2387日目・・・「シンもえだけ=新燃岳=シンネンガク=信念覚=申念臥句」・・・「申=さる=猿・猨・猴・猱・沙流」、「さる=狙→狙撃・狙(ねら)い撃ち」、「然(さる)=肉(月・舟・タヽ)+犬+灬()」→「しかる・しかり・しかし・しかして・しからば・しかるに」・・・「然程(さほど)・然迄(さまで)・然様(さよう)・然様奈良(さようなら)・然(さ)りとて・然(しか)し・然々(しかじか)・然(しか)も・然(しか)り・然可(しかるべ)き・然諾(ゼンダク)」・・・「然=そのとォ〜り・肯定や同意を示す語・然諾・当然
「シンネンガク=新撚(捻・粘・禰武・音務)學」?・・・
「御鉢=火常峰」・・・
「鉢(ハチ・ハツ)=金+本=梵語pātra(ハッタラ)の音写、鉢多羅の略・仏道修行者の食器・僧尼が托鉢(乞食・コツジキ・コジキ=古事記)のときに所持する器(うつわ・キ)・応量器・鉢(ハチ・ハツ)の子・皿より深く碗 (ワン) より浅い、上部の開いた食器」、「鉢は出家者の最も基本的な所持物である六物(ろくもつ)の一つ・ハチの形、大きさ、材質、取扱方に細かい規定があった・概(おおむ)ね半球状で、材料は鉄」、「形状が似ているため頭蓋骨のことを鉢ともいう・頭の皿(脳天の平らな所)・日本の兜における頭頂部を覆う部分・処女(乙女)の女陰の異名を鉢、新鉢(あらばち)は処女(乙女)を指す」・・・「おとめ」・・・龍馬(坂本)の姉、お龍の小姑(こじゅうと)・・・
「鉢かづき姫」の名は、「初瀬山の長谷観音にちなんで付けられた初瀬姫」・・・「かづく=被く・かぶる」・・・
「鉢=盋=犮+皿」・・・「盋=㿽=八+丂+皿・兮+皿=小さな盆・口が開き底が平らな容器」・・・
「犮(走る犬)=ハツ=冹・坺・妭(女+犮=見目よい)・魃=(鬼+犮=日照り神)・𢇷・帗・拔(抜)・茇・柭・炦・祓・袚・翇・跋・軷・瞂・䳁(鳥+犮=水鳥の名、鴨に似て羽は五色)・鮁(魚+犮=さわら)・黻・髮(髪)」・・・「お祓い」・・・
「犮=ナ+乂+ヽ=犬+ノ=走る犬・除く」・・・
異字体は「𡗜=一+火」・・・「発火」・・・
類字は「龙=龍・竜・辰」・・・
類字は「友=ナ+又」・・・抜(ぬ)く・・・「抜擢・選抜」・・・
・・・「熊本」の「熊=能+灬」=「熋=能(ム月七七)+火=能(ム肉ヒヒ)+火」であるならば、「灬(烈)=火」・・・「羆(ひぐま)」・・・匕(牝)・ヒ(匙)・七(漆・7)・・・
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シンモエダケ=新燃岳=シンネンガク
↓↑
北緯31度54分34秒 東経130度53分11秒
高千穂峰・・・交撰保(補)法・・・
↓↑
御鉢(おはち・みはち)
九州南部に連なる
霧島山の
高千穂峰に付随する側火山
活火山
江戸時代以前は
「火常峰」・・・・ひのつねのみね?・カジョウホウ
と呼ばれていた
火口の形状が
飯櫃(めしびつ)に似て
「御鉢(おはち)」
とも呼ばれ
明治以降は
「御鉢」の呼称が一般的となった
火口内と西斜面は
鹿児島県
霧島市
北斜面は
宮崎県
小林市
南斜面は
宮崎県
都城市に属する
↓↑
火口壁の頂上付近は
絶壁
この上を通る登山道は
「馬の背越え」
と呼ばれている
「韓国(からくに)の見岳(からくにのみたけ)」・・・実際には山頂からは朝鮮半島を見ることはできない・・・地図上では「唐國=からくに=漢國」の「上海=申」・・・
北緯31度53分07秒・・・上海=申=北緯31度10分00秒
東経121度29分00
東経130度54分36秒
↓↑
火口東端
と
高千穂峰との間は
窪(くぼ)んでおり
馬の背のように見え
「背門丘(せとを)」
と名付けられている
背門丘は
天孫降臨の舞台であった・・・
海老野高原←韓国岳←獅子戸岳←新燃岳←中岳←高千穂河原←御鉢←高千穂峰←と縦走・・・
かつては
千里谷、
天河原
とも呼ばれていた
瀬多尾寺(霧島岑神社)があったが
噴火によってたびたび焼失
麓の
高千穂河原などへ移された
↓↑
霧島山
九州南部の
宮崎県と
鹿児島県県境付近に広がる
火山群の総称
霧島連山、霧島連峰、霧島山地、霧島火山群
とも呼ばれる
最高峰の
韓国岳(標高1,700m)
と
高千穂峰
の間や周辺に
山々が連なって山塊を成す
↓↑
高千穂峰
宮崎県
と
鹿児島県の
県境に位置する火山
霧島連峰の
第二峰
↓↑
霧島連峰の
第一峰である
韓国岳が
山塊中の
一峰であるのに比べ
高千穂峰は
都城盆地
平野部から
直接望まれ
都城盆地にしばしば発生する
雲海に対し山頂部が
島に見えることから
霧島の由来ともなった・・・
↓↑
山頂にある
青銅製の
天逆鉾が
霧島東神社の御神体
として崇められている
↓↑
ニニギノミコトが降臨したときに
峰に突き立てた
背門丘(セタオ・セトオ)
高千穂峰山頂
と
御鉢火口外縁東斜面
との間にある
鞍部
二つの峰をむすんだ
稜線上の凹所
に
霧島岑神社
(霧島山
中央
六所権現
・別当、瀬多尾寺)
が鎮座していたが
噴火により社殿が焼失
山麓の宮崎県側に
霧島東神社
狭野神社
鹿児島県側に
霧島神宮などに分社
霧島岑神社は
宮崎県小林市に遷座・・・
↓↑
坂本龍馬が
妻
お龍
とこの地を訪れ
天逆鉾を抜いたことが
竜馬の姉
乙女宛の書簡に残され
「日本初の新婚旅行」・・・
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・・・???・・・
猿=ましら・・・続日本紀に見える柿本朝臣「佐留」、歌人の「猿丸大夫」、上杉謙信の幼名「猿松」、前田利常の幼名「お猿」・・・日吉丸は豊臣秀吉の幼名・・・「猿」はラッパ、スパイ、間者、間諜・・・
軒猿(のきざる)=戦国時代の忍者
簷猿(のきざる)=軒下に猿のように潜んで
敵の内証を探る役
「日吉・庚申様・馬頭観音・猿田彦」
「厩猿(まやざる)」=厩に猿を飼う
「霧隠才蔵」
ーーー↓↑ーーー
霧島山(新燃岳)
平成二十九(2017)年・・・丁酉年
十月
十四日
十六時三十分
福岡管区気象台・鹿児島地方気象台発表
火口周辺警報(噴火警戒レベル3、入山規制)
新燃岳
活発な噴火活動
↓↑
享保噴火
1716〜1717年・・・・1717年・干支=丁酉
↓↑ 日本 享保二年
皇紀2377年
中国
清 康熙五十六年
朝鮮
↓↑ 李氏朝鮮 粛宗四十三年
水蒸気爆発
マグマ水蒸気爆発
マグマ噴火
へ約1年半続いた
享保年間の活動
第1期(1716年4月10日,5月7日)
第2期(9月26日)
第3期(11月9日)
第4期(12月)
第5期(1717年2月)
第6期(3月〜4月?)
第7期(9月6日)
に分けられ
第3期において
最大の人的経済的被害
死者5名、負傷者31名
神社・仏閣焼失、焼失家屋600余軒
牛馬405頭の
死
↓↑
1716年
4月10日 小規模な噴火
9月26日 山麓へ初めての降灰
3月11日(正徳6年2月18日)
大音響
水蒸気爆発
黒煙が高さ3,000m
新燃岳東方を流れる
高崎川で泥流発生・・・
11月9日(享保元年9月26日)
夜半から噴火
周囲に数ヶ所の火口が形成
火砕流発生
山林火災
負傷者は31名
焼死した牛馬は405頭
神社仏閣など600軒が焼失
石高で6万6000石の農業被害
宮崎県
高千穂町でも、
「霧島だけ」の火が見えた・・・
↓↑
1717年
2月7日〜10日
(享保元年12月26日〜29日)
噴火の繰り返し
霧島山東側の広範囲にわたって
火山灰が降下
2月13日
(享保2年1月3日)
朝9時頃
火砕流の発生を伴う大規模な噴火
死者1名、負傷者30名
焼死した牛馬420頭の被害
神社仏閣や農家など134棟が焼失
周囲の田畑は厚さ10〜20cmの火山灰
農業被害は3万7000石
噴火降灰は
八丈島でも観察
霧島川では泥流が発生
下流部の田畑に被害
2月17日〜21日
(1月7日〜11日)
断続的に噴火
9月19日(8月15日)
享保噴火の中で最大規模の噴火
享保2年2月13日〜享保5年頃
数千人が参加して
「砂上げ」
と呼ばれる農地復旧作業
↓↑
1721年に堆積物の
ラハール(火山泥流)発生
↓↑
1822年1月12日
(文政4年12月20日)
8合目付近に新しい4カ所の火口が形成
軽石や火砕流の噴出
↓↑
1959年(昭和34年)
2月13日
降灰を伴う小規模な水蒸気噴火
2月17日14時50分
爆発音と空振を伴って噴火
黒色の噴煙が上空4,000mに達した
数日間にわたって噴火を繰り返し
後、次第に終息
水蒸気爆発
新燃池の北西岸から火口壁を越えて
山腹に至る直線上に
約20個の小火口が形成
噴出した
噴石は1万t
火山灰は860万t
↓↑
1962年(昭和37年)8月30日
白黒色の噴煙が高さ300mに達した
↓↑
1983年(昭和58年)12月28日
群発地震
12月29日
火山性微動
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・・・「熋=熱の別字(集韻)」・・・
焦熱地獄=殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見
の罪を犯したものが落ちる
大鉢特摩処(だいはちとくましょ)
大焼処(だいしょうしょ)
龍旋処(りゅうせんじょ)
鉄钁処(てっかくしょ)
「平等受苦無力無救・火常熱沸・鋸葉水生
極利刀鬘・極熱沸水・多饒悪蛇」
の巨大な罪人を煮る「釜(かま)」
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・・・???・・・