 「智顗(チギ)」
 538年~597年
 隋の僧
 天台宗
 慧文
 慧思
 につぐ第三祖
 実質的な開祖
 潁川の陳氏の一族
 荆州華容(湖南省華容県)で生まれ
 父の
 陳起祖は
 梁の高官
 智顗は17歳のとき
 「侯景の乱」と
 西魏軍による江陵攻略により
 家と国とを失い
 18歳で出家
 2年後
 具足戒をうけ
 大賢山に入って《法華経》を読誦
 方等懺法の三昧を修した
 陳と北斉との国境に近い
 光州
 大蘇山にいた慧思の門に入り
 7年間
 北地系の教学を学び
 法華三昧を修めた
 ↓↑
 隋の
 煬帝(ようだい)から信任され
 智者の号を受けた
 著
 「法華文句」
 「法華玄義」
 「摩訶止観」
 の三大部他
 智者大師・天台大師
 ↓↑
 575年(太建七年)
 天台山に隠棲11年間
 晩年
 晋王広
 (後の隋の煬帝(ようだい))
 の求めに応じ
 『維摩経疏』を著
 三大部とは微妙に異なる
 ↓↑
 「止観の法門」
 「一心三観」を修し
 諸法の実相である
 円融の三諦を得知すべきこと・・・?
 ・・・ワッカリません・・・

f:id:naie:20201003022036j:plain

  ↓↑
 「港が見える丘」
 「白い花がさくころ」
  ↓↑
 コンフォート(comfort)
 安心感・快適さ
 慰安・慰め・気安さ・快適さ
 〈人を〉慰める
 comfort
  苦しみ・悲しみ・悩みなどをやわらげ元気づける
 console
  落胆したり悲しんでいる人を慰めて元気づける
 solace
 落胆・悲しみ・退屈・孤独感を取り去ってやる
 She comforted me in my grief.
 彼女は悲しんでいる私を慰めてくれた
ーーーーーー
 ・・・
 ドナルド・ジョン・トランプ
(Donald  John   Trump)
 ↓↑
 1946年6月14日
     大運2014年6月(68歳) 辛丑食神
       2024年6月(78歳) 壬寅正財
 丙┏戌(辛丁戊)印綬・食神 養⇔庚子傷官
┏甲┣午(丙 丁)正官・印綬建禄⇔乙酉偏官
┗己┣未(丁乙己)  ・偏印冠帯⇔丁丑偏印
 庚┗午(丙 丁)傷官・印綬建禄⇔丙午印綬
   子丑空亡
   箕宿・己未⇔婁宿(9)・丁丑

 ニューヨーク州
 ニューヨーク市
 クイーンズ区で生まれ

 ↓↑
 メラニア・クナウス
 (Melanija Knavs・Melania Knauss)

 1970年4月26日
     大運2017年4月(47歳)  乙亥印綬
       2027年4月(57歳)  甲戌偏印
 庚┏戌(辛丁戊)偏財・食神 墓⇔庚子偏財
 庚┗辰(乙癸戊)偏財・食神冠帯⇔乙酉印綬
 丙┏子(壬 癸)  ・正官 胎⇔丁丑劫財
 甲┗午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔丙午偏印
   申酉空亡
   女宿・丙子⇔婁宿(7)・丁丑

 ユーゴスラビア

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 ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア
 (Joseph Robinette Biden, Jr)
 1942年11月20日
     大運2018年11月(76歳)己未食神
       2028年11月(86歳)庚申正財
 壬午(丙 丁)正官・食神建禄⇔庚子正財
 辛亥(戊甲壬)偏財・印綬 胎⇔乙酉偏印
 丁丑(癸辛己)  ・偏財 墓⇔丁丑比肩
 丙午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔丙午劫財
   申酉空亡
   胃宿・丁丑⇔婁宿(27)・丁丑

 ペンシルバニア州
 スクラントン生まれ
 デラウェア州
 ニューキャッスル郡で育った
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 ・・・コロナのカンセン・・・