2354日目・・・「宿禰=すくね=足尼」?・・・じゃぁ、「宿=足」で、「禰=尼」なのか?・・・「宿禰=すくね=足尼=諏(言+耳+又)句音」?・・・

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 「銷=とかす・とける・つくす・つきる・けす・そこなう・ちる
    ショウ
    銷鑠(ショウシャク)
    つ(尽)くす・つきる
    銷沈
    けす・きえる
    銷夏
    へる・おとろえる・そこなう
    銷刻
    ち(散)る・ちらす」
 ↓↑
 手書きの「高=・・・高」
 高橋(たかはし・たかばし・コウキョウ)
 河川に架かる橋に由来する名称(人名・地名など)
 神道における天に届く柱、「階(たかはしら)」に由来
 八色の姓の一つ
 高橋真人
 高橋氏
 日本において、佐藤,鈴木に次いで多い姓
 東北地方に特に多い苗字
 ↓↑
 郄=ゲキ・キャク・ケキ・すきま・くぼみ
 「郄=メ+厷+阝」・・・「郤」の異体字・・・「隙」「希+刀」
 すき・すきま・ひま・あいだ・仲たがい(?)=隙
 春秋時代、晋の地名。現在の山西省にあった
 ↓↑
 「八色の姓(やくさのかばね)」
 684年(天武十三)
 天武天皇が新たに制定した
 「真人(まひと)
  朝臣(あそみ・あそん)
  宿禰(すくね)
  忌寸(いみき)
  道師(みちのし)
  臣(おみ)
  連(むらじ)
  稲置(いなぎ)」
 の八つの姓の制度
 『日本書紀
 天武天皇十三年
 「詔して曰はく、
  更諸氏の族姓を改めて、
  八色の姓を作りて、
  天下の万姓を混(まろか)す。
  一つに曰く、真(眞)人。
  二つに曰く、朝臣
  三つに曰く、宿禰
  四つに曰く、忌寸。
  五つに曰く、道師。
  六つに曰く、臣。
  七つに曰く、連。
  八つに曰く、稲置」
 ↓↑
 「真(眞)人」
 主として
 継体天皇以降の天皇の近親
 従来、
 「公(君・きみ)」
 の「姓」を称していたものに与えた
 ↓↑
 「宿禰
 宿禰(スクネ・シュクネ)=「足尼(ソクニ)?」
    もっとも古い用例
    埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣銘に
    「多加利-足尼」とみえる
     多加利足尼・・・一字一音とすれば
     タカリソニ=鷹の利は足の餌(珥)?
              千足(ちだる)国?
          「蘇良美都=tsoramitu=そらみつ
           古事記に三首、日本書紀に一首
     多くを加え、利の足の尼?
           利=きく(効く)・利目(効き目)
             するどい(鋭い)・鋭利
             とし(俊・敏)・敏捷・俊敏
             よい(良い)
             さとい(聡い)
             かしこい(賢い)
     たかりタリに=多加利(太化理→大化の改新)多理似? 
    「宿禰(足尼)」=「少兄(すくなえ)」
             ↓↑ 大兄(おおえ)=天智天皇
             ↓↑  中大兄皇子?→中の意味は?
             ↓↑小兄弟=呼びかけにも用い
             ↓↑多く悪事を働く団体組織、
             ↓↑共通の利益のために結ばれた
             ↓↑グループの中で密接な関係を
             ↓↑持った年齢の若い者
            の約(訳・役)?で
    「高句麗の官名」の
    「小兄(ショウケイ)」に由来?
     ↓↑
     大対盧(ダイタイロ)
     太大兄(タイダイケイ)・・・・大兄
     烏拙(ウセツ)
     太大使者(タイダイシシャ)
     位頭大兄(イトウダイケイ)・・大兄
     大使者(ダイシシャ)
     大兄(ダイケイ)・・・・・・・大兄
     褥奢(ジョクシャ)
     意侯奢(イコウシャ)
     小使者(ショウシシャ)
     小兄(ショウケイ)・・・・・・小兄
     翳属(エイゾク)
     仙人(センニン)
     ↓↑     ↓↑      ↓↑
     中-大兄皇子?・・・・・・・・・大兄
               →「中」の意味は?
                ↓↑
                「中臣」→鎌足
    京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた
    天児屋命アメノコヤネ)を祖
    姓(かばね)は連(むらじ)
   「八色の姓」以後は朝臣(あそみ・あそん)
     ↓↑
   「中臣金」は
     ↓↑
   「中臣鎌足」の従兄弟・・・中臣鎌子藤原鎌足
     ↓↑    中臣鎌足の父=中臣御食子
                母=大伴智仙娘
                妻=鏡王女
                  車持与志古娘
                子=定恵、藤原不比等
                  氷上娘、五百重娘
     ↓↑           耳面刀自、斗売娘
    天武天皇元年(672年)六月
    壬申の乱
    大友皇子不利
    七月二十二日
   「瀬田決戦」で
   「中臣金」は
    大友皇子に従って出陣、敗戦し
   「中臣金」は逃亡
    大友皇子
    七月二十三日
    自刃
   「中臣金(右大臣)」は束縛
    七月二十四日の条文(日本書紀
   「左右大臣諸々の罪人を探り捕らえた」
    八月二十五日
    近江国浅井郡田根(滋賀県東浅井郡北部)
    で斬殺処刑
    子孫は流罪、子の中臣英勝は
    大友皇子の妃
   「耳面刀自媛」・・・耳面刀自(みみもとじ・みみものとじ)
             ジメントウジ
             字面 当 時?
    の従者として
    藤原鎌足の故地
    鹿島を目指し
    九十九里浜に上陸したが
    媛は病に倒れ死亡
     ↓↑
     三世紀
    「高句麗・夫余」の二国と
    「沃沮・東濊」の二部族は
     前漢代の「濊貊(ワイハク・カイハク)」の後裔
           「高麗=コマ=貊(狛)」
             ↓↑
            宿禰=5世紀半ば以前に
               主として畿内地方の豪族が用いた
               姓となったのは
               684年(天武十三)
               八色(やくさ)の姓の一つ
        尼=尸+匕=あま・ニ・ジ
          さだ・ただ・ちか
         「尼港・摩尼・牟尼」
         「比丘尼」の略
         「尼(ジ)=仲尼=孔子=尼父(ジホ)」
         「㞾(山+尼)は、尼丘の意味の異体字
          尿・屁・屎
          昵懇(ジッコン)→昵=日+尼(尸+匕)
          昵近(ジッキン)
          昵=なじむ・慣れ親しむ
          屎尿・屎・屁・屍・屏・屑・屓・屠
          屢=しばしば・たびたび・しきりに・ル
            婁=ル・ロウ・つなぐ・ひく・ひっぱる
              ひき寄せる
              宿曜占星術二十八宿の一
              牡羊(おひつじ)座の頭部三星
              たたら(蹈鞴・踏鞴)
              たたみ(畳)
              婁絡=まとわりつき自由を奪う
                 襤褸(ぼろ)
                 螻蛄(おけら)
                 樓閣(ロウカク)
 ↓↑
 貴族の「姓(かばね)」
 朝臣宿禰・忌寸
 これが
 「甲子の宣」の
 大氏・小氏・伴造氏の発展形で
 その間にさらに氏族の再編が進められ
 朝臣52氏,宿禰50氏,忌寸11氏
 におさめられた・・・
 ・・・発展形って・・・?
 ・・・大氏→朝臣・・・先住支配層?
 ・・・小氏→宿禰・・・先住支配層?・・・「足尼」?
 ・・・伴造氏→忌寸・・・文人渡来人=訳等意訊?
             文字記録の知識を有する渡来人
             忌寸=己の心を寸(はか)る
             伴+造=とも の みやつこ
    伴造・・・・・・・造(つくり)=物造りの技術者
   (とものみやつこ)        こしらえる・為す
       宮 の子(工・匠)?
      「みやつこ=造(ゾウ)=三八通故」?
                 三十八→十一(壱拾壱)
                 三×八→二十四(弐拾四)
    伴造=伴(同僚・同伴)の
       農民集団の
       統率・管理者
       軍事に携わる大伴・物部
       祭祀に携わる中臣・忌部
       食膳に携わる膳
      「伴である渡来技術者集団」の統率者が
      「伴造」として部(べ)を率いる体制が作られ
       旧来の「伴」が
       その「支配下の農民集団」とともに
      「部」に組織されるようになり
      「伴造」は部の管理者となった・・・?
       要は「伴造」=大陸、半島の渡来人
 ↓↑
 天武天皇の国風諡号(和風諡号
 天渟中原瀛「真人」天皇
 (あまのぬなはらおきの「まひと」のすめらみこと)
 「真人」が使われ八色の姓の筆頭
 与えるべき「八色の姓」の「真人」があるのは「?」
 ↓↑
 八色の姓
 物部弓削(もののべゆげ)
 阿倍布勢(あべのふせ)・・・布勢=ふせ=布施・伏せ・臥せ
 蘇我石川(そがのいしかわ)
 などの複姓はこれ以後原則として消滅
 ↓↑
 684年(天武天皇十三)十月
 真人(まひと)
 朝臣(あそん)
 宿禰(すくね)
 忌寸 (いみき)
 道師(みちのし)
 臣(おみ)
 連(むらじ)
 稲置(いなぎ)
 の8種の姓(かばね)
 道師と稲置の姓を与えた例は見当たらない
 「連」は八色の姓制定直前に
 ↓↑
 「冠位十二階」
 604年に制定
 605年〜648年まで行なわれた冠位
 この制定により人材登用の道が開かれ
 朝廷に仕える臣下を12の等級に分け
 地位を表す冠を授けた
 推古十一(603) 年
 聖徳太子が制定
 六徳目
 徳・仁・礼・信・義・智
 をそれぞれ
 大小の2つに分け
 大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼
 大信・小信・大義・小義・大智・小智
 十二階とし
 これに
 紫、青、赤、黄、白、黒
 をあて、濃淡によって大小を区別
 絁(あしぎぬ)製の袋状の被り物の
 6種の色で冠位を区別し
 ついで冠飾に
 金その他の素材による差等表示の制が導入
 「徳・仁・礼・信・義・智」
 が
 「『隋書(ずいしょ)』俀国伝」では
 「徳・仁・義・礼・智・信」
 の順・・・?
 大化三(647)年
 十三階の冠位が制定
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 ・・・???・・・まひと・マヒト・・・麻痺訳・・・