2512日目・・・2018年4月11日目・・・「1111年」って、何があったんだか?・・・「記録所」・・・?

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 鉤=鈎(かぎ・こ・こう・はり・ち・はぜ)
   先が曲がった棒状の、金属製の器具
   曲がった部分を何かに引っ掛けて使う
   フック(hook)
   「かぎ」と読む
   分野によっては他の読み方をする
   手術用器具
   組織を引っかけて牽引するのに使用
   漁具・魚類や貝類などを捕獲に使用
   武器の種類
   長い柄の先が曲がっており
   敵を引っ掛けて倒す
   鉤縄
   銀鉤(ギンコウ)
   銀の鉤
   銀製の釣り針や、銀製のすだれかけ
   三日月の別名
   巧みな筆跡
   uncinate(アンシネィト)安史婦負人?
        うんしなと(て)
        云 支那人(訳)
     ・・・運 指名手(弖)?
   鉤状の
   解剖の本などでは
  「鈎」の字を使用
   鉤状束(コウジョウソク
       Uncinate fasciculus)
   大脳にある連合線維
   外側溝の下部を横切り
   前頭葉の脳回と
   側頭葉の前端を繋いでいる
   膵鉤部
   uncinate process of the pancreas,
   pancreatic uncinate process.
   鉤鼻
ーーー↓↑ーーー
  鈎=金+勾(勹ム)=かぎ・・・句=ク・コウ
                 匂=におい
                 匃=こう・あたえる
                   カツ・カチ・カイ
                 稹=いそがしい・ソウ=匆
                 勺=くむ・シャク・酌・杓
                 穀=ひとしい・イン・キン
   物をひっかけたりとめたりする
   先の曲がった金属製の道具
   つりばり
   鉤曲
   かける・ひっかける
   鉤距・鉤索
   おびどめ
   帯鉤
   まがる・まげる・かがむ
   銀鉤(ギンコウ)・帯鉤(タイコウ)
   釣鉤(チョウコウ)
   鉤(かぎ)・鉤裂き(かぎざき)
   鉤形・鉤状(かぎなり)・鉤鼻(かぎばな)
   鉤樟(くろもじ)
   鉤餌(コウジ)・鉤縄規矩(コウジョウキク)
   鉤欄(コウラン)・鉤素(はりす)
   ↓↑
 勾=まがる・くぎる・勾配
   かぎ・鉤(コウ)
   とらえる
   勾引・勾留
   勾引(かどわ)かす
   勾引(コウイン)・勾当(コウトウ)
   勾配(コウバイ)・勾欄(コウラン)・勾留(コウリュウ)
   勾欄(てすり)・勾玉(まがたま)・勾(まがる)
 鈎=かぎ
   型をして物をひっかける金具
   かぎ棒・とめ金・鎌カマ・つりばり
   さぐる
   深い所にあるものを、ひっかけてとりだす
   物事の道理をさぐる
   ひっかけてたぐりよせる
   いざなう
   拘・・・拘束
   直角三角形の三辺のうち
   直角をはさむ、辺の短いほう
   転じて、型をなしたもの
   句とは、筆跡の巧みなことのたとえ
   ↓↑
   鈎股弦(こうこげん)
   和算で、直角三角形の三辺
   「勾」は直角三角形の短辺
   「股」は長辺
   「弦」は直角に対する斜辺
   鈎股弦の定理(こうこげんのていり)
   「 ピタゴラスの定理
   「三平方の定理
   鉤餌(こうじ)=つりばりにつけたえさ
   鉤虫(こうちゅう)
   十二指腸虫(じゅうにちちょうちゅう)
   鉤虫科の寄生虫の総称
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 椎=木+隹
   しい・つち・ツイ
   ブナ科の常緑高木の総称
   椎茸(しいたけ)
   つち=槌(ツイ)・鎚(ツイ) ・物を打つ道具
      うつ・打ちたたく
   せぼね=椎骨・脊椎(セキツイ)
   おろか・にぶい・椎鈍
   胸椎(キョウツイ)・頸椎(ケイツイ)
   脊椎(セキツイ)・鉄椎(テッツイ)
   腰椎(ヨウツイ)
   椎間板(ツイカンバン)
   椎輪(ツイリン)
   Uncus=鉤(かぎ)状のもの
       突起
       Unc=アンク=ank
       曲げる・弓を引く・屈服させる
       ねじ曲げる
       釣針(angle)
       錨(いかり)
       頼みの綱・力となるもの
   椎=日本海軍の駆逐艦
   ブナ科の常緑高木
   ツブラジイ・スダジイの総称
   暖地に自生
   大木・古木となる
   葉は革質で長円形
   雌雄同株
   果実はどんぐり状で食用
   材は建材・家具材
   椎茸の原木などとする
   樹皮は染色
   ↓↑
 椎(ツイ)=物をたたく工具・つち・鉄椎
       せぼね
   椎骨・椎間板・胸椎・頸椎 (ケイツイ)
   脊椎・仙椎・腰椎
   木椎 (さいづち)
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 卑衍(ヒエン)・・・飛燕
  衍=彳+氵+亍・・・「氵=水」が余り
    文章中に誤って入った余計な文字
  衍=語句中にまちがって入った不必要な文字
  衍字(エンジ)
  卑弥呼の余り?⇔壱(壹・臺)與or磐余
   ↓↑
 木(キ )の国=日本・倭・和
 金(キン)の国=高句麗・朝鮮・遼
   ↓↑
  女真(女眞・ジョシン・女直・ジョチョク)
 満洲松花江一帯から
 外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の
 外満州にかけて居住していた満州民族
 聖地は長白山
 10世紀ごろから記録
 17世紀に「満洲(マンジュ)」・・・饅頭?
 「女真」の漢字は
 「ジュシェン・ジュルチン」の当て字?・・・
 「女真・女眞・女直」の意味も採った・・・
 「女直」は
 「遼興宗」の諱
 「耶律宗真」に含まれる「真」の字を避けた
 (避諱)・・・
  ↓↑
 金王朝を滅ぼした
 モンゴル帝国元王朝時代
  ↓↑
 女真人の
 完顔阿骨打
 1115年に満州に建国
 都は
 上京会寧府
 (1153年に燕京
  1214年に汴京に遷都)
 宋王朝
 遼王朝を倒す好機とし
 金王朝と同盟し
 1125年
 遼を滅ぼした
  ↓↑
 その後
 金王朝は中国本土への侵出
 1127年
 (靖康の変)
 宋王朝の都
 開封を攻め
 徽宗
 欽宗
 の親子を捕らえて滅亡させ
 江南に逃れた宋は
 高宗が
 南宋王朝を建て
 華北金王朝
 と
 江南の南宋王朝
 の対立が続いた
 金王朝
 女真族の軍事組織である
 猛安
 謀克
 を
 女真族の統治に適用
 支配下
 華北漢民族には
 州県制を適用
  ↓↑
 遼河
 満州南部を流れる大河
 河北省、内蒙古自治区
 吉林省遼寧省を流れ
 渤海に注ぐ河流
  ↓↑
 遼東半島
 朝鮮半島の北西に位置
 満洲南部から海を挟んだ対岸の
 山東半島へ向かって
 西南西へ飛び出した形
 半島の付け根は
 鴨緑江
 と
 遼河に挟まれ
 半島部は
 西を渤海
 南を黄海
 南東を西朝鮮湾
 に囲まれている
 主要都市
 最西端部の
 旅順や大連
 半島付け根の渤海側に
 営口
 北東から
 千山山脈
  ↓↑
 春秋時代
 燕の領土
 後漢
 公孫氏が支配
 三国時代
 公孫淵
 呉と通じ
 魏から独立
 司馬懿により滅ぼされた 
 司馬懿
 遼東に住む15歳以上の男子、数千人殺害
 遼東
 公孫氏政権の滅亡・・・
 卑弥呼による魏への遣使・・・
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 1900年
 北清事変
 後
 ロシア軍が
 遼東半島全域を占領
 旅順に要塞を築いた
  ↓↑
 日露戦争
 旅順要塞で
 日露両軍の攻防
 1905年
 ポーツマス条約
 日本は
 遼東半島の先端部にあたる
 関東州の租借権を
 ロシアから獲得
 関東都督府(関東庁)の
 本部は旅順
 南満州鉄道
 本社は大連に置かれた
 1919年
 関東都督府は廃止
 1932年
 関東軍
 東三省全土を占拠し
 満洲国を建国
 租借権の設定は
 日本が満洲国から受けている形式に改定
 1937年
 満鉄附属地の
 行政権を満洲国に返還
 ↓↑  ↓↑
 1945年8月
 ソ連対日参戦で
 ソ連軍に軍事占領され
 後、
 中ソ友好同盟条約で
 中華民国から
 ソ連
 旅順と大連の租借権を獲得
 1949年
 中国共産党
 中華人民共和国成立以後
 国共内戦
 中国共産党政府を支援したソ連
 同国に「返還」し
 以降同国の政府が統治
  ↓↑  ↓↑  ↓↑
 遼
 遼王朝
 916年〜1125年
 内モンゴルを中心に
 中国北辺を支配した
 契丹人(キタイ人)
 耶律氏(ヤリュート氏)
 の征服王朝
 最初の異民族王朝
 征服王朝(金、元、清)の最初
 中原の支配はない
 内モンゴル自治区の東南部
 遼河の上流域にいた
 契丹族
 耶律阿保機(太祖)が
 907年
 契丹可汗の位につき
 916年
 「天皇帝」・・・天皇
      則天武后の夫、唐の高宗も名乗った
 と称し
 年号を
 「神冊」とした
 太祖
 耶律阿保機
 西はモンゴル高原東部の
 モンゴル族を攻め
 926年
 東は渤海を滅ぼし
 東丹国を建て
 満州から
 モンゴル高原東部までの
 帝国を拡大
 2代
 耶律徳光
 五代の
 後晋から
 華北
 北京・大同近辺(燕雲十六州)
 の割譲を受け
 渤海旧領とあわせ
 農耕定住民を抱えた
 遼は
 モンゴル高原
 遊牧民統治機構(北面官)と
 南朝宋式の
 定住民統治機構(南面官)
 を持つ二元的な国制を発展
 ↓↑
 宋の
 太宗は
 燕雲十六州の奪還をもくろみ
 北伐軍を派遣
 が、
 遼に撃退された
 遼は
 皇帝の擁立で内部争い
 6代
 聖宗
 内部抗争を収め
 中央集権化
 1004年
 宋へ遠征軍を送り
 澶淵の盟を結び
 毎年大量の
 絹と銀を
 宋から遼に送ることを約束
 和平条約を結んだ
 遼と宋の間に
 100年以上平和が保たれた
 経済力をつけ国力を増大
 西の
 西夏を服属させ
 北アジアの最強国となった
 財政を背景に文化を発展
 中国から様々な文物を取り入れ
 繁栄
 遼の貴族層は贅沢
 建国時の強大な武力は弱まっていった
 服属の
 女真族などの収奪も激しく
 恨みを買った
 ↓↑
 女真は強大化し
 1115年
 自らの
 金王朝を建国
 遼に反旗を翻した
 遼は大軍を送って
 鎮圧しようとするが大敗
 遼の弱体で
 宋は金と盟約し
 遼を挟撃
 1125年
 金に滅ぼされた
 一部の契丹人は
 耶律大石
 に率いられて中央アジアに移住し
 西遼(カラ・キタイ)を立てた
 (耶律淳の北遼
  13世紀成立の
  耶律留哥の東遼などもある)
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 遼の政治体制
 遊牧民
 と
 農耕民
 をそれぞれ別の法で治める二元政治
 契丹族を代表とする
 遊牧民には北面官があたり
 燕雲十六州の漢人渤海遺民ら
 農耕民には南面官があたる
 北は契丹族や他の遊牧民族には
 固有の部族主義的な法で臨み
 南は唐制を模倣した法制で臨んだ
 北面官の機関
 北枢密院・宣微員・大于越府
 夷離畢院・大林牙院
 北枢密院が
 軍事・政治の両権を一手に握って最高機関
 当初は
 大于越府が最高機関で
 北枢密院が作られてからは有名無実化
 名誉職になった
 南面官の機関は
 南枢密院を頂点とし
 三省六部
 御史台と言った
 唐制に倣った役職が置かれて統治
 南枢密院は
 北枢密院と違って
 軍権は持っておらず
 民政の最高機関
 ↓↑
 二元政治は
 聖宗期を過ぎた頃から
 契丹族内での中国化
 ↓↑
 遼の兵制
 北では国民皆兵制で、国軍
 南では郷兵と呼ばれる徴兵制で
 地方守備軍
 指揮権は南面官にはなく
 各地方の長官が持っていた
 南軍も時に
 北軍に従って遠征軍に入った
 ↓↑ 
 遼
 北宋政和元年
 遼天慶元年(1111年)・・・壱壱壱壱
              壱千壱百壱拾壱
ーー↓↑ーー
 1111年???・・・伊知・・・壱=壹壹壹壹
               台=臺臺臺臺
 干支=辛卯年
    ↓↑
    金兎(兔・ト)・・・金兎運(云・雲)?
    觔斗雲(キントウン)
   「西遊記」の孫悟空が乗って空を飛ぶ仙術の雲
   「觔斗=宙返り」
    孫悟空が雲に乗る時に
    トンボを・・・トンボ=秋津・安芸津・蜻蛉
    切って
    雲に・・・句摸・苦母・くぼ=久保・窪
    ↓↑「落窪物語」?・・・継子物語・・・「氷点」?
       日本版「シンデレラ姫」
       落ち窪(くぼ)んだ部屋で
       住んだので、「落窪の姫君」・・・
    ↓↑「二つの石帯」は、衛門佐(三郎君)と
       あなたが、一つづつ
       美濃国
       荘園の地券と、
       石帯ひとつは私の手元に
        (石帯=束帯のとき、袍 (ほう) の腰に締める帯
         牛革を黒漆で塗り、銙 (か) とよぶ
         方形または円形の玉や石の飾りを並べてつける
         三位以上は玉、
         四位・五位は瑪瑙 (めのう) 、
         六位は烏犀角 (うさいかく) を用いた
         有文 (うもん) と
         無文 (むもん) とがあり、身分の高下、
         儀式の軽重に応じて使い分けた
     ↓↑  ごくのおび・いしのおび)
     ↓↑いただきましょう。
     ↓↑遺言すべてを無下に断っては、
     ↓↑故大納言の遺志を
     ↓↑無視するようなものですから」
     乗ったので
     師の須菩提が、特に授けた術で
    「觔斗雲の術」は
     10万8000里/1跳び(=宙返り1回)の速さで
     空を自在に飛ぶ
 日本=天永二年
    皇紀1771年
 中国=北宋=政和元年
 遼 =天慶元年
 西夏貞観十一年・・・貞(ただし)て観(み)る十一年
 ↓↑
 記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)
 平安時代
 荘園調査機関
 令外官の1つ
 略して
 記録所という。
 ↓↑
 1069年(延久元年)
 後三条天皇の発布した
 延久の
 荘園整理令の実施に伴い設置
 反摂関家的な
 源経長
 大江匡房
 らが起用
 業務は
 不正荘園の調査・摘発
 書類不備の荘園の没収
 後三条の死後には消滅
 1111年(天永二年)・・・壱=壹壹壹壹・・・壹與
             台=臺臺臺臺・・・臺與
               壱千(阡)壱百(陌)壱拾(足)壱
 1156年(保元元年)
 にも設置
 後白河法皇によって
 院庁に吸収
 1187年(文治三年)・・・・文の治の三年(残念・竄撚)?
 訴訟や
 儀式の遂行に関する業務も含めた形で復興
 記録所は
 内覧
 九条兼実・・・憲法の九条を兼る実?
 の管轄下に置かれ
 公卿の陣定に匹敵する発言力が与えられた
 後鳥羽上皇院政開始とともに
 院庁に吸収(機能消滅?)
 ↓↑
 後嵯峨天皇の時代
 再置され
 常設化
 1293年(正応六年・永仁元年)
 伏見天皇
 徳政推進の機関として充実化
 その権限が拡大
 記録所の職員を
 6班に分け
 寺社・公務・所領争いなど
 訴訟の分野ごとに
 担当する日付や班が定められた
 (後の
  建武の・・・建=たける=武
  新政における
  雑訴決断所の分離・設置にも影響を与えた)
 ↓↑
 鎌倉時代
 1321年(元亨元年)
 後宇多法皇に代わり
 親政を開始した
 後醍醐天皇
 記録所を再興
 1333年・・・・壱参参参
        壱千参百参拾参
 鎌倉幕府・・・なぜ、「鎌の倉」なんだか?
 ↓↑  ・・・「カマ」は洞穴、クラは「岩」の意?
     ・・・「竈口は鎌倉の異名
         竈谷(かまくら)の義
         竈口(かまくち)」 
        「アイヌ語の「カマクラン=山を越していく」
        「カマ・クラ=平板な石の山」という意
     ・・・「高座(たかくら)→高倉→高麗(こま)
         高麗座(こまくら)→かまくら」になった?
     ・・・「綾瀬市の宮久保遺跡出土の木簡に
         天平五年(733年)・鎌倉郡鎌倉里」
        「相模国封戸祖交易帳に
 ↓↑      天平七年(735年)・鎌倉郡鎌倉郷」
 ↓↑      鎌=かま=釜・窯・罐・缶
           かみ・かむ・かも
 ↓↑        かめ=咬め・噛め・亀・甕・瓶・鹿目
 が滅亡
 後醍醐は
 建武の新政を開始
 八省の外に
 記録所を設置
 建武政権における
 最高政務機関とし
 重要審議を処理させた
 ↓↑ 
 荘園整理令
 平安時代に発布された一連の法令
 ↓↑
 1069年(治暦五年=延久元年)
     ・・・治(おさめる)の暦(こよみ)の五年(御念・語撚)
 後三条天皇
 全国の荘園を
 一斉整理する目的で発令した
 延久の
 荘園整理令で
 150年前の醍醐天皇の時代から
 天皇の代替わりごとに
 度々発令
 古くは
 「荘園を禁止する法令」
 とする認識がされる場合もあったが
 実際には違法な手続によって
 立荘された荘園を
 整理・停止することを意図した法令
 正規な手続によって
 成立した荘園については
 公認する性格を有していた
 中央政府による
 荘園整理令とは別に
 諸国の国司が独自に
 荘園整理令を申請し
 太政官における陣定の
 「諸国条事定」において
 審議され承認された場合も存在・・・
ーーーーー
 ・・・政府の認可事業は特定利権者とする・・・「総理大臣の案件」って?・・・モリカケ・・・記録廃棄の有無・・・