2343日目・・・本日は1本の胡瓜の収穫・・・昨日(8/15)は「札幌の従妹家族3人」が家のオフクロの祭壇を訪問してくれた・・・夜には「インパール作戦」のTV・・・スベテの「生き物の細胞」は「壊死」する・・・生きている人間の「脳ミソ思考」も腐ったまま生きて行く奴がいる・・・生理的な新陳代謝の脳ミソは酸素不足で時間的な壊死が速いが、「3時間以内 or 4時間半以内であれば血栓を溶かす薬が投与できる」・・・そして「心臓(冠動脈血管に閉塞や狭窄、梗塞)」は「冠動脈がふさがれてしまうと、おおよそ40分で心内膜の
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脳血流量
組織100gあたり䛾血流量が1分間に
・ゼロ →4〜10分で脳組織䛿壊死
・16-18ml未満→1時間以内に壊死
・20ml未満→数時間から数日で壊死
(脳梗塞ガイドライン2013
Part1:閉塞血管䛾再開通療法)
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辟易
↓↑
「鮮(すくなし)」は狩猟、漁労、穀物、果実など
食べ物の
鮮度を保つ「時間的なコトバ」だろう
「鮮血」も維持できるのは
「時間的な問題」だ・・・
「鮮矣=センヤ=千夜・一矣」?
遷 矣→遷移
閃 矣→閃光
恒 矣→恒星・恒常・恒温
恒=愃=カン・ケン・セン
鱣 矣→鱣=こい=鯉
鱣=タン・セン・ゼン・ダン
テン・こい(鯉)
鮮=あざやか=「痣夜-矣」?
字=あざ=悝+矣(ヤ・カ)?
「凝血」でなく、
「汚血」・・・瘀血・淤血(オケツ)・・・
↓↑
「鮮少」
「其爲㆑人也、孝悌而好㆑犯㆑上者、鮮矣」
「其、爲人也、孝悌、而好、犯上者、鮮矣」は
「それ、人の行為也」、「孝悌、而好」の
「孝悌而好」の「悌=心+弟」
↓↑
「孝悌忠信=忠信孝悌」
漢字分解では
「孝(行)=十+一+ノ+一+了」・・・
「十の(足の)
一の(初めの)
丿の(えい・よう・ヘツ・ヘチ
右上から左下に曲がる意)
子=一+了(始〜終、終〜始)」?
↓↑
「不好犯上、而好作乱者、未之有也。
君子務本、本立而道生、
孝弟也者、其為仁之本與
ーー↓↑ーー
「南總里見八犬傳」
の
「犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)」は
「孝の玉(球・珠)を有し、牡丹の痣を左腕にある人物
長禄四年(1460年)
七月
戊戌の日
武蔵大塚で誕生
父は犬塚番作
母は手束(たつか)
使用する太刀は
足利家の宝刀
村雨丸
脇差は
桐一文字」・・・
↓↑
・・「戍=まもる・ジュ・国境を守る・戍卒・衛戍・征戍」
・・「戍=たむろ(屯)・守備兵の陣営・駐屯地」
・・「戌(ジュツ・いぬ)」
・・「戊(ボ・つちのえ)」とは別字
↓↑
「悌=忄(心)+弟」・・・
「弟の心構え、信条、心情」?
年下=としした=訳詞詩他?
若年者の信条、信義?
とは
「忠信」=信-義(誠意)を込めて
忠-臣(親や兄、目上、主人に仕えること
「忠信=ただのぶ(人名)」
「佐藤忠信(さとう ただのぶ)」は
源義経の家臣
「松平信忠=安城松平家2代目、宗家第6代当主」
↓↑
「南總-里見-八犬傳」
江戸時代後期
曲亭馬琴(滝沢馬琴)
による大長編読本
文化十一年(1814年)
刊行開始
二十八年をかけ
天保十三年(1842年)に完結
全98巻、106冊
刊行初期には5巻=5冊を1輯にまとめて発刊
全体の半数以上を「第9輯」が占める
馬琴が陰陽思想における
陽の極数である9にこだわったため・・・
巻数と冊数が一致しないのは
上下分冊にした巻があるため・・・
馬琴は
天保四年(1833年)頃から右目の視力が衰え
天保九年(1838年)には左目の視力も衰え
天保十一年(1840年)十一月
執筆が不能
息子の嫁の
路(土岐村路)に口述筆記させて執筆
馬琴が手探りで記し
路が書き継いだ原稿
(第九輯巻四十六=第177回)
は早稲田大学に現存
天保十二年八月二十日(1841年10月4日)
馬琴は本編(第百八十勝回下編大団円)を完成
させた
↓↑
富山で
伏姫(ふせひめ)は
読経の日々で
八房(犬)に
肉体の交わりを許さなかった
翌年、
伏姫は山中で出会った
仙童から
八房が
「玉梓(たまずさ)」=神余光弘の愛妾の名前
↓↑ 山下定包とも密通し
神余の死後は
山下の正妻
滝田落城時
彼女を捕らえた
里見義実は一度は助命を約束したが
金碗八郎の言で約束を翻し
玉梓は
「児孫まで、畜生道に導きて
この世からなる煩悩の、犬となさん」
との呪詛して処刑され
↓↑ その怨霊は里見家に仇なすことになる
↓↑ ↓↑ ↓↑
↓↑ ・・・たまずさ(玉梓・玉章)=「たまあずさ」の音変化
手紙・消息・手紙の中ほどをひねり結んだもの
ひねり文・結び文
艶書 (エンショ)=恋文・懸想文 (けそうぶみ)
古く便りを伝える使者が
手紙を梓(あずさの木)に結びつけて持参した
↓↑ 使者が持参する手紙
の呪詛を負っていたこと
読経の功徳により
その怨念は解消されたものの
八房(犬)の気を受け
種子を宿したことが告げられ
懐妊を恥じた伏姫は
富山に入った
金碗大輔(八郎の子)・里見義実
の前で割腹し
胎内に
犬の子がないことを証したが
傷口から流れ出た
白気(白く輝く不思議な光)は
姫の
数珠を空中に運び
仁義八行・・・「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」
の文字が記された
八つの大玉を飛散
↓↑
金碗大輔は僧体となって、
『犬』という字を崩し
「丶大(ちゅダイ)」・・・「丶(ちゅ・ぽち・主・灯火)」
を名乗り
八方に散った玉を求める旅に出る
ーー↓↑ーー
仁義八行
↓↑
仁=思いやり、慈しみ
義=人道に従う事・・・・人道?
道理にかなう事・・・道理?
礼=社会生活上の定まった形式・・・慣習上の行為、儀式?
人の踏み行なうべき道に従う事・・・?
智=物事を知り、わきまえている事・・・弁(わきま)える
忠=心の中に偽りがない事・・・・・・・本心・本音?
主君に専心尽くそうとする真心・・・忠儀
信=言葉で嘘を言わない事
相手の言葉をまことと受けて疑わない事
考=おもいはかる事
工夫をめぐらす事
親孝行する事・・・「考え」と「孝」は異なる
↓↑
孝=子供が自身の親に忠実に従うことを示す道徳概念
説文解字
「孝=善(よ)く父母に事(つか)えること
老の省略体と
子の組合せ
子が老人を助けささえること
子の父母に対する
敬愛を基礎とする道徳
父母に尽くす人(親孝行)
祖先を尊敬して、その考えや目標を受け継ぐ
祖先を尊敬し、その考えや目標を受け継いだ人
父母の喪に服する
(父や母が亡くなった後
一定期間、外出や積極的な人との付き合いをさける)」
喪服(葬儀や法事などに着用する黒または薄墨色の衣服)」
腰を曲げてつえをつく老人
と
頭部が大きく手足のなよやかな乳児
年寄りを支える子の意味
親に尽くす=孝=土ノ子=十の一の一と了
「老・耂(おい、おいかんむり(老冠)、おいがしら(老頭))」
「老=耂+ヒ
ヒ=牝=雌・七=7=漆・匕=匙=匕首=小刀=」
「孝=耂+子(一了)
↓↑
悌=兄弟仲が良い事
↓↑
昭和48年
「尊属殺人罪」を違憲とした(最高裁判決)
ーー↓↑ーー
古代中国
祖先崇拝
血族が同居連帯し家計をともにする
家父長制家族が社会の構成単位
社会的犯罪・・・・・・・・・階級社会の犯罪?
については
「父は子の為(ため)に隠し
子は父の為に隠す」
と孔子
「孝経」
道徳の根源、宇宙の原理として形而上化
無条件服従
と
父子相隠
を法律にも明文化
祖先祭祀で
「孝」は重要な原理
↓↑
「孟武伯」が孔子に「孝」とはナニか、を尋ねた
「親は子の病を憂う(心配する)ものだ(論語・為政第二)」
つまり「子供は健康でいること」が孝行
「子游」が尋ねた
「現今の世間は養う(目に見える形の奉仕)を
孝というが
それなら
犬馬だって人を養う(奉仕する)
敬う心がなければ、
どうして犬馬と区別できようか」
と答えた?・・・
・・・「区別」は出来るが「差別」は出来ないカモ・・・
「孝」=「親孝行」
↓↑ 実践する人を「孝子(コウシ)」
儒教の「孝子」は
「舜」であるらしい
「曽子」が孝の実践に優れていた
「曽子」は「孝経」の作者・・・
↓↑ 「孝経」=孔子、十三経のひとつ
漆書「蝌蚪文」の
「古文孝経」は22章
「今文孝経」は18章
親を愛する孝は
徳の根本で
「至徳」で人間の行動原理・・・
「玄宗みずから注釈」した・・・
(御注は孝を国家の政治道徳へと転換し
家族的な孝を
君に移して忠とすべきことを強調)
文禄二年(1593年)
朝鮮から銅活字がもたらされ
古文孝経を印刷した(時慶卿記)
実物は現存しない
慶長四年(1599年)の
古活字版「古文孝経(慶長勅版)」は現存
↓↑ ↓↑
「身体髪膚、受之父母。
不敢毀傷、孝之始也。
↓↑ 立身行道、揚名於後世、以顕父母、孝之終也。」
「孝(親孝)」は「忠(忠君)」と矛盾
↓↑
「忠」よりも「孝」が貴い
「悪行の君主を三度諌めても聞き入れられなかったら
君主の下から去るべき」
「悪行の親を三度諌めても聞き入れられなければ
泣き寝入りして従え」
「孝」
「父のやり方を三年間改めないのが孝行」
これを例に
『日本後紀』では
桓武天皇が崩じた際、
その年に元号を
「大同」と改めたことに対し・・・年号自体が「大同」である?
↓↑
子や臣の心情として
一年の内
二君あることを忍びないと思うからこそ
同年に改元しないのに
「礼に反している」と批判する記述がある(『後紀』)
・・・だが年号自体が「大同」である?・・・
↓↑
中国
「3年子無きは、去る(夫の方から離婚する)」
これは祖霊に対する
「孝」=「子孫を残すことが孝」とするモノ
「子を残す女性が正しい(本妻でなく妾でも)コト」
倫理的に正しい・・・
『孟子』離婁(リロウ)上において
「不孝に三あり。
後(継ぎ)無きを(最)大なりとなす」
中国の辛亥革命で
国民党時代が到来
魯迅は
「孝」は
「人が人を食う」原理であり、
それまで賛えられていた
「孝子」をおぞましいものであると非難
「孝」は共産党に否定され
「忠」が文化大革命で
「毛沢東」に対する忠誠として肯定的化・・・
ーーーーー
「造反有理=造反に理有り=謀反にこそ道理がある」・・・
「階級(搾取)社会での革命は無罪?」だけれど
未だに成就したタメシがない・・・
「上の者に反抗(抵抗)するのには理由がある」・・・
・・・「上の者」ではなく、
「理不尽な言動、行動、暴力を振るうモノ」にだろう・・・
「造反有理」とは「無理に対する有理としての造反」で、
「数学」で「有理数(rational number)」とは、
「二つの整数 a, b (b≠0)をもちいて
a/b という分数で表せる数のことをいう
a/b=a が b に占める割合」
「整数は分母の数を1とした場合
1/1・2/1〜9/1・・・分数の形に直すことができる」
「有理数は整数・有限小数・循環小数の3つ
分数の形に直せる数は
整数・有限小数・循環小数の3つのうちのいずれか」
「0は有理数・・・0は分数で 0/a (a≠0)・・・0/a=0」
「無理数」は分配には納得させる数字とはならない・・・?
↓↑
人間の「心情」は「有理な信条」では説明できない?・・・
割り切れないモノ・・・?
・・・「ルツ記」の「ナオミ(Naomi)」と「ルツ(Ruth・Rutu)」の関係って・・・結局、心情は子孫が「ダヴィデ」なったってコトか・・・「大闢=大辟」・・・その子孫であるキリストは現実に命あるモノとして救われなかったし、他の人々の命も救えなかった・・・
↓↑
「辟=さける・きみ・めす・よこしま・かたよる・ひらく
ヘキ・ヒ
避ける・避難・僻地・・・
「辟=さける・しりごみする・後ずさりする
辟易(道をあけて場所をかえる意から
・・・易占を避けるコト?
ひどく迷惑して、うんざり(ウンザリ)すること
嫌気がさすこと・閉口すること
相手の勢いに圧倒され(尻込み・後込み)すること)
同じようなことを何度も繰り返し言ったり
長々とと話したりして、
うんざり(辟易) ・・・運指理(去)?
つみ(罪)・刑罰
大辟=きみ(君)・天子
復辟=めす(召す)・まねく(招く)
徴辟
よこしま・かたよる・ひらく・土地をひらく」・・・
「招辟=ショウヘキ=
「大辟(タイヘキ・重い刑罰)」
「百辟(ヒャクヘキ)」・・・
「復辟=フクヘキ=退位した君主が再び位に就くこと
張勲復辟(チョウクフクヘキ)
1917年7月1日〜12日間
張勲が清朝の廃帝であった
愛新覚羅溥儀を復位させた事件
「便辟=ベンヘキ=便は人の欲する所に順ふ
辟は人の惡む所を避くる義
人の意を迎へて、
媚(こ)びへつらふ。又其の人」・・・
でも、生きる為には「便辟」を装うコトもネッ・・・
「便秘」はウンざりだけれど・・・