2585日目・・・幾度も、何度も同じような繰り返し・・・何ら証拠となるモノも実証する根拠もない・・・でも巨大化したスピノサウルスの化石は存在する・・・「ゾウの3倍の大きさの哺乳類、3階建てのビルよりも高い恐竜」・・・「アルゼンチノサウルス(学名:Argentinosaurus)」・・・「スピノサウルス Spinosaurus は、中生代白亜紀前期から後期(約1億1200万 - 約9,700万年前)の現アフリカ大陸北部に生息していた獣脚類(肉食恐竜)。属名は「棘トカゲ」」・・・蜥蜴なんだ・・・「蜥=中+ム


 とかげ=トカゲ=ト化解?・・・
 戸影・・・物の怪(忄・心の又の十の一)=異体字は恠(忄・心に在る)・・・「忄=リッシンベン=立身の弁」・・・出世・・・
 ↓↑
 易=日+勿(勹+ノノ・彡+𠃌)・・・「𠃌(コン)」?
      刁刁(ちょうちょう・蝶々)・・・喋々・間諜
      風がそよそよと吹く  
      かすかな風が吹くさま
      刁=一文字で「悪い・狡(ずるい)・動く・揺れる」
                狡黠(コウカツ)・狡猾・狡知
                狡=獣+亠(音)+八+乂(乄)
      羽=习+习・・・翼=习+习+異(田共)
      刁鴨(あいがも)
      刁・・・习=習・・・𠃌+冫+𠃌+冫=羽
             冫(ニスイ)=冰(氷)=こおり・ヒョウ
               似素意・爾諏意   呼緒理・彪・標
      勿=ノ+𠃌+ノノ
 昜=日+一+勿・日+丂+ノノ・・・万+ノノ⇔場・陽・煬(煬帝
 易≠昜
 勿+α
 物・吻・刎・忽・惚・舓・笏
           舓=なめる・ねぶる・シ・ジ
            =なめる・嘗・舐
             臥薪嘗胆
 刎・芴・忽・昒・歾・䀛
 「勿=吹流しのついた旗」=「㫃=旗竿につけた吹流しがなびくさま」
 勿の
 異体字、「𣃦」
 禁止、否定の語
 はた、吹流し
 弓筈の音・・・弓の弦を弾(はじ)く音
 払う、土はね
 無きなり、莫きなり
 禁止、否定の意味は仮借・・・?
 ・・・「仮借」ではなく、「勿」は
    「指物・標記・標章・墓標・進入禁止の標示の物=幡・旗」
 物=「旗の名前(周代、役人=大夫や士が用いた)」
   「見る・占う」=観えない風の動き方向を知る道具(吹流し)
          =観えない音の音階を知る道具(弦楽器)
   「死ぬ」=「物故」・物にカエル
   「尤物」=すぐれたモノ・美しい女性
        「尤=すぐれる・ユウ」・・・ナ乚丶・一儿ヽ
        「无=ない・ブ・ム」・・・・二儿・チ乚
        「旡=つくす・つきる・つまる・いきつまる
           むせる・キ・ケ=既」
        「兂=かんざし・シン=簪・篸=櫛・髪梳
                   𠂉・コーム ( comb) 」
        「牙=きば・ガ」
 物=牛(𠂉十)+勿(勹ノノ)
    「𠂉十=牛の二本の角」に
    「勹ノノ=張った糸弦」を掻き鳴らす「楽器・竪琴」?
 ↓↑
 勿は吹流しのついた旗の象形
 民衆を集める合図、
     信号に使う・・・壱與、張政、黄幡⇔邪馬台国帯方郡
 勿々(早々)の意味
 遽(には・俄)かなること
 突然・不意
 ↓↑
 勿論 
 勹(つつみがまえ,つつみがまえ)+ノノ(ノノ字点)
   モチ・ブツ・なかれ
   禁止をあらわす
 勿の読み方
 勿=モチ・ブツ・なかれ
 勿来関(なこそのせき)
 「蝦夷(えぞ・えみし・カイ)
 来(きた・ライ)る
 勿(ナカ)れ」
 「浪越(なみこえ)」とも
 福島県南部、茨城県との
 県境にあった奈良時代以来の関所
 海沿いに
 常陸(ひたち)国から陸奥(むつ)国への入口
 白河・念珠(ネズ)とともに奥州三関の一
 はじめは
 「菊多(キクタ)の関」と呼ばれ
 古代末は白河関の異称
 場所は
 いわき(磐木)市
 勿来の九面(ココヅラ)付近
 源義家
 吹く風を なこその関と 思へども
 道もせに 散る 山桜かな
 ↓↑
 勿来・勿吉・四勿・勿怪・勿れ・勿体
 勿論
 勿忘草・勿体顔・事勿れ・勿来の関
 驚く勿れ・勿体無し
 勿忘草色・・・忘れな草
 事勿れ主義・勿体を付ける
 君死にたまふこと勿れ
 己に如(し)かざる者を友とする勿れ
 過ちては改むるに憚(はばか)ること勿れ
 己の欲せざるところは人に施す勿れ
 過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿れ
 ↓↑

ーーーーー
 往=彳+王(古体は「㞷(屮+王)」≠「主」)
 ↓↑  屮=凵+丿≠屮=凵+礀
     屮=サ・芽生え
       艸木の初生なり・・・艸=屮+屮
       礀の出でて枝莖の有る形
       艸=屮+屮・・・・屮+凵=出
     屮=左払いの屮
      =左・左手の古字
      古文に或いは艸字を以て為す
      讀みて徹(テツ)の若し?・・・徹底
      凡そ屮の屬は皆な屮に従ふ
      尹彤の說なり(説文解字
      若芽がわずかにあらわれる形(字通)
     屮の類字、部分構成文字
     屮、𡳾
     屯・㞢
     屰
     㞣
     𡴫
    「㞷(屮+王)の
     王=人が手足を広げる様で
       足をすすめるの意」?・・・
       ・・・「㞷=山ノ王」の王は
      「王(一+ 十+ 一)=111=壱壱壱」だろう・・・
       ・・・壹陌壹拾壱(壹)=始め邑の百、拾う壹(與)
      「屮」の      
       西周金文の象形文字
      「七支刀(しちしとう)=六又鉾(むつまちほこ)」
       に似る・・・「屮≒丰」?
 ↓↑
 義熙九年(413年)
      倭王讃朝貢倭の五王の始め)
  熙=ひかる・かがやく・キ・・・康煕字典の「煕」
    光熙・光が行きわたる・ひろまる・ひろめる・ひろい
    熙隆
    「煕」は正字、「熈」は異体字
    名のり
    おき・さと・てる・のり・ひろ・ひろし・ひろむ・よし
  熙=かわく・かわかす
    光る・光り輝く
    広い・広まる・広める
    興す
    やわらぐ・楽しむ・やわらぎ楽しむ・喜ぶ・喜び笑う
    ああ(感嘆の言葉・嬉々=キキとして)
ーーーーー
 往生素懐=仏教に帰依し
      現世を去って極楽浄土に
      生まれ変わりたいという
      平素からの願い
      往生=現世を去って、極楽浄土に生まれ変わること
      素懐=平素からの思い、願い
ーーーーー
 天智天皇の蒲生野行幸
 天智七年(668)五月五日
 天智天皇
 ↓↑
 誕生 626年
 崩御 672年1月7日
 ↓↑
 天智天皇七年(668年)
 新羅の      日本の
 文武王の代に・・・文武天皇(683〜707)
 ↓↑       第四二代天皇(在位697〜707)
          名は珂瑠(かる)
          天武・持統天皇の孫
          草壁皇子の第一皇子
          母は元明天皇
          大宝律令を制定
 ↓↑・・・ナゼ、新羅の「文武王」なのか?
ー↓↑ーーーー
 ↓↑  「文武」王⇔金春秋⇔天智・天武・持統⇔「文武」天皇
 ↓↑   ↓↑ 文武天皇(683〜707)
 ↓↑   ↓↑ ↓↑  ↓↑ ↓↑    ↓↑
      文武王(626年〜681年7月21日・旧暦7月1日)
      新羅、第30代の王(在位:661年〜681年)
      姓は金
      諱は法敏
      武烈王(金春秋)の長子
      母は角干(1等官)の
      金舒玄の娘(金庾信の妹)の
      文明夫人
      王妃は
      波珍飡(4等官)の
      金善品(真智王の弟の金仇輪の子)の
      娘の
      慈儀王后
      661年6月
      武烈王(金春秋)が死去し王位に就く
      在位中に高句麗を滅ぼし
      唐の勢力を朝鮮半島から駆逐し
 ↓↑   半島統一・・・
ー↓↑ーーーー
 ↓↑ 唐が高句麗に出兵し始めた頃の
    661年6月
    武烈王(金春秋)が死去
    文武王(金法敏)が即位
    唐から高句麗討伐軍に呼応することを求められ
    文武王は
    金庾信らに命じ
    唐軍のいる平壌で支援をする構えを保った
    高句麗は唐の攻撃に耐え
    唐軍は食糧を受け取ると戦いを収めて帰国
    662年
    唐から
    開府儀同三司・上柱国・楽浪郡王・新羅王に冊封
    663年5月
    百済
    鬼室福信らが
    王族の
    扶余豊璋を倭国から迎え
    百済復興の大規模な反乱
    百済倭国vs唐・新羅
    白村江の戦い
    倭国の水軍壊滅
    百済再興絶望
    666年4月
    唐に対し高句麗討伐の出兵要請
    唐は
    李勣を
    遼東道行軍大縈管に任命し
    高句麗攻撃開始
    668年
    新羅は唐軍に合流し
    平壌長安城を攻め
    同年9月21日に
    高句麗を滅ぼす
    金庾信を遇するために
    最高官位である
    大角干の上に
    太大角干の位を設けて与え
    すべての貴族に
    官位一等の昇進を賜った
    恩賞は新羅の中央貴族の私兵層へは与えられず
    地方豪族や
    百済高句麗から投降した官・将を取り立て
    王の直接の支配の及ぶ
    軍事力の育成に努め
    新羅の王権の拡大に寄与
 ↓↑ 百済高句麗を滅ぼした後
    663年4月
    新羅
    鶏林州都督府とされ・・・鶏の林の州
    文武王自身も
    鶏林州大都督に任じられていた
    唐は
    百済の故地に熊津都督府・・・熊の津の都
    高句麗の故地には
    安東都護府・・・安の東の都
    を設置し
    遺臣を用いて統治させるという
    羈縻政策
     ・・・羈=おもがい・たづな・キ
          手綱でつなぎとめる・つないで自由を奪う
          羈絆 (キハン)・不羈・馬で旅をする
          の
          縻=つな・つなぐ・きずな・ミ・ビ
    を用いようとした
    高句麗
    宝蔵王庶子である
    安勝が残存勢力とともに
    新羅に亡命してきたので
    金馬渚(全羅北道益山市)に住まわせ
    670年8月
    高句麗王として封じた
    新羅の送使が随行する形で
    高句麗をして
    倭国朝貢させ
    674年9月
    安勝
    報徳王として再封し
    旧高句麗に対する
    新羅の宗主権を誇示
 ↓↑
    唐はこれを叱責したが
    新羅
    旧百済領域の支配をめぐって
    唐と対抗姿勢をとり
    671年
    泗沘の占領
    所夫里州の設置
    旧百済領域を奪取
   (唐・新羅戦争)
    674年1月
    唐の
    高宗からは官爵を削られ
    宿衛として留まっていた
    王弟の
    金仁問を
    新羅王に代えようとするとともに
    劉仁軌
    らが新羅討伐に出兵準備
    文武王は
    675年2月
    謝罪使を派遣
    その後も小規模な戦闘を繰り返し
    676年11月
    白江河口部の
    伎伐浦(忠清北道舒川郡長項)で
    唐軍に大打撃を与えた
    唐は
    熊津都督府安東都護府
    を
    遼東地方に引き上げ
    朝鮮半島から唐の勢力は引き上げた
 ↓↑
    文武王は
    百済高句麗の遺民を取り込み
    新羅身分制度を再編
    新羅身分制度
    首都金城(慶州市)を中心とする京位と
         地方豪族を序列化する外位との
         二本立てであったが
    674年には外位を廃止して京位に一本化した
    前年(673年)に
    百済から帰属してきたものを
    新羅の官制に取り込んだが
    百済での官制の序列に従って
    新羅官制の序列に組み入れ
    両者の連続性を継承させた
    高句麗移民に対して
    安勝を保護し
    高句麗
    次いで
    報徳王として
    新羅の配下に冊封
    680年
    文武王の妹を
    安勝に降嫁させ
    新羅高句麗の王家の結合を図り
    旧の三国が一体となるように努め
 ↓↑
    在位21年
    681年7月1日
    死去
    文武王と諡された
    王自身の遺詔で
    新羅では初めての
    火葬された王となり
    骨壷は日本海の浜辺の
    大石の上に葬られた
   「海中王陵」である
    王は護国の大龍に化身し
    この大石を
   「大王岩」といった
    王のために
    感恩寺(慶尚北道慶州市陽北面)が建てられた
    感恩寺に伝わる書物には
    文武王が
    倭兵を鎮圧するために
    この寺を建てようとしたが
    完成する前に亡くなり
   「神文王」の
    二年(682年)に完成・・・
 ↓↑
    神文王七年(687年)
    新羅の祖廟の祭祀として
    神文王にとっては
    父   文武王
    祖父  武烈王
    曽祖父 文興葛文王(金龍春)
    高祖父 真平王
    太祖大王(金氏王統の始祖、13代味鄒尼師今)
    の五廟の制度が整備
    682年
    慶州
    四天王寺
    文武王の業績を称えた
    文武王陵碑が建立
    文武王は
   「匈奴の末裔」と記録・・・
ー↓↑ーーーー
 天智天皇七年(668年)
 新羅
 文武王の代に
 使節を送った・・・???ナゼ・・・新羅
 ↓↑ ↓↑
 九月 草薙剣天叢雲剣)盗難事件
 ↓↑ ↓↑
 「是歳。沙門
     道行
     盗
     草薙剣・・・・・ナゼ、草薙剣の剣なのか?
     逃向新羅。・・・ナゼ、新羅の僧なのか?
     而中路風雨。
     荒迷而帰」
 ↓↑ ↓↑
  事件十八(拾捌・足捌)年後の
 「戊寅に・・・・戊寅=つちのえのトラ      ・ボイン
           =土 の兄の虎(彪・禽・録)・母音
            十一(通知)の阿仁・阿児の捕等?
  天皇の病を占ふに
  草薙剣に祟れり。即日に、
  尾張国の熱田社に送り置く。
  (『日本書紀』朱鳥元年(686)六月戊寅条)」
 ・・・「日本武尊」は
    「伊吹山(「五十葺山・膽吹山・伊服阜能山」)」
     へ登る時に
    「草薙剣天叢雲剣)」を
    「尾張」の
    「宮簀媛(書紀)=美夜受比売(古事記
    (ミヤズヒメ=尾張国造乎止与命(オトヨ)の娘
     乎止与(オトヨ)命は
     天火明命アメノホアカリ)の子孫
     建稲種命の妹」
     に預け素手で・・・
    「宮簀媛(宀呂竹責ヒメ)=美夜受比売」は
     日本武尊ヤマトタケル)の
     東征の帰路、尾張滞在の際に娶った女性
    ・・・尾張は敵地との緩衝地帯だが
    ・・・高句麗女真・金・・・
      (蝦夷
       粛慎(シュクシン・みしはせ・あしはせ
       中国東北地方・沿海地方
       挹婁(ユウロウ)、勿吉(モッキツ)
       靺鞨(マッカツ)、女真(ジョシン)
       ツングース系狩猟民族)
       の混在居住地だった・・・?・・・
       だが多分、
      「古事記の物語」は「九州-有明海」の
      「諫早湾(泉水海)」を囲む
      「長崎」「佐賀」「熊本」「鹿児島」など
      の伝承出来事と重なり、
      「福岡」、「大分」、「宮崎」などにかさなり・・・
      本州山陰、山陽、四国、
      東海、関東、東北と重なっていく・・・
     兎に角、「日本武尊ヤマトタケル)」は
    ・・・「宮簀媛(宀呂竹責ヒメ)=美夜受比売」に
    ハメラれ、謀られた・・・
   「草薙神剣の有無」は彼女によって
   「武装解除」された「捕虜のハナシ」・・・?
ーーーーー
 自其國越科野國、
 乃言向科野之坂藭而、
 還來尾張國、
 入坐先日所期
 美夜受比賣之許。
 於是、獻大御食之時、
 其美夜受比賣、
 捧大御酒盞以獻。
 爾美夜受比賣、
 其於-意須比-之  其於-おすひ(襲=上着)-の
 襴意須      襴(ひとえ・ラン)に
          おす(襲=上着)の裾に
 (比三字以音)・・ランイス
 著月經。     月経(ツキのさわり)
          著(つ)きたり…いちじるしく
 故見其月經、   その月経を見て
 御歌曰、     御歌にいわく

 比佐迦多能    ひさかたの(久方の)
          比べ方、酒(サカ)多の
 阿米能迦具夜麻  天の香具山
 斗迦麻邇     鋭喧(とかま)に?
 佐和多流久毘   さ渡る鵠(クビ)?
 比波煩曾     弱細(ヒハボソ)?
 多和夜賀比那袁  撓(タワ)や?
          腕(ガヒナ)を?
 麻迦牟登波    枕かむとは?
 阿禮波須禮杼   我(アレ)はすれど?
 佐泥牟登波    さ寝むとは?
 阿禮波意母閇杼  我(アレ)は思へど?
 那賀祁勢流    何が著(ケ)せる?
 意須比能須蘇爾  襲(オスヒ)の裾(スソ)に?
 都紀多知邇祁理  月立ちにけり?

 爾美夜受比賣、答御歌曰、
 多迦比迦流    高光る
 比能美古     日の御子
 夜須美斯志    やすみしし
 和賀意富岐美   我が大君
 阿良多麻能    あらたまの
 登斯賀岐布禮婆  年が来経れば
 阿良多麻能    あらたまの
 都紀波岐閇由久  月は来経行く
 宇倍那      諾(ウベ)な
 宇倍那宇倍那   諾(ウベ)な諾(ウベ)な
 岐美麻知賀多爾  君待ちがたに
 和賀祁勢流    我が著せる
 意須比能須蘇爾  襲(オスヒ)の裾に
 都紀多多那牟余  月立たなむよ
 ・・・???・・・
 故爾御合而、   かれ、ここに御合しまし
 以其
 御刀之草那藝劒、 その御刀の草那芸剣(クサナギノツルギ)を
 置其       そこに置き
 美夜受比賣之許而、その美夜受比売(ミヤズヒメ)の許
 取
 伊服岐能山之藭  伊服岐(イブキ)の山の神を取りに
 幸行。      幸行しき
ーーーーー
 ↓↑ ↓↑
 「草薙神剣者。尤是天璽。自日本武尊催旋之年。
  留任尾張熱田社。外賊偸逃。不能出境」
  『古語拾遺(大同二年・807年)』」
 ↓↑ ↓↑
  朱鳥元年(686年)六月十日条・・・686年⇔668年?
  天武天皇が病
  占いで草薙剣による祟り
  剣を尾張国
  熱田社(愛知県名古屋市熱田神宮)に送り置いた
 ↓↑ ↓↑
  大阪府大阪市の地名「放出(はなてん)」
  道行が神罰を怖れ
  草薙剣を「放り出した」ことが地名由来
  同地の
  阿遅速雄神社の伝承
  鳥栖八剱社(名古屋市南区鳥栖)の社伝
  和銅元年(708年)
  道行が熱田神宮草薙剣を盗み去った際
  元明天皇に知られるのを恐れ
  新しく神剣が作られ
  熱田神宮別宮の
  八剣宮に奉納された・・・
 ↓↑  ↓↑ ↓↑
  遠賀川物部氏関連神社群の「古物神社」
 「古物神社は八幡宮」で
 そこに「布留御魂神社と剣神社」が合祀・・・?
 福岡県鞍手郡中山の剣岳には昔、草薙剣があった
 剣岳の山頂には八剱神社の上宮
 ↓↑ ↓↑
 天智天皇九年(670年) 新羅の文武王の代に使節を送った
 ↓↑
 在位期間
 天智七年(668年2月20日)〜672年1月7日
 ↓↑
 「茜草指
  武良前野逝・・・武良前野-逝・・・逝=死
  標野行・・・・・・・標野-行・・・逝≠行
  野守(のもり)者・・・
 ↓↑  野守(やもり=ヤモリ=守宮・家守・矢守
            ↓↑  病もり(守)・・・看病人?
            ↓↑
     ニホンヤモリ(日本守宮、Gekko japonicus)
     爬虫綱有鱗目ヤモリ科ヤモリ属のトカゲ(蜥蜴)の一種
 ↓↑  単に「ヤモリ」と呼称する

     モリ(守)=3世紀から6世紀ごろの
     古代日本の地域的、海運的首長につけられた
     語尾名称のひとつ
  ↓↑
  不見哉・・・・・フケンヤ
  君之・・・・・・訓(クン)詩(シ)?
  袖布流」・・・・袖振る=相手の霊魂を招き寄せる呪術?
          袖布流=湯部振る・喩分部振る?
          ソデふる・・・
          素(訴・蘇)出訃留・・・
                「訃=言+卜」?
         「卜」は「仆(ばったり倒れる)」の原字
          人の死の知らせ・訃報・訃音
  ↓↑
  紫の       紫草能
  にほへる妹を   保敝類妹乎
  憎くあらば    尓苦久有者
  人妻故に     人嬬故尓
  吾恋ひ     吾戀---目八方
  め       目(推量を表す助動詞の已然形)?〜だろうか
  や       八(反語を表す係助詞)?・・・・いや〜ない
  も       方(詠嘆を表す係助詞)?・・・・なぁ
  ・・・???・・・この「日本語訳」は?であるカナ・・・
         「目線は八方」・・・
  反転・倒置で解釈・・・?
  「め」は推量の助動詞「む」の已然形
  「やも」は反語の終助詞
  「どうして〜するだろうか、そんなことはしない」
 ・・・いい加減な目八方であるカナ・・・
  ↓↑
 「シのニホへるイモをニクくあらば
  シの児吠へる威母を似句倶あらば?
  ヒトヅマ 故に吾恋ひメヤモ」
  人妻である故に語(蛙)乞い目野喪?
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 野守=のもり=謡曲、五番目物・世阿弥
    春日野を行く旅僧が老人から
    野守の鏡の故事を聞き
    鬼神の奇瑞 (キズイ) を見る・・・???
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 野守草=植物名・ハギ(萩)の異名・・・長州藩、萩、松下村塾
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 野守(のもり)の鏡(かがみ・金立日儿)=鑑・加賀見・各務
     =大和国 春日の里を訪れた山伏(やまぶし・ワキ)・・・
              山伏(サンフク・耶麻を伏せる)?
      そこへ現れた
      野守の老翁(前シテ)は
      この野にある溜まり水が
     「野守の鏡」と呼ばれていることを教え
      そして「真実の野守の鏡」とは
      この水ではなく
     「鬼神のもつ明鏡」のことだと明かす
      この溜まり水が
      和歌の世界で
     「野守の鏡」と呼ばれるに至った故事を語る
     「山伏」は
      その「真実の鏡」にも関心を示すが
      老翁は
     「鬼神の鏡は
      世にも恐ろしい物なので人には見せられない」
      と告げると、野中の塚に姿を消してしまう
     「山伏」が
     「真実の鏡(鑑=歴史?)」
      を拝すべく一心に祈っていると
      塚の中から鏡をたずさえた
      鬼神(後シテ)が出現し・・・鬼神=卑弥呼の神?
      鬼神は、大宇宙のすみずみまでを
      明鏡に映し出し
      この世界の諸相を見せる・・・
 ???・・・だからナニ?・・・
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 野守(のもり・ヤモリ・ヤシュ)
         ・・・野手(野球の)
            野趣=自然のままの・素朴で田舎っぽい
 ↓↑            野性的・ワイルドな

 ヤモリ=やもり=守宮・家守・矢守・病もり・・・?
 ニホンヤモリ(日本守宮、Gekko japonicus)
 爬虫綱有鱗目ヤモリ科ヤモリ属に分類される
 蜥蜴(トカゲ)の一種・単にヤモリと呼称
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 民家やその周辺に生息
 動物食で
 昆虫やクモ、ワラジムシなどの
 陸生の節足動物を食べている
 天敵は猫等の哺乳類の他、鳥類、ヘビ、爬虫類
 夜行性で、昼間は壁の隙間等で休む
 獲物目当てに灯火の周りに現れる
 トカゲやカナヘビ同様
 驚いたり敵に捕まりそうになると
 尾を自切する
 切れた尾は分離後10分程度非常に複雑な動きをする
 尾は再生されるが
 元の尾と再生尾とでは視認できる程度の違いがある
 冬になると壁の隙間や縁の下等で冬眠
 繁殖形態は卵生
 5月から9月にかけて1-3回に分けて
 1度に2個ずつの粘着質に覆われた卵を木や壁面に産みつける
 卵は1ヶ月半から2ヶ月程度で孵化
 家の内外の害虫を捕食し
 虫害から家を守るとされ
 「守宮(家守)」と書かれ
 似た名の
 「イモリ(井守)」とともに親しまれてきた
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 アカハライモリ(Cynops pyrrhogaster)
 有尾目イモリ科イモリ属に分類される
 両生類の一種
 略してアカハラ
 イモリと呼ぶ
 別名
 ニホンイモリ(日本井守、日本蠑螈)
 和名の「井守」
 野井戸の中にも生息するので
 「井戸を守る」に由来
 水田に生息することから
 「田(井田)を守る」との意味に由来・・・
 ヤモリは爬虫類
 イモリは両生類・変態動物
 イモリの黒焼き=ほれ薬
 大陸中国
 ヤモリの黒焼き
 が
 日本では
 イモリの黒焼きになった・・・
 蠑螈=いもり・エイゲン=イモリ=井守
    イモリ科の両生類
    日本特産で池や井戸にすむ
    形はトカゲに似る
    体は黒褐色で腹は赤い
    アカハラとも
    井戸のなかにすむことから
    有尾目イモリ科の両生類
    日本の固有種
    体長約10センチ
    背面は黒褐色で斑点
    腹面全体が赤い
    イモリは
    池や井戸など水のあるところを守る・・・
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 ・・・???・・・万葉仮名は変信の宝庫であるカナ・・・?